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かつての日本人がとてつもなく優秀だった理由のひとつが漢字教育です。
「それならいまの教育でも行われている」と思われることでしょう。
ところが中身が全然違うのです。
ひとつが当用漢字、もうひとつが筆順です。
(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています。
画像は単なるイメージで本編とは関係のないものです。)▼必ずの筆順
漢字の筆順といえば、上から書くとか左側から書くといったルールに基づいていると教わったご記憶があろうかと思います。
筆順は結構テストに出る問題ですから、意外と厳しく教えられるものです。
ところがそのように教えられることによって、実は戦後生まれの私たちは、漢字の持つ象形性を無理やり見えなく(わからなく)させられています。
たとえば「必」という字があります。現代の筆順は・・・みなさん手で書いてみてください。
しかしその筆順では、「必」の字が、どうして「かならず」という意味なのか、さっぱりわかりません。
「かならず」は、心に刻(きざ)むことです。
ですから戦前戦中までの教育では、この字は、まず「心」と書いてから、斜めにビシッと線を袈裟(けさ)に引きました。
実際にそのように書いてみたらわかりますが、なるほど「必」という字を書く都度に「心に刻む」という意志が生まれます。
「必勝」なら「勝つ」と心に刻むから「必勝」です。
要するに筆順は、実は漢字のもつ象形性をよりはっきりとさせるためのものでもあるのです。
もともと漢字は象形文字からスタートしているのですから、当然です。
その筆順を、順番を入れ替えてバラバラにしてしまったら漢字の持つ意味がわからなくなる・・・どころか失われます。『ねずさんのひとりごとメールマガジン』
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https://www.mag2.com/m/0001335031.html GHQは英語圏で暮らす人達ですから、日本語がまったくわかりません。
そこに共産主義者の山本有三(作家)や土岐善麿などが、
「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、
識字率が上がりにくいために
民主化が遅れているのだ」
「日本の漢字は難解な字が濫用されており、
これが軍国主義を形成したのである。
だから漢字教育は軍国主義の復活につながる」
など、まったくもって言いがかりとしか言えないような主張を繰り広げました。
それらを「言いがかりだ」というのは、理由があります。
江戸時代の識字率です。
江戸時代の識字率はご存知の通り世界一です。
しかもその識字は、難解な旧字体の漢字を用い、さらにそれを崩し字にした筆字(ふでじ)です。
江戸時代の手書きで筆字の書物など、いまどきの日本人で読める人はほとんどいません。
ということは、江戸時代の基準に照らしたら、活字に慣れたいまの日本人の識字率は、ほぼ皆無だということになります。
では江戸時代の人たちは、どうして難解な旧字体の漢字、しかも手書きの字を読むことが出来たのでしょうか。
その理由が、漢字の持つ象形性と、筆順にあります。
漢字は基本的に象形文字から出来ているものです。
従って、その象形の意味を理解すれば、漢字を読めなくても意味が通じるのです。
そしてその象形性は、冒頭の「必」の字に明らかなように、筆順で補強されます。
その筆順を理解すると、崩し字が読めます。
だから江戸時代の識字率は、世界一だったのです。
昭和21年11月に、GHQは「当用漢字」を指定しました。
なぜ「当用」なのかというと、「漢字を廃止するまでの間、当面用いるだけの漢字」だからです。
この頃の日本は、昭和天皇の御意向を受けたマッカーサーによって日本に大規模な食料輸入が行われていました。
その一方で日本解体のために「良い」とされることが片端から実行に移されていました。
昭和23年にはジョン・ペルゼルが、日本語の表記をすべてローマ字に改めさせようとしています。
しかしこれは頓挫しました。
事前にGHQの指導によつて当用漢字が定められていたからです。
朝令暮改はさすがに拙いだろうということになって、日本語の漢字仮名交じり文表記は生き残りました。
その意味では、当用漢字は、制定の目的は日本語の破壊にあったのだけれど、結果として日本語の表記を守ったという側面もあるのです。
しかし、同時に当用漢字は、漢字から象形性を失わせ、結果として漢字を「意味のわからないもの」にしてしまっています。
たとえば当用漢字の「礼」という漢字です。
「礼」は、もともとは「禮」と書きました。
字を見たらわかりますが、「禮」は「示(しめす)へん」に「豊(ゆた)か」と書きます。
つまり相手にわかるようにはっきりと態度で示すのが「禮」なのです。
それが「礼」では意味不明です。
しかしこれなどはまだ可愛い方です。
はなはだしい影響を及ぼしたのが「学」です。
「学」は、もともと「學」と書きました。
「學」は「へん」が複雑な形をしていて、「☓」が上下に二段並んでいます。
これは交差した人の腕です。
その両側に大人が二人立っています。
つまり複数の大人が両腕を伸ばしている象形です。
その下にあるのが校舎で、その校舎の中に子が一人います。
つまり複数の大人が、校舎内で一人の子を一人前の立派な大人に引き上げようと両腕を伸ばしている象形が「學」という漢字です。
ということは、「學」とはは、「大人が子に教える」ものだということです。
ところがこれが当用漢字の「学」になりますと、肝心の大人がいません。
校舎の中で子がひとりで学んでいます。
つまり、子が学ぶのが「学」です。
子が主役ですから、大人になりたくない子供や、ゲームで遊んでいたい子供は、「学ぶ」理由がなくなるのです。
これが学校崩壊の理由です。
まさに昨今の学校教育が抱える問題そのものです。
なぜならもともとの「學」は大人が主役だからです。
大人が大人の都合で、子を一人前の大人に育てようとするのが「學」なのです。
この場合、子供の都合は関係ありません。
つまり、「學」と「学」では、主客が転倒してしまうのです。
教育の「教」も同じです。
旧字は「敎」で、こちらは上にある「☓」が「學」と同じで複数の大人の腕です。
その下に子がいます。
つくりは右手で殴ることを意味するボクという音符です。
つまり子の成長と未来に責任を持つ大人が、子が立派な大人になるように子を殴りつけてでも教育するのが「敎」という漢字です。
ところが「教」になると、老人が子を殴りつけるという字になります。
子の未来に責任を負わない老人が、子を殴りつけて自己の利益を図っているという図式は、昨今の年金問題そのものです。
教育の「育」は「はぐくむ」と訓みますが、「教育」と「敎育」では、「はぐくむ」目的がまるで違ってしまうのです。
要するに、使われる漢字が当用漢字と呼ばれる簡略化された字体になることによって、実は漢字の意味だけでなく、社会道徳や社会慣習にまで影響が及ぶのです。
これだけでもたいへんな問題なのに、日本語を通じた日本人の文化性を破壊したい人たちは、今度は筆順にまで文句をつけ始めました。
それが筆順の変更です。
筆順を変えることで、漢字の持つ意味を「さらにわからなくさせよう」としたのです。
何も知らない日本人こそ、いい面の皮です。
子供達は、指定された筆順でなければ、テストで点をもらえませんから、素直に誤った筆順を受け入れます。
結果として日本人としての文化性が失われるのです。
その典型が「権利」です。
以前、ある日のテレビ討論の番組のことをご紹介しました。
売春をしていた女子中学生が他の出演者から責められていたのですが、この女子中学生、周囲から何を言われても、キョトンとしている。
そしてこの女子中学生に発言の番が回ってきたとき、彼女が言ったのが、
「で、あたし、誰か、人に迷惑かけた?
誰か被害受けた人いるの?
いないでしょ?
私が何をしようが私の勝手じゃん。
私にだって権利があるんだから!」
彼女のこの言葉に、それまで彼女を責め立てていた周囲の者は、誰も言い返せなかったそうです。
しかし権利の「権」は、もともとは「權」と書きました。
つくりに□が二つ書かれていますが、これがミミズクの目です。
下にある「進」から辶(しんにゅう)を取った部分が雀(スズメ)です。
つまり肉食鳥であるミミズクが、木の上からスズメたちを狙っているのが「權」という漢字です。
要するに「權利」は、人々の利益のために、権力が人々を監視することの象形文字です。
ですから権利ではなく「權利」と書けば、人々の利益を守るのは監視する大人の側にあることになり、女子中学生がどう思おうが関係なく、「お前がやっていることは悪い行いだ」と言い切ることができるのです。
繰り返しますが、漢字はもともと象形文字から生まれた文字です。
ですから漢字は、その象形性から、意味を推察することが可能です。
そこから実は、漢字は私たち日本人に、洞察力や理解力、推理力をもたらします。
そのような視点で幼児に漢字教育をしているある幼稚園では、子供達のIQが100から130に伸びたのだそうです。
かつての日本人がとてつもなく優秀だった理由のひとつに、漢字教育の成果があったということは、それは事実が証明していることでもあるのです。
戦後という時代を俯瞰すれば、戦後すぐに行われたGHQによる日本解体工作がありました。
そのGHQの日本への援助を元に、多くの心ある日本人は、兎にも角にも日本の復興のために必死に働きました。
それはまさに、昭和天皇の大御心に沿ったものであったろうと思います。
おかげで日本はまたたく間に復興を遂げ、国家インフラも整い、着るものも、食べるものも、住む家さえもなかった日本人は、豊富な衣食住を手に入れることができるようになりました。
職場においても、個人のレベルでは、あるいは政治的には様々な対立意見があったにせよ、働くときは一緒に、という日本人の和合の精神がいかんなく発揮されたものと思います。
衣食住が安定してくると、次に必要になるのは心の安定です。
対立し、闘争し、危険に身を落とすのではなく、誰もが豊かに安全に安心して暮らせるために必要な知恵が求められるようになります。
その意味で、平成以来の経済の安定化は、国家インフラや経済の成長ではない、もっと本質的なものに日本人が目覚めるための期間であったのかもしれません。
伊勢の修養団の寺岡講師に教わったことですが、それが、
「繁栄し、
安定し、
継続する」
ことなのだそうです。
企業も家も個人も、誰もが皆、繁栄する。
その繁栄がゆるがない安定を持つ。
そしてその繁栄と安定が長く続く。
いまだ政治は、目先の利害だけに終始し、国家百年の大計さえ持ち合わせません。
そうした中にあって、いま多くの日本人が、私達にとって本当に大切なこと、そして戦後の日本に失われたものに、少しずつ気付きはじめています。
今後は、その動きはもっと加速していくものと思います。
※この記事は拙著『誰も言わないねずさんの世界一誇れる国日本』の記事をあらためてリニューアルしたものです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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