今回はそう大がかりな話ではない。小ネタ。小林麻美さんのこと。

駆け出しの芸能記者時代のいろんなことをあれこれ書いているうちに思い出してきたことが幾つかある。1970年から72年にかけての芸能界、音楽界に新しいアイドル歌手を作り出す気運に満ちた時期があり、そこから小柳ルミ子、南沙織、天地真理が突出した形で出てくる。プロダクションもレコード会社も一生懸命だった。

この時期には、歌手デビューして人気アイドルにはなれなかったが、かなり可愛い女のコが、何人もいる。そのなかで、特にはっきり覚えているのは小林麻美さん。彼女の歌手としての所属は東芝レコードで、東芝レコードに菅原さんという、仕事熱心な若者がいて、その人が編集部に連れてきて、オレに紹介してくれた。デビュー曲は『初恋のメロディー』というポップス仕上げの歌謡曲だった。

東芝レコードは、洋楽部門にはビートルズなどがいて、かなりしっかりした柱を持っているレコード会社だったが、いわゆる〝アイドル歌手〟というのがいなかった。70年代の初期に人気者だった岡崎友紀は新しい女の子たちの出現で影が薄くなっていたし、いしだあゆみの妹で、鳴り物入りでデビューさせた石田ゆりは、デビューしてすぐ、作詞家のなかにし礼と結婚してしまうし、台湾から連れてきたオーヤンフィフィは実力派の歌手でアイドルではなかったし、自分のところも、若い人たちが熱狂してくれるアイドル歌手が欲しかった。

それでデビューさせたのが小林麻美さんだった。とにかく可愛かった。年齢は若かったが、ただのノンキャリアの女のコではなく、東京育ちで、歌手としてデビューする前に、ファッションのモデルや女優として芸歴があり、当時、アイドルというと健康的で、笑顔が可愛くて、というのが相場だったが、彼女はそういう風潮とは反対の、さびしそうな、病的というと言い過ぎかも(実際に、何度も大病していた)知れないが、あか抜けていて(洗練されていて)説明できないような可憐さがあった。ほかの女の子たちと比較して、抽象的な肉体の持ち主、みたいな感じがした。竹久夢二の描いた大正美人の現代版美少女とでもいえばいいだろうか。

アイドル歌手時代の彼女もいちおう、俺の担当だった。新人歌手紹介みたいな記事は書いたと思うが、ただ、積極的に自分を売りこんでというようなことでもなく、デビュー曲でオリコン18位とまずまずの成績で、芸能界のはじっこに座る場所をもらったが、ほかの人に比べると、地味な、ひっそりとした雰囲気の女のコだった。印象に残るような大きな仕事はしていない。

手元に、デビューした頃、どこかに連れて行って写真撮影したのだと思うが、8by10の紙焼き写真が3枚昔のファイルに残っていて、それがムチャクチャ可憐である。

捨てるわけにも行かず、保存してきた写真である。

この写真が一番可愛い。18歳のとき。

その後の彼女は一年に一枚くらいしかレコードを出さず、しばらくは大きな話題になることもなかった。タレントとして本当に売れっ子になるのはレコードデビューから15年くらいして『雨音はショパンの調べ』が大ヒットしてからのことである。年齢を調べたら、現在64歳とある。田辺のショーちゃん(元GSのスパイダースのドラマーでリーダー。田辺エージェンシーの社長)と結婚して、幸せな人生を過ごしたようだ。

 

今日はあっさりとここまで。 Fin.

 

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