森鷗外「渋江抽斎」 人生のほんとうの姿

日本文学あの名場面/阿部公彦(文学者)

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/09/30 11:53 更新:2018/10/28 10:13

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 これほど有名なのに、はじめからハードルが強調される作品も珍しい。「すごい」「鷗外の最高到達点」という人がいる一方、「地味」「退屈」「難解」と苦情も多数。

 そこまで言うならまず頁(ページ)を繰りたい。読まずに死ぬには惜しい作品だ。何よりこれは、死との向き合い方を考えさせる作品なのだから。

 タイトルの通り、描き出されるのは渋江抽斎という実在の医者の生涯である。ただし、本人はそれほど出てこない。主人公の声やアクションは抑制され、そのかわり、埃(ほこり)をかぶったような古書の情報や、おびただしい数の人物名、俸禄(ほうろく)、業績、経歴、家系図、そして引用にもある墓の碑文などがならぶ。

 何と愛想のない本だろう。後半、家族に焦点が移ると活劇的なエピソードも増えるが、全体に誰が誰の子だとか、何年に何歳で死んだといった「考証」が多くて目がちかちかする。その極みが墓の場面だ。読者が「うわ。これは参った!」と音を上げるとしたら、ここだろう。

 しかし、こうした情報の陳列は意味がある。当時の人は呼び名が複数、途中で変わりもする。「渋江抽斎とは誰か?」との謎もそこから生まれた。ところが墓に刻まれた文字はまさに「死の顔」を持つ。揺るがない不動さには、切なさや無念さも混じる。平穏さも。そして--何しろ言葉だから--「知」の光が差す。暗闇に埋もれた何かが明らかになる、その胎動を碑文には感じる。どこか呪術的な「知」なのだ。

 抽斎は無名の人だった。掘り当てたのは鷗外である。たまたま武鑑(武士の紳士録のようなもの)に残された情報がつながった。探偵のように網をはり、興奮し、嬉々(きき)として情報収集に励む書き手の熱気に引きこまれる。ミステリータッチなのだ。

 抽斎本人も考証を愛した。同じく医者だった鷗外はこの人物に憑依(ひょうい)し、今一人の考証家となる。作品を動かすのは考証の作業への愛である。動かないものをじっくり吟味、埋もれた「動」を引き出すというロマンティシズムに鷗外は魅了された。

 だからこそ鷗外は、『渋江抽斎』をごく静かな作物として演出した。石に刻まれた文字からじわりと漏れ聞こえるかすかな音が、人生のほんとうの姿だと鷗外は信じたのだ。台詞やアクションより、その余韻から生命の鼓動が聞こえる。死者を呼び起こしつつ、鎮める。一級品の文章とはこういうものか。作品そのものが生きた墓碑銘になっている。


文学者の集いである「飯田橋文学会」のメンバー、平野啓一郎さん、田中慎弥さん、阿部公彦さんロバート キャンベルさん、中島京子さん、鴻巣友季子さんが神奈川新聞に連載します。

※次回は休み

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