凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<20>やっとたどり着いた
- 凍土を穿つ|神奈川新聞|
- 公開:2015/03/13 03:00 更新:2018/04/13 23:35
抑留の記憶を語った関谷義一。「今までつらくて話せなかったね。死んでいった戦友に申し訳ないから」=長野県上田市
ナホトカからの復員船は、3日の航海で京都・舞鶴港に着く。
舞鶴港は戦時中、旧海軍の軍事拠点だった。戦後は1945年10月、最初の引き揚げ船が朝鮮半島・釜山から入港。シベリアからは46年12月、第1陣復員船として「大久丸」(2555人乗船)と「恵山丸」(2445人)が着岸した。終戦以来、舞鶴は13年間にわたって約66万人の引き揚げ者・復員兵を迎え入れた。
88年4月、その歴史を後世に伝えるべく京都府舞鶴市が「舞鶴引揚記念館」を開設した。シベリアの捕虜が着たコートや防寒着、シラカバの皮に書き付けた日記、「岸壁の母」のモデルである故・端野いせが息子に宛てた手紙など約千点を常設展示している。
ソ連側は元捕虜をナホトカから乗船させる際、私物を没収した。そのために、抑留の歴史は抑留された人たちの記憶に頼る部分が大きい。
昨年6月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国内委員会が、世界記憶遺産の候補に舞鶴市が申請したシベリア抑留に関する資料を選んだ。ユネスコは今夏、登録の可否を発表する。
戦後70年。シベリアの凍土に日が差すだろうか。
【神奈川新聞】