夏目漱石「吾輩は猫である」 無意識にあふれる漱石の芋愛

日本文学あの名場面/鴻巣友季子(翻訳家)

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/11/11 10:50 更新:2018/11/11 12:10

「吾輩は猫である」の一場面を拡大して読むにはこちらから(PDF)


 鉄道小説が好きという人もいれば、サッカー小説には目がないという人もいる。それを言うと、わたしは大の芋好きで、芋の出てくる場面をこよなく愛す。

 レイモン・クノーの『地下鉄のザジ』では、あつあつのフライドポテトを、指をやけどしながら食べる場面が抜群。『秘密の花園』はローストポテトの描写。『風と共に去りぬ』では、パーティの腹拵(ごしら)えの場面で、「バターをのせた大きなヤムイモ二切れ」というくだりでうっとりとなる。

 これらの海外古典に勝てそうな、芋の「日本文学名場面」というと、『吾輩(わがはい)は猫である』にお出まし願うべきだろう。じつに「芋芋しい」作品である。

 明治38年当時の日本語変遷のサンプルとなるくだりがある。英語教師の珍野苦沙弥(くしゃみ)先生が言文一致体で一気呵(か)成(せい)に書く文章というのが、「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼き芋を食い、鼻汁を垂らす人である」だ。勢いにまかせて書いた文章に、焼き芋が登場。これは、天然居士のモデルの米山保三郎の好みか、漱石の芋愛が無意識に出たのか。とはいえ、先生は「焼き芋を食い」も「鼻汁を垂らす」も余計だといって原稿から筆誅(ひっちゅう)する。

 つぎなる芋シーンは、泥棒が入るところだ。吾輩がじっと観察するなか、多々良三平君が土産にくれた唐津の山芋を盗人が取っていく。この事件の後につづく苦沙弥先生と奥方の会話のナンセンスぶりは落語的であり、漱石文の真骨頂である。「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」「どうするつもりか知りません。泥棒のところへ行って聞いていらっしゃい」「いくらするか」「山の芋のねだんまでは知りません」〈中略〉「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云(い)うんだ」「何ですって」「オタンチン・パレオロガスだよ」

 団子を食いにいくのは上野の「芋坂」、熱い味噌(みそ)汁の具は「薩摩芋」。引用した夕餉(ゆうげ)の場面にも、芋はしっかりある。塩焼きの「肴(さかな)が一疋(ぴき)」と、その横には「豚と芋のにころばし」。先生は知識をひけらかしながら、料理を不味(まず)そうにつつき、顔を真っ赤にして、飲めない酒を何杯も飲む。旨(うま)くなくても摂取する。でも、胃弱なので消化できない。ひょっとして、これは当時の外国かぶれのインテリ日本人が西洋の重厚な知にふらふらとなり、胃もたれを起こしている姿を揶揄(やゆ)したものではなかろうか。「文学における胃弱と嘔吐(おうと)」の研究をしている阿部公彦さんに尋ねてみたい。


文学者の集いである「飯田橋文学会」のメンバー、平野啓一郎さん、田中慎弥さん、阿部公彦さんロバート キャンベルさん、中島京子さん、鴻巣友季子さんが神奈川新聞に連載します。

*次回は11月25日、平野啓一郎さん。

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