- 凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<20>やっとたどり着いた
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凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<19>今こそ上京せねば
足かけ3年にわたりシベリアに抑留された関谷義一(87)=長野県長和町=にとって、ようやく帰り着いた新潟での2カ月など、ほんの... -
凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<18>雪焼けの復員兵の顔
「真っ黒で、目はぎょろぎょろしているからね。みんな困ったらしいです、えらいのが帰って来たと」終戦から3年を経て、シベリアから... -
凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<17>終戦から3年で「帰還」
ナホトカは沿海地方の港町で、弓なりの湾が天然の良港をなす。流氷の影響を受けることが少なく、近代以降に貿易港として栄え、日本と... -
凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<16>敵軍大佐との「終戦」
トーカレフと名乗る大佐が、その地区を仕切る収容所長だった。彼は、捕虜の関谷義一(87)=長野県長和町=を官舎に呼び出して命じ... -
凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<15>ノルマ超える「原点」
ノルマを達成できなければ、罰として食事を減らされる。達成すれば余力があると見なされ、より一層、重い労働が課される。それが、シ... -
凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<14>貧しさと共感の氷原
戦勝国のソ連も貧しかった。第2次大戦で最大の2千万人もの死者を出し、経済は疲弊していた。シベリアは飢えていた。1946年初め... -
凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<13>戦友を裏切る「修羅」
シベリアには冬が9カ月あるという。夏は猛暑にもなるが、氷が解けだしたと思う間もなく、9月には再び雪が降り始める。そのシベリア... - 凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<12>吉田正が「忘れた」歌
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凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<11>望郷の歌が心の支え
1956年に日ソが国交を回復し、戦後初めて日本の新聞各社がソ連に入ることになった。その時、神奈川新聞社の社員になっていた関谷... - 凍土を穿つ シベリア抑留の記憶<10>「価値ある死」求めて
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神奈川新聞の大型連載「K100 神奈川高校野球」がまるごと読めるアプリ終了へ
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神奈川新聞の人気コンテンツ「イマカナ」の独立ウェブサイトがオープンしました。
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ユースピアノ部門におきまして、さまざまな特典が付いた指導者登録を行っております。
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【2019/8/31締切】農作業風景や豊作祈願祭など“農”に関係する写真を幅広く募集します。
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「第48回文芸コンクール」の入選作品が決まりました。
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日常生活と観光の両面で自転車の役割を考えるシンポジウムが開催されました。
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21チームが優勝を目指して熱戦を繰り広げます。試合日程はこちら