(cache)伝説の鬼畜ライター「村崎百郎」の記念館が完成! 妻・森園みるくが語る“鬼畜”の素顔

 今年4月、静岡県伊東市の博物館『怪しい秘密基地 まぼろし博覧会』(以下、まぼろし博覧会)に伝説の電波系鬼畜ライター・村崎百郎氏の世界を再現した常設展示『村崎百郎館』がオープンした。『まぼろし博覧会』は広々とした敷地に秘宝館チックなトンデモ系展示や密林の中にたたずむ巨大な聖徳太子像、世界古代文明の遺跡や昭和の世界を再現した懐かしい展示などがあり、ほとんど気狂い沙汰ともいえる“ごった煮”感が魅力。都内からでも電車とバスで片道3時間ほどで日帰りも可能な場所に位置する怪しい珍スポットだ。このイカレた博物館は老舗出版社『データハウス』の鵜野義嗣社長が生みだしたもので、同社が運営する伊東の人気スポット『怪しい少年少女博物館』『伊豆高原ねこの博物館』の姉妹施設でもある。

 伝説的ライターの村崎百郎氏は、93年に漫画家・根本敬氏(※)による「月刊漫画ガロ」(青林堂)のゴミ漁りに関するインタビューでデビュー。「すかしきった日本の文化を下品のドン底に叩き堕す」ことを目的に“鬼畜系”を名乗り、著書『鬼畜のススメ』(データハウス)『電波系』(根本氏との共著/太田出版)などを執筆しながら雑誌でも活躍。“電波”が頭の中に響く体質だと公表し、狂気を丸出しにしつつも豊富な知識に裏打ちされた秀逸な文章で独特の地位を築き、今も使われている「電波系」という言葉を定着させ、90年代のサブカルブームを代表するスターとなった。村崎氏のイメージを決定付けたのが、ライフワークの「ゴミ漁り」。捨てられたゴミから元の持ち主の人格や情念をすくい取る狂気的スタイルは出版界で異彩を放っていた。

 2000年代には各界クリエイターの生まれたばかりの赤ちゃんを褒めまくる『電波兄弟の赤ちゃん泥棒』(木村重樹氏との共著/河出書房)や鬼畜時事対談『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一氏との共著/アスペクト)などで新境地を開き、“レディースコミックの女王”と呼ばれる妻で漫画家の森園みるくさんとのコンビで漫画原作にも進出した。

 ところが、今後の活躍が期待されていた矢先の2010年7月23日、自宅を訪ねてきた読者を名乗る男に刺殺されるという衝撃的な最期を遂げた。享年48。犯人の男は統合失調症で通院歴があり、精神鑑定の結果、不起訴処分になっている。

 事件報道によって村崎氏がプロフィールで名乗っていた「1961年シベリア生まれ、中卒の工員」はキャラクターであり、実際は北海道出身で明治大学文学部卒、さらに出版社『ペヨトル工房』の元編集者であることが明らかになった。それと同時に「鬼畜や電波もキャラだった」「実はイイ人だった」といった言説がネット上などに流れ、それが今や定説のようになっているが、果たして本当の「村崎百郎=黒田一郎(村崎氏の本名)」とはどのような人物だったのか。

 今回は「村崎百郎館」の完成を記念し、誰よりも近い場所で彼を見ていた妻・森園みるくさんと、村崎氏の唯一の弟子“鬼畜娘”こと「きめら」ちゃんに貴重なエピソードを聞いた。

■「村崎百郎館」設立のきっかけ

──記念展示をつくるきっかけは何だったのでしょうか。

森園:きっかけは「双眼鏡」だったんです。事件の後、引っ越しのために以前に住んでいた家を整理していた時、村崎の担当をしていたデータハウスの編集さんが手伝いに来てくれて、その時に遺品の双眼鏡をお渡ししたんです。その編集さんが会社で双眼鏡をいじっていたら、データハウス社長の鵜野さんが気になったみたいで「面白いもの持ってるね」と。編集さんが「これは村崎さんの遺品で他にもいっぱい変な物があったんですよ」と言ったら、社長さんが面白いと感じたらしく「だったら、これから僕が造る『まぼろし博覧会』ってところに村崎さんの部屋をつくろう」といってくれたそうなんです

きめら:最初に村崎さんの部屋をつくるという話があったのは2011年です。それから2年くらい紆余曲折があって実際に制作に入ったのが去年。足かけ3年くらい掛かってます。

──どのような展示になっているのでしょうか。

森園:展示は村崎のライフワークだった「ゴミ漁り(※)」と「編集者・黒田一郎」。そして本人が最も大事にしていた「魔術」の計3つの部屋に分かれています。それと村崎が「月刊ムー」(学研パブリッシング)などが好きだったこともあって、様々なアーティストの不思議な作品が並ぶ「未確認生物(UMA)博覧会」というギャラリーを併設しています。最初は、単純に村崎の仕事部屋を再現するだけのつもりだったんですよ。6畳間くらいのスペースにして、すぐにつくれるかなと。だけど、実際に現地を下見したときに広さと荒れ放題ぶりにア然として、方向性を考え直してから企画がふくれていったというか…(笑)

──まぼろし博覧会は、閉鎖したまま約10年間も放置されていた広大な植物園を再利用しているとのことですからね。僕も現地で見ていますが、まだ手を入れていない建物の荒れっぷりはすごかったですね。

森園:建物内部も草が生え放題で大きな岩がゴロゴロしていましたからね。下見後、私一人で作るのは無理だ判断して、村崎が編集者として勤めていたころの『ペヨトル工房』(※)の代表だった今野裕一さんにお話をしたら、アーティストのマンタムさん(※)を推薦されたんです。マンタムさんはガラクタや骨董品をスチームパンク系の作品や退廃的なアートに生まれ変わらせる人なんですが、今野さんが「ゴミなら彼だ!」と(笑)。

──骨董とゴミは紙一重の世界なのかもしれないですね(笑)。マンタムさんが加わったことでどのような変化があったのでしょうか。

森園:マンタムさんに相談したら「村崎さんはいろんな顔を持っていたんだから、展示部屋を三つは作らないと」といわれ、別の時に村崎が親しくさせていただいていた漫画家の根本敬(※)さんにも話をしたら全く同意見だったんです。ですから、マンタムさんのプロデュースの下、村崎の部屋を忠実に再現するのではなく、3つの展示部屋を通じて彼の頭の中を再現するというコンセプトにしました。実際、村崎の人格は間違いなくたくさんありましたから。

※ゴミ漁り:村崎氏の代名詞。非常にアナログで悪趣味というイメージがあるが、かつてFBIを翻弄した米国の稀代のハッカー、ケビン・ミトニックも狙った企業のゴミから機密情報を盗んでいたことは有名。後年、ミトニックは「ゴミは宝の山」と語っており、デジタル化が進んだ現代においても情報入手の基本であり、最も効果的な方法の一つとされている。

※ペヨトル工房:80~90年代のサブカルチャーシーンを牽引した雑誌「夜想」「銀星倶楽部」「WAVE」などをはじめ、海外の幻想文学やアート系などの書籍を発行していた出版社。主宰者は今野裕一氏。1998年に出版活動を休止し、2000年に解散。その後、ミルキィ・イソベさんら旧ペヨトル関係者が設立した出版社「ステュディオ・パラボリカ」により、今野氏を編集長に迎えて03年から「夜想」がリニューアル復刊されている。

※マンタム:大阪出身のアート作家。骨董業を営みながら個展や様々な企画展などを手掛け、L'Arc~en~Cielのhyde率いる音楽ユニット「Halloween Junky Orchestra」のPVで特殊美術を担当するなど活動は多岐にわたる。「死より生まれる新たな文化」をコンセプトに有機物(動物の死骸)と無機物(骨董)を駆使した独特の作品を生み出し続けている。

※根本敬:特殊漫画大統領にして芸術家。1981年に「月刊漫画ガロ」でデビュー。「ガロ系」の中でも極北に位置する過激な作風で漫画界のみならず、音楽界やアート業界にも熱烈な支持者やフォロワーを持つオルタナティブ界の偉人。アクの強すぎる歌謡曲などの希少レコードを発掘する「幻の名盤解放同盟」の活動でも知られる。現在は執筆やアート制作の傍ら、渋谷アップリンクでトークショー「根本敬の映像夜間中学」を定期開催中。

■村崎百郎の多重人格性

──人格がたくさんあったということですが、村崎さんのキャラクターはメディア向けではなく、実際に“電波系”だったということでしょうか。

森園:よくいわれている「ポーズで鬼畜をやっていた」「本当はただのいい人だった」とか…。そういった誤解は多いんですけど、それは大きな間違いで。本当に彼は「鬼畜」でした。そして同時に「いい人」でもあったんです。

──それは村崎さんと高校時代から親交のある作家の京極夏彦さん(※)も追悼文で書かれていますね。決して「鬼畜」を演じていたわけではなく、自分の中にある「鬼畜」の部分と向き合い、自己正当化して正常を装うことを良しとしなかった人だと。

きめら:自分で鬼畜を名乗ることで、村崎さんにとっても世の中を生きやすくし、そういうことで悩んでいる人に対してもメッセージを送れると考えていた部分もあると思いますね。ちゃんと村崎さんの文章からメッセージを受け取ってくれる読者もいるし、そういう意図が上手く伝わらない人もいた。むしろ、村崎さんの文章を「下品」「露悪的」って毛嫌いしちゃう人の方が多かったのかもしれません。

森園:多分、本人は読者にきちんと伝わるとは期待してなかったと思う。

──お二人は村崎さんが亡くなるまで最も近い場所にいたと思いますが、村崎さんと出会ったきっかけをお聞かせください。

森園:出会ったのは、ちょうど村崎が『鬼畜のススメ』(※)を書いていたころですね。仲良くしていた映画監督さんの新作映画の上映会に行ったとき、村崎がトークショーのゲストだったんですよ。そこで監督さんに紹介されたのが最初です。

──村崎さんは出会う前から森園さんのファンだったそうですね。

森園:そうだったみたいですよ。私のマンガを結構読んでくれていたみたいで。私も元々『悪趣味大全』(ユリイカ増刊/青土社)とかで彼の文章を読んで、スゴイ…というかヤバイ(笑)と思ってたので。それで意気投合した感じですね。

──村崎さんに対する最初のイメージはどうだったんでしょうか。

森園:ああいう文章を書いているけど、本心はまた違うところにあるんだろうなとか、知識がハンパないだろうなとか、思っていたんですけど…まさか本当にヤバイ人だったとは…と驚くことになりました。

──きめらちゃんはどんな出会いだったんですか。

きめら:高校生のころです。当時、精神的にすごく調子が悪かったんですけど、学校の帰り道の古本屋にあった「GON!」(ミリオン出版)という雑誌で村崎さんの連載『魁!鬼畜塾』を読んで心から笑ったんですよ。多分、そんなに笑ったのは小学生以来ってくらい。それが村崎さんとの最初の出会いです。それから毎月「GON!」を買うようになって。

──『魁!鬼畜塾』もとんでもない連載でしたからね。

きめら:それからファンレターのようなメールを送りました。この人だったら私を分かってくれるというか、とにかく自分の思いを伝えたくなって。そしたら「俺の姿を見たいんだったら、その辺のコジキを見てろ」ってメールが返ってきて…。そんなつもりじゃないって思ったんですけど(笑)。それからなぜかメールのキャッチボールが始まって距離が縮まり、家が近かったこともあって実際に村崎さんや森園さんとお話させてもらうようになった感じですね。

──厳しいイメージがありますけど、意外とファンと仲良くするタイプだったんでしょうか。

森園:いや、そういうのは珍しんですよ。村崎ってファンを受け入れない人だったから。

──これは特別なケースで、ファンとは基本的に距離を置いていたと。

森園:かなりヤバいファンレターがたくさんきていましたし、自分のヌードやウンチの写真を送ってくる女性ファンまでいましたからね。それは受け入れられないですよ(笑)。むしろファンを嫌ってましたね。イベントとかでも、絶対にファンには近付かなかったですし。サインを求められてもほとんど無視してましたよ。

きめら:きっと、自分のファンは危ないって分かってたんじゃないかと思います。

※京極夏彦:北海道小樽市出身。言わずと知れたベストセラー作家。代表作は『姑獲鳥の夏』(講談社)『魍魎の匣』(同)『死ねばいいのに』(同)『ルー=ガルー 忌避すべき狼』(徳間書店)など多数。北海道倶知安高校で村崎氏の一年後輩だった。村崎氏とは旧知の仲であり、デビュー後に対談もしている。

※鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!!:96年9月にデータハウスから出版された村崎氏の単著。「鬼畜的生き方の入門書」としてゴミ漁りのノウハウやゴミから見える人間の本質を徹底解説。ゴミの種類や季節・地区別の傾向、ゴミ漁りの最大の敵「警官」対策なども網羅。現在は事実上の絶版状態で復刊が待たれる。

■ライフワーク「ゴミ漁り」

──村崎さんのライフワークで著書や連載でも頻繁にテーマになっていた「ゴミ漁り(別名ダスト・ハンティング)」ですが、一部ではゴミ漁りすら仕事上のキャラクターだったのではないかという意見があります。実際のところ、ゴミ漁りはしていたんでしょうか。

森園:もちろん、本当にしていましたよ。私も数え切れないくらい同行したことがあります。一番頻繁な時は週に最低3回くらいは行ってましたね。コースが決まってるんですよ。いいゴミがあるポイントがあって、そこを回ってくる感じですね。

──森園さんも同行されていたんですか。それは仕事上の企画ではなく?

森園:プライベートで普通に(笑)。村崎はエロ本やエロビデオがメインでしたけど、私は服専門でしたね。あと粗大ゴミのテーブルとか、いいのがいっぱい落ちてたから。テーブルなんかは今でも使ってますよ(笑)。

──村崎さんと一緒にゴミを拾っていたというのは…。それは「レディコミの女王」としてイメージ的に大丈夫なんでしょうか…?(笑)

森園:だってブランド品の服とかいっぱい落ちてるんだもん(笑)。最初に村崎と知り合った時、私が住んでたマンションに風俗嬢がいたんですよ。その人が自分のオールヌードの生写真とかと一緒にブランド服とかをガンガン捨てていて。たくさん貰いましたよ。

──村崎さんだけでなく森園さんも、かなり「ゴミ漁り」通になってたんですね。

森園:何度かゴミ漁りやると、袋を開けなくても良い物が入ってるかどうか分かるんですよ。目が肥えてくるんです。でも村崎の場合は次元が違う。外に出るまでもなく、家に居る時に「ゴミが呼んでる」といきなり言い出して。そういう電波がくるみたいで。で、実際にゴミ漁りに行ってみると本当にイイ物が落ちてる。

──ゴミ電波!(笑)

森園:まさにゴミ電波ですね。村崎の感じた通りにエロ本が落ちてる。

──そんなすごい能力なのにエロ本ですか…。村崎さんにとってはイイ物なんでしょうけど(笑)。村崎さんのゴミ漁りといえば、エロ本やエロビデオだけでなく、若者の欲望・悩みが詰まった「情念ノート(※)」や女性物の下着など対象は多種多様でした。

森園:私が同行したころは、もう女の下着は拾わなくなってましたね。エロ本やエロビデオが中心。『まぼろし博覧会』にも村崎が拾ってきた女の下着が展示してありますけど、それは私が寝てる時にコッソリ一人で抜けだして拾ってきたか、むかし集めたものでしょうね。

──それは森園さんに対する一応の遠慮だったんでしょうか(笑)。しかし、それだけゴミを拾ってきたら量的に大変なことになってしまうんじゃないですか。

きめら:一度、森園さんが村崎さんの集めたエロビデオを捨てようとして、それが村崎さんにバレたことがありましたね。その時、村崎さんが私に「ひどいんだよ、聞いてくれよ! 俺が一生懸命集めたエロビデオが捨てられてんだよぉ! 森園の奴が捨てたんだよぉぉぉ!」と、ものスゴイ剣幕で激怒してました(笑)。

森園:怒ってましたね。拾ってきたエロビデオが溜まりにたまって山積みになってたんですよ。ものすごい量あったから、少々山から抜いて捨てても大丈夫かなと…。

──同じように見えるゴミでも、村崎さんにとっては大切な物だったと。

きめら:わざわざ私に言いにくるくらいショッキングな出来事だったらしいです。

森園:でも、普通は捨てるよねー(笑)。

──捨てることもできないとなると保管が大変だったんじゃないですか。

森園:一番多かったのは本なんですけど、本人が別にアパートを借りて倉庫にしていましたね。部屋が埋まるくらい本があって、全体が見えないんですよ。ワンルームの部屋なんですけど足の踏み場もなくて。借りた時はガランとしてたんですけど、あとで行ったら本が詰まった段ボールが山積みになってました(笑)。本人は部屋を移動するのに段ボールをよじ登ってましたよ。

──遺品の整理でも本が一番苦労されたんじゃないでしょうか。

森園:本はゴミかゴミじゃないか分からないものも沢山ありました。拾ってきた物と本人が買ってきた物の区別がつかない。作家の全集や英語の本、難しそうな魔術研究書関係、あとエロ本とかエロビデオは明治大学教授の藤本由香里さんを通じて大学で引き取ってくれるということで全部回してしまったんですけど。それでも信じられないくらいの量が残って。

※情念ノート:自作の詩や家計簿、将来の夢、悩み、ラブレターの下書き、日記などが綴られた、捨てた人間の情念がこもったメモやノートのこと。書いた経験のある人もいるだろうが、不思議なことに破って捨てられていることは少なく、他人が読むことを前提としていないためドロドロとした人間の内面がストレートに文面に表れている。これを拾って冷静に品評する村崎氏のスタンスはまさしく「鬼畜」の一言。あなたの情念ノートも村崎氏に拾われていたかもしれない。

■まさかの「少女漫画」好き

──村崎さんの本好きは異常なほどだったようですね。

森園:集めていた本は魔術系やスピリチュアル系が一番多くて、犯罪系、バロウズ(※)、クロウリー(※)なんかもたくさんありましたね。「月刊ムー」(学研)もほとんどのバックナンバーがそろってたと思いますよ。クロウリーなんかは、同じ本が部屋から10冊近くも出てきて驚きました。

きめら:多分、あまりに部屋が本で埋もれていたので探すのが面倒になって、読みたくなったら新しく買っちゃってたんでしょうね(笑)。

──かなりジャンルが幅広いですね。

森園:それだけじゃなく、ほかにもいろんな本がありました。少女マンガも大好きでしたね。比較的最近の作品では、『君に届け』(椎名軽穂・著/集英社)にハマって心をわしづかみにされたみたいでしたよ。

──え! 村崎さんが『君に届け』ですか。

きめら:あとは80年代の「ぶ~け」(集英社)が好きでしたね。吉野朔実さんとか。それ以外にも萩尾望都さん、山岸涼子さん、まつざきあけみさんとかも。

──かなり意外ですね。少女マンガ好きというイメージは読者にはなかったと思います。

森園:少女マンガの作風と自分の感性が似てるって部分があったんじゃないですかね。村崎は女性的な感性の人でしたから。ナイーブで傷付きやすい。といっても、つげ義春さんや根本さんとか「ガロ系」も好きでしたし、田亀源五郎さんの作品なども読んでいましたけどね。

きめら:少女マンガといえば事件が起きる少し前、たまたま本屋に行って内田善美さんの『空の色ににている』(集英社)を買ったんです。それを村崎さんにメールで伝えたら「それは近しい人が去っていく本だよ」と教えてくれて。それが最後のメールでした。

※ウィリアム・S・バロウズ:1914年生まれの米国の作家。97年没。1950~60年代を中心に数多くの歴史的傑作を残した。文章をバラバラに刻んでからつなげる「カットアップ」手法を多用したことで知られ、代表作の一つである『裸のランチ』はデヴィッド・クローネンバーグ監督の手で92年に映画化されている。ニルヴァーナのカート・コバーンら著名人の熱狂的ファンも多く、村崎氏に大きな影響を与えた人物。

※アレイスター・クロウリー:1875年生まれのイギリス出身の高名な儀式魔術師。1947年没。厳格なキリスト教教育への反発によって少年時代からオカルトに傾倒し、世界各国を歴訪しながら神秘学やヨーガなどを習得。エジプトで接触した霊的存在「アイワス」の声を書き留めた「法の書」を記し、1907年に同書を聖典とした魔術結社『銀の星』を創設した。後年は信者とともにドラッグやセックスを用いたエキセントリックな儀式をしていたとして批判も多い。没後70年近く経った現在もオカルト界のカリスマ的存在であり、フォロワーにジミー・ペイジ、デヴィッド・ボウイ、オジー・オズボーンら著名ミュージシャンが多いことでも知られる。

■本当にヤバかった村崎百郎

──先ほども触れましたが、村崎さんにはたくさんの人格があったそうですね。それは具体的にどのようなものだったんでしょうか。

森園:普段は温厚で良い人なんですけど、電波で人格が変わると本当にヤバかったですよ。瞬時に変わるんですよ。一緒にいても分かるんだけど「あ、いま村崎に何かきてる、本人じゃないみたいな」という感じで。電波がきちゃって、誰かに「うるせえ!」と怒鳴ってたりすることはよくありましたね。見えない相手と延々と会話してて、私が必死に身体を揺すると急にハッと我に返って「あ、気にしないでくれ」って。それだけじゃなく、包丁を持って全裸で外に飛び出そうとすることも何度かありましたよ。

──うわあ…(笑)。

森園:止めるのが本当に大変だったんですから(笑)。あと警官に殴りかかろうとしたり。悪霊に取りつかれて人格が変わっちゃうこともありました。

きめら:電車に乗った時に村崎さんが笑いだして、笑いが止まらなくなったこともありますね。車内が凍りついていたんですけど、村崎さんの肩を何度も叩いて呼び掛けて、やっと「え?」って感じで気付いてくれるという…。

森園:でも、そういうことが私の前であったのは付き合ってかなり経ってからですね。最初は苦労して隠していたのかもしれない。私と知り合う前は暴れたりもしていたみたいで、村崎が前に住んでいたアパートに行ったら壁が穴だらけになっていたこともありました。

──それだけ人格の揺れがあると人付き合いが大変そうですね。

森園:仕事では真面目で押し並べて上手くやっていたみたいですよ。だから仕事上でしか関係のなかった人は村崎のそういう面を知らないかもしれません。でも繊細で感受性がすごく強いタイプですから、他人と波長が合う・合わないが露骨にある。合わない人から電話がきても「ガチャ切り」みたいな。私の友達も何人も口すら利いてもらえなかった(笑)。

きめら:三人で出版社のパーティに行った時、森園さんの知り合いの女性漫画家さんが「あ、村崎さ~ん」っ手を振って近付いてきたんですけど、その人の顔も見ずにクルッと別の方を向いて行っちゃったことがありました。それくらい好き嫌いがハッキリしていましたね。

──拒絶するだけでなく、かなり激しい嫌悪を示すようなこともあったんでしょうか。

森園:相手によってはそういうこともありましたね。昔、打ち合わせで出版プロデューサーの高須基仁さんに呼ばれて、村崎と一緒に新宿プリンスホテルで会ったことがあったんですよ。で、高須さんが私にちょっかいというか、いろいろと言ってきて。実は村崎と付き合う前から、高須さんに二人で旅行しようとか誘われていたんですよ。全く誘いに乗る気はないので断ってましたけど。で、村崎が高須さんの態度にイヤなものを感じたと思うんですよ。そしたら打ち合わせの途中で村崎が怒っちゃって。テーブルを「バーン!」ってひっくり返して。怖かったですよ(笑)。

──それは強烈ですね。高須さんと森園さんは過去に「熱愛!」とメディアで報じられたこともありましたし…。

森園:一度も付き合ってませんから! そういうの、村崎は他にもやってますよ。村崎と付き合い始めたころかな。それもプロデューサー的な人だったんですけど、村崎と3人で焼き肉か何か食べに行ったとき、相手がおいしいことを言いながら付いてこようとしたんですよ。その時もテーブルをドーンって。嫌な相手に対しては容赦ないですよ。

──普段の温厚さや女性的な感性と、怖いほどの激しさ。そして電波の受信。全く異なる人格が村崎さんの中に幾つも存在していたんですね。波長という意味でも自分の言葉を理解してくれる相手という意味でも、本当に分かりあえる人は少なかったのかもしれませんね。

森園:そうですね。でも青山正明さん(※)とは本当に仲が良くて、自他共に認める親友だったと思います。三人で飲んだりしたこともありますけど、青山さんもすごくいい人でしたから。青山さんの場合はお酒を飲まないから、彼だけクスリをかじりながらでしたけど(笑)。

きめら:青山さんが亡くなった時、村崎さんがボソッと「青山を殺したのは俺なんだよ」と言ったことを覚えています。多分「救ってやれなかった」という意味だったのかなと思いますけど。それだけ特別な存在だったんでしょうね。

──青山さんも村崎さんと同時期のサブカル界の大スターですからね。その両雄が通じ合っていたというのは分かる気がします。

森園:当然、村崎は根本さんも尊敬していましたね。村崎にとって、根本さんは「この人は分かってくれる」という数少ない存在だったようで、根本さんと話しだすと会話が止まらなかったみたいです。そして京極夏彦さんは昔からの仲なので別格でしたね。

※青山正明:サブカルチャーやアンダーグラウンドに精通した編集者であり著述家。1981年の慶應大学在学中に伝説の変態ミニコミ誌「突然変異」を創刊し、卒業後はロリコン雑誌やスカトロ系雑誌などでコラム執筆や編集を担当。「別冊宝島」(宝島社)などで活躍後、データハウス内に編集プロダクション『東京公司』を設立し、『アダルトグッズ完全使用マニュアル』(データハウス)などを編集。実体験を基にドラッグのノウハウを解説した初の単著『危ない薬』(同)や変態・鬼畜・悪趣味を詰め込んだムックシリーズ「危ない1号」(同)は名著として一部で絶賛され、村崎氏とともに90年代の『鬼畜ブーム』の中心人物となった。後年はドラッグで逮捕されたことをきっかけに精神世界に傾倒し、さらに眼病に思い悩み不安定になったといわれ、01年6月17日に自宅で縊死。享年41。

■村崎百郎は「魔術団体」のメンバーだった

──村崎さんはクロウリーの著作などを愛読するだけでなく、実際に魔術団体に入っていたそうですね。

森園:村崎が所属していたのは魔術の学院「I∴O∴S∴」という、その世界では有名な団体でした。エジプト系の魔術や黄金の夜明け団(※)、クロウリーなどを幅広く研究している日本の魔術団体で、村崎はそこを通じて儀式や修行をしていましたね。自宅で儀式をする時は「部屋に入るな、話しかけるな」ってくらい集中して。だから何をしていたのかはあまり分からないですけど(笑)。

──遺品の儀式用の剣や水晶玉などを拝見しましたけど、さすが本格的でしたね。魔術にはいつごろから傾倒するようになっていたんでしょうか。

森園:学生時代のものだと思うんですけど、魔術修行の日記みたいなものもありましたから、かなり昔からやっていたみたいですよ。

──展示でも重要なテーマになっていますが、魔術は「村崎百郎」を構成する大きな要素だったんでしょうね。

森園:周りには冗談めかしていたようなんですけど、本人としては一番大事にしていたようです。離れた修行者同士でテレパシーをしたり、かなり本気でやっていましたよ。

※黄金の夜明け団:カバラや錬金術、エジプト神話、タロットなどを習合させた魔術系の秘密結社。「ゴールデン・ドーン」などとも訳され、魔術学校の意味合いが大きい団体。1888年にイギリスで発足し、最盛期には100名を超える団員を擁して魔術界の一大勢力となった。その教義や体系化された魔術理論は、現在に至るまで多くの魔術団体に影響を与えている。クロウリーも1898年に入団したが、彼の異端児ぶりが災いして内紛が勃発。クロウリーは2年足らずで脱退し、黄金の夜明け団も1900年代初頭に歴史の表舞台から姿を消した。

■村崎百郎は死なず

──記念展示ができたことをきっかけに、昔のファンが村崎さんに再注目したり、今まで知らなかった人がファンになる可能性もあると思います。

森園:『まぼろし博覧会』にいらっしゃるお客さんは村崎を知らない人もたくさんいると思うんですが、展示には村崎がどんな人だったかは分かるように説明が書いてありますし、著作の『鬼畜のススメ』と『電波系』が読めるようにしてあります。あと、拾った『情念ノート』も閲覧できるようにしてありますので、それで新しく村崎に興味を持ってくれたら嬉しいですね。

──村崎さんが生みだしたものは永遠に残っていきますからね。それで新しいファンが心を動かされるようなことがあれば何よりだと思います。

きめら:村崎さんの文章は、いつの時代にも通じる部分があると思うので読み継がれていってほしいですね。「電波」「鬼畜」というテーマは普遍的だと思うんですよ。文字通りの意味だけでなく、村崎さんが深く描いた意味でも。

──今後、記念展示に続く展開もあるのでしょうか。

森園:8月と9月に展示完成を記念したイベント(※)を都内で開催します。それと、まだ決まっているわけではないですけど、未発表の原稿や小説、単行本になっていない連載などを新たに本にまとめる計画もあります。今はとにかく、たくさんの人に『村崎百郎館』に来てほしいですね。

 滅多矢鱈に脱臭され、漂白されていく“正しい社会”に抗うように最期まで「鬼畜」として生きた村崎氏。その“正しさ”によって息苦しさを感じるようになった今の時代にこそ、世の偽善とまやかしを打ち砕く唯一無二の「鬼畜」の言葉が必要なのではないだろうか。(文=佐藤勇馬/Yellow Tear Drops)

※【お知らせ】『村崎百郎館』の完成を記念したライブイベントが、今年8月21日(木)と9月12日(金)に東京・西麻布のライブハウス『音楽実験室 新世界』で開催予定となっている。

■8月21日出演予定者・京極夏彦(小説家)・エミ・エレオノーラ、GRACEの音楽ユニット「巴里天狗」・ソワレ(シャンソン歌手/新宿ゴールデン街『ソワレ』オーナー)・西原鶴真(女流・薩摩琵琶奏者/テクノ琵琶奏者)・玉虫ナヲキ(昆虫系アーティスト/歌手)・きめら(鬼畜娘) ほか。

■9月12日出演予定者・根本敬(漫画家/アーティスト)・都築響一(編集者/写真家)・マンタム(アーティスト)・中原昌也(ミュージシャン/作家)・宮西計三(漫画家/ミュージシャン) ・きめら(鬼畜娘) ほか。

ほかにも村崎氏とゆかりのある豪華ゲストの出演が多数計画されている。開演時間やチケット販売については現在調整中となっており、興味のある方は下記リンクの村崎百郎Twitterや<非公認>WEBなどで情報を随時確認してほしい。

■怪しい秘密基地 まぼろし博覧会所在地:静岡県伊東市富戸字梅木平1310-1営業時間:3月~10月 午前9時~午後5時/11月~2月 午前9時30分~午後4時30分入場料:大人1200円/小中学生600円

・公式ホームページhttp://maboroshi.pandora.nu/・公式ツイッター@_fushiginamachi(https://twitter.com/_fushiginamachi)

■村崎百郎・村崎百郎<非公認>WEB http://www.murasaki100.com/・Twitter@murasaki100rock(https://twitter.com/murasaki100rock)

■森園みるく・公式ホームページhttp://morizono.babymilk.jp/・Twitter@noritakamilkmor(https://twitter.com/noritakamilkmor)・Facebookhttps://www.facebook.com/milk.morizono

■きめら・ブログhttp://kichikumusume.blogspot.jp/・ツイッター@cba13114(https://twitter.com/cba13114)

※画像:森園みるくさん(左)、きめらちゃん(右)。村崎氏の蔵書を集めた森園邸の一室にて

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