いとうせいこう「ノーライフキング」 大きな曲がり角を曲がった

日本文学あの名場面/鴻巣友季子(翻訳家)

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/08/19 10:54 更新:2018/08/19 11:25

「ノーライフキング」の一場面を拡大して読むにはこちらから(PDF)


 世はバブル期に突入して、街にはカラフルなボディコンの服の女性たちが闊歩(かっぽ)していた。そんな一九八八年、『ノーライフキング』は不穏に登場した。「ライフキング」というコンピュータ・ゲームをめぐる物語であり、網の目状に伝達される「噂(うわさ)」の本質を見据える考現学的な側面もある。三十年前に出たのが驚異的。

 悪の「マジックブラック」を倒すこのゲームには、微妙な差異のあるバージョンが1から4まであると信じられ、子どもらは裏技を発見しながら、より希少なバージョンを追い求める。そんなある日、主人公の小学生「まこと」は謎のゲーム「ノーライフキング」の噂を耳に入れる。

 このゲームを「解けない子から殺される」「家族も死ぬ」といった流言飛語が行き交う。当時はスマートフォンどころか、携帯電話も、インターネットも、パソコンすら普及していない。まことが夜半に友だちと連絡をとるのは“家電”。母親に、「だめよ。いけません、こんな夜遅く」と注意される場面がある。

 しかし圧倒的に新しい通信手段にして情報網がお目見えするのが、上に引用した「あすなろ会特進クラス4 STANDBY OK」の章だ。「あすなろ会」は全国展開の進学塾で、各生徒にコンピュータのモニターとキーボードが与えられ、彼らの情報はメインコンピュータで一括管理される。テスト後には「反省」のため、モニターを通じて、他県支部の任意の生徒と「三十字」以内で通信ができる。まるで、いまのtwitterのようだ。

 姿なき「ノーライフキング」は子どもたちの間を、「TV画面に映ったアイドルの霊」の噂のように、「陽気な漫画の悲惨な最終回」の伝承のように、高速で駆け抜けていく。当時のわたしはとてつもなく新しい何かの出現を直感したものの、それが以後数十年、世界を掌握する“サイバーネットワーク”とその在り方を精確に予見するものだとは認識できなかった。

 まことの母が「ライフキング」の解説書を読み、勇者の血統や敵方の呪いの説明が全くないので呆(あき)れる場面は、象徴的だ。ゲームコンセプトや世界観の詳説は事前には必要ない。そんな説明抜きで戦うことができる人種、それが一九八〇年末以降の、高速情報ネットワークを有する子どもたちなのだ。ヴィジョンの共有は、紙ベースの解説書ではなく電子媒体にのせた「噂」を通じて行えばいい。

 本書刊行の前年と翌年には、小林恭二『ゼウスガーデン衰亡史』、高橋源一郎『ペンギン村に陽は落ちて』という日本のポストモダン文学を代表する二作が出ている。日本文学が大きな曲がり角を曲がった時代だ。


文学者の集いである「飯田橋文学会」のメンバー、平野啓一郎さん、田中慎弥さん、阿部公彦さんロバート キャンベルさん、中島京子さん、鴻巣友季子さんが神奈川新聞に連載します。

*次回は9月2日、平野啓一郎さん。

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