今村夏子「白いセーター」 “地味づくし”から生まれる威力

日本文学あの名場面/阿部公彦(文学者)

  • 神奈川新聞|
  • 公開:2018/07/08 10:32 更新:2018/07/08 12:09

「白いセーター」の一場面を拡大して読むにはこちらから(PDF)


 二〇一〇年に「こちらあみ子」でデビューした今村夏子。発表された作品はまだ多くないが、熱狂的なファンがいる。救世主と見る人さえいる。その魅力の秘密はどこに?

 …ということを考えるのにちょうどいいのが「白いセーター」だ。ごく短い作品で、芥川賞候補にもなっていない。しかし、この地味なタイトル、地味な設定、地味な主人公、地味な展開に私はむしろ震撼する。これほどの“地味づくし”からこんな威力が生まれるのだから。小説のもちうる力に、畏怖の念さえおぼえる。

 主人公のゆみ子はややゆっくりした感じの女性。人付き合いもうまくない。そのせいか「リア充」で活発で忙しくしている人は苦手で、なるべく近づきたくない。ところがよりによって12月24日。イブのディナーをフィアンセの伸樹さんとすごそうとしていたら、義理の姉から連絡があり、小さい子供を三人、教会で預かってほしいと言われた。嫌な予感。

 案の定、お守りはトラブルに見舞われる。子供たちが、教会に現れるホームレスのことを話していて、「追い出しちゃおうよう」などと言っている。ホームレスは来ないが、ミサの最中、陸くんが別の人に「でていけーっ」と騒ぎ出し、制止したゆみ子と揉めることに。陸くんは椅子から転がり落ちて泣き出す。後にこれが義姉の知るところとなり、ゆみ子には非難の目。

 こんな展開から、つい読者は「なるほど~。これは〈ほんとうは悪くない私〉がひどい目にあう話なのだな」と思う。そして「ガンバレ、主人公。負けるな」と念ずる。もちろん、それでいいのだ。そうやってまんまと作家の術中にはまればいい。

 引用は結末近く。子供たちに散々振り回され、伸樹さんともすれ違いが生じてイブ台無しのゆみ子が家を飛び出しとぼとぼ歩いていると、サンタクロースの格好をしたホームレスとばったり遭遇する。文章の童話臭と相俟って、そうか! ついにきたかハッピーエンド! と前のめりになるところ。そこで「どけっ!」の一言だ。横面を張られた気分だ。

 そういえばあそこも気になる、ここも、と後からあやしい細部が浮かび上がる。〈ほんとうは悪くない私〉どころか、この主人公、独特な観察眼が特徴なのだ。自分や世界をやけにじっくり見ている。しかも本人に自覚があるのかわからない。そこにすごみがある。

 何なのだろう、今村夏子。手強い作家だ。主人公はいつも微妙にずれている。だから、つい応援したくなる。ところがいつもこうして裏切られる。快感だ。


文学者の集いである「飯田橋文学会」のメンバー、平野啓一郎さん、田中慎弥さん、阿部公彦さんロバート キャンベルさん、中島京子さん、鴻巣友季子さんが神奈川新聞に連載します。

※次回は7月22日、ロバート キャンベルさん。

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