大岡昇平「出征」 日常をこそ奪ったのだ

日本文学あの名場面/中島京子(小説家)

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/08/05 11:37 更新:2018/08/05 12:37

「出征」の一場面を拡大して読むにはこちらから(PDF))


 「出征」は、大岡昇平の戦争小説だが、舞台はフィリピンではなくて日本、マニラへの出征が決まり、輸送船に乗るまでが描かれる。凄惨(せいさん)な戦場を描く『野火』などに比べると、やや抒情(じょじょう)的な一篇(いっぺん)とも言えるかもしれないが、この短い小説にくっきりと描き出された戦争の理不尽さは、読む者の心に深く留まる。

 三十代も半ばになって召集された男が応じたのは、近衛連隊の教育訓練だった。三か月と決まっていて、私物も返され、今日が除隊という日になって、「今これから名前を呼ぶ者は直ちに除隊。呼ばない者は残る」と言い渡される。「残る」とは、軍隊に残るのであり、南方へ送られる運命が待っていた。「みなお前たちが無事に前線につくためにやったことだから悪く思うなよ。敵の諜報(ちょうほう)機関の活動は近頃とみに活発を加え、部隊が動くことが洩(も)れると、必ず潜水艦が近海に現われる」と教官は言う。

 いったいどうやって「残る」者は決められたのか。後の記述を見ても、身体能力の高い者が選ばれたというのでもないらしい。サイコロでも振ったのか、ただ厳然とした事実として、部隊四十名中の十六名の一人として、男は出征することになった。

 男は逡巡(しゅんじゅん)の末、最後の別れのために神戸に住む妻子を東京に呼び寄せるが、動転のあまり乗るべき列車を逃した妻と子供たちは、面会の期日に来ない。今生の別れは叶(かな)わなかった、それならばいっそ妻子を呼ぶべきではなかった、無駄に東京で迷わせたと後悔しながら、炎天下の九段から品川までを行軍し、心身ともにくたびれ果てた男の前に、幻のように妻子が現れる。

 妻は慣れない東京で、同じ境遇の別の家族に助けられながら、部隊が品川にいるという情報を得て、幼い二人の子を連れてやってきた。引用したのは、その場面である。

 夫婦は何も言わずに二人して泣く。言葉らしい言葉を、交わさない。「小説にあるような優しい言葉」が、どうしても出てこないのだ。「きっと帰って来るから、心配しないでもいいよ」と、言ったはずの言葉は男の記憶に残らない。残るのは、輸送の汽車に向かって歩き出した男の水筒の栓が取れているのを見かねて、妻が唐突にかける「こぼれてる、こぼれてる」という言葉なのである。

 「小説の言葉」のようなものを、人が日常の中で交わすことはほぼない。二度と会えないかもしれないという場面であっても、そこで交わされたのはごく日常的な言葉だった。

 ようするに、戦争は、この日常をこそ奪ったのだと、その場面は私たちに教える。

 短篇のラスト近くで、男は発作的に妻の「千人針」を海に投げる。そうして男は「出征によって、祖国の外へ、死へ向かって積み出されて行く」のだった。


文学者の集いである「飯田橋文学会」のメンバー、平野啓一郎さん、田中慎弥さん、阿部公彦さんロバート キャンベルさん、中島京子さん、鴻巣友季子さんが神奈川新聞に連載します。

*次回は8月19日、鴻巣友季子さん。

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