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千駄ヶ谷へ

意を決して脱サラし、医療への道を志したは良いが、すぐに医師や看護師になれる訳ではない。
最低でも6年間学生をし、国家試験をパスして更に2年間の研修医を経てやっと一人前の医者だ。看護師だって最低で3年間の学生時代を過ごし、国家試験をパスしてやっと看護師として就職できる。その先、一人前になれるかどうかは本人次第。何年経っても一人前になれない人もいる。

私の場合、親の脛をかじるつもりは最初から無かったし、途中で進路変更して両親に迷惑をかけたく無かった。つまり、自分のしたい事は自分でできるようになったらする。そういうポリシーがいつの間にか身についていたようだ。
H製作所に6年いて、その先の準備が完全にできていた訳ではない。奨学金を貰ったりバイトをしながら不足分の生活費や学費を稼ぎつつ学校へ行かなければならなかった。で、いくつかしたバイトの中の一つが連盟道場の手合い係だった。
募集は確か連盟道場前に張り紙しているのを見て応募したと記憶している。
では、いつ張り紙を見たか…。そう、秋津へ行くとほぼ同時に遊々将棋塾に通い始めていて、それで張り紙を見たのだと思う。

当時の遊々は、武市三郎先生、指導棋士の渡辺先生、奨励会三段の三須さんを中心にアシスタントの安食さんと真壁さん、週代わりで先崎先生、中座先生や中井さん、あと誰だっけσ(^_^;) 中村修先生、三浦先生あたりも来てた気が…^^;
講師陣の中で当時から変わらず継続しているのは武市先生だけだ。当時の生徒さんの中に、某クイズ番組でクイズ女王の名を欲しいままにした女性がいて、現在通っている生徒さんの話によると今でも通っているらしい^^;
棋界に復帰してまず考えたのが、遊々の見学だったのだが、ちょうど将棋会館の耐震性向上の改修工事の為行けなかったのだσ(^_^;)
で、向かったのが両国。まあ、この話はまたいつか。

話は戻って17年前の連盟道場。
いつかも話した羽生、清水、ふたりっこの放送による空前の将棋フィーバーで道場はごった返していた。
座席は満席、特に子供が多くて、わーわーぎゃーぎゃーと騒がしく、いくら声を張り上げても呼び出しの声は通らない(笑)しかも今のように喫煙コーナーはなく、カウンター寄りの席が禁煙で、離れた奥の方の何列かの机が喫煙可というアバウトな感じだったので、カウンター寄りの席も何となく煙っぽかった。バイトを始めて数日は1日が終わる頃には声もガラガラになっていた。他にも、子供はうるさいから手合いを付けるなと言うお客がいるかと思えば、子供の健康を害するから、連盟の道場には行かせないと言う親御さんがいたりと、もういい加減にしてくれ!と叫びたくなるような環境だった(笑)ただでさえ人も沢山でギュウギュウなのに、知ってか知らずかカウンターに肘をついて手合い係と話し込もうとつきまとう子供がいたり…(笑)
まあ、当時の手合い係の奮戦振りは今の連盟の状況からは想像もつかないかもしれない。

次回は、手合い係の面子を振り返ってみたい。

雪桜
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