糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの

12月16日の「今日のダーリン」

・先週、今年はじめて「よいお年を」と言われてあせった。
 その店の予約はもう来年までないのだから、
 今年いっぱいは会わないと、女将さんは知っているのだ。
 気がついてみたら、そんな時期になっていたのだ。

 師走が師走らしくなくなったと言う。
 おそらく、それにはわりとわかりやすい理由がある。
 正月が正月のようではなくなったからだ。
 店のほとんどが開いていて、いろんな交通もそのままで、
 なにかしようと思えば、なんとかなる。
 そういう日常を確保したうえでの正月になったので、
 十二月に、正月の準備をしなくてもよくなった。
 かつては、正月というめでたい非常時に備える仕事を、
 いつもの仕事に加えてやっておかなければならなかった。
 だから、忙しかったのだ。
 いまは、いつもよりちょっと長めの休みというだけだ。
 そのための準備など、それほどのものではない。

 それでも、「よいお年を」と言われてあせったのは、
 やっぱり、この年が終わるということの心の動揺だろう。
 終わらないと思っていたわけではないのだけれど、
 おいおい、2018年、終わるのかよ、
 あとたった半月かよほんとかよという気持ち。

・ぼくは、このところの忙しさの正体がわかった。
 なにかと終わりの準備をしているつもりがあるので、
 あれもこれもやっておこうとして、気が急いているのだ。
 「いつかやればいいさ」とか「そのうちやる」とかは、
 この先にいくらでも時間があると思っている人の発想で、
 ぼくは、じぶんに残っている時間や元気のことを、
 強く意識しはじめてしまったのである。

 つまり、時間や意義みたいなものにケチになっている。
 あれもこれも、残しておこうやっておこうと思うのは、
 悪いことでもないのだけれど、余裕がないのはダメだ。
 来年には、そこらへんのこころを変えようと思う。
 昨日は、来年の秋にちょっと長旅しようと約束をした。
 いつまでも元気で生きるつもりのことを、
 混ぜておかないと、役に立つことを優先しすぎてしまう。
 人間というのは、そういうのに向いてないのにね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
バカやりながら、ちゃんとしてる。人はこうでないとねー。