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力道山、56回忌法要にレスラー30人が参列…息子の百田光雄「父はファンの方に見てもらえる日本のプロレスを作った」

2018年12月15日15時53分  スポーツ報知
  • 力道山の56回忌法要に参列したレスラーたち

 日本プロレス界の父で1963年12月15日に39歳の若さで亡くなった力道山の命日にあたる15日、東京・大田区の池上本門寺で56回忌法要が営まれ、息子の百田光雄(70)、新日本、大日本プロレスなどで活躍した桜田一男氏(70)、リアルジャパンプロレスのスーパー・タイガー、納谷幸男(23)らレスラー、関係者30人が参列した。

 力道山は、1950年に大相撲を引退しプロレスラーに転向し、52年に日本プロレス協会を設立し、日本初の本格的プロレス興行となった54年2月19日に蔵前国技館で木村政彦とタッグを組んでシャープ兄弟と対戦し、前年にスタートしたテレビ放送と共に戦後復興の象徴となり国民的ヒーローとなった。

 ジャイアント馬場、アントニオ猪木ら昭和プロレスの隆盛を支えた多くの弟子も育てたが、63年12月8日に赤坂のナイトクラブで暴力団員の男に刺され、1週間後の12月15日に都内の病院で39歳の若さで亡くなった。

 衝撃の急逝から55年目となったこの日、百田は「父が亡くなった時、ボクは15歳でした。あれから55年がたち、70歳になりましたが、今も父を思って、これだけの方に参列していただいたことは感謝しかありません」と墓前に手を合わせた。

 力道山がシャープ兄弟と対戦した時、国技館で父の雄姿を見た。以来、自身も68年に日本プロレスに入門し、全日本、ノアと団体を移り、現在もフリーでリングに上がっている。いわば百田は、日本のプロレスの生き証人でもある。

 「父がシャープ兄弟と戦って、日本に本格的なプロレスをやってから、会場で今もずっと見ているのは、選手でボクぐらいしかいないんです。そういう意味で歴史を振り返ると父が興した日本のプロレスは、ファンの方に見てもらえるプロレスを作ったと思います」

 力道山は、ジャイアント馬場、アントニオ猪木ら数多くの弟子を育てた。

 「馬場さん、猪木さんとかいろんな選手が父の教えを引き継いだ部分があったと思います。その弟子たちがまた、いろんな選手を育てて、今では団体数で言うと100前後あるんですね。それは、すごいことで、ボクは必ずしも大きい団体が絶対ということはないと思っています。いろんな団体を見てきて、小さい団体でも素晴らしい選手がいる。プロレスが今もいい形で受け継がれていることは、父の偉業だと思います」

 父がのこしてくれたもので今も大事にしていることがある。

 「物というより、父の気持ちです。プロレスは闘いなりという精神的なものを受け継いで大切にしていきたい」

 息子の百田力(37)が2013年にプロレスデビューした。

 「その気持ちを息子に引き継いで欲しい。言葉ではなく態度で教えていきたい」

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