力道山の没後55年にビートたけしから花…息子の百田光雄「ありがたい気持ちでいっぱいです」
日本プロレス界の父で1963年12月15日に39歳の若さで亡くなった力道山の命日にあたる15日、東京・大田区の池上本門寺で56回忌法要が営まれ、息子の百田光雄(70)、新日本、大日本プロレスなどで活躍した桜田一男氏(70)、リアルジャパンプロレスのスーパー・タイガー、納谷幸男(23)らレスラー、関係者30人が参列した。
没後55年となった法要には、タレントのビートたけし(71)から本名の北野武で、故人をしのぶ花が届けられた。百田によると、たけしは幼い時に力道山の大ファンで没後40年の時に記念の雑誌を出版した際にコメントを寄せ、以来、毎年、命日に営まれる法要には花を届けてくれているという。「たけしさんは、子供の時に父が大好きでこうして毎年、花を届けていただいて本当にありがたい気持ちでいっぱいです」と百田は感謝していた。
力道山は、1950年に大相撲を引退しプロレスラーに転向し、52年に日本プロレス協会を設立し、日本初の本格的プロレス興行となった54年2月19日に蔵前国技館で木村政彦とタッグを組んでシャープ兄弟と対戦し、前年にスタートしたテレビ放送と共に戦後復興の象徴となり国民的ヒーローとなった。
ジャイアント馬場、アントニオ猪木ら昭和プロレスの隆盛を支えた多くの弟子も育てたが、63年12月8日に赤坂のナイトクラブで暴力団員の男に刺され、1週間後の12月15日に都内の病院で39歳の若さで亡くなり、今年は没後55年にあたる。