覇王炎莉のちょこっとした戦争 作:コトリュウ
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ってそんな事、エンリは言わない。
心優しい村娘のエンリ様は、そんな汚い言葉を口にしない。
下賤な下々の羽虫どもよ、エンリ将軍の素晴らしさをその目に焼き付けよ!
防壁の上に立つエンリは一人、――巨体のハムスケは重装甲歩兵団と一緒に下でお留守番――膨大な数の獣達を視界に収めつつ、ブルリと身体を震わせる。
(ううぅ、大地を埋め尽くす獣の群れ、って思っていた以上に気持ち悪いなぁ。こんな状況で戦い続けている兵士の人って、ホント凄い)
「エ~ンちゃん、何をニヤニヤしてるんすか? 好きなだけ殺せるからって気持ち悪いっすよ」
「ニヤニヤなんてしてません! もぉ、ルプスレギナさんったら!」
「まぁそんなことはどうでもイイっす。それより私の配置はドコっすか? エンちゃんの傍でのんびりしていればイイっすか?」
一瞬安全な場所でサボりたいと言っているようにも聞こえるが、その瞳を見れば分かる。
エンリの前に立つ美しき赤毛のメイドは、沢山のオモチャを与えられた子供だ。街売りの甘いお菓子に囲まれたネム、であるとも言える。
そう、ルプスレギナはウズウズしているのだ。ウキウキしているのだ。
オモチャを壊したくてたまらない。
オモチャを徹底的にいじり倒したい。
そんな欲望に塗れているのだろう。エンリには理解できない思考である。
「ルプスレギナさんは一番の危険地帯である左翼へ回ってください。防壁の損壊が著しくて防衛が困難らしいです。それと……」
エンリは、自分が何故そんな言葉を続けたのか分からなかった。
だけど、オモチャを前にした子供に我慢させるのは良くないと思ったのだ。ここは精一杯遊ばせてあげるべきだと、そう思っただけなのだ。
「全力でお願いします! 出し惜しみ無しです! 徹底的にやっちゃってください!」
「いひっ、マジっすか?! うひひ、エンちゃんサイコーっす!」
近くにセバスやペスがいたなら眉を潜めずにはいられなかったであろう。
ルプスレギナはメイドにあるまじき醜態を晒しながら、防壁の上を駆け出す。向かう先はゴブリン軍団が展開されていない左翼布陣だ。
その場にいるのは満身創痍の竜王国兵士と冒険者チーム。右翼や中央から僅かばかりの兵士が補充されているとはいえ、それでも限界ギリギリの防御線である。
もっとも他の布陣も似たような状況なのだから文句も言えない。しかし、ならばこそゴブリン軍団がカバーすべきかとも思うのだが、やってきたのはメイドが一人だ。
これには竜王国最強のセラブレイトも膝から崩れ落ちそうになってしまう。
「ゴブリンがくるかと思いきや、美しいお嬢さんとは……。このような戦場でなければ歓迎するところだがな。さぁ、防壁から降りて後方の陣へ避難しろ。邪魔だ」
「うっひっひ、これはすんごい御褒美っす。全力戦闘なんてあっちのエンちゃんぐらいしか経験ないはずっすよ。ナーちゃんやソーちゃんに羨ましがられるっすね~。アインズ様が『人間の命令に従え』と言ったときは少し驚いたっすけど、まさかこんな御褒美を与えてくださるとは……。守護者の皆様もアインズ様からの御褒美なら嫉妬の目を向けてくるだろうけど、人間の命令に従った結果なら文句も言えないはずっす。ふひひ、流石は智謀の王。第五夫人に立候補したくなるっすよー!」
何を言っているのか? セラブレイトには分からない。ただ、完全に無視されたことは確かであろう。赤毛のメイドの美しく大きな瞳には、竜王国最強にしてビーストマン討伐数三桁の英雄、“閃列”のセラブレイトは全く映っていなかったのだ。
「な、なにを――」
『ヴゴゴゴオオオオオオオオオォォォ!!!』
獣の雄叫びと激しい地鳴りが、セラブレイトの問い掛けを遮る。
どうやらビーストマンが餌を求めて走り出したようだ。
何万もの獣が砦に向かって一斉に押し寄せ、まるで地面が唸っているかのよう。身体が揺れるのはビーストマンが地面を揺らしているからか、それとも恐怖からなのか。
周囲の兵士たちからは、ガチガチと歯を噛み鳴らす音が聞こえてくる。
理解しているのだろう、これが最後の瞬間なのだと。
「先ほどのゴブリンたちの攻撃は相手を挑発しただけか……。まっ、少し休ませてもらっただけ感謝しておくとしよう」
そもそも八万ものビーストマンが一度に襲い掛かってくれば、こんな砦など一日たりとてもたなかったはずだ。それが相手の指揮系統がメチャクチャなお蔭で今日まで生き永らえてきた。
だがそれも御仕舞いだ。
セラブレイトはメイドを押し退け前へ出る。
「我は“閃烈”と呼ばれし最強の剣士! セラぶっ」
「邪魔っす」
イイ気分だったのに、横で煩くされるとイラッとくる。ルプスレギナの頭の中はそのようなものであったのだろう。
壊れたオモチャを投げ捨てるかのように一人の人間を真横へ弾き飛ばし、己の邪魔をしないよう物理的に排除する。
無論、殺してはいないのでエンリにも文句は言われないだろう。
「ひひひ、全力なんて……いつ以来だろう?」
ルプスレギナは両の掌を見つめ、伝わる振動に己の興奮を重ねる。
視線を前へ向ければ、涎を撒き散らしながら雪崩のように押し寄せてくるビーストマンの群れが見える。
今まさに先頭の十数匹が防壁面へ手をかけ、そのまま登ろうとしているところだ。
『ギャオオオウウウウ!!!』
「うっさいっすよ!!」
ビーストマンの威嚇が響く最前線の防壁上で、一人のメイドが立ち塞がる。
「私はアインズ・ウール・ゴウン様に仕える
周囲の兵士たちには理解できない光景だった。
美しい赤毛のメイドを、ビーストマンより遥かに危険で恐ろしい生き物だと思ってしまうほどに、何が起こっているのか分からなかったのだ。
「〈
刹那、数百のビーストマンが四散爆裂した。白い光を見たと思った次の瞬間、防壁の上まで血肉が飛び散ってきたのだ。
爆音のせいか、耳がよく聞こえない。身体も何かに怯えたかのように委縮している。
兵士たちは防壁の上から見ていた、見てしまった。砦左翼の防壁前、ビーストマンが押し寄せたその場所で、地面が噴火したかの如く弾け飛んだのを……。
一見すれば、突然の噴火に巻き込まれてビーストマンたちが爆裂したようにも思えるが、粉塵が消えた後に火口なんて存在しなかった。
理解が及ばない。
動くこともできない。
静寂。
その時は人も獣も、エンリもゴブリン軍団も、誰一人として動き出す勇気を持てなかったのだ。
一人のメイドを除いては――。
「もう一丁! 〈
「あはは、たのっしいっす! 〈
「ん? エンちゃーーん!! ボケッとしちゃ駄目っすよーー!! そっちに流れが向いたっすよーー! 〈
遠くから声をかけられて、エンリもようやく状況を理解する。
ルプスレギナによって細切れ、もしくは燃やされたビーストマンは数千にも及ぶが、それでも未だ数万の獣が健在だ。
一時は怯えて撤退する気配もあったのだが、数の優位性に気を持ち直したのか、ビーストマンは再度砦への攻撃を開始。ただルプスレギナのいる左翼を避け中央と右翼に殺到したので、窮屈なぐらいに密集することとなったが。
「ンフィー! 軍師さん!」
「う、うん!」
「お任せを! 魔法砲撃隊、魔法支援団! 火属性魔法を選択! 攻撃開始!!」
「〈
「〈
「〈
「〈
「「〈
まるで防壁の上からドラゴンが炎の息を吐き出したかのよう。
魔力に満ちた炎はビーストマン数千を巻き込み、肺の中まで高温の熱で焼き、そして派手に爆裂させた。
彼方此方では炎の球が飛び交い、逃げ惑うビーストマンを次から次へと炎と衝撃で襲う。
「次! 油壺投下!」
ゴブリン軍師の指示により、いくつもの小さな壺が投げ入れられ、地面やビーストマンに当って茶色の液体を撒き散らす。
これはレイナースが運んできた物資の一つ、野営や夜間戦闘時に用いられる松明用の樹脂油だ。
それほど量はないが、大軍のビーストマンを削るために火攻めを選択したのだから、使いどころとしては今しかないだろう。
ただ、火攻めには風向きが重要な要素となる。火を放ったはイイが、自らが砦ごと丸焼けになるなんて冗談では済まない。故に風向きは、『当然』ながら砦側が風上だ。炎は風に煽られてビーストマンの軍勢全体に広がろうとしている。
幸運と言うべきかどうなのか? もはやエンリを始め、誰も疑問を口にしようとはしなかった。
「長弓兵団! 撃ち方始め!!」
「竜王国の方々も弓で攻撃してください! 矢はバハルス帝国の騎士様が持ってきてくれました! 残数を気にせず撃ち込んでください!!」
「「「おおおおおおおぉぉぉ!!!」」」
エンリの指示に、多くの竜王国兵士が我に返り弓を引き絞る。
――風向きが変わった――
実際の風もそうだが、戦況が一変したのを誰もが感じ取っていたのだろう。
吹き荒れる炎の嵐に、閃光を伴う巨大な爆発。
先ほどまで鼻息荒く防壁をよじ登ろうとしていたビーストマンたちが、全身炎に焼かれて絶叫しながら地面でのた打ち回っているのだ。
その光景には、八万の優位性を見せていた獣たちの余裕なんか存在しない。餌場へ踏み込もうとしていた捕食者としての立場も無い。
完全な的だ。
今までの屈辱を加え、仲間たちの無念を添えて……、弓を引く両の腕に熱が篭る。
三十六時間が経過していた。
ビーストマンは退いては攻め、攻めては退きを繰り返し、未だ砦前の遠方に集結している。その総数は半分以下になったというのに、何故か諦める気配はない。
既に日は落ち、月明かりと魔法、そして炎に焼かれたビーストマンだけが戦場を照らしていた。
「ンフィー、下がって食事と睡眠を! 他の皆さんも順次交代してください!」
「エンリ、君も休まないと駄目だよ。一度も休憩してないでしょ?」
「私は大丈夫、全く疲れないしお腹も減らないの。眠くもならないからまだまだやれるわ」
魔法の明かりに照らされた血濡れ装備のエンリは、確かに気力に満ちていた。
他の者が幾度か交代しているにもかかわらず、エンリはただの一度も後ろへ下がらず防壁の上に陣取り、ゴブリン軍団と竜王国兵士を鼓舞し続けながらビーストマンへ睨みを利かせていたのだ。
なぜ下がらないのか?
全体の指揮ならゴブリン軍師が行っているので問題はない。
エンリがその場に立ち続ける理由……。
それは“
血濡れ装備のお蔭で驚異的な効果範囲と強度を有する“
敵が大軍勢であるなら尚更だ。
「がんばるっすねぇ、でも少しぐらいなら休んでも平気だと思うっすよ。ビーストマンもさっきから退いたままっすから」
「あ、ルプスレギナさん。左翼側はどうでしたか?」
「まぁ暇っす。私が移動したところには寄ってこないっすから、いっそのこと攻め入りたい気分っすよ」
エンリに負けず劣らず元気なのはルプスレギナだ。
一睡もしていないはずなのに、健康的な笑顔は一切崩れていない。
他の兵士たちが顔も洗えずボロボロなことを考えると、あまりに不自然過ぎてその美しさすら畏怖の対象となってしまう。
もっともビーストマンを何千体も爆砕した時点で、同じ生き物とは見られていないようだが……。
「ルプスレギナさんも休まれたらどうです? まだ先は長いですから」
「う~ん、アインズ様も休憩はしっかり取るように、って仰っていたっすけど、私としてはまだまだ殺し足りない……うひひ」
最後の部分は聞かないこととし、エンリは前方の闇へ視界を戻す。
魔法の明かりを数多く使用したとしても、一時後退しているビーストマンの影を捉えることはできない。
流石に距離があり過ぎるのだ。
ビーストマンが今何をしているのか?
それは暗殺隊の情報収集に頼るしかない。
「エンリ将軍、報告に参りました」
「ありがとうございます。何かありましたか?」
「はっ、ビーストマンは現在、味方同士で小競り合いを始めております。今はまだ小さな衝突で大きな被害は出ていないようですが」
「そ、それは……」
エンリは驚きながらも、ゴブリン軍師から提示されていた予想の一つであったことに感心してしまう。
ビーストマンの軍勢は、様々な部族が集まってできた烏合の衆に過ぎない。本来なら竜王国への一斉攻撃なんて真似もできないほどの雑多な集団のはずなのだ。
だから一度でも優位性を無くし思い通りに進まないとなると、一気に崩壊して軍としての機能を無くしてしまう。
ゴブリン軍師はそのような私見を述べ、最終局面への道筋を立てていたのだ。
「この後は……えっと、対立を煽って内部崩壊を誘導する、だったかな? ――暗殺隊、集合!」
「はっ、御傍に!」
「対立する部族の中に紛れて、お互いが殺し合うよう誘導できますか?」
「お任せください。戦場は死臭と血の匂いで溢れています。闇夜に紛れて興奮したビーストマンを煽ることなど造作もないかと」
「では始めてください。巻き込まれないように注意し、遅くとも夜明け前には帰還を」
「承知いたしました」
音も無く去っていく暗殺隊を見送り、エンリは頭の中で予定を組み直す。
打って出る好機が来たのだ。
徹底的に部族間の衝突を煽り、夜明けと同時に突撃して完膚なきまで叩き潰す。今まで防衛戦に参加できていなかったハムスケ及び重装甲歩兵団の出番である。
「うひひ、エンちゃん、やる気っすね」
「ええ、ルプスレギナさん。防衛戦力を最低限にして、他の皆さんには夜明けまで休んでもらいますね。そして朝がきたら、打って出ましょう」
「お~っけ~っす。ふひひ、楽しみっす」
本当に楽しそうだ、っとエンリは美しいメイドを見て、そう思う。
ルプスレギナは一度たりとも怯えなかった、恐れなかった。八万のビーストマンを見ても、溢れんばかりの負傷兵を見ても……。
まるで新しい遊び場にきて、真新しいオモチャに囲まれたネムのようだ。
ゴウン様から授かった大事な任務を背負っているのだから、お気楽な旅路とはいかないだろうと思っていたのに――。
それもこれもゴウン様の人徳の成せるワザなのだろうか?
配下の者が緊張せず、楽しく仕事をこなせるよう、ゴウン様も色々配慮しているのかもしれない。
それを考えると、ゴブリン軍団は大変そうだ。
エンリという
(ふ~、私もゴウン様のように笑顔で働ける環境を整えないと……。まずは、ルプスレギナさんが前に言っていた休暇とか休日とかを導入してみようかな?)
エンリはンフィーレアやジュゲムなどを半ば強引に休ませ、ルプスレギナや数名のレッドキャップスと共にひたすら朝を待ち続けた。
闇夜に響くビーストマンの雄叫びと、ルプスレギナの下世話な話を聞きながら。
ビーストマンはよく燃えるのです。
だからエンリ将軍は御機嫌です。
いっぱい燃やして夜を明るくしたいのです。
でも夜が明けたらどうするのでしょう。
燃え残ったビーストマンをエンリ将軍はどうするのでしょう。
はい、そうです。
皆殺しですね。