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袴田さん 一審元裁判官と50年ぶり対面

病床の元裁判官・熊本典道さん(右)と対面する袴田巌さんと姉の秀子さん=福岡市内で(ジャーナリスト・青柳雄介さん撮影)

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 清水市(現・静岡市清水区)で一九六六年に一家四人が殺害された強盗殺人事件で、死刑確定後に静岡地裁が再審開始を決定し釈放された袴田巌さん(81)が、一審の死刑判決を書いた元裁判官の熊本典道さん(80)と福岡市内の病院で面会した。袴田さんの姉秀子さん(84)と支援者が十五日に静岡県庁で会見し明らかにした。二人が会ったのは六八年の一審判決以来、半世紀ぶりとなる。

 支援者らによると、面会は九日午前。袴田さんと秀子さんが支援者と共に訪れ、入院中の熊本さんと顔を合わせた。対面時間は十分ほどで、熊本さんは黙ったまま袴田さんの顔を見ていた。秀子さんが熊本さんの顔をなで「巌だよ」と声を掛けると、熊本さんも応じ「巌、巌」と声を絞り出した。

 熊本さんは二〇〇七年三月に「無罪の心証を持っていたが、合議で敗れた」と支援者を通じて公表。その年の一月には、秀子さんに「力が及ばず、申し訳なかった」と涙を流して謝罪していた。袴田さんの再審開始決定前、袴田さん本人への謝罪の意向を伝えていたが、東京拘置所での面会は果たせなかった。袴田さんの釈放後は脳梗塞で倒れるなど体調を崩し、昨年六月に肺炎を患って以降は病院で寝たきりの生活が続く。

 熊本さんは脳梗塞の後遺症で言語障害があり、拘禁症状の影響が残る袴田さんと直接会話を交わすことはなかったが、互いに相手が誰かを理解している様子だったという。秀子さんによると、袴田さんは自宅のある浜松市に戻ると、支援者との会話の中で「裁判官に会った」と口にした。

 八日朝に袴田さんが遠出の旅行を希望し、秀子さんが福岡行きを決めた。秀子さんは「巌がどう思っているのかは本人しか分からないこと。熊本さんの体が悪くなったので、こちらから会う形式になった。体を治してほしい」と語った。

 再審開始決定後、検察側が即時抗告し、現在東京高裁で審理中。三月末までに再審開始の可否が決まる。

◆「直接謝罪を」願い続け

 「私は袴田君の無罪を確信していた」

 二〇〇七年、元裁判官の熊本典道さんは支援者を通じ自らが書いた袴田巌さんの死刑判決に異を唱えた。裁判法で規定された「評議の秘密」を破る行為に批判も大きかったが、熊本さんは「互いの年齢を考えると、いま伝えるしかない」とメディアにも積極的に登場した。

 熊本さんは一審の静岡地裁で、合議の裁判官三人のうちの一人として主任裁判官を務めた。自白や証拠に「合理的な疑いが残る」として、合議の前に一度、無罪の判決文を用意した。裁判長ら二人は有罪を主張し、引きずられる形で死刑の判決文を書いたという。

 熊本さんは一審判決の翌年の六九年に退官。弁護士に職を替えたが、冤罪(えんざい)の恐怖心に苦しみ、酒浸りになるなど不安定な生活を送った。〇七年までに他の二人が亡くなったこともあり、無罪の心証の公表を決意。袴田さんの支援者に宛てた手紙に「私の意見は敗れ、その上、判決書の作成も命ぜられ、心ならずも信念に反する判決書に一カ月を要した」と書き、袴田さんの姉秀子さんらとの対面につながった。 

 周囲の支援者に「直接、袴田君に謝りたい」と面会を強く希望していた。九日の面会後、福岡市で熊本さんを支援する女性が「会えてよかったね」と尋ねると、熊本さんは黙ってうなずいたという。

 十五日に会見した秀子さんは「(〇七年には)公の場でよくぞ無罪と言ってくれた。四十年も時間がたってなぜ、と言う人もいたが、私たちは感謝している」と振り返った。

(西田直晃)

 

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