神殿の友と腕の長さ
王都の北東、王城の近くにある神殿まで、馬車で移動した。
神殿は前世の教会とフォルムが少し似た大きな建物だ。白い水晶のような外壁は、昼間はきらきらと美しいが、雨の夜では暗い空を映しているだけだった。
イルマは神殿隣の治療館にいるとばかり思っていたが、マルチェラが御者に頼んだのは、神殿本館の横だった。そこには正面より小さい出入り口がある。
ここを通るのは、カルロの葬儀以来だ。ダリヤは少しだけ身を固くする。
横のヴォルフも、はっきりわかるほど眉を寄せていた。
灰色の壁、濃灰の通路を少しばかり歩くと、椅子に座っていた神官に挨拶をする。
神官はマルチェラとはすでに面識があるようで、同情のこもった視線を向けつつ、三人に会釈して通してくれた。
さらに進むと、少し奥まったところに、白いドアが見えた。
「イルマはこの部屋にいる。ダリヤちゃん、すまないが……」
「マルチェラさんの言うことはわかったわ。でも、イルマとも、ちゃんと話をさせて」
彼がその先を言う前に、ダリヤは願う。
マルチェラは何も言わず、ただうなずいた。
「俺とマルチェラは待合いの部屋にいるよ。ここをまっすぐに行って突き当たりを右だから」
「わかったわ。あの……お願い」
「ああ」
マルチェラを見ていてくれとは口にしづらかったが、ヴォルフは察してくれたらしい。
ダリヤは一度だけ深く呼吸をし、ドアをゆっくりと開けた。
「イルマ……」
「産むわよ」
遠慮がちに声をかけたが、すぐにわかりやすい返事が返ってきた。
部屋の中央のベッドにイルマはいた。
背中に毛布を背負い、なんとか起き上がっている。その目の前には大きめの
一回りは絶対に痩せた。その顔は白蝋のようで、唇さえも赤みがない。
いつも見事な艶を持っていた紅茶色の髪は、老女のように色あせていた。
「もう、イルマったら。私、何も言ってないじゃない」
「マルチェラに説得してくれって頼まれたんでしょ? あたしはあきらめないわよ、絶対に産むわ」
「……そう言うと思ったわ」
予測していた。
自分の友である彼女であれば、そう言うとわかっていた。
予測していなかったのは、その声があまりにかすれて痛んでいることの方だ。
「イルマの魔力って、今いくつかわかる?」
「元々が二、この子が一緒になってから八。すごいでしょ」
お腹に手を当てて言い終えた後、いきなり身を折って
慌ててサイドテーブルにある水差しからコップに水を注ぎ、イルマの口元に持っていく。なんとかうがいをした彼女は、浅い呼吸をくり返した。
「ありがとう。心配しないで、ダリヤ。あと数ヶ月大人しくしていればいいだけだもの」
イルマには不似合いな、弱々しい笑みが返ってきた。
その数ヶ月が本当に乗りきれるのか、口に出して聞けない。
「ダリヤも忙しいでしょ。仕事、大丈夫なの?」
「平気よ、私はそんなに忙しくないの。商会の方も、イヴァーノさんがうまく回してくれているから。残業も禁止されてるくらいだし」
こんなときにまで自分の心配をしないでほしい。そう思っていると、イルマの落ち窪んだ目が、じっとこちらを見つめているのに気がついた。
「ねえ、ダリヤ……ヴォルフさんとは、本当に恋人じゃないの?」
「ええ、違うわよ。友人として付き合っているわ。いきなり何?」
まったく違う話をふって、自分の説得をやめさせる気なのだろう。
イルマにできるだけ小さな声で楽に話してもらおうと、ダリヤはさらに近づいた。
「あたし、ダリヤに、お願いがあるの」
「何? 私にできることならいいわよ」
「ダリヤにしか、お願いできないの……」
イルマの赤茶の目が揺れ、細い指が自分の腕を思いがけぬ力でつかんだ。その指の冷たさと硬さに愕然とする。
「ダリヤ、あたしにもしものことがあったら、マルチェラと一緒に、この子を……」
「冗談はやめて、イルマ!!」
悲鳴に似た声が口からこぼれた。
「イルマはこれから元気になって、マルチェラさんと赤ちゃんとずっと幸せに暮らすの! そう決まってるの!」
「……そうできたら、いいわね」
友のあきらめをこめたまなざしに、心の底から叫びたくなる。
ふざけないでほしい。
なぜ自分が、イルマの代わりに子育てをしなくてはいけないのだ。
マルチェラの隣はイルマしかいないし、イルマの隣はマルチェラしかいないのだ。
喉で叫びを殺し、ダリヤはきつく爪を噛む。
思い出せ。学院時代、魔力過多症で生まれたが、助かったという学生がいたではないか。
きっと助けるための魔法や魔導具、ポーション系の薬品など、何かしらあるはずだ。
幸い、貴族への伝手と多少の金銭的余裕はある。母体まで救える方法を探せばいい。
「イルマ、あきらめないでいいわ。貴族なら魔力差のある結婚もよくあることだもの、方法を聞いてくる。私だって、伊達に王城に出入りはしていないわよ」
「でも、ダリヤに迷惑が……」
「ヴォルフもいるもの、きっと大丈夫」
「ヴォルフさんにも迷惑になるわ」
「ヴォルフだって、マルチェラとイルマの友達じゃない。イルマは、お母さんになるって決めたんでしょう? だったら、友達に少しくらい手伝わせてよ……」
ダリヤは目の前の女に、懇願めいた声を投げる。
「もう、ダリヤったら、泣きそうな顔になってるわよ」
「ええ、本気で泣くわ」
からかうように言ったイルマに、取り繕うことはなしに、まっすぐ言った。
「『イルマお姉ちゃん』まで私をおいて行ったら、まちがいなく、ひどく泣くわよ」
「ダリヤ……」
母は最初からいなかった。
親しいメイドは、自分が学院に上がると実家へ帰った。
ようやく笑い合えた友は、家の都合で学院を去った。
優しい父は、出かけた先で突然に亡くなった。
共に歩むはずだった婚約者は、結婚前に別れた。
幼い頃から自分と親しかったイルマは、自分には、友だけではなく、姉のような存在でもある。
自分勝手でもわがままでもいい。
これ以上、もう誰も失いたくない。
「……わかったわ、甘える。できることだけでいいの、力を貸して、ダリヤ。ヴォルフさんにも、お願い」
「任せて、イルマ!」
「でも、無理はしないでね」
「何を言っているの、そこは頑張れって言って」
「……そうね。お願い、頑張って、ダリヤ」
「イルマも、頑張って」
震える手をなんとか持ち上げ、イルマは自分と手を合わせる。
その指先が結晶化しかかっているのを気づかぬふりで、奥歯をきつく噛んで笑った。
・・・・・・・
「マルチェラ、ちょっと出てくる」
「ああ。今日はすまない、二人きりのところにいきなり付き合わせて……」
「かまわない、友達だろ」
ヴォルフは人の少ない待合いの部屋を出て、通路を逆に戻る。
自分がこの区域にいたこともあれば、魔物討伐部隊員の様子を見に来たことも何度かある。
覚えている通路を進み、神殿の職員がポーションを販売しているところへ向かった。
「お世話になっております。魔物討伐部隊のヴォルフレード・スカルファロットと申します」
妖精結晶の眼鏡を外し、丁寧に挨拶をする。
「あ、はいっ! いらっしゃいませ!」
飛び上がりそうな勢いで、受付の女性が立ち上がった。目はヴォルフに釘付けだ。
「ハイポーションを一本と、ポーションを二本お願いします。お手数をおかけしますが、ハイポーションの方は、ポーションの瓶に移し替えてもらえないでしょうか? 友人の見舞いで気を使わせたくないので……」
「はい! わかりました」
受付の女性は慌てて隣室へと消えていく。周囲の者が数人こちらを見たが、とがめることはなかった。
本来、ポーションは別の瓶へ移し替えてはくれない。ハイポーションと偽ってポーションを売るといったことを防ぐためだ。
だが、今回は逆であること、見舞いと言っていること、そして依頼したのが魔物討伐部隊員であるヴォルフのため、やってくれるらしい。もめなかったことにほっとした。
ハイポーションはポーションより強い効果がある。しかし、一本十五万と高額だ。
ハイポーションを渡せば、おそらくマルチェラもイルマも気にするだろう。
ポーションだと思えば、少しは気負わずに飲んでくれるかもしれない。わざと蓋を開けて渡せば、飲まざるえないはずだ。
たとえ吐いてしまっても、一度体内に入れれば、わずかに修復が効く。
経験上、ハイポーションを飲めば、死が近い者でも死期を少し伸ばせた。
騎士団では『死者の延命』とも呼ばれている方法だが、それでも助かる可能性が上がるのならしておきたかった。
ハイポーションとポーションを受け取ると、ヴォルフは足早に待ち合いに戻った。
「マルチェラ、これ、お見舞いに。蓋は開いてるから、飲めるときに飲んでもらえれば」
「恩にきる、ヴォルフ」
深く頭を下げる友は、どことなく遠く感じる。
「もしよければ、神官になんて言われたか、教えてもらえないだろうか?」
「……子供をあきらめるか、治癒魔法をかけ続けるしかないと。それでも、イルマは厳しいだろうと……子供は、ぎりぎりまで母体にいれば、助かるかもって言われた」
それはどちらかを選び、どちらかをあきらめろという選択だ。
互いに無言で唇を噛んだとき、聞き慣れた足音が近づいてきた。
「ダリヤちゃん、その、イルマは……」
「生むって決めてたわ。私も応援する」
「だけど、それじゃイルマが!」
マルチェラの悲痛な声に、ダリヤは懸命に言葉をつなぐ。
「マルチェラさん、イルマも赤ちゃんも、どっちも助ける方法があると思うの。貴族なら魔力差のある結婚も多いはずだもの。魔導具でなんとかならないか、教わっている先生に聞いてくる」
「マルチェラ、俺もこれでもいちおう貴族だから、家で聞いてみるよ。家で駄目なら部隊で聞いてくる。隊長は侯爵だし、何か方法はあるはずだ。それまでは、ポーションを飲ませて、治癒魔法をかけ続ければいい」
「けど、治癒魔法だけでも一日大銀貨五枚なんだ、とても続くとは……」
大銀貨五枚は、ダリヤの感覚としては一日五万ほどの金額だ。それに容態によっては、ポーションの大銀貨五枚がかかる。庶民には高額すぎるだろう。
だが、自分の口座にも、商会にもゆとりはある。やってやれないことはないはずだ。
必要ならどれだけ残業しようとも、誰に頭を下げようともかまわない。
「俺が出すよ、多少は貯えがある」
「いや、それは……」
ヴォルフの言葉を止めきれないマルチェラに、ダリヤも続けた。
「マルチェラさん、私とヴォルフに借りて。私も商会の方があるから、二人でなんとかできるから。マルチェラさんはロセッティ商会の保証人でしょう、それぐらいさせて。それに、マルチェラさんなら、一生かかっても返してくれるでしょう」
「ああ、必ず……!」
「じゃあ、今はイルマについててあげて。二人で聞いてくるから」
ようやく表情の和らいだマルチェラと少しだけ会話をしてから、神殿を出た。
雨はすでにやんでいた。
東の空がうっすらと赤みを帯びている。上着を着ていても、少し肌寒い。
「朝になったら、オズヴァルド先生のところに使いを出して、予定がとれ次第行ってくるわ」
「俺は兄上に聞いてくる。おそらく魔導具か魔導師の魔法があると思う。それでわからないようなら隊長に相談してくるよ。馬車はダリヤの方で使って。俺は一度家に戻ってから馬で移動する、その方が早い」
「ありがとう、ヴォルフ」
「お礼の言葉は、皆で笑えるようになってから、マルチェラとイルマさんから二人でもらおう。何かわかり次第、塔かオズヴァルドのところに使いを出す。ダリヤは馬車の御者に伝えてくれればいい」
「わかったわ」
マルチェラとイルマには、なんとかなると言い切ったのだ。
多少不安ではあるが、ここで取り乱すわけにはいかない。
少しうつむいただけでも、気持ちが暗い方へもっていかれそうだ。
「ダリヤ」
不意に自分の名を呼んだヴォルフが、腕にわずかに触れた。
「大丈夫、きっとうまくいく。俺達の腕は、少しは長いはずだ」
「……うん」
こくりとうなずき、一度呼吸を整えて、ヴォルフに笑う。
彼も同じように笑った。
ヴォルフは、伯爵家の一員で、騎士団の魔物討伐部隊員。
ダリヤは、魔物討伐部隊の相談役で、商会長で魔導具師。
イルマを救える可能性は、二人が庶民であるよりきっとある。
互いの腕をできるかぎり広げ、友を助けるのだ。
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