神奈川新聞と戦争(75)1938年 子どもを「最前線」に
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- 公開:2018/08/16 13:33 更新:2018/08/16 13:39
小中学校で「防空思想」の教育を徹底すると報道した1938年12月26日の横浜貿易新報
武力攻撃から最も縁遠いはずの子どもたちは過去にも、危機感をあおりたい大人の“標的”にされた。本稿で引き続き、日中戦争から太平洋戦争へと至る時代の空襲を題材に、本紙とその前身、横浜貿易新報(横貿)の報道を検証する。
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「防空思想の徹底に 小中学校に課目特設」とは、1938年12月26日の横貿の見出しである。前年に始まった日中戦争の主戦場は中国大陸だったが、本土空襲を想定して「防空」の訓練が繰り返されていた。
「我が国に於(おい)ては防空施設と共に防空に関する知識も尚(な)ほ極めて幼稚な状態にあるので明年度よりは此(こ)の方面に対しても積極的に乗り出す」
「小学校、中学校等に特に防空に関する課程を設け防空に関する教育訓練を施すべく文部省と打合せ中であり(略)防空知識の普及徹底を図る方針である」
こうある通り、防空知識の普及の要所が「小学校、中学校」だったのだ。
記事は「防空施設と共に防空に関する知識も尚ほ極めて幼稚」と、施設と知識を並列させている。素直に読めば、防空知識を広めるとともに防空施設も整備していく-と受け取れる。
ところが、そうではなかった。シェルターのような施設はついに造られず、その上、41年の改正防空法は(1)都市からの退去禁止(2)空襲時の応急消火義務-を定めた。家や町を自分たちで守る「民防空」である。
水島朝穂、大前治著「検証防空法-空襲下で禁じられた避難」は、その背後にある思想を読み解く。「国民を戦争体制に縛り付け、兵士と同じように命を投げ捨てて国を守れと説く軍民共生共死の思想」だ。
空襲に備える。それは、戦場から遠く離れた銃後の国民を“最前線”に立たせることを意味する。