寝そべり働かない両班 ◇ 奴婢の多くは、 勢道政治による売位売官、 自分で身分を買い取る自贖、 逃亡、戸籍虚偽など様々な手段で 常民の身分に上昇した。 [奴婢(ぬひ)] http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E5%A9%A2 17世紀からは、没落両班から 族譜(家系系図。同族である身分証明)を 高値で買ったり、盗んだりして 両班になる者もいた。 その為、両班が急増した。 逆に李朝末期には、 奴婢人口は急激に減少した。 この異様な両班人口上昇は、 特定名門氏族の人口が 全て血筋を引く 正当な子孫ではない事を物語っている。 [朝鮮の身分制度] http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E8%BA%AB%E5%88%86%E5%88%B6%E5%BA%A6 【両班】 貴族階級。 資料によって貴族階級、地主階級、 士大夫階級など表現が様々だが、 数々の特権を有していた 身分である事は確か。 李朝末期1858年の記録には、 人口の48.6%に達しており (戸数は70.2%)、 従来の特権、権威、秩序は 崩壊に向かっていた。 【中人】 科挙の雑科に合格し 「雑職」…通訳・陰陽学(天文地理)、 医学、法 律、算学、音楽、 絵画等の技術系官職に 従事している官吏とその家族。 主に首都中央部在住で、 世襲の下級官吏。 一般に従六品 (李朝の品階は正一品~従九品まで 18階級ある)までしか昇進できない。 両班の庶子もこの身分に含む。 【胥吏】 軍校、吏属、衙前とも言う。 科挙などの 正規の官僚任用法によらない、 中央・地方の下級役人(下級官吏)。 行政実務担当者で、 地方にあっては両班(貴族、官僚、 領主、地主)の手先として、 身分は世襲の賤民だが、 不正蓄財や権力行使もあった。 【常民】 良民、良人とも言う。 農民、商人、手工業職人などの 一般人民。 科挙受験資格はある。 特に農民は 常民の人口の圧倒多数を占める。 大部分が小作農。 【賤民】 七般公賤、八般私賤と呼ばれる程、 多様な職業の総称。 科挙受験資格はない。 〔白丁〕 屠殺・柳器匠などに従事の被差別民。 一般村落に居住する事を制限され、 特定の職業に固定されて 蔑視に晒される等、強い差別を受けた。 (日本の穢多、部落民と似ています。 部落民の職業に屠殺がありましたが、 日韓併合時から、規定があったにも 関わらず、不法に内地に渡航する 朝鮮人が多かった。 不法に入国した朝鮮人は、 当然、簡単には仕事に就けず、 屠殺業~精肉業、皮革業に多く携わり、 部落民とされた人達の仕事を奪って 問題となりました。 現在でも、在日朝鮮人・韓国人に 焼肉屋や精肉業、製靴業などの 皮革業が多いのはその為です。 仲間が屠殺業に携わる →安く肉や皮が手に入る →焼肉屋、製靴業などの皮革業を展開 →財を成す。 在日朝鮮人・韓国人1世の 職業としては、他に、 屑鉄屋と呼ばれた廃品回収業 (現在ではリサイクルショップを兼業)、 小銭を貯めて金融業(破綻した武富士の ような金貸し)、資本が少なくても開業出来る(昔の)パチンコやスマートボールなどのある遊技場、日払いの土建業、 煙草売り、密造酒の製造販売、 炭鉱などがありました。 屠殺業の性質として 水が必要だった為、 大正~昭和20年代は、 川の近くに在日朝鮮人・韓国人が 多く居住していました。 在日朝鮮人・韓国人が白丁の子孫だと 言われる由縁です) [白丁(ペクチョン)] http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E4%B8%81 〔芸人〕 才人(広大とも言う)や サダン(捨堂、寺党)。 同性愛の男同士の旅芸人集団で、 観客への売春も行う。 李朝後期に少年のナムサダン(男寺党)が 主流となり、1920年代まで続いた。 〔巫覡〕 シャ-マン、ム-ダン (巫覡。巫女の意)と パクス (博士、卜師。男巫の意)があり、 更に降神巫と タンゴル(丹骨。世襲巫の意…日本の 巫女と職能に共通点も多い)に 分かれる。 朝鮮の神道の聖職者だが、 李朝が儒教崇拝主義だったので、 仏教同様、賤民に置かれた。 〔喪輿軍〕 葬礼の棺かつぎ、墓掘り人夫。 〔僧と尼〕 仏教、基督教の僧侶と尼。 〔妓生〕 朝鮮の芸妓。 官衙(官庁・役所)に所属し、 歌舞音曲や売春等を仕事とし、 針線婢・医女(医者)としても 官衙に使役された。 李朝末期まで、 常に2~3万名は存在した。 官婢として県に10~20名、 郡に30~40名、 府に70~80名程が常時置かれていた。 出自は、反逆者、罪人の婦女子なので、 お家断絶の名家の娘や 良家から売られた者もいた。 キ-センの娘に生まれた女子は、 キ-セ ンを務めるのが原則だった。 黄 真伊のように、 漢詩や時調(朝鮮の短歌)に優れ 教養の高い才妓もおり、 李朝の恋愛文化や文学にも よく出てくる。 両班の愛人、 又は、両班の妾になって その子供を生む事が 彼女達の最終的栄華の保証であり、 一般庶民には高値の花であった。 (韓国ドラマ「チャングム」は、 官衙に使徒された妓生が主役) 李朝滅亡後は、 朝鮮総督府の平壌妓生養成所と 検番制度によって 身分や職が保証された。 平壌養成所 日韓併合時の妓生 日本敗戦後、 南は米軍政庁、 北は朝鮮臨時人民委員会が 廃止するまで公娼制度として続いた。 [妓生] http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%93%E7%94%9F 〔奴婢〕 賤民で一番多く、 全人口の10~数十%いたと 推定される。 全時代を通じて、 公私の奴婢は40~50万人ずつ 存在したと言う。 戦争捕虜、人身売買、債務、 刑罰を契機に生み出された。 公奴婢は中央・地方の官衙に所属し、 私奴婢は両班などの私人の所有であり、 売買、譲渡、人質、相続の 対象であり貴重な財産だった。 無償で使役や売春をさせられる為、 奴隷と近い。 中央で食事をする両班と見守る奴婢 但し、子供の身分は 法的制限を受け様々な制約があったが、 常民との結婚は 社会的にも法的にも認知されていた。 職業も住居も固定はされず、 一般村落の住民として 常民とそれ程差異のない存在であり、 白丁に比べれば 差別、蔑視は少ない方だった。 |
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