新作落語 『脱・息子』

「失礼、先ほど電話をいただいたものですが……あなたが店長さんですか?」
「あ、お父さんですか。ずいぶん時間がかかりましたねえ。いえ、イヤミじゃなくて、こういうことが起こったときには、保護者の初期対応が素早いかどうかで、後々の印象が決まるものなんですよ」
「で、なにか?」
「なにか? とぼけちゃいけません。電話でもお話ししたとおりですよ。おたくの息子さんが万引きをしたんです」
「それはなにかのまちがいです」
「残念ながら、事実です。うちが契約してる万引きGメンが発見して、店外へ出たところで呼び止めました。すると息子さんはあろうことか、Gメンを殴って逃げようとしました。Gメンのおばちゃんに柔道の心得があったからなんとか取り押さえましたけど、おばちゃんとはいえ、女性の顔面を殴ったんですよ。万引きだけならともかく――いえ、万引きだって立派な犯罪だ。でも暴力までふるうケースは珍しいですよ。お父さん、この未曾有の事態をどう収拾するおつもりですか」
「うちの子にかぎって、そんなことをするのは、ありえません」
「はいはい、親御さんはみんな、そうおっしゃいます」
「息子には小さいころから世界最高水準のしつけをしてきました。こづかいも潤沢に与えています。これまで一度も問題を起こしたことなどありません。周辺住民に危害をおよぼしたこともない。それどころか、周辺住民に多大な便益をもたらしてきたのです。だから万引きも暴力も理論上起こりえない。よって、息子は無実です。また、監督者としての私に責任がないことも同様である」
「これまで問題を起こさなかったからこれからもない、って理屈は、なんの保証にもならない安全神話ですよ。あなたは理論上、息子さんはいい子だとおっしゃるけど、つねに監視してるわけじゃないでしょ。私は実際に息子さんが逃げようと悪あがきをしてたところをこの目で見ました。私も店長やって長いもんで、そのあと話を聞いた様子から、ははあ、こりゃ今日がはじめてじゃないなとピンときましたよ。これまでもたびたび問題を起こしてたんじゃないかってね。
 まあ百歩譲って、息子さんが普段はいいひとで、ご近所の評判もいいとしましょう。だとしても、それとこれとは、べつ。今回、息子さんが万引きをした上に暴力をふるったのは紛れもない事実です。事件を起こしてしまった以上は、どう始末をつけるかを最優先しなきゃ。だれの責任かなんてことを議論するのはあとまわしにしてください。ね? 私の理屈はまちがってますか?」
「失礼ですが、あなたのご専攻は」
「ゴセンコー、といいますと?」
「あなたは大学および大学院で法学や犯罪学を専門に修めて学位をお取りになったのか、とおたずねしているのです」
「あぁ……私は高卒でこのスーパーに入社して以来、叩き上げで店長になりましたから、なにぶん……」
「つまり、あなたは専門家ではない、と」
「うん、まあ、ないっちゃあ、ない」
「専門家でもない人間が、事実をよく知りもせずに、これまでも問題を起こしてただろうなどとデマを流すのは、もってのほかだ。専門家でないあなたに、うちの息子を責めたり評判に泥を塗ったりする資格はない。風評被害も甚だしい」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、資格もなにも、ウチは被害者なんですけど。あなたこそ、何様?」
「私は有名国立大学の教授ですぞ。法律の学位を持った専門家です。犯罪学と教育心理学も学びました。政府の青少年健全育成委員会の委員をつとめた経歴もある私の理論と、ドシロウトにすぎないあなたのたわごとと、どちらが正しいかは、火を見るより明らかだ」
「……でも、あなたは経営学の専門家ではないんですよね」
「ああ」
「だったら店の経営に関しては専門家ではないんだから、うちの店の経営方針で万引き犯を警察に突き出すとしても、あなたは口出しできませんよね」
「そっちだって経営学の学位を持っていないのは同じだ。だからその点においては、私とあなたは同等の立場で議論をしてもよいのだ」
「まったく、ああいえば、こういう。だから学者みたいなおりこうさんと話するのはイヤなんだよ……そりゃ、私には学はないよ。だけどね、スーパーで働いたこともないあなたがた専門家の理屈が正しくて、現場のウチらの見立てはシロウトのたわごとなんていわれるのは、あんまりだ。んー、じゃ、こういうことですか、日本語学の専門家以外は、日本語しゃべっちゃいけないのか」
「ははは。そのヘリクツはおもしろいな」
「ヘリクツチャンピオンのあんたにいわれる筋合いはないよ! だいたいね、さっきから笑いをこらえてたのは、こっちのほうなんだ。青少年の? 健全育成委員だ? そこの隅でおとなしく座ってるおたくの息子さん、おいくつですか。40歳だそうじゃないですか」
「たしかに健全な青少年としての耐用年数は過ぎているが、実用上の安全性に問題はない」
「だからぁ、あなたのいう安全は絵に描いた餅なんだってば。事件は現実に起こったでしょ? 息子さんの話がホントなら、見たこともないくらいにデカい中学生の集団がいきなり押し寄せてきて、有り金をすべてさらって行ってしまった。ウチに帰る電車賃もなく帰宅難民となって腹が減ったので、うちのスーパーであんパンを万引きしたんだとか」
「それこそがすなわち、息子のせいでも親のせいでもなく、不測の事態だったという結論ではないか。息子自身の安全性に問題はないことが証明されたな」
「あんパンをパクッたのに?」
「この店では、あんパンが盗まれないために、どのような保安体勢を敷いてきたのかね。つねにあんパンが見える位置に人員や監視カメラを配置していたのか」
「そんなことできるわけないでしょうが、たかがあんパンのために」
「保安体勢に不備があったということは、これはすなわち人災である」
「もともと万引きは全部人災だっての。人災か天災かなんてことに論点をすりかえることに意味があるんですか。そうやってなにかべつのものに責任なすりつけて、自分は善意の専門家ぶって責任逃れしようってな、そういう狙いがミエミエだよ」
「冷静に被害状況を検討しなさい。たかがあんパンひとつ程度の被害では、店員や周辺住民の長期的な健康に悪影響を及ぼすことはない」
「殴られたGメンは健康被害を受けてることをお忘れですかー!」
「その女性のケガは、どの程度?」
「さいわい、軽いアザになっただけで済みました」
「レベル3だな」
「それ、どういう基準?」
「DVのように、恒常的に暴力に曝されているわけではない。瞬間的に微量の暴力を浴びてできた顔のアザなら、半減期は8日間とされている」
「そういえばおばちゃん、殴られたときに差し歯がとれたっていってたな」
「ではレベル4に格上げ」
「ふざけてる場合か!」
「そうだ。ふざけてる場合じゃない。日本の今後のことも考えたまえ」
「おいおい、話がでかくなってきたよ」
「あいつはひとり息子だ。私が退官したあと教授のイスに座ることに、学内で根回しが済んでいる。一度決定した人事をたった一度の事件で白紙撤回するのは、国立大学の名誉に関わる。代替息子がいない以上、今後も息子に頼るしかないのだ。脱・息子は非現実的な選択肢だ」
「日本の今後じゃなくて、あんたの個人的な事情じゃねえか。ていうか、大学教授のポストをすっげえ私物化してるみたいに聞こえたのは気のせい?」
「失礼します、警察の者ですが」
「あ、どうも、おまわりさん。いまちょうど、万引き犯とお父さんが揃ったところなんで」
「なに? 警察を呼んだとは聞いてないぞ。息子の経歴に傷をつける気か。なぜ呼んだのだ!」
「だってほら、このマニュアルに、万引き被害は必ず警察に通報しろって書いてあるし。このマニュアル作ったの、さっきあんたがいってた青少年なんとかって組織じゃないの」
「む、いや、これは青少年健全育成・保安院が作ったものである! 私が所属してたのは青少年健全育成委員会という、まったく別の組織なのだ」
「ウチらにとっては、どうでもいいよ、そんな縦割り行政。自分のメンツのために責任のなすりあいばかりしやがって……うわビックリした。なんだ? いまの爆発音みたいのは……屁かよ、わっクサっ! おたくの息子だろ、まったくなんなんだおたくの息子は、40にもなって万引きするわ暴力ふるうわ悪ぐさい屁はこくわ、そんなダーティーな息子は勘当して、もっとクリーンな息子を養子にでも迎えなさいよ」
「また風評被害だ、私の息子はクリーンだから、屁もCOも排出しない」
「ウソつけ! おまえの息子は観葉植物か。ベンジャミンか。人間なら屁もCOも出すだろが」
「あー、失礼、いまの屁は本官でありまして……むむむ、われながら耐えがたいニオイ……避難勧告を発令します!」
「うーん、そいつは想定外」

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