黄海道谷山で生まれた李興燮さん(1928-2014)は、父を助けて畑仕事をしていたが1944年5月に徴用されて日本に連れてこられ、光復(日本の植民地支配からの解放)後も遂に韓国へ戻ることができなかった。当時数え年で16歳だった李さんは徴用対象ではなかったが、太平洋戦争で窮地に陥った日本は、戸籍の年齢を操作して植民地の青年を連行した。父は、白い木綿の洋服を別れの贈り物として与えた。本書は、佐賀県の炭鉱に連れていかれた李さんが翌年1月1日に脱出・逃亡して解放を迎えるまでの、およそ1年3カ月間の記録を収めている
少年は2週間の軍事訓練を受け、ふんどし姿で切り羽に送り込まれた。豆かすが半分以上という飯にたくあん2切れだけの食事はあまりに粗末で、ひどく腹が減った。故郷を離れるときに父がくれた荷物の検査で指輪が出てくると、状況は一層悪くなった。「戦争中にこんな物を隠して供出しなかった」という理由で「非国民」のレッテルを貼られ、外出禁止などの罰が加えられた。李さんは脱出を夢見るようになり始めた。逃げ出したものの捕まった朝鮮人が生ゴムの棒で殴られ、半殺しの目に遭うのを見たが、これ以上そこにいられなかった。
正月、初めて外出した。その日に脱出した。復帰の時間が迫ると、炭鉱の反対側にある北の海岸へ向かうバスに乗った。漆黒の闇に身を隠しながらも、李さんは空襲で廃虚と化した光景に口をつぐんではいられなかった。「これが、われわれをこんな目に遭わせた日本の姿なのか!」