鋸南町の紹介

鋸南町沿革

明治22年 4月 1日 勝山・保田・佐久間村が設置され、旧村名が大字となり、大字ごとに区となる
明治29年 1月20日 町政施行により勝山村から勝山町に
明治30年 1月27日 町政施行により保田村から保田町に
昭和30年 3月10日 町村合併促進法により安房郡勝山町と佐久間村が合併、勝山町に
昭和34年 3月30日 新市町村建設促進法により安房郡勝山町と保田町が合併、鋸南町に

地名の由来

町の木「つばき」

鋸南町(きょなんまち)とは、千葉県の3名山の1つ、鋸山(のこぎりやま)の南に位置しているので名づけられました。かつての城下町・勝山と港町・保田を合わせて昭和34年に誕生しました。そのためJR内房線には鋸南駅は無く、今も保田と安房勝山の両駅が残り、中心を勝山に置いています。保田にも勝山にも漁港があり、ともに毎朝、新鮮な魚貝が水揚げされます。 山が海岸線ギリギリまで迫っているために市街地が広がる余地は少なく、町域の大部分が山間部となっています。海岸線を走るJR内房線と国道127号線が大動脈となっています。 鋸南町の自慢として日本一大きな大仏が挙げられます。この大仏がある鋸山は南房地区有数の観光地です。
南房総の玄関口に位置し、西にある東京湾、北に名山鋸山と、周囲を海と山に囲まれた鋸南町は温暖な海洋性気候と東京に近い地理的好条件に恵まれ農業・水産業及び風光明媚な海岸線は房州海水浴発祥の地でもあるように古くから海水浴場として栄えてきました。 また海岸よりは、山間部にかけての緑豊かな山系、北部には、名刹日本寺や東洋一の大仏を有す標高329mの観光メッカ鋸山がそびえています。 町名の「鋸南」はこの鋸山の南に位置することに由来し町は昭和34年勝山町と保田町の合併で誕生しました。 東西10.75km、南北7.3km、総面積45.19k㎡、人口約10,000人、年平均気温17度で冬は比較的暖かく、夏はカラッとしのぎやすい気候に恵まれた地であります。 日本三大水仙生産地や、出荷全国一の食用ナバナが3月から5月にかけ絨毯を敷いたように咲き、四季折り折りの彩で親しまれてきた景勝の地であります。 「見返り美人」で有名な浮世絵の創作者菱川師宣の誕生の地であり、源頼朝が上陸し、兵を立て直し天下を治めた伝説の地。 小林一茶、夏目漱石、徳富蘆花、若山牧水、獅子文六らが愛した文化人の里、鋸南。ここには、しばしの散策にも先人の夢の香に酔えるひとときがある町です。


特産品

鋸南に咲く日本水仙

昔から「鋸山を越えると肌着が一枚いらない」と言われるほど南房総は暖かく、北国で雪の便りが聞かれるときでも安房では花がいっぱいです。房州の花づくりは安政年間(1854~60)に鋸南町元名(もとな)地区に咲く日本水仙が、元名の花と呼ばれて船で江戸に運ばれたのが始まりと言われています。日本寺境内に水仙観音があります。 12月末から1月下旬まで鋸南町のいたるところで水仙の芳香が漂います。(※天候等により花期がずれることがあります。) シーズン中には『水仙まつり』及び『水仙写真コンクール』が開催されます。


まちづくり

頼朝桜

鋸南町では石橋山の戦いに敗れ、小舟で逃れた源頼朝が竜島海岸に上陸し、再起を図ったという歴史的事実にちなみ、河津桜に『頼朝桜』との愛称をつけ、住民相互の親睦を深め、地区コミュニティの推進を図りながら町を日本一の桜の名所とすべく町民一丸となって植樹に取り組んでいます。 この計画は、町中に平成13年度から10年間に計2万本の桜の植栽をするもので、毎年度当初に町内26ある地区コミュニティ団体に対し、桜の植栽場所・本数の希望をとり、町民自身による植栽・管理を実施しています。町内には頼朝桜の会という意欲的な住民組織もでき、定期的な水かけ、草刈りなどを実施しています。 平成13年度に2,250本、14年度に3,044本、15年度に3,373本、16年度に2,493本の『頼朝桜』を植栽しました。 この植栽事業は、鋸南町総合計画の【まちぐるみ重点プロジェクト】に指定されています。


歴史

縄文・弥生時代 紀元前200年頃 田子の台遺跡 田子の台遺跡には現在竪穴式住居が復元されている。
古墳時代 大和時代300年頃 浮島 浮島は伝説の島として景行天皇が浮島に行幸の際、磐六鹿命が魚介を調理して献上したという伝説も残っている。
奈良時代 725(神亀2年) 日本寺 鋸山に日本寺が建設される。海中より出現したと伝えられる梵鐘がある
平安時代 1180(治承4年) 源頼朝上陸地 石橋山の合戦に敗れた頼朝は三浦半島から逃れ、勝山海岸に上陸。兵をたてなおし、12年後に鎌倉幕府を築きあげる。上陸地には記念碑が建立されている。
1181(養老元年) 日本寺 源頼朝日本寺復興。
鎌倉時代 1253(建長5年) 妙本寺 妙本寺の日蓮愛染不動感見記は、日蓮が開宗した翌年に描いたとされる書。初期の筆跡として大変貴重なもの。
南北朝時代 1333(元弘3年) 日本寺 日本寺兵火にかかる。
1335(建武2年) 妙本寺 日郷上人妙本寺を開く。
江戸時代 1630(寛永7年) 捕鯨 近代捕鯨の祖、醍醐新兵衛定明(初代)が生まれる。
1704(宝永元年) 捕鯨 近代捕鯨の祖、醍醐新兵衛定明(初代)没。このころまでに鯨突組を確立。
1779(安永8年) 安房の名工 安房の名工(石彫り)武田石翁が生まれる。
1806(文化3年) 勝山藩 小林一茶、勝山藩に駐留する。
1845(弘化2年) 捕鯨 英国捕鯨船が勝山沖に停泊する。
明治時代 1869(明治2年) 加知山藩 加知山藩が設置される
1889(明治22年) 保田海岸 保田村、勝山村、佐久間村発足。夏目漱石が保田海岸を訪れ、海水浴を楽しんだ。漱石自身も日記に書き記している。昭和61年に房州最初の海水浴として記念碑が建てられている。
1906(明治39年) 旧鋸南町役場 勝山町役場が建築される。(現在でいう旧町役場)
昭和時代 1935(昭和10年) 源頼朝上陸地 源頼朝上陸地県史跡に指定される。
1948(昭和23年) 皇太子来町 皇太子(平成天皇)が来町する。
1959(昭和34年) 鋸南町 鋸南町誕生(勝山町・保田町合併)
1968(昭和43年) 保田海岸 保田観光協会主催の第1回ミス・ミスター保田海岸ビューティーコンテストが開催される。
1968(昭和43年) 佐久間郷土資料館 佐久間郷土資料館が開館する。
1968(昭和43年) 嶺岡林道 嶺岡林道開通式挙行。昭和60年にはヘルスパイオニアタウン事業で「歩け歩けコース」が完成している。
1969(昭和44年) 日本寺 鋸山日本寺の大仏が復元される。開眼法要が挙行される。
1970(昭和45年) 旧渚大橋 渚大橋が完成する。
1971(昭和46年) 町の木 町の木に「つばき」が選定される。
1975(昭和50年) 町章 「町章」が誕生する。
1981(昭和56年) 菱川師宣誕生之地 「菱川師宣誕生之地」の記念碑が完成する。
1982(昭和57年) 鋸南町役場 鋸南町役場新庁舎が完成する。
1983(昭和58年) 鋸南町音頭 鋸南町音頭が発表される。
1984(昭和59年) 中央公民館 鋸南町中央公民館が完成する。
1985(昭和60年) 観光協会 保田・勝山両観光協会が合併し、鋸南町観光協会が成立される。
1985(昭和60年) 菱川師宣記念館 菱川師宣記念館が完成する。
1986(昭和61年) 日本寺 ビルマ政府・ビルマ仏協会より仏舎利が日本寺に贈られ、奉迎供養法要を挙行する。
平成時代 1989(平成元年) 日本寺 インドから日本寺へブッタガヤ聖菩提樹を贈呈、植樹法要が挙行される。
1989(平成元年) 見返り美人 初代見返り美人コンテストが開催される。
1989(平成元年) 特産品 健康飲料「枇杷葉茶」、鋸南振興KKより発売される。
1989(平成元年) 鋸南町 鋸南町誕生30周年式典が行われ、タイムカプセルが埋設される。
1989(平成元年) 友好都市 辰野町友好都市調印式が行われる。
1990(平成2年) 大黒山展望台 町の新名所大黒山に展望塔建設される。
1995(平成7年) 統合中学校 鋸南町立第1・第2中学校が合併し、統合中学校が建設される。
2000(平成12年) 駅前周辺整備 保田駅前観光案内所が改築される。同時に保田・安房勝山両駅前自転車小屋が改修され駅前駐輪場広場となる。
2001(平成13年) 駅前周辺整備 安房勝山駅前観光案内所が改築される。
2002(平成14年) 新渚大橋 渚大橋が改修される。
2003(平成15年) 笑楽の湯 佐久間老人センターに笑楽の湯が完成する。
2004(平成16年) セミナーハウス 旧鋸南第二中学校跡地に城西大学・城西国際大学セミナーハウスが竣工する。
葛飾北斎 葛飾北斎『雪松鷲図』が105年ぶりに国内展示される。(菱川師宣記念館にて)
見返り美人図 醍醐新兵衛(八代) 巧みな技能を感じさせる恵比寿像
浮世絵の先駆者として名を馳せた江戸の絵師・菱川師宣 大がかりな組織を創り取り組んだ近代捕鯨の祖醍醐新兵衛 石彫りに打ち込み、人知れず名作を残した安房の名工武田石翁

農林業

カーネーション栽培

消費地である首都圏に近いという地の利と、恵まれた気候を生かし、稲作から畑作、酪農と様々な農業に取り組んできた鋸南町の農業。古くから花き栽培も盛んで、新品種の栽培に積極的にチャレンジするなど、数々の特色ある農業を営んできました。一方では農業従事者の高齢化、後継者不足なども進んでいます。しかし、農業に希望を託し、積極的に取り組んでいる若い後継者も、花き栽培や酪農を中心に着実に育ち始めています。「毎年、新品種に取り組んでいるよ、独自性を市場にアピ-ルして、競争力をつけないとね。」という花き栽培農家の青年。「びわは房総ならではの特産品だから。この辺のつよみをださないとね」、「これからの酪農は高性能牛の小頭飼育による効率的な経営がポイント」などなど元気な声も聞こえてきます。 ほ場整備事業も一段落し、平成5年3月には念願の佐久間ダムが完成し、255haの耕作地にかんがい用水が供給されるようになりました。未来に向かって、農業に夢を描く若者達を支援し、これからも鋸南町の大切な産業の一つとして育成をはかっていきます。


撮影支援(フィルムコミッション)

浮島

フィルムコミッションとは、映画制作プロジェクトを地域に誘致し、ロケの支援を行う非営利組織のことです。 鋸南町は映画制作会社の集中する東京から近いこともあり、従来からロケが多く行われています。 平成14年10月に千葉県フィルムコミッションが設置されたことに伴い、鋸南町でも積極的にロケの支援を行っています。 ▼鋸南町フィルムコミッションのページへ