「手抜き除染」の現場
新聞にとって大切な役割は、「事実を掘る」ということです。事実とは、いつも手が届く場所にあるわけではありません。何かの事情で埋もれている場合もあるし、意図的に隠されていることもあります。
隠された事実は労力をかけて発掘する必要があります。その作業に特化した専門集団、それが特別報道部です。隠された事実を掘るには時間がかかります。人手もいります。それでいて、成果は上がらないかもしれません。割に合わない作業なのですが、少しでも真実に近いことを載せようとすると、この作業が欠かせません。
2012年来、特別報道部では原発事故がらみの報道に力を入れています。ざっくりと分けると、連載企画と特ダネです。朝刊3面で連載中の「プロメテウスの罠」で原発事故周辺の多様な事実を発掘し、手抜き除染や原発作業員をめぐる問題で特ダネを次々と出しています。「プロメテウスの罠」は2012年度の日本新聞協会賞も受賞しました。
どの記事にも労力がかかっています。たとえば、13年1月4日の紙面に掲載した手抜き除染のスクープは、4人の記者が計130時間、現地で張り込みを続けました。端緒は「除染で出た放射性廃棄物をそのまま川や山に捨てている」という情報をつかんだことでした。証言を集めると、事実としか思えません。しかし、新聞に書くには証拠がいります。証拠の写真とビデオを撮るため、寒いさなか、凍えながら張り込みを続けました。その成果が1月4日の記事でした。
放射性廃棄物を取り除くために除染をしているのに、取り除いた放射性廃棄物を川や山に捨てる――。信じられないことです。地元の自治体は怒り、ゼネコンに除染を発注していた国は慌てて除染適正化本部を設置しました。ひとつの新聞記事が国を動かしたのです。
とはいえ、労力をかけても事実にたどり着けないことも少なくありません。事実が現れることを信じ、きょうも特別報道部の記者はさまざまな場所で発掘を続けています。
特別報道部次長・鮫島浩
ひとつのテーマについて取材を重ね、核心に迫る。入社当時、同僚たちと語り合った記者像です。あれから約20年。日本社会がめまぐるしく移りゆくなかで、同僚の多くは専門分野に散り、記者クラブに入って取材競争に明け暮れています。私も政治部に長く身を置き、政界の動きを追いかけてきました。
国家や企業が何を考えてどう動くのかをいち早く伝えるため、政治家や官僚、経営者らに肉薄することは重要です。けれども、世の中の事象を追いかけることに懸命になるあまり、記者自身の問題意識に基づいて埋もれている事実に迫る取材が後回しになっているという感覚をずっと抱いてきました。
特別報道部は記者クラブに属さず、担当分野もありません。主体的にテーマを決め、納得のいくまで調べるオフェンス専門の記者集団です。「追いかける」側から「掘り起こす」側へ……。かつて夢見た記者の仕事が実現できる場所です。
2013年3月17日、全人代の閉幕を受けて拍手する(前列左から)胡錦濤前国家主席、習近平国家主席、温家宝前首相、李克強首相=山本壮一郎撮影
「胡総書記、完全引退へ」――。
2012年11月、朝日新聞は中国共産党の最高指導者であった胡錦濤総書記の「完全引退」を、世界に先駆けてスクープしました。北京の特派員が、公表されることのない中国政治の舞台裏に鋭く迫った特ダネでした。
これは、ほんの一つの例に過ぎません。国際報道の分野でも世界の主要メディアと競う朝日新聞は、世界に約50人の特派員を派遣しており、このうち中国と台湾には計8人の記者を常駐させています。8人は日々、中国の取材現場に深く潜り、世界の読者をあっと言わせるような特ダネを発掘しています。
中国政治の水面下の動きを追って、長期連載「紅の党」も2012年6月に始めました。「紅」とは、中国では革命を指す言葉です。「紅の党」という連載のタイトルは、中国共産党を正面から解剖しようとの取材陣の意欲の表れでした。
連載を始めるきっかけは、2012年2月に重慶市の副市長が米国総領事館に亡命目的で駆け込んだ事件。これがやがて、党指導部の政治局員だった薄熙来氏の失脚へと発展していきます。中国の指導部で何か異変が起きている――。中国の特派員たちは事件の背後にある動きを、丁寧に追いかけていきました。取材先は中国だけでなく、米国やフランス、英国、カンボジアなど多くの国に及びます。登記簿などの分厚い資料を何日もかけて読み込み、多数の関係者への聞き込み取材を進めました。朝日新聞の特派員は、海外の取材現場でも独自の調査報道を展開しているのです。
掲載された連載記事は、「紅の党 習近平体制誕生の内幕」として朝日新聞出版から書籍化されました。その後も連載は続いており、特派員たちは今日も取材のために世界各地を飛び回っています。
上海支局長 金順姫(キム・スニ)
中国では日々、想像もしなかったことを見聞きします。上海の川に大量の豚の死骸が流れてきた――。そんな第一報に接する時には、あぜんとします。一体なぜこんなことが、と。
すべてに対応できるわけではありませんが、興味深いことが起きれば、できるだけ現場に向かうようにしています。突発的なことではなくても、「なぜ」を解明したいと思う事象があれば、出張計画を練ります。どの現場でどう取材すれば、読者にうまく伝わるだろうか、と考えます。
もちろん、現場に行けば疑問が解決するとは限りません。わからないままのことも多いのですが、現場に立ったからこそわかることが必ずあると信じます。苦にはならないですね。
上海に赴任して、中国全土をカバーする大きな地図を買いました。出張に行った場所には青いペンで丸印を付けています。これからどれだけ丸が増えるだろう。ひそかな楽しみです。