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【社説】

ドイツ政治の潮流 メルケル流を忘れずに

 ドイツの保守与党党首がメルケル首相(64)からクランプカレンバウアー氏(56)に代わった。「メルケル流保守」とは何だったか、どう引き継がれるのか。

 この時期、各都市中心部の広場には軽食や飾り物を並べた露店が並ぶ。クリスマス市。ドイツの冬を和ますキリスト教の行事だ。

 メルケル氏が率いていた党は、その宗教の名を冠した保守党、キリスト教民主同盟。

 ライバルの中道左派、社会民主党と、時に与野党で対立、時に大連立を組みながら戦後、西ドイツ時代を含め計四十六年間、ドイツの政治を担ってきた。うち十三年間がメルケル政権だ。

◆ソ連の脅威に対処

 民主同盟は、ナチ・ドイツの敗戦から間もない一九四五年に結党。ワイマール共和国時代の連立政権与党だったカトリック政党「中央党」と、プロテスタントを統合した超宗派的なキリスト教政党としてスタートした。

 初代党首で西独首相となったアデナウアーは、「キリスト教的西欧」の価値観を党の理念に掲げ、それに基づいたドイツ統一と欧州統合を目標にした。

 キリスト教的西欧とは、自由、民主主義など西側の価値観を体現したものだった。同時に、冷戦の最前線で東ドイツと対峙(たいじ)していたため、共産主義やソ連の脅威に対処する意味合いもあった。

 これらは八九年のベルリンの壁崩壊、九〇年のドイツ統一や、九三年発足の欧州連合(EU)で形となった。

 その後、党に新たな理念を継ぎ足したのがメルケル党首だった。

 野党時代は米主導のイラク戦争を支持、脱原発に反対していた。

 しかし、二〇〇五年の首相就任後、社民党との大連立で本領を発揮していく。

 メルケル流の背景には、自らが科学者で、自由のなかった東独育ちの生い立ちがよく指摘される。

 しかし、それだけではない。

◆キリスト教的保守

 一一年の東京電力福島第一原発事故後、対応を検討した「倫理委員会」にはカトリック、プロテスタント両宗派の代表も参加。環境を破壊することなく、未来でも生活できるようにし続けることが、キリスト教から導き出される人間の義務であることを、脱原発の根拠の一つだとした。

 一五年夏には、欧州に押し寄せた難民を受け入れる寛容政策を表明して混乱を招き、以来、批判の矢面に立たされている。受け入れ目安を設けるなど軌道修正はしたが、信念は曲げなかった。

 父が牧師でプロテスタント。政治家としては珍しく、信仰に言及することも多い。

 難民申請者のトラックがベルリンのクリスマス市に突っ込んだテロ事件翌月、一七年一月の演説では、神の被造物で一人一人異なる人間は、いつも繰り返し関わり合わなければならないと指摘。

 「非合法な手段以外の方法で、難民の援助を行わなくてはいけないのは明らかです。困難な課題に直面していますが、引き受けないわけにはいきません」と語った(メルケル氏著「わたしの信仰」、新教出版社)。

 別の集会では、キリスト教的人間像から考えると「共に生きる人々の幸福はいわば基礎的なもの」と述べている。

 目指したのは、人権の尊重と自然との共生。信仰が大きな原動力だった。

 ドイツ南西部バーデン・ビュルテンベルク州は、イラク北部で過激派組織「イスラム国」(IS)に暴行されたクルド民族少数派ヤジド教徒の女性約千百人を難民として受け入れ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などのケアを施した。

 その一人が国連親善大使に名乗りを上げ、ISの非道を世界に訴えた。

 今年、ノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさん(25)。メルケル流の誇れる結実である。

 次期党首のクランプカレンバウアー氏は、政界引退を表明している首相の後継候補ともなる。

◆後継者はカトリック

 メルケル氏同様、女性で考えも近いという。しかし、メルケル氏とは違いカトリックで、昨年合法化された同性婚には異論を唱え、医療機関による中絶広告解禁に強く反対する。

 メルケル流は、態勢が不十分なまま理想に走りがちな性急さもあった。共生社会づくりは課題も多く、まだ道半ば。排外的な新興右派政党へと流れた保守層の支持回復も大きな課題だ。メルケル流の精神を引き継ぎつつ、国の分断を克服してほしい。

 キリスト教に培われた懐の深いドイツの保守は、EUの連帯を強め、自国第一主義のトランプ流が横行するようになった国際社会の流れを変える力ともなるはずだ。

 

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