人生で初めて、バイトをクビになった。
単発ではなく、継続案件の1日目に、クビになった。
これまでの仕事は全て自己都合の退社だった。
「人生の1度でいいから解雇を言い渡されてみたい」と思っていたので「期せずして目標達成!」と喜ぶところかも知れない。うん。

 
ことのあらましは、次の投稿の通りである。

これでもまだ、全貌が今ひとつ分かりにくいので、順を追って説明する。

学童のバイトの登録、採用から勤務までの流れ(2017年5~6月)

市報で、市の学童保育の臨時職員(以下、臨職)の募集要項を確認。
(なお、臨職は短期間の雇用契約の公務員である)

履歴書に金髪頭の証明写真を貼り付けて、市役所に持参。即登録完了。

ねんのために、市役所職員に「この髪(金髪)で問題ないか」と確認。「大丈夫」との返事。

後日、市から指定された学校へ行く。もちろん、服装規定は遵守。

2時間ほど作業ののち、現場の最高責任者である指導員から突然「音楽活動をされてる方なんですか?」と尋ねられる

私、質問の意図が分からず戸惑う。

指導員「その髪色は、なにかポリシーがあってやっているのですか?」
私「仕事上、多様性を説明するため、視覚的に分かりやすくした」
指導員「人間にとって大事なのは、外見ではなくて内面です。貴方は素晴らしいモノをもっているのだから、その内面を伝えて行けば良いんじゃないですか」

指導員、「私の考え方が古いのかも知れませんが…」という前置きの上で「この学校は父兄の協力が熱心で、そういう格好の人が居ると、父兄から色々と言われる」「時間をかければ、想いは伝わる。外見を変える必要などない。私は不登校の子供を登校できるところまで更生させた。」「指導員というのは資格を持ったちゃんとしたモノがなるもので…」など、指導員から延々語られる。

私、指導員が何を言いたいのか良く分からないので反発。

指導員「それなら貴方は、(職員が職場に着てくる服が)胸元バックリした服でも良いんですか?」
私「服装規定には『動きやすい服装で』とある。胸元がバックリした服が動きやすいのであれば胸元バックリでも問題ないんじゃないですか?」
指導員「髪色を黒くするつもりはないんですか?」
私「ありません」
指導員「そうですか。分かりました。」

昼頃、市役所の職員2名、学童に来る。指導員から電話で呼び出された模様。

市職員、指導員に十数分ほど説教された様子。

児童の見守り業務中の私、市職員にそっと手招きされる。

市職員から「今後のシフトは全て白紙に」と伝えられる。

私、市職員が、私の登録時の書類を持参していることに気付いたので「登録のとき、大丈夫って言いましたよね?」と指摘。

市職員、歯切れ悪そうに「『登録には問題がない』という意味でした」と言う。

私、市職員に「次のシフトを組むときは、先方にも金髪でも問題が無いことを確認してから連絡を下さい」と依頼。

後日、他校の学童が問題ないということで、夏休みの1ヶ月半そちらへ勤務が確定。

「敢えて、その髪型で行く」という挑戦

久しぶりに「給与報酬を受ける仕事」に就くにあたり「いままでできなかった経験」をしたかった。
最近、どうにも世間の「当たり前」に黙って従うことができない。それで「せっかくの機会だから」と、あえて髪色が派手な状態で赴くことにした。結果はご覧の通りである。

勤務の際の約束事などは、登録時と採用通知で事前に頂いていて、何度も目を通している。

空気を読まないとできないようなことを言われてもなあ…などと。
いや、空気を読むのも、公務員や会社組織には必要なんだろうけど、なんかバカバカしいな…と。それに反発するなら仕事をしなくて良いってことなんだろうけれども…。

参考までに。市職員に髪型を確認したの髪色。


クビになった時の髪色。


夏休みの1ヶ月半通った学童の時の髪型。

(この写真は散髪直後のため黄味が強いが、この後により深い緑に染色したため、児童らから「マリモ」というあだ名を付けられた。)

1日でクビ、その後

他校に勤務

市職員に「先方にも金髪でも問題が無いことを確認してから連絡を」と伝えたところ、金髪可でスケジュールの合う学校が2校あった。1校は1日のみだが、もう1校は夏休みいっぱい手伝うことになった。

今回のバイトの本来の目的

今回のバイトの目的は「低学年の児童との接し方を学ぶ」ことだった。
自分の運営しているDojoについて「学童みたいですね」と言われることがあっても、学童保育のことを全く知らなかったし。
私は子育て経験が無い上、「物心ついたときから子供が苦手」だったので、幼児・児童とのコミュニケーションの取り方が色々あやしかったし、とにかく実地で勉強したかったのだ。
「外見が、雇用の妨げになるか」の実験も済んだし、本来の目的をかなえるための任務を遂行することにした。

「コンビニ飯はNG」という暗黙のルールに困惑

午前勤務の場合は「弁当を持参」とある。 この「弁当」が曲者で、コンビニ弁当や食料品店で買った惣菜類をそのまま持参するのは禁止なのである。
事前に渡された書類にはその旨が一切書いておらず、現場で言われて「えっ!?」となった。
コンビニ弁当でも良いが、必ず自前の容器に移し替えなければいけないという。クビになった学童で指導員から指摘を受けて知った。
私はおにぎりだったから「さっと封をあけて、教室の隅で隠れて食べるように」言われただけで済んだが、他の臨職が別室で説教を受け、食事…できなかったような覚えがある…。
他の学校へ行ったときにも、予め気を付けるように言われなかったが、やはり同様の決まりがあった。
これも「子供を預かる立場なら、常識」ということなのだろうか…。

なお、この決まりは職員に限らず、学童の子供たちも同様に定められている。
理由は、他の子供たちが家に帰ってから「ねえ、●●●ちゃんちのお弁当は、なんでコンビニのおにぎりなの?」などと聞かれたら厄介だから、らしい…。え、それ、尋ねられるのもダメなの?なんで…?栄養価の問題?所得格差の差別に繋がるから?

支援のやりにくさ - 学習の時間に「考え方のアドバイス」をすると注意される

夏休みの学童では、午前中の1時間、勉強の時間がある。
学校で支給された漢字ドリルや計算ドリルを解いたり、本の内容の書き取りを行う。勉強道具を持参し忘れた場合は、学童に置いてあるものを渡される。
作業が早く終わった子は、指導員に何ページまで取り組んだのかを確認してもらう。
指導員からOKが出たら、勉強道具を片付け、自由遊びの時間まで読書をする。

学習の時間は、臨職は「わからなくて困っている子」や落ち着きのない子の面倒を見る。
この「わからなくて困っている子」への対応の匙加減が、難しい。
そもそも、問題文が読めない子に「問題文の読み方」を指導するくらいなら問題ない。
ところが、もう少し高度な問題、応用問題に取り組んでいて行き詰まっている子に「そういうことなら、先ず、メモ用紙に必要なことを書き起こしてみたら?」「どうしても分からないんだったら、あるものを使って、実際に試してみれば?」なんてアドバイスをすると、めちゃくちゃ注意される。「やりすぎ」と言われる。
理由は「本格的に勉強の世話をすること」になり、それが駄目だという。
別に、考え方のヒントをあげただけで、答えを教えた訳ではないのだから、問題ないのではと思うのだが。
就業規則に則り「ひとりの子につきっきりにならない」ように配慮し、贔屓なしに分け隔てなく面倒をみれば良いということでもないらしい。難しい…難しすぎて頭がパンクしそう…。だったら、何をどこまで面倒見れば良いのか、仔細にまとめて欲しい…。

他人と優劣をつけて優位に立ちたがる児童

発達障害グレーゾーンの子よりも定型発達枠の子の方が桁違いに扱いにくい…。
子供たちは、よく喧嘩をする。
言い争ったり、誰かが手を出して誰かが泣いていたりする。
だいたいが「●●●ちゃんが、◆◆◆ちゃんのものを奪った」「●●●ちゃんが、▲▲▲を独り占めしている」「●●●ちゃんが割り込んできた」「●●●ちゃんが、◆◆◆ちゃんを泣かせた」とか、よくある類いのものである。
原則、児童らの喧嘩は指導員が仲裁を行う。臨職の仕事は、できるだけ喧嘩が起きないよう先回りし、事が起きたら指導員を呼び、状況を報告することである。
ここで、「●●●ちゃんが、◆◆◆ちゃんを泣かせた」の内容が、問題だったりする。
「アイツはバカなんだから、バカと言っていいだろ!何が問題なんだ。」という内容だったりする。
自由遊び、学習の時間、関係なく「アイツはこんなことができない。バカだからだ。バーカバーカ」と嘲笑う
よくある子供のどうしのいじめだろうが、トラブルが絶えない状況を見て、集団生活が健全に営まれているようには見えない。私の目が腐っているのだろうか…。

誰にでも手をあげる児童たち

「こんなこともできない、あいつはバカだ」としつこくしていた子に対して注意をする。
「誰にも、他人を傷つける権利はない。あなただって、嫌なことをされたくないでしょう。」と。けれど話が通じない。
「いますぐ死んだって良い」「嫌なことされたっていい」などと自暴自棄な発言をする。
挙げ句、私にも「うるせーバカ!」である。
私に向かって、「死ね!」などと悪態をつくここともある。さらに、何度も思い切り蹴りを入れてくる。
思い切り蹴られたら、痣ができる。そのまま終業時間まで仕事は続く。なんだこれ…。

だいたい、こういったことをやらかすのは特定の数名と決まっている。
この数名は、加害者にも被害者にもなる。
というのも、この悪態を引き金に喧嘩が始まると、だいたいが1対多の構図になる。
悪態をついた児童が多数に裁かれる。中心となって裁くのは、多数グループの3年生や腕力のある児童、指導員の先生である。
話を聞いていると、必ずしも全面的に悪態をついた児童の過失とは言い切れない時もある。本当に、この子が全部悪いのだろうか?もはや「オオカミ少年」レベルで、難しい。

「フツウのコドモが嫌いな私」の問題

いわゆる定型発達の「ごくごくフツウの子」の集まりを見ていたら、「あ。そういえば私、物心ついた頃から子供が嫌いだったんだ」と思い出す。
「フツウの子」は、他人に対して嫉妬し、独占欲を剥き出しにし、他人に対して「試し行動」をとる。
他人をしばしば欺き、相手の反応を伺う。自分の行動によって他人が危機的状況に陥る有様をみて、無邪気に喜ぶ。
児童達のああいう振る舞いが、私は殺意を覚えるほどに嫌いである。殺意を覚えるというか、殺意が大洪水を起こす。過去のトラウマを呼び覚まされる。
他人が生命の危機に瀕する絶体絶命の危機だろうが何だろうがお構いなく、極めて歪な形で「自分を愛してくれ」と主張し一歩も譲らないあの態度、極めて不快である。いや、冷静に俯瞰すると、外的環境に様々な問題があるために起こる行動であり、必ずしも子供に罪はないのだが…。

そんなこんなでここ数年、個性豊かな子供たちと過ごしていたからか、「コドモ嫌い」がすっかり和らいでいた。
「なんだ。大人になったら、マイナス感情を抱かずに子供と接することができるじゃん。オトナってすごい!」と感動していたのだが、オトナになったから解消した訳ではなかった。単に「最近、そういう場に出向いていなかったので、みかけなかった」だけだった…。

規則上「職員は、児童の身体にむやみに触れるな」と厳しく言われているのに、当の児童は職員を殴る蹴る引っ張る叩く。割と本気で。全力で繰り返し同じ場所を蹴りつけられることもある。なんだこれ…。
そういえば、過去にロボットプログラミング教室で、教材で他の生徒を殴りつけて怪我を負わす子が居た。ああ、なんだ。今思えば、あれはフツウの子のすることで、珍しい行動じゃないのか、などと感じる。なお、傷害事件は本部に報告したが、在職中は何の対策も講じられなかった。NDA的に、これ以上言及できない…。

公害ではない「イタイイタイ病」の児童

自由遊びの時間に、しばしば「膝(の関節)が痛い」と訴えてくる児童がいた。
指導員に相談すると「あの子はイタイイタイ病だから、放っておいて下さい」とのことだった。
イタイイタイ病!?有名な公害病のアレじゃなくて?なにそれ…。
聞けば、身体のどこにも異常が見られないのに、痛いと訴えるのだという。
確かに、ほぼ毎日訴えに来る。
でも、上長に「放っておけ」と言われているし、なすすべなく見守る。

職員は医療行為を行えない。異常がないのであれば尚更、専門知識もないし、できることがない。
「放っておけ」というのは、「痛そうにしていると、同情してもらえる」という、心理的な負の「強化」につながることを危惧してのことかも知れない。とはいえ、漫然と放っておくことだけが、適切な対処方法なのだろうか。難しい…。

財産や人権、道徳や倫理観

自分の気持ちが傷つくと他人を殴る蹴る罵声を浴びせる、他人のモノや公共物に当たり散らす(自分のモノには当たらない)子がチョイチョイいる。「そういうことをしてはいけません。やめなさい!」くらいではやめない。先の通り、反発する。
それで、ふと、共用のモノを粗末に扱う子供たちに「あーああ、お父さんお母さんが払ってる税金を無駄にしてるー。ひどーい。」と言ってみたところ、児童らが「えっ、そうなの!?」と急に鎮まり返った。
…あれ。私、なんか、おかしなことを言ってしまったか?

そう思いつつ「道端で野垂れ死んでる人を火葬するにもみんなの税金が使われるから、野垂れ死んだ人のことをザマーミロとか言ってる場合じゃないからね」と畳みかけてみた。
すると「いやだ!俺のオカネは俺のものだ!誰にもあげないぞ!!税金払わない!!」と言いだす児童がチラホラ現れた。なんというか「あさましいな…」と思った。

学童に限らず、他でも何度か「親のオカネを、粗末に使うんだね」と言ってみたことがあるが「だからなに?知らない。ふふっ(笑)」と一蹴して、態度を改めない子供が大半を占める。身近な誰それが傷つくとか、誰それが悲しむとか、「自分ではない誰か」に起こることは関心がないようだ…。かといって、「貴方の身に起こる問題」として注意をしても「死んでもいいもん!」と自暴自棄な発言をする子もいる。
この子達にたいして、私はどのように向き合うべきか悩むところはそれとして。なんというか、この子達の家庭環境や学校生活は大丈夫なのかな、情操教育が足りないんじゃないかと、大いに心配になった。

さいごに

その他大勢の「フツウのコドモ」の集団と関わることが、いかに大変か、思い知らされた。
もともと「自分が支援したい子供像」には「フツウのコドモの集団」は含まれていないのだが、アイデンティティが確立していない「幼児・児童の対応」のための勉強としては、大いに参考になった。

確実に言えることは、幼児・児童の保育の現場、教育の現場に常勤で関わる人は、やはり超人だと思う。こんなにあれやこれや気にすることが多くては、並の精神なら身体を壊すだろう。最近の教職者が仕事が多すぎて身体を壊しやすいことも、古くから学校教諭が神だ聖職だと言われてきたのも頷ける。豆腐メンタルのトリアタマの私には到底関われる仕事ではない。ただただ尊敬しかない。

今回1番学んだことは、叱るときに粗暴な言葉を使うべきではないということ。
「うるせえ!静かにしろー!!」など、怒鳴ってはならない。
就業規則にも怒鳴ったりしないように書いてあるにも関わらず何度もやらかし、指導員に注意されてしまった。猛省…。

規則の有無に関わらず、児童らを叱りつけるときに粗暴な態度を取ることは望ましくない。一時的に萎縮させる効果があるかも知れないが、萎縮させる以上の効果は無い。「刺激的な言葉を真似をするのが楽しい」に変換されてしまうこともある。また、言葉そのものだけではなく、大人の感情的な振るまいが、そもそも児童の健全な情緒の育成の面から鑑みてよろしくない。
叱るときは、キレイな言葉、丁寧な言葉を使う。これ、大事。

おまけ

最終日の就業中に、眼鏡のレンズが外れるハプニングが発生。

すると、児童達が「簡単だよ!ちょっと私(/僕/俺)が直してあげるよ!」とレンズをフレームに無理やり押し込めようとする親切な子がチラチラ現れた。皆の優しさに心温まりつつ、扱いの乱暴さ加減に戦々恐々とした…(半泣