神奈川新聞と戦争(76)1938年 「男女の恋愛」を敵視

「非常時を忘れて踊り狂ふ連中に加賀町署が鉄槌下す」と題した横浜貿易新報の1938年3月30日付記事

 小中学校が「防空思想」普及の最前線に組み入れられつつあった1938年。本紙の前身、横浜貿易新報(横貿)の3月30日付1面には「首相自ら陣頭に起(た)ち/全面的国民運動に直進/“戦時体制”徹底大馬力」と掲げた記事が載った。

 「第七十三議会は戦時議会の名に違(たが)はず国家総動員法、電力管理法等の画期的立法を(略)産み出して漸(ようや)く閉幕」。前年の37年に始まった日中戦争に伴い、近衛文麿内閣は戦時体制を整えた。閣議で次のような意見が交わされたという。

 「長期応戦に突入した今日国民精神総動員の態勢を再度緊張せしめて所謂(いわゆる)全体戦の意義を国民悉(ことごと)くに徹底し緊褌(きんこん)一番[気を引き締める]を促す要あり」

 物資を戦争に優先的に振り向けるだけでなく、国民一人一人の心をも、戦争遂行に向かせる。それが「精神」の総動員だった。

 その一例が同じ1面に見られる。「五月一日の労働祭 遂(つい)に永久禁止」とメーデー禁止を報じた記事だ。既に2年前の36年、二・二六事件の戒厳令で禁止されていたが、ここで「永久」が明確になった。

 記事は「満州事変発生以来労働組合の愛国陣営への転向」などで「実際にメーデーを挙行する団体も皆無」となったと伝えた。だが、背後にある思想統制には一言も触れていない。

 同日の2面には「非常時を忘れて踊り狂ふ連中に 加賀町署が鉄槌(てっつい)下す」との事件記事も。横浜市中区の複数の社交舞踏クラブに関する投書が寄せられ、同署が取り締まりを強化した、という内容だ。現在も治安対策で用いられる「浄化」の語が既に見られる。

 記事は▽非常時で中止したはずの舞踏会を続けている▽背広姿に「化け」た学生が「良家の子女」と入り浸る-などの投書内容を伝え、ダンスホールが「男女の恋愛遊技場化」していると問題視した。ダンス禁止令は2年後のことである。

 「ダンス界が四面楚歌(そか)の渦中に在る」と解説した横貿の言論は「国民精神総動員」の側にあった。

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