神奈川新聞と戦争(79)1941年 「心構へ」で空襲対処

「お座なりと行過ぎ禁物」「物心両面の訓練徹底」と防空の意義を説いた1941年10月9日の神奈川県新聞

「臨戦態勢下に一しほ意義をこめていよいよ来る十二日から県下一斉に繰り展(ひろ)げられる今次防空訓練を前にこれが訓練の前哨として県下各市町村警防団では早くも警防団員、自衛組(家庭防空群)を招集し早朝から深夜かけて猛訓練を開始、その真剣さを示してゐる」

 本紙の前身である神奈川県新聞の1941年10月9日付記事の書き出しだ。見出しは「物心両面の訓練徹底」。物心の「心」の意味が、本文にある県当局のコメントに表れている。

 「断じて負けない覚悟と準備を怠らず(略)『如何(いか)なる空襲を受けても、家庭は家庭を護(まも)り、職場の者は職場を死守する』の心構へが第一義であるのだ」

 このとき準備されていたのが、都市からの退去禁止や、空襲時の応急消火を国民に義務づけた改正防空法である。成立は同年11月25日だったが、前回紹介した通り、それを先取りして新聞などでその「心構へ」が喧伝(けんでん)されていた。

 家庭や職場では、各自が空襲による延焼を防ぐ。県当局のコメントは、そういう「民防空」を「死守」という強い語句で説いた。

 同記事は「お座なりと行過ぎ禁物」とも掲げ、国民の気の緩みを警戒した。その背景を、水島朝穂、大前治著「検証防空法」は次のように推察する。

 「一九四一年当時、戦争といえば遠く中国大陸の出来事だった。国内では戦争の悲惨さは十分理解されず、空襲体験者は皆無だった。防空訓練においても、命を投げ出す覚悟や悲壮感はなかったであろう」

 政府には、そんな「遠い戦争」という意識を変えさせる必要があった。対米戦争が控えていたからだ。県当局が強調した「心構へ」にも、その真意が見え隠れする。

 「万が一にも対戦国が相当有力な空軍をもつてゐる国であるとすれば完全にその制空権を獲得するまでは国内に於(おい)ても必ずある程度敵の空襲を受けるといふことは何人でも覚悟してゐなければならない」

 有力な空軍を持つ国とは、もちろん米国だ。政府や県は、国民に「心構へ」で空襲に対抗せよと強い、「ある程度」の被害も受け入れよと求めた。

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