ナザリックと私   作:梨樹
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王国戦士長と私 (二)

 

 

 

「――鈴木殿。よければ雇われないか?」

 

 包囲されていると分かったガゼフは敵の正体を察すると悟へ助けを求めた。

 前衛がおらず、魔法詠唱者のみで構成された部隊。

 召喚されたであろう燃え盛る剣を握った純白の天使。

 また統一された特徴のある法衣は、王国の最高位冒険者パーティーである『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュース殿から聞いたスレイン法国の特殊部隊――陽光聖典のそれと酷似していた。

 彼女らと相対し痛み分けとなった事実はつまり、向こうの実力がアダマンタイト級だという証。部隊を割き、装備も十分ではない今の自分たちでは、勝ち目が余りにも薄かった。

 

 だが、目の前の御仁がいればもしや――、と。

 

「お断りします」

 

 しかしその淡い希望は、容易く打ち砕かれる。

 

「私は王国の人間ではありませんし、国家間の問題に首を突っ込むほど愚かではないつもりですよ」

 

 そう言われてしまうと、もはやガゼフに説得の余地は無い。

 彼女の言い分は正論であり、ガゼフが狙われている段階でこれはスレイン法国とリ・エスティーゼ王国の問題となっている。

 彼女の取る立場は中立。無理に参加させようとしても、ガゼフの望む方向へ譲歩を引き出すことさえ出来ないだろう。

 そうなれば良くない状況が、最悪にもなりかねない。

 

「そうか……」

 

 ガゼフは考える。

 せめて、村人たちだけでも助けられないかと。

 この御仁がいなくなり、ガゼフが敗北したとすれば、この村も襲われかねない。いや、王国の力を削ぐことが目的であるとすれば間違いないだろう。

 

「鈴木殿。此度はこの村の者たちを助けていただき、重ね重ね感謝する」ガゼフは本心から、我が儘と言われるであろう願いを口に出す。「そして願わくば、今一度この村を守ってはくれないか」

「…………」

「頼む――」 

 

 ガゼフがその膝を折り頭を下げようとするのはしかし、途中で遮られた。 

 

「そこまでされる必要はありません。あなたが頭を垂れる相手は私ではないのでしょう?」ガゼフを立たせ、悟は力強く誓う。「約束しましょう。この村の者へは指一本触れさせません」

 

 頼れるその言葉にもはや心配は起こらなかった。

 後は自分が、戦士長としての責務を果たすだけだ。

 

「ならば後顧の憂いなし。私は前のみを見て進ませてもらうとしよう」

「そうですか……。――死ぬかも、しれませんよ?」

 

 はっきりと断っていながら。

 なぜか不安げに、暗に「死ぬぞ」と告げるその瞳に――。

 

「それでも、私は王国の民のため、立ち向かわなければならない」

 

 ――そう、ガゼフは獰猛な獣のような顔で笑った。

 

 それに対して悟は、まさに信じられないものを見たといったようにガゼフの顔を凝視する。

 仮面の奥で諦めているようにも、懐疑的なようにも見えたその瞳が揺れ、やがて遠くの誰かを、ガゼフの背後に捉えたような気がした。

 彼女はそれから少し寂しげな声音で、ぽつりと呟く。

 

「ふふ。――そうだな、……」悟の手が滑らかに仮面をなぞり、隠していた素顔を風にさらす。「やはり少しだけ、手をお貸ししましょう。――戦士長殿」

 

 その急激な変化にガゼフは呆気にとられる。

 辛うじて発することが出来たのは彼女の言葉ではなくその手に握られたものに対してだった。

 

「――仮面、よろしかったのか?」

「ええ。……もう、必要の無い物です。貴方の人となりは充分、わかりましたから」

 

 そう告げた彼女の顔立ちはガゼフと同じ南方の血を思わせる、黒い髪に同じ色の瞳。豪奢な装いに見合う取り立てて美しい容貌では無かったが、その漆黒に輝く瞳は芯のある力強い光を宿していた。

 

「敵がこのまま、この村へ向かって来ないとは限りませんし、私も下手に被害を受ける訳にはいきませんからね」

 

 そう口実づけた彼女はガゼフの返答も待たず少し考える仕草を取り、やがてガゼフら戦士団に向け徐にその黄金に輝く美しい杖を掲げる。

 

 

 

「《鎧強化(リーンフォース・アーマー)》、《盾壁(シールドウォール)》、《下位敏捷性向上(レッサー・ストレングス)》、《下位持久力向上(レッサー・デクスタリティ)》、《不屈(インドミタビリティ)》、《全能力向上(フルポテンシャル)》、《抵抗力向上(ペネトレートアップ)》――」

「ぬおっ……!?」

 

 淀みなく唱えられるのはガゼフのよく知る魔法からまるで知らないものまで。その全てが補助魔法の類であり、何重にも重ねられていくその効果は、戦わなくても肌から明瞭に感じられた。

 自分の実力が『英雄の領域』のさらに深部まで引きずり込まれたかのようだった。

 

「これは……」

「これで恐らくですが天使に拮抗できるかと」

 

 それはガゼフだけではく部下も含めてのことだった。

 見れば彼らの実力もまた、一つ上の領域まで到達している。

 まだ勝てるかと言われれば分からないが、それでもこれほどの魔法があれば可能性が見えてきた。 

 

(魔法というものは何でもありか)

 

 これが少しだと言われてしまえば、笑ってしまう。

 その優しい嘘にガゼフは顔を綻ばせたが、悟は気づかないように仮面を仕舞った際と同じく懐に手を入れる。

 

「――それと、こちらをお持ち下さい」 

 

 差し出されたのは魔力も感じられない、何の変哲もない木彫りの小像だった。しかしわざわざ渡したということは、何らかの意味があるのだろう。

 

「君からの品だ。ありがたく頂戴しよう」

「――では、御武運を祈っております」

 

 ガゼフは重々しく頷き、部下を率いて直ぐに馬を走らせる。

 力強い意志によって駆けるその姿はまさに、英雄そのものだった。

 

 

 

 相手の人数は少ない。それにも関わらず包囲を選んだのは、こちらを確実に封じられる手段があるからだろう。

 それはつまり、ガゼフが強行突破を計るのが最も悪手であるのかもしれない。

 けれどガゼフら戦士団に取れる手段はそれしかないのだ。

 今ある手札の中で、最良の選択を。

 ガゼフは魔法によって滾る力に後押しされ、部活へと振り返る。

 

「敵に突進攻撃。一撃を加え奴らを損耗させた後、タイミングを見て撤退する」

 

 頼りがいのある威勢の良い返事を背負い、ガゼフは咆哮を上げる。

 

「行くぞっ! 奴らの腹に風穴を開けてやれ!!」

「「「おおおおおおおお!!!」」」

 

 拍車をかけられた馬が全力で大地を蹴り上げる。

 一気に駆け出す馬が波のように押し寄せる中、冷ややかな声が場を切り裂く。

 

「――任務開始」

 

 包囲していた神官が手をかざした瞬間、――ガゼフの馬がその身体の制御を失ったように暴れ回る。

 訓練された馬がこのような動きを見せるのは、精神操作を受けた時だけだ。

 そう判断するや否やガゼフは馬から飛び降り、周囲の状況を見渡す。

 すると部下が手を伸ばすよりも速く、命令を受けた天使の一体がガゼフ目掛け一直線に向かってくる。

 ガゼフは素早く剣を抜き放ち、一閃。

 それだけで、天使は構成していた魔力の粒子となって空中に霧散する。

 

「緩い」

 

 今のガゼフからすれば、天使の動きは王国の民兵と同じくらいだ。

 祝福を受けた武器が、天使の抵抗も難なく打ち破ってくれる。

 

 行ける。勝てるぞ。

 

 部下の口から零れる言葉。

 士気の高まった彼らが雄叫びを上げながら空を舞う天使へと切りかかっていく。

 ガゼフもニヤリと猛々しく笑い、部下たちと同じく叫んだ。

 

 

 

 その様子を冷ややかに見ていたニグンは、僅かにその眉を顰める。

 上位天使は第三位階魔法によって召喚されているため、いかにガゼフと言っても武技を使わなければ一撃で消滅させられることは無いと踏んでいたからだ。

 王国最強の男が放つ見事な剣閃にしかし、ニグンの胸中にあるのは間違った情報を渡してきた本国の神官長らに対する苛立ちだけ。

 舌打ちしたくなる気持ちを抑え、その小細工を暴こうと隙なく観察する。

 

 国宝の一つか。はたまた武技か。

 どちらにせよ死ぬまでの時間が延びるだけだ。

 ならばもう少し、この愚かな男に付き合ってやるのも悪くない。そして同時に、天使の数をサービスすることも忘れないでやる。

 

 高慢であろうと油断せず、確実に。

 いかなる時も、冷静な判断力と観察眼を持っていなければ精鋭たる陽光聖典の隊長など任されまい。

 

「再び天使を召還せよ。ストロノーフに集中して魔法も放て」

 

 ガゼフがさらに勢いを増し、人間を超えた速さで迫る。

 この猛進する男を止めるためには一度、天使を防御に回すべきだろう。

 そこで何も言わなくとも天使たちを集結させ壁を構築した部下は流石だ。隊長である自分の意をよく分かっている。

 

「気にするな。獣が檻を引っ掻こうとも、決して壊れることはないと教育してやれ」

 

 放たれた魔法は精神系が多いものの、純粋な攻撃魔法も混ざっていた。

 それも部下が修得している最高位、第三位階のそれだ。

 

「……教育だと言っただろう。様子を見る前に潰してどうする」

 

 確かに殺すことは決定事項だが、それにしてもまだ抑えるべきだろう。

 過剰に警戒してやりすぎてしまった気がしないでもない。

 これでは先ほどの言葉も取り消すしかあるまい。

 

(全く。原形が分からないほど細切れになっていなければ良いが、――)

 

「《六光連斬》」

 

 煙の中から放たれた剣撃が、その直線上にいた天使を全て両断する。

 そして現れたその姿に、普段より冷静かつ傲慢な態度を崩さない隊長と部下から思われていたニグンであっても動揺を隠し切れなかった。

 

「なに?」

 

 ガゼフは少し汚れているものの、それは傷ではなく砂煙によるもの。ガゼフ自身は全くの無傷だった。

 精神作用は抵抗できるとしても、攻撃魔法は防ぐ手段は無かったはずだ。

 

 またニグンは戦況を観察し、はたと気づく。

 自分の部下が召喚した天使が、戦士一人と拮抗している状況に。

 ――いや、何とか凌いでいるだけだ。

 ガゼフの部下は徐々に生傷を作り、汗を滲ませながら懸命に剣を振り回している。

 天使がガゼフと直接対峙した時以外、新たに召喚された様子もない。

 しかし精鋭と言っても帝国の一般兵に毛が生えた程度であったはずの戦士たちに手こずっている間に、ガゼフが自らに向かう天使を難なく屠っていく。

 さらに不可解な事に、やつが疲労する気配は皆無。

 勝負では無い一方的な処理だったはずが、どこか細部からは異様さが見え隠れしている。

 

「…………」

監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)、動け。」

「むっ……」

 

 ガゼフの顔に焦燥が宿る。それを見れば、心に少しは余裕が戻ってくるというものだ。

 監視の権天使はその特性上、ニグンの前に留めておくのが正しい配置ではある。

 しかし第四位階の魔法によって召喚されるこの天使は、ニグンの才能(タレント)あって炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)より単純に強い。

 さらに、そこへ加えて部下たちが向ける魔法、複数の上位天使。

 どう足掻こうと消耗は避けられず、捌けなくなれば後は緩慢な死を遂げるだろう。

 最も確実で信頼できる作戦は何かと聞かれれば、ニグンは確信を持って言える。

 それは圧倒的な物量でもって押し潰すことだと。人智を超えた領域の存在ではないニグンにとって、充分に熟達した部隊によるこれこそが、何よりも信じられるものだった。

 

 ガゼフの剛腕によって振るわれた斬撃は容易く上位天使を屠っていくが、次の瞬間にはそれを倍する数の天使が迫る。

 先ほどまでと違い、最低限天使を捌きこちらへと駆けてくるのは捨て身の突貫だろう。

 さらに振るわれた一刀でまた数体の天使を切り捨てるが、腕が伸びきったタイミングで別の天使が炎の剣をもってガゼフへと肉薄する。

 

「《即応反射》」

 

 人では有り得ない動きで、ガゼフの腕は剣を振るう前の状態まで戻る。

 

「《流水加速》」

 

 ガゼフは剣を振りながらも、決してその足を止めることなく駆ける。その先に見据えたニグンだけを狙い、彼の神経は際限なく研ぎ澄まされていく。

 武技は万能ではない。

 魔力とは異なるが精神力とでも呼ぶべき物は確かに存在するのだ。

 それはつまり、武技をこのまま消費し発動出来なくなった瞬間こそ、ガゼフの最後ということだ。

 しかし、ニグンは何故か嫌な予感がした。

 自分たちは罠にかかった愚かな獣を狩るはずだったのだ。それがこうも拮抗と言える状況に持ち込まれている。しかも敵は未だ正体の分からない支援を受けている。

 ニグンの手が無意識にベルトに繋げられた物へと伸びる。

 

(至宝を……いや、それには及ばない! 何を弱気になっている、ニグン・グリッド・ルーイン。こちらの隊員に脱落者は出ていないのだ。直ぐにでもやつは膝を折る)

 

 ――ドゴッ。と鈍い音を立てガゼフは初めて距離を開けた。正確には、権威の主天使の攻撃による衝撃を後ろへの跳躍によって分散させたのだ。

 痺れる両手を何度か握り、問題がないことを確認している。

 そしてガゼフが目の前の敵へ再度視線を向けた瞬間、――その背後から声にならない叫びが響いた。

 ガゼフの部下――戦士の一人が、自らの首へと突き刺さった炎の剣が抜かれると同時、力無く崩れ落ちる。

 それを引き金として、戦士たちは耐えきれず天使に押し込まれていく。

 その急な弱体化と戦闘が始まってからの時間を考えると、やはり支援魔法の類だったか。

 術者が潜んでいるならば、魔法が切れる前に何らかの手を講じただろう。

 それが無いということは、ガゼフが時間を稼ぎその隙に村人を逃がす算段だったのか。

 元より獲物を誘うための餌でしか無かった村の襲撃ごときを警戒し、自分から戦力を無意味に減らしてくれるとは、何とも無駄な考えをしたようだ。

 最も可能性が高いのは冒険者だろうが、ニグンの見立てではこれほどの支援魔法を扱える王国の者は自らの頬に消えない屈辱を残したあの邪教徒の他にいない。

 しかしガゼフが情報通り劣った装備で現れたことを考えると、あの女がいることは無いだろう。

 念のため羊皮紙(スクロール)でも持たせていたか。地方の村には薬草の採集やモンスターの討伐など依頼の数は少なくない。それらを受けるパーティーなど高くて鉄級(アイアン)ではあが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一人はいるだろう。そうすれば、羊皮紙は扱える。

 法国の作戦が漏れていた可能性は有り得ないが、確認した後に本国へ報告すべきだろう。

 ――とまれ、今は任務を終えるのが最優先だ。

 徐々に数を減らしていく部下を振り返ることなく此方を睨むその姿は手負いの猛獣のように、確実に致命的となる最後の一撃を狙っている。

 

「天使を固めよ。油断なく確実に殺せ」

 

 ニグンの指示によって並べられた天使は、それだけで膝を折って恭順しなければならないと感じてしまうほど、強く高潔な壁であった。

 ――だが。

 それでこの男が、王国最強の戦士が屈することなど断じて有り得ない。

 瞳には力強い光を、――ただひたすらに突き進む一振りの剣としての輝きを宿し、ガゼフは駆ける。

 

「どけえええええっ!!」 

 

 ガゼフの剣筋が再び分裂し、天使たちが大量の粒子となって消える。

 しかし遠い。ニグンの姿すら、分厚い壁に遮られて伺うことはできない。

 またガゼフは一人。手数が足りなくなった分は、自らの肉体へと帰ってくる。

 

「ぬぐっ……!」

 

 ガゼフの猛攻を縫って、天使の剣が腹部へ深々と突き刺さった。

 炎で作られたそれはガゼフの肉を焼き、ぶすぶすと不快な臭いが漂う。

 次の瞬間にはその姿を消したが、それで時間を与えてくれるほど優しい相手ではない。

 

監視の権天使(プリンヒパリティ・オブザベイション)、やれ!」

「《流水加速》」 

 

 再び爆発的な加速を得て跳躍したガゼフは、周囲の光景を置き去りにした。獲物の喉笛を噛み切らんと飛びかかる猛獣のように、獰猛かつ躊躇いなく一直線に向かう。

 大きくメイスを振りかぶった主天使の腹へと狙いを定め、剣を握る手には一層の力がこもる。

 

「うおぉぉぉぉっ!!」

「《魔法抵抗難度強化・恐怖(ペネトレートマジック・フィアー)》」

「――っ!?」

 

 止まることなど無いと思われたガゼフの動きが、一瞬だけ硬直する。

 下からガゼフへと向けられた魔法は、即座に抵抗(レジスト)できるレベルであってもこの場にあっては致命的となり得た。

 

「ぐは……ッ!!」

 

 主天使の振るうメイスがその頭部へと直撃し、ガゼフは地面に叩きつけられる。

 それは鈍い音を立て、同じ力でもって跳ね返される。

 共に凄まじい勢いであったためか、ガゼフはまるでボール玉のように再び宙に打ち上げられる。

 

 ――勝った。

 

 ニグンは自分が安堵したことに僅かな怒りを覚え、舌打ちをする。

 当然の事なのだ。少しばかり不可解な事態に陥っただけで、結果は何も変わらない。 

 

「ふっ。ずいぶんと手間を――ッ!?」

 

 ニグンは鋭い知覚で察した。

 死したはずのガゼフの振るう剣の切っ先が何故か、自分の身体へと届いていることを。

 そしてそれが、確実に致命傷となることも。

 

「――っ、おぉぉぉぉぉ!!!」

 

 ガゼフは雄叫びを上げ、今度こそ渾身の一撃をニグンの身体へと撃ち込んだ。

 

 

 

「……はっ。……はっ」

 

 ガゼフは勢い余って倒れかけるが、力強く踏み出した足で耐えた。

 陽光聖典の隊員を殺さんばかりに睨みつけると、彼らは我知らず一歩後退する。

 その間に主天使によって殴られた箇所を触ると、陥没どころか出血すら見られない。

 それはまるで、殴られたという事実が綺麗さっぱり無くなってしまったように。

 ガゼフの脳裏に浮かぶのは先ほど悟と交わしていた会話。

 

『《|魔法持続時間延長化・光輝緑の体《エクステンドマジック・ボディ・オブ・イファルジェントベリル》》』

『これは……』

 

 ガゼフの身体を包むように、淡い光の膜が広がる。

 

『この魔法は一度だけ、打撃によるダメージを完全に無効化できます』そう告げる悟の声に嘘はないと分かった。『だからこそ、使うタイミングには注意してくださいね。――これは、こちらにとっての切り札ですから』

 

 ――ずっと狙っていたのだ。

 この一瞬を、ガゼフを倒したと相手が確信出来るほど、こちらにとって致命的な攻撃が来るタイミングを。

 指揮官の召喚した天使が迫る中、ガゼフは確かにその効果を発動していた。

 ガゼフは防御系の武技を修めておらず、またそれはスレイン法国にも知られていることだろう。

 だからこそ、唯一の活路はここだったのだ。

 もちろん打撃の衝撃は無効化できても、地面との衝突はその対象外だった。

 さらにそこから間髪入れずに起き上がることにも、武技を多用してやっと一度。

 

 ガゼフは、その賭けに買ったのだ。

 

 そして――、

 

「ふっ」

 

 乾いた笑いが、黒い空に溶ける。

 

「お前の負けだ。――ガゼフ・ストロノーフ」

 

 だがそれを零したニグンはしかし、額に滲む脂汗を拭う余裕さえない。

 肩から入った刃は確かに、ニグンの身体を無惨に引き裂いた。

 傷口からどくどくと流れる血は止まらず、法衣が赤黒く変色していく。中に着込んだ鎖帷子は、もはや見る影もない。

 

 それでも間一髪、ニグンは反応したのだ。

 それは、格闘技術をも修めることを求められる陽光聖典、その隊長ならばこそだった。

 目の前に立つ男へと怒りを隠さず、腰に手を伸ばす。

 

 ――何かがずっと、頭の中で警鐘を鳴らしていた。

 今すぐこの目の前で毅然と立つ存在を消し去らなければ、と。

 

 その焦りが、至宝をついに握らせた。

 

「喜びたまえ。貴様が本来見ることの叶わなかったであろう至高の存在でもって、この世を去ることが出来るのだからな」

 

 ニグンは高らかに、手に持つ宝を掲げる。

 

「見るが良い。最高位天使の尊き姿を! ――《威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)》ッ!!!」

 

 ――信徒の呼び声に応え、天より顕現する大いなる神の御使い。

 人間では到底敵わない相手であると本能が教えている。

 

 ……全く、何を勘違いしているのか。

 

 ただでさえ限界の脚は今にも崩れそうで、立っていることすら全神経を使っているというのに。

 持てる手段の中で万全を尽くした。

 さらに普段では考えられないような強力な支援も得た。

 ……それでも、自分は届かないのか。

 

(これが、やつらの切り札か)

 

 確かに目の前で悠然と佇むその姿は美しく、ともすれば祈りたくもなる。

 ガゼフでさえ、今にも頭を垂れてしまいそうだった。しかし、――

 

「俺の生涯で仰ぐ御方は王のみ! 王国を汚す貴様らの信仰する邪神の使いなどに、負けるわけに行くかぁあああああ!」

 

「安心しろ。せめてもの情けに、苦痛なく殺してやる」

 

 瞬間、――天が墜ちたと思った。

 

 辺りは眩い光に包まれ、視界が覆われる。

 自分の肉体だけでなく魂までも消えてしまいそうなその光に、ガゼフは初めて諦めの色を浮かべた。

 己を信じ送り出してくれた王に心から謝罪をする。

 そしてふと、心の中に浮かんだ思いに苦笑した。

 

(……鈴木殿)

 

 この魔神さえも超える力を前にすれば、ただの人間が敵うはずも無い。なぜ今日会ったばかりの人物に、ここまでの信頼を乗せられるのか。

 

 ――そんなもの、問われるまでもない。

 あの強く毅然と発せられた言葉を戦士として、いや、一人の男として信じない訳にはいかないからだ。

 彼女の覚悟を決めた瞳に、何が映っていたのかは分からない。しかし彼女ならばきっと、村の民を守ってくれるだろう。

 そう確信して、ガゼフは意識が薄れゆく中、最後の言葉を託す。

 

「……任せたぞ」

 

 そして、ガゼフの意識は光に呑まれた。

 

 

 




 
 次回、『カルネ村編』最終回。
 
 また感想を下さった皆様、ありがとうございます(`・ω・´)





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