・岡田光玉、谷口雅春・山岡荘八らと宗教右派系政治圧力団体「日本を守る会」(後の日本会議)の創設に参画(1974年)
・CFRメンバーの一人コロンビア大のリチャード・N・ガードナー発言(フォーリン・アフェアーズ 1974年4月)
「世界政府という家は、上から押し付けるのではなく下からの盛り上がりという形で築き、フットボールのエンドラン作戦のように国家の主権をうまく交わすやり方でそれを少しずつ侵触して行くやり方にすれば、大衆が気づく頃には「世界政府の家から出ることはできなくなる。」
「我々は上からではなく、下から上に「世界秩序」を組み立てればよい。国の主権を終わらせるには、じわじわと蚕食していけばよい。古い方法よりも、こっちのほうが目的を早く実現できるのである。」
・東京の帝国ホテルで、『希望の日』晩餐会と題する文鮮明の講演会が行われる(1974年5月7日)
※名誉実行委員長は岸信介。福田赳夫大蔵大臣は「アジアは今、偉大な指導者 を得ることができました。その指導者こそ、そこにおられる文鮮明先生です」と賛美し、韓国形式の挨拶で抱擁を繰り返す。
安倍晋太郎、中川一郎、保岡興治、中山正暉、石井公一郎、(ブリヂストン副社長)、笹川了平(『大阪日日新聞社長、笹川良一の末弟)、笹川陽平(富士観光社長、笹川良一の三男)らの他、40名ほどの小学校、中学校、高校の校長達が出席。
・日本政府、「少子化推進政策」を策定(1974年)
※実は、日本は少子化を目指していた 非婚、晩婚、負け犬の遠吠え…、古い道徳観に失政が重なった(日経ビジネス ONLINE 2010年2月17日)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100215/212778/?rt=nocnt
※日本の少子化傾向はいかにして進んだのか。歴史人口学を専門とする、上智大学経済学部の鬼頭宏教授に聞いた。
―― 人口問題には長期的な視点が欠かせません。日本はどのようにして少子化に突入していきますか。
鬼頭 実は1974年に、日本ははっきりと少子化を目指す政策を打ち出していました。
同年に厚生省の諮問機関である人口問題審議会は、人口白書で出生抑制に努力することを主張しています。
73年にオイルショックがあって、資源と人口に関する危機感が高まっていたからです。
象徴的なのが同年に開催された日本人口会議です。人口問題研究会が主催し、厚生省と外務省が後援した会議では、「子どもは2人まで」という趣旨の大会宣言を採択しました。
政府は1974年に人口抑制政策を進めた
同会議には斉藤邦吉・厚生相のほか、岸信介・元首相や人口問題の識者が勢ぞろいしました。
作家の小松左京氏や画家の岡本太郎氏も講演しています。
当時、大学院生だった私は3日間の会議をすべて傍聴して、今でも当時の資料を保管しています。
ただ、講演した政府関係者や研究者の大半は亡くなってしまいました。振り返ると当時の論調には隔世の感があります。
(後略)
・学界・宗教界を中心に「日本を守る会」結成(1974年4月)
・岡田光玉死去(1974年6月23日)
・千田夏光、「従軍慰安婦」(「従軍慰安婦 続編」)を双葉社より出版(1974年)
・ニクソン辞任(1974年)
※リチャード・ニクソン大統領は、エイブラハム・リンカーンの「グリーンバック」通貨の方式で、連邦準備制度(FRS)の支配力を無効にし、高利貸しのためでなく、国民のために、米国金融システムを再構築する計画であった。この米国の金融革命の総参謀であったプレストン・マーティン博士は、なぜか変節して革命を投げ出し、ニクソン大統領への忠誠を裏切るのと引き換えに、最終的には連邦準備制度の副議長に指名された。
・アメリカ合衆国通商法制定。301条(1974年)
・アメリカのアメリカンファミリー生命保険が日本での営業を開始し、第三分野に属する医療保険としてのがん保険を発売(1974年)
※アフラックの日本法人設立者であったが大竹美喜が金融界のフィクサーであった常盤橋経済研究所の大橋薫を味方につけ、当時の大蔵大臣福田赳夫を動かし大蔵省、厚生省と折衝を重ね2年半かけてようやく認可を取得した。
第三分野保険とは、従来からあった生命保険、損害保険のいずれにも属さない種類の保険(医療保険、がん保険、介護保険、所得補償保険)を総称する。従来、生命保険、損害保険はそれぞれ生命保険会社、損害保険会社しか取り扱うことができなかった。
当初、アメリカとの合意に基づいて、第三分野保険を外資に独占させるため、日本国内の生命保険会社や損害保険会社が取り扱う事は、規制により事実上禁止されていた。この政策の下、アメリカンファミリー生命保険(持ち株会社は、ジョージア州コロンバス市に本社があるアフラック株式会社)のがん保険における販売シェアは85%以上(1999年)にも達した。
1996年4月、保険業に対する規制緩和を意図した新保険業法が施行され、生命保険業と損害保険業の相互参入が解禁となった。同法は日本国内の保険会社による第三分野への参入も可能とするはずであったが、外資系・米国系保険会社の既得権益の保護を考えていたアメリカ合衆国との協議(1994年から毎年開催された日米保険協議)の結果、第三分野における外資の独占維持は2001年まで延長する政策(激変緩和措置)が決定された。
2001年、同措置撤廃の期限を迎えたものの、同年1月に同分野参入が解禁されたのは大手生命保険会社と損害保険会社の子会社生保のみであり、大手損保の市場参入についてはアメリカ合衆国の要求により半年遅れの同7月からとなった。
・小泉純一郎、代議士2年目の時、女子高生相手の婦女暴行事件で逮捕。福田赳夫に揉み消して貰う(1974年)
・原子力船「むつ」、放射線漏れ事故を起こす(1974年9月1日)
※原子力船むつは、日本初の原子力船である。
1963年に観測船として建造計画が決まり、1968年に着工して1969年6月12日に進水した。
軍艦を別にすれば、核動力、即ち原子炉を動力源とする船を建造した国は少なく、旧ソ連の原子力砕氷船「レーニン」(1959年-1966年改造後1970年-1989年)、アメリカの貨客船「サバンナ」(運航期間1965年-1970年)、当時の西ドイツ鉱石運搬船「オットー・ハーン」(運航期間1968年-1979年)に続く世界でも4番目の成果である。
1972年に核燃料が装荷され、1974年に出力上昇試験が太平洋上で開始された。1974年9月1日、青森県沖の太平洋上で行われた初の原子力航行試験中に放射線漏れを観測。
1990年に、むつ市の関根浜港岸壁で低出力運転の試験を行い、その後4度の航海中に出力上昇試験と公試を行なった結果、1991年2月に船舶と原子炉について合格証を得た。1991年2月~12月の実験航海で82000km(地球2周以上)を核動力で航行。その後、1992年1月にすべての航海を終了し、1993年に原子炉が撤去されて非核化された。
これ以降、日本原子力研究所においての改良型舶用炉MRX、深海探査艇用原子炉DRX研究開発を除き、日本は原子力船の計画、建造や購入をしていない。
現在は、ディーゼル機関に積み替えられた船体が独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の「みらい」として運航されているほか、取り去られた原子炉室がむつ市のむつ科学技術館で展示されている。
総トン数 8‚242 トン
全長 130.46 m
全幅 19.0 m
深さ 13.2 m
満載吃水 6.9 m
主機 加圧軽水冷却型原子炉 1基
蒸気タービン 1基
出力 36‚000 kW
10‚000馬力
最高速力 17.7ノット
補機 ボイラー 1基
乗員 80名
・非営利法人「ラエリアン・ムーブメント」(Raëlian movement)設立(1974年)
(上)ラエリアン・ムーブメントのシンボルマーク。六芒星と逆卍(スワスティカ)の組み合わせ。
弥勒菩薩ラエルのコメント:
今や世界革命の時が訪れました。政府を刷新するのではなく、システム全体を刷新する革命です。
もはや、政権を握っている政治家たちを入れ替える革命ではなく、綺麗さっぱりと全ての政治家たちを追い払う革命です。
巨大な多国籍企業や圧力団体とつながっている、堕落した如何なる政治屋の手も借りることなく、人々が自分たちを統治するシステムと入れ替える必要があります。
(銀行システムや信用システムにより奴隷状態の身に置かれたままの)貧しき人々に対して、さらに僅かばかりの施しを与えるような革命ではもはやなく、「民主主義」を推進すると主張しておきながら、現在10%の人たちが所有しているこの世界の富の80%を、人々に返還する革命です。
真の民主主義とは「一人一票」ということでは全くなく、「一人ひとりに世界の富を等しく分配」するということなのです。最善の解決策は楽園主義です。
共産主義からの自然な展開ですが、階級闘争を伴うものではありません。楽園主義では、労働階級というものが消失し、ロボットやコンピューターに取って代われれます。楽園主義によって、誰もが貨幣のない世界を満喫できるのです。
※ラエリアン・ムーブメントは「ラエル」(Raël)ことフランス人のモータースポーツ系ジャーナリスト、クロード・ヴォリロン(Claude Vorilhon)が創始した新宗教(宗教法人として登記はされていない)。欧米ではラエリズム(Raëlism)と呼ばれる場合もある。本部はスイスのジュネーヴにある。
(上)「ラエル」こと、クロード・モーリス・マルセル・ヴォリロン(Claude Maurice Marcel Vorilhon、1946年9月30日 - )
公式アナウンスによると、ラエルは1973年12月13日にフランス中部で遭遇した異星人「エロヒム」(正確には単数形の「エロハ」(Eloha)。「エロヒム」(Elohim)は複数形)から人類の起源と未来に関する重要なメッセージを受け取り、そのメッセージを地球人類に普及する事を目的としてこの団体を創立したとされる。
伝聞によると、1973年、フランス人のモータースポーツジャーナリスト、クロード・ヴォリロンは、フランス中部のクレルモン=フェラン近くの火山のクレーターで、空飛ぶ円盤から現れたエロヒムと名乗る、身長120センチで肌がオリーブ色でアゴヒゲを生やした異星人とコンタクトしたとされている。
エロヒムは原典ヘブライ語旧約聖書に出てくる単語であり、(彼らの主張では)「天空から飛来した人々」を意味している。そのエロヒムからメッセージを伝えられ、ラエルという名を授けられたとされている。ラエルとは(彼らの主張では)ヘブライ語で「エロヒムの大使」の意である。
このメッセージによれば、現在の地球上の生命は、25,000年進んだ科学技術力をもつエロヒムによって、科学的に創造されたとしている。また、生命創造の前に地球の大気組成を科学的に調査し、生物に適した惑星にするために大陸を形成したとしている。
神を、「科学を理解できなかった時代の古い概念」と位置づけており、霊魂も現実には存在しないと考えている。これは無神論的な宗教であると主張している。また生物の進化は、現実には起こらないと考えている。進化論ではなく、生命の科学的創造により、より高度な生物が誕生したとされる。創世記は過去の生命創造の証となるという。有神論的創造説とは異なり、外宇宙の知的生命による創造科学論であるとしている。
エロヒムのメッセージでは、アダムとイブはDNAレベルで創造された「試験管ベビー」であり、実験場のひとつエデンの園はイスラエルにあったと書かれている。またエロヒムの1人「アマミキヨ」が最初に降り立ったのは日本の沖縄県であったとされており、現在も海底神殿などの遺跡が残されていると主張している。
またこの団体の広報によると折に触れエロヒムは人類と接触しており、そのためエロヒムは原始的人類の理解を越えた神として振舞ってきたと信じている。モーゼ、ブッダ、イエス、マホメットなどの預言者は、エロヒムのメッセンジャーであったとされる。
創始者のラエルを含めラエリアンムーブメントのメンバー全員が無給でこのメッセージ普及活動に従事している。メンバーからの寄付金はエロヒムを地球に迎えるための大使館建設及び講演会・セミナー開催必要経費などに充てられている。ラエリアンのメンバー全員がエロヒム迎える大使館建設およびエロヒムからのメッセージ普及という2つを目的に活動を続けている。
2003年11月の時点で、世界90カ国に活動拠点があり、6万人以上のメンバーが在籍しているといわれる。
中でもラエリアンムーブメント日本支部は最も規模が大きく、公式アナウンスによれば6,000人以上のメンバーを擁している。現在は、ラエリアンムーブメント主催によるメッセージ講演会が全国各地で開催されている。
※日本ラエリアン・ムーブメント
設立年:1980年
住所:289-2311 千葉県香取郡多古町本三倉640-A1
(上)代表責任者:伊藤 通朗(いとう みちお)
http://profile.ameba.jp/michioito/
教義
ラエリアン・ムーブメントの教義は、ラエルが異星人エロヒムの1人と会って告げられたメッセージを真実と認め、エロヒムを人類の創造主と認めて、彼らの要望どおり地球に迎え入れることである。ラエリアンとは、このメッセージを理解できた人のことをいう。メッセージは、ラエルの著作『地球人は科学的に創造された』にまとめられており、概要は以下のとおりである。
1973年のメッセージ
この団体の広報によると、ラエルは1973年にフランス中部の山岳地帯で、空飛ぶ円盤から降りてきた異星人と遭遇した。異星人は世界中の言語を話せるといい、フランス語でラエルと会話した。その後、同じ場所に円盤は出現し、ラエルは6日間にわたり円盤内で異星人からメッセージを聞き、それをノートに書きとめた。
異星人は自らをエロヒム(ヘブライ語で「天空から飛来した者たち」の意)と名乗り、2万5千年前に、彼らの科学者たちが地球にやってきて、生命創造実験を開始したと語った。彼らの惑星では、生命創造実験は危険であるとされ、禁止されていたからである。彼らは地球で、ひとつの大陸を形成した後に、化学物質から植物の細胞を創造した。全ての生命を創造し、現代で言うエコロジーと呼ばれる生態系を作った、とされる。
人間の文明が進歩することは、創造者=エロヒムの安全を脅かすことであり、科学に関しては無知にする必要があった。しかし、実験場の1つであるエデンで、創造者の科学者たちが人間に、科学技術を発展させれば創造者と同様になれる、ということを教えてしまった。そのため実験場内での人間の保護を止め、人間は実験場から外界に出されることとなった。このことにより、追放された創造者の科学者たちは、人間の娘たちを妻にした。そして、彼らの子供たちの子孫がイスラエルの民となった。この後、彼方の惑星の創造者たちは人間を危険なものとして、洪水によって全ての生命を抹殺した。しかし、数千キロメートル離れた上空で保存されていた細胞を使って再び生命は創造された、と説かれている。
モーゼやエリヤ、エゼキエルらの前に姿を現したエロヒムは、その後ひとりの「メシア」を遣わすために、マリアに創造者の子をもうけた。イエスやモーゼによる様々な奇跡は、創造者の科学技術によるものである。イエス・キリストは、エロヒムが人類を創造した証としての聖書を、世界中に広める役割を持っていた。この役割は、本来はイスラエル人に与えられていたものである。
ラエルはモーゼ、釈迦、イエス・キリスト、ムハンマドなどのエロヒムが遣わした預言者たちに続く、アポカリプスの時代(全ての事が科学的に理解できる時代)の最後の預言者になる。ラエルは、ラエルの名でメッセージを広め伝えることと、エロヒムを迎える大使館を作ることを要請される。
エロヒム自身も別の惑星からの創造者により創造され、将来人類も創造者となり他の惑星に生命を誕生させる時が来るという。またエロヒムは、他の多くの惑星と経済的交流をもっているが、エロヒムと同等の科学水準にある惑星の文明は発見できていない。創造者の世界では、生物ロボットを使うことにより労働の義務がなく、貨幣制度も結婚制度も存在せず、知性が高い人々によって選ばれた天才たちによって統治されているという。人類の破滅を避けるためには、天才たちによる天才政治、人道的人類主義、単一の貨幣制度および世界政府実現が必要であると記されている。
※一般論として、フリーメイソンリー=イルミナティの独善的な思想が良くわかる。基本的に世界中のカルトは、フリーメイソンリー=イルミナティのダミー団体。どのカルトでも終着点は同じ。共産主義。
1975年のメッセージ
この団体の広報によると、ラエルは、1975年にロックプラで再びエロヒムと会った。そして地球近くの基地を経由して、エロヒムが他の惑星上に造った楽園を訪れた。そこは「不死の惑星」と呼ばれ、科学的に不死となったイエス・キリストや仏陀、モーゼなどの預言者たちと、選ばれた不死の地球人たちがいた。
エロヒムが人類を滅ぼすことはしない。ただし、人類自身の手による大破局が訪れた場合は、ラエルに従う人々及びエロヒムのメッセージは知らなかったが人類の発展に貢献した人々だけが救われる。
ヤーウェはエロヒム不死会議の議長であり、地球における人工生命創造計画の指揮をした。エロヒムはすべての人間を観察していて、その生涯の行為において採点され、死後「不死の惑星」に再生されるか否か、裁きを受けると記されている。 神は存在せず、霊魂も存在しない。死んだ後は、科学によるものでない限り何も残らない。
エロヒムを迎える大使館はイスラエルのエルサレム近くに希望するが、もしイスラエルが拒否すれば大使館は別の国に建てられて、イスラエルは破壊される。
現在は日本に大使館を建設する計画が進んでいる。
エロヒムが再び来訪すれば、人類は新たなる黄金時代に入る。エロヒムと共にキリストなどの預言者が大使館にやって来る。
過去にエロヒムは、ルルドをはじめとして、世界各地で援助に値すると判断した人々に、救いの手を差しのべて来た。
1997年のメッセージ
この団体の広報によるとその後1997年にもメッセージがあり、イスラエルの民とのつながりは終わりに近く、エロヒムの保護を失い離散するだろうとしている。新しい時代での仏教は、ラエリアンに近い宗教である。全ての諸国に、大使館建設のための許可と必要な治外法権を要請する。1kmの領地の半径は陸でも、航行が禁止されていれば水面でも良い。大使館を建てる国の将来は保障され繁栄し、将来何千年も全地球の精神的科学的センターになる、とのメッセージがあったと記されている。
なお、2009年(ユダヤ歴5769年)にイスラエルに対してエロヒムから最終警告のメッセージがあったとされ、その後、広報によると、2015年8月6日でエロヒムのイスラエルへの保護が無くなったという。
クローン人間
ラエリアン・ムーブメントの司教ガイドであるブリジット・ボワセリエ(Brigitte Boisselier)代表は、「クローンエイド」(Clonaid)という専門会社を設立して研究を行い、2003年にクローン人間が誕生したことを発表した。また、2004年にも同社は複数のクローン人間の誕生を発表した。日本でも発表した事実については、文部科学省の作業部会と国会で取り上げられている。
※一般人としては世界初、エロヒム寺で初詣で(やや日刊カルト新聞 2011年1月1日)
http://dailycult.blogspot.jp/2011/01/blog-post.html
教祖がUFOに乗せられ宇宙人エロヒムからメッセージを受け取ったとする「ラエリアン・ムーブメント」が今年10月、成田空港に近い千葉県多古町に寺院を建設しました。そこに本紙記者陣がアポなし“初詣で”。部外者としては世界で初めて、同寺院への参拝を果たしました。
寺院の正式名称は「弥勒菩薩光臨堂」。ラエリアンでは、教祖ラエル氏はマイトレーヤ(弥勒菩薩)であるとされており、この寺院でラエル氏は毎週、瞑想指導を行っているとのことです。
周囲を杉林に囲まれた真っ暗な敷地に浮かび上がる、朱塗りのお堂。ラエリアンは「宗教ではない」と主張している団体です(もちろん仏教でもありません)が、こりゃ確かに寺っぽい。「ラエリアンニュース」でも、「寺院」と書かれています。
ちょうどメンバーの姿が見えたので「こんばんは~」「初詣に来ました~」と声をかけると、「ちょうど大みそかのパーティーが終わったところ」と言って、快く中に招き入れてくれました。アポなしにもかかわらず。
聞けば、ここは「寺ではなく、瞑想センターだ」とのこと。現在、教祖ラエル氏は日本に居住し、毎週ここで瞑想指導などを行っているそうです。
パーティーは終了していましたが、メンバーが豚汁をふるまってくれました。壁に巨大なラエリアンマークが飾られていました。六芒星と逆卍を組み合わせたマークです。
本紙・藤倉「あれ、マークが元に戻ったんですね」
もともとラエリアンのマークは六芒星に逆卍でしたが、一時期、六芒星と渦巻きの組み合わせに変えていました。それが元に戻っています。
メンバー「よく知ってますね~。逆卍はヨーロッパで評判が悪いので、使わなくなっていたんです。でも、もともとのマークは、六芒星に逆卍の組み合わせで「無限」を意味するものとして作られたので、やはり元のマークがいいだろうということで」
話している途中、メンバーのノートパソコンに韓国のメンバーからネット電話が入りました。韓国にもメンバーがけっこういるのだそうです。
でも、部外者がお参りに来るのは初めてだったらしく、メンバーは「世界初の一般参賀~!」と喜んでくれました。
帰りしなに、お賽銭箱に1万ウォン入れて、記者陣の取材の無事と健康、交通安全、金運・恋愛運・仕事運・勝負運その他もろもろの運気の向上を願ってきました。お賽銭箱の脇には、「創造者エロヒムからのメッセージ」というポスターが祀られていました。御本尊はエロヒムなのでしょうか。
なんだかよくわかりませんが、当初のもくろみ通り、一風変わった初詣でを満喫できました。
※宇宙人・鳩山由紀夫首相にラエリアンがラブコール(やや日刊カルト新聞 2010年3月27日)
http://dailycult.blogspot.jp/2010/03/blog-post_27.html#more
(前略)
■宇宙人大好き・疑似科学セックス教団
人間の体の仕組みに関するラエリアンの感性はかなり独特です。2004年頃に私がセミナーに潜入した際には、「いろんな人とセックスすると脳のニューロンが活発になって頭がよくなる」という教義を聞かされました。フリーセックスを推奨する宗教団体ですが、実はその根拠がこんな話だったりします。ただしセミナーでは教祖の音頭で信者たちが「オールウェイズ、オールウェイズ、コンドーム!!!」と叫び声をあげたりするので、エイズ対策は万全です(たぶん)。
さらにラエリアンムーブメントは、善業を積んだ人間は死後、その遺伝子をもとに宇宙人がクローンを作ってくれるので、宇宙で復活できるという教義を持っています。クローン人間は遺伝子情報が同じなだけで人格や記憶は全くの別人なんですが、ラエリアン的には、その辺のつじつまがあわなくたってへっちゃらみたいです。
本紙主筆も、セミナーに潜入した際にラエリアンの洗礼(トランスミッションと呼ばれています)を受けました。この儀式によって、本紙主筆の遺伝子情報がすでにUFOに転送されています。死んでも宇宙で復活できるので、病気なんか怖くありません。毎日たっぷりタバコを吸いまくっています(ラエリアンの教義では、タバコ、酒、カフェインの摂取が禁止なんですが)。
■本紙主筆を打ちのめしたエロ合宿
ラエリアンの合宿セミナーではダンスパーティーもあり、本紙主筆は女装させられた上に、男装した女性の先輩信者からチークタイムにお尻をまさぐられたりして、ちょっとトラウマになりました。痴漢にあった女性の恐怖感が少し理解できました。痴漢は憎むべき犯罪であると身を持って知る、いい機会になりました。韓国人の女性信者がやたらとノリがよく、モーニング娘。の曲にあわせておっぱい丸出しで踊り狂っていたりしました。これは見ていて楽しかった。
当時、某ホテルを貸切にして合宿をしていたラエリアンはホテルの風呂は混浴にし、カラオケルームを信者同士のヤリ部屋として使うなど、まさにヤリたい放題でした。紙に名前を書いて、時間ごとに順番で信者たちがカラオケルームでセックスしていました。お相手が見つからずにいた新参信者たちの間では、「風呂場でヤッてるヤツらがいた!」「ホテル近くの林でヤッてるヤツらがいた!」「車の中でヤッてるヤツらがいた!」と、熱い目撃情報が飛び交っていました。
ただしこのときラエリアンは、見境ない乱交を行っていたわけではありません。いうなれば「合宿式の合コン」みたいなもので、すでにパートナーがいる人だろうがそうでない人だろうが、声をかけて双方が合意すればヤッちゃうというニュアンスです。そういうシステムなので、ボーッと突っ立っているだけでは、誰もセックスしてくれません。
本紙主筆は、「世俗でもモテないのに、セックス教団でもモテなかった」という現実を突き付けられ、心に深い傷を負ったままラエリアン取材をやめました。
合宿中は、断食修行(?)もありました。確か24時間だか36時間程度ですが、水以外は一切口にしてはいけないと言われました。あと、セックスはおろかオナニーも禁止だと言われました。理由はナゾです。
断食終了の時間に夕食が出たのですが、タマゴとかウナギとか天ぷらとか、やたら精のつくものばかり。このときからセックスもオナニーも解禁なので、「栄養つけて励めよ」ということなのかもしれませんが、断食明けにこの食事は体に悪そうです。統合医療云々とかいうなら、断食療法くらいかじっておいてほしいと思います。で、この食事の後に、セックス解禁を告げられた信者たちが「オールウェイズ、オールウェイズ、コンドーム!!!」と叫んでいたわけです。ウナギを食いながら。
しかし近年のラエリアン合宿は、ホテルを貸し切るまではせず、一般宿泊客もいるホテルを利用しているようです。そのせいか、エロさはトーンダウンしています。食事中に「コンドーム!」とか叫ぶこともないようです。
・妙信講、講頭・甚兵衛、理事長・昭衛(いずれも当時の役職名)、幹部と男子部員ら33名が、創価学会本部を襲撃したとして日蓮正宗から信徒除名処分にされる(1974年11月4日)
・三木内閣(1974年(昭和49年)12月9日から1976年(昭和51年)9月15日)
・日本で(現)「世界日報」創刊(1975年1月1日~)
※(現)「世界日報」は世界基督教統一神霊協会の機関紙。発行社は世界日報社。初代会長は「世界基督教統一神霊協会(統一協会)」と「国際勝共連合」の会長を兼任していた久保木修己。代表取締役社長兼主筆は木下義昭。韓国の全国紙「世界日報」や、統一教会傘下の「ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ」社が発行する「ワシントン・タイムズ」紙と提携している。
勝共連合機関紙「思想新聞」を改称し、発展させる形で、一般日刊総合紙を装う形ながら、事実上統一協会と勝共連合の機関紙である。
・中川隆、東京大学文科一類を受験するも不合格(1975年2月)
・中川隆、徳島県立城南高等学校を卒業。1年間浪人(1975年3月)
・石原慎太郎、現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選挙に自民党推薦で出馬するも落選。その後衆議院議員に復帰(1975年4月13日)
・「パシフィックフォーラム CSIS」設立(1975年)
・グアム島で「創価学会インタナショナル」(SGI)設立(1975年)
・アミシャーブ(Amishav)設立(1975年)
※イスラエルの失われた10支族に関する調査機関。アミシャブはイスラエルの失われた10支族(12支族)を捜し求め、世界中の国々を調査している。最高責任者はラビ・エリエフ・アビハイル(Rabbi Eliyahu Avichail)。
アミシャブ傘下の「ベネイ・マナセ」(Bnei Menashe)という団体が帰還運動を推進している。
アミシャブと同様の活動をする組織としては、シャーベイ・イスラエル(Shavei Israel)も存在する。
・欧州非干渉散乱科学協会(EISCAT)設立(1975年)
(上)EISCATのロゴマーク。
※牛(CAT=CATTLE)です。EIS=ice(氷)?極地での実験だから?eye(目)とかけてる?
・韓国、「国家冒涜罪」制定(1975年)
※一般に「国家元首冒涜罪」と呼ばれ、大統領への批判に対する言論統制を行なう手段として利用されてきた。1988年廃止。
・国際連合大学活動開始(1975年)
(上)東京都渋谷区神宮前五丁目53-70にある国際連合大学本部。国連大学は日本に本部を置く唯一の国連機関。国連の日本における拠点でもあり、構内では不可侵権が認められている。土地および建物は、建物が文部科学省の管轄であり、土地が東京都の管轄である。
本部施設(国連大学本部ビル)は、東京都により無償で貸与された土地に日本政府の予算(総工費120億円)+国際連合大学基金への拠出金1億ドルで建設されたもので(負担を嫌ってどこの国も誘致しなかった)、1992年6月に完成。設計は丹下健三による。
・崔太敏、「大韓救国宣教団」(救国十字軍)を創設(1975年4月)
(上)崔 太敏(チェ・テミン、朝鮮語: 최태민、1912年5月5日 - 1994年5月1日、生誕名は崔道源(チェ・ドウォン、최도원)) 。画像は1977年1月19日撮影。
※大韓民国の牧師、呪術師、シャーマン。 黄海道鳳山郡生まれ。日本統治時代に警察官を務め、光復後僧になったという。6回結婚し、複数の偽名を使っていた。娘は崔順実(チェ・スンシル) 。
1970年代初め、仏教・キリスト教・天道教を総合した新宗教「永世教(ko:영세교)」の開祖となった。
1974年8月15日に朴正煕元大統領の夫人、陸英修が暗殺された後に、陸の霊に『私と娘の間には秘密がある。それを手紙に書いて送れば先生に会うから、会ったら娘に力を貸してやって欲しい』と話した崔が手紙を書いて、ソウルの光化門郵便局に送ったところ、大統領府(青瓦台)から崔氏の龍山の自宅(同時)に電話があり『差し向ける黒い乗用車に乗って来なさい』と言われた。崔が朴槿恵に会い、母親から聞いた秘密の話をしたところ、朴槿恵が気絶した。その夢で朴槿恵が母親に会ったところ「崔太敏さんはお前を助けてくれる」と言ったという。その時から朴槿恵は崔を完全に信じることになった。
そして朴正煕大統領が1972年10月に維新体制を行い、キリスト教は反対勢力になったので崔太敏に『お前はもう牧師なんだから、基督教の既存勢力を抑える団体を作れ』と言われ永世教の看板を下ろし、1975年4月、宗教団体「大韓救国宣教団」(救国十字軍)を創設し全国に支部が完成すると総裁に就任、朴槿恵を名誉総裁に迎えた。その時、崔太敏と令嬢・朴槿恵が部屋に入れば、一日中出てこないという噂があり、金載圭中央情報部長が情報報告を朴正煕大統領にしたことで朴大統領が二人を呼んで直接訊いた。朴槿恵は崔を積極的に擁護し、崔は『私たちは霊的な家族や夫婦のようなものであって、肉体に関する浅ましい話はしてくれるな』と言った。この話を朴正煕大統領が聞いて納得した。金載圭部長には情報を上げるならしっかりしろと言った。この事が金による朴正煕暗殺事件に繋がった。
1979年、この団体を「セマウム奉仕団」に改称、地域・大学・企業内に支部を作り急成長させていった。
朴正煕政権時代(1979年10月26日まで)、青瓦台に自由に出入りし権勢をほしいままにしており、『韓国のラスプーチン』ともよばれていたという。1977年9月、大韓民国中央情報部(KCIA)長金載圭の報告をもとに、不正容疑などのため朴正熙大統領から直接尋問されたものの、司法処理は免れた。朴正煕暗殺事件3日前の1979年10月23日、金載圭は、崔太敏の経歴・不正の事実・女性関係・利権介入に関する報告書を朴大統領に直接手渡しており、その内容は、2007年大韓民国大統領選挙・2012年大韓民国大統領選挙の際韓国メディアに詳報された。
1980年代には槿花奉仕団の総合総会長として寵愛していた若くして副総会長にしたチョン・ギヨン牧師を妬む他の牧師に『オイ、この野郎。お前たちはシャーマンが持つ霊力もないくせに、何が牧師だ。情けないやつらだ。この方は私より霊力が強いので私が迎えた方だ』と激怒した。崔は普段は言葉が粗いがこチョン牧師には優しく、600万ウォンという当時ならマンション2世帯分買える金を与えた。
1993年10月にチョン牧師と会うと、崔太敏はボディガード6人を連れていて『将来、朴槿恵氏が大統領になるので彼女の選挙運動に力を貸してください。槿花奉仕団が全国に70万人の組織を使って選挙運動を引き受けてください。資金は朝興銀行[安国洞]](アングクトン)支店に13億ウォンあり、貯まっている利子が9000万ウォンあります」と頼んだ。崔一家は生活が苦しく修業時代は他人に米を貰って食べていたほど貧しかったが、1974年の暗殺事件以後に朴大統領(父)の近くにいるようになると、企業関係者や救国布教団の役職が欲しい人々が様々な物を持って来るなど13億ウォンも貰ったものだった。
1994年に崔は慢性腎不全で亡くなった。しかし、1998年、朴槿恵大統領が大邱達城の再・補欠選挙で当選し政治を始めた時、娘で五女のチェ・スンシルの夫のチョン・ユンフェ)が秘書室長として2000年まで朴槿恵議員室の活動を管理して大統領府(青瓦台)の「門番3人組」(イ・ジェマン前総務秘書官、アン・ポングン前国政広報秘書官、チョン・ホソン前付属秘書官)を1998年に選んだ人物として韓国では知られている。上記のように朴槿恵には崔の影が付きまとっていたことが崔順実ゲート事件に繋がった。
・CFRメンバーの一人コロンビア大のリチャード・N・ガードナー発言(フォーリン・アフェアーズ 1974年4月)
「世界政府という家は、上から押し付けるのではなく下からの盛り上がりという形で築き、フットボールのエンドラン作戦のように国家の主権をうまく交わすやり方でそれを少しずつ侵触して行くやり方にすれば、大衆が気づく頃には「世界政府の家から出ることはできなくなる。」
「我々は上からではなく、下から上に「世界秩序」を組み立てればよい。国の主権を終わらせるには、じわじわと蚕食していけばよい。古い方法よりも、こっちのほうが目的を早く実現できるのである。」
・東京の帝国ホテルで、『希望の日』晩餐会と題する文鮮明の講演会が行われる(1974年5月7日)
※名誉実行委員長は岸信介。福田赳夫大蔵大臣は「アジアは今、偉大な指導者 を得ることができました。その指導者こそ、そこにおられる文鮮明先生です」と賛美し、韓国形式の挨拶で抱擁を繰り返す。
安倍晋太郎、中川一郎、保岡興治、中山正暉、石井公一郎、(ブリヂストン副社長)、笹川了平(『大阪日日新聞社長、笹川良一の末弟)、笹川陽平(富士観光社長、笹川良一の三男)らの他、40名ほどの小学校、中学校、高校の校長達が出席。
・日本政府、「少子化推進政策」を策定(1974年)
※実は、日本は少子化を目指していた 非婚、晩婚、負け犬の遠吠え…、古い道徳観に失政が重なった(日経ビジネス ONLINE 2010年2月17日)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100215/212778/?rt=nocnt
※日本の少子化傾向はいかにして進んだのか。歴史人口学を専門とする、上智大学経済学部の鬼頭宏教授に聞いた。
―― 人口問題には長期的な視点が欠かせません。日本はどのようにして少子化に突入していきますか。
鬼頭 実は1974年に、日本ははっきりと少子化を目指す政策を打ち出していました。
同年に厚生省の諮問機関である人口問題審議会は、人口白書で出生抑制に努力することを主張しています。
73年にオイルショックがあって、資源と人口に関する危機感が高まっていたからです。
象徴的なのが同年に開催された日本人口会議です。人口問題研究会が主催し、厚生省と外務省が後援した会議では、「子どもは2人まで」という趣旨の大会宣言を採択しました。
政府は1974年に人口抑制政策を進めた
同会議には斉藤邦吉・厚生相のほか、岸信介・元首相や人口問題の識者が勢ぞろいしました。
作家の小松左京氏や画家の岡本太郎氏も講演しています。
当時、大学院生だった私は3日間の会議をすべて傍聴して、今でも当時の資料を保管しています。
ただ、講演した政府関係者や研究者の大半は亡くなってしまいました。振り返ると当時の論調には隔世の感があります。
(後略)
・学界・宗教界を中心に「日本を守る会」結成(1974年4月)
・岡田光玉死去(1974年6月23日)
・千田夏光、「従軍慰安婦」(「従軍慰安婦 続編」)を双葉社より出版(1974年)
・ニクソン辞任(1974年)
※リチャード・ニクソン大統領は、エイブラハム・リンカーンの「グリーンバック」通貨の方式で、連邦準備制度(FRS)の支配力を無効にし、高利貸しのためでなく、国民のために、米国金融システムを再構築する計画であった。この米国の金融革命の総参謀であったプレストン・マーティン博士は、なぜか変節して革命を投げ出し、ニクソン大統領への忠誠を裏切るのと引き換えに、最終的には連邦準備制度の副議長に指名された。
・アメリカ合衆国通商法制定。301条(1974年)
・アメリカのアメリカンファミリー生命保険が日本での営業を開始し、第三分野に属する医療保険としてのがん保険を発売(1974年)
※アフラックの日本法人設立者であったが大竹美喜が金融界のフィクサーであった常盤橋経済研究所の大橋薫を味方につけ、当時の大蔵大臣福田赳夫を動かし大蔵省、厚生省と折衝を重ね2年半かけてようやく認可を取得した。
第三分野保険とは、従来からあった生命保険、損害保険のいずれにも属さない種類の保険(医療保険、がん保険、介護保険、所得補償保険)を総称する。従来、生命保険、損害保険はそれぞれ生命保険会社、損害保険会社しか取り扱うことができなかった。
当初、アメリカとの合意に基づいて、第三分野保険を外資に独占させるため、日本国内の生命保険会社や損害保険会社が取り扱う事は、規制により事実上禁止されていた。この政策の下、アメリカンファミリー生命保険(持ち株会社は、ジョージア州コロンバス市に本社があるアフラック株式会社)のがん保険における販売シェアは85%以上(1999年)にも達した。
1996年4月、保険業に対する規制緩和を意図した新保険業法が施行され、生命保険業と損害保険業の相互参入が解禁となった。同法は日本国内の保険会社による第三分野への参入も可能とするはずであったが、外資系・米国系保険会社の既得権益の保護を考えていたアメリカ合衆国との協議(1994年から毎年開催された日米保険協議)の結果、第三分野における外資の独占維持は2001年まで延長する政策(激変緩和措置)が決定された。
2001年、同措置撤廃の期限を迎えたものの、同年1月に同分野参入が解禁されたのは大手生命保険会社と損害保険会社の子会社生保のみであり、大手損保の市場参入についてはアメリカ合衆国の要求により半年遅れの同7月からとなった。
・小泉純一郎、代議士2年目の時、女子高生相手の婦女暴行事件で逮捕。福田赳夫に揉み消して貰う(1974年)
・原子力船「むつ」、放射線漏れ事故を起こす(1974年9月1日)
※原子力船むつは、日本初の原子力船である。
1963年に観測船として建造計画が決まり、1968年に着工して1969年6月12日に進水した。
軍艦を別にすれば、核動力、即ち原子炉を動力源とする船を建造した国は少なく、旧ソ連の原子力砕氷船「レーニン」(1959年-1966年改造後1970年-1989年)、アメリカの貨客船「サバンナ」(運航期間1965年-1970年)、当時の西ドイツ鉱石運搬船「オットー・ハーン」(運航期間1968年-1979年)に続く世界でも4番目の成果である。
1972年に核燃料が装荷され、1974年に出力上昇試験が太平洋上で開始された。1974年9月1日、青森県沖の太平洋上で行われた初の原子力航行試験中に放射線漏れを観測。
1990年に、むつ市の関根浜港岸壁で低出力運転の試験を行い、その後4度の航海中に出力上昇試験と公試を行なった結果、1991年2月に船舶と原子炉について合格証を得た。1991年2月~12月の実験航海で82000km(地球2周以上)を核動力で航行。その後、1992年1月にすべての航海を終了し、1993年に原子炉が撤去されて非核化された。
これ以降、日本原子力研究所においての改良型舶用炉MRX、深海探査艇用原子炉DRX研究開発を除き、日本は原子力船の計画、建造や購入をしていない。
現在は、ディーゼル機関に積み替えられた船体が独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の「みらい」として運航されているほか、取り去られた原子炉室がむつ市のむつ科学技術館で展示されている。
総トン数 8‚242 トン
全長 130.46 m
全幅 19.0 m
深さ 13.2 m
満載吃水 6.9 m
主機 加圧軽水冷却型原子炉 1基
蒸気タービン 1基
出力 36‚000 kW
10‚000馬力
最高速力 17.7ノット
補機 ボイラー 1基
乗員 80名
・非営利法人「ラエリアン・ムーブメント」(Raëlian movement)設立(1974年)
(上)ラエリアン・ムーブメントのシンボルマーク。六芒星と逆卍(スワスティカ)の組み合わせ。
弥勒菩薩ラエルのコメント:
今や世界革命の時が訪れました。政府を刷新するのではなく、システム全体を刷新する革命です。
もはや、政権を握っている政治家たちを入れ替える革命ではなく、綺麗さっぱりと全ての政治家たちを追い払う革命です。
巨大な多国籍企業や圧力団体とつながっている、堕落した如何なる政治屋の手も借りることなく、人々が自分たちを統治するシステムと入れ替える必要があります。
(銀行システムや信用システムにより奴隷状態の身に置かれたままの)貧しき人々に対して、さらに僅かばかりの施しを与えるような革命ではもはやなく、「民主主義」を推進すると主張しておきながら、現在10%の人たちが所有しているこの世界の富の80%を、人々に返還する革命です。
真の民主主義とは「一人一票」ということでは全くなく、「一人ひとりに世界の富を等しく分配」するということなのです。最善の解決策は楽園主義です。
共産主義からの自然な展開ですが、階級闘争を伴うものではありません。楽園主義では、労働階級というものが消失し、ロボットやコンピューターに取って代われれます。楽園主義によって、誰もが貨幣のない世界を満喫できるのです。
※ラエリアン・ムーブメントは「ラエル」(Raël)ことフランス人のモータースポーツ系ジャーナリスト、クロード・ヴォリロン(Claude Vorilhon)が創始した新宗教(宗教法人として登記はされていない)。欧米ではラエリズム(Raëlism)と呼ばれる場合もある。本部はスイスのジュネーヴにある。
(上)「ラエル」こと、クロード・モーリス・マルセル・ヴォリロン(Claude Maurice Marcel Vorilhon、1946年9月30日 - )
公式アナウンスによると、ラエルは1973年12月13日にフランス中部で遭遇した異星人「エロヒム」(正確には単数形の「エロハ」(Eloha)。「エロヒム」(Elohim)は複数形)から人類の起源と未来に関する重要なメッセージを受け取り、そのメッセージを地球人類に普及する事を目的としてこの団体を創立したとされる。
伝聞によると、1973年、フランス人のモータースポーツジャーナリスト、クロード・ヴォリロンは、フランス中部のクレルモン=フェラン近くの火山のクレーターで、空飛ぶ円盤から現れたエロヒムと名乗る、身長120センチで肌がオリーブ色でアゴヒゲを生やした異星人とコンタクトしたとされている。
エロヒムは原典ヘブライ語旧約聖書に出てくる単語であり、(彼らの主張では)「天空から飛来した人々」を意味している。そのエロヒムからメッセージを伝えられ、ラエルという名を授けられたとされている。ラエルとは(彼らの主張では)ヘブライ語で「エロヒムの大使」の意である。
このメッセージによれば、現在の地球上の生命は、25,000年進んだ科学技術力をもつエロヒムによって、科学的に創造されたとしている。また、生命創造の前に地球の大気組成を科学的に調査し、生物に適した惑星にするために大陸を形成したとしている。
神を、「科学を理解できなかった時代の古い概念」と位置づけており、霊魂も現実には存在しないと考えている。これは無神論的な宗教であると主張している。また生物の進化は、現実には起こらないと考えている。進化論ではなく、生命の科学的創造により、より高度な生物が誕生したとされる。創世記は過去の生命創造の証となるという。有神論的創造説とは異なり、外宇宙の知的生命による創造科学論であるとしている。
エロヒムのメッセージでは、アダムとイブはDNAレベルで創造された「試験管ベビー」であり、実験場のひとつエデンの園はイスラエルにあったと書かれている。またエロヒムの1人「アマミキヨ」が最初に降り立ったのは日本の沖縄県であったとされており、現在も海底神殿などの遺跡が残されていると主張している。
またこの団体の広報によると折に触れエロヒムは人類と接触しており、そのためエロヒムは原始的人類の理解を越えた神として振舞ってきたと信じている。モーゼ、ブッダ、イエス、マホメットなどの預言者は、エロヒムのメッセンジャーであったとされる。
創始者のラエルを含めラエリアンムーブメントのメンバー全員が無給でこのメッセージ普及活動に従事している。メンバーからの寄付金はエロヒムを地球に迎えるための大使館建設及び講演会・セミナー開催必要経費などに充てられている。ラエリアンのメンバー全員がエロヒム迎える大使館建設およびエロヒムからのメッセージ普及という2つを目的に活動を続けている。
2003年11月の時点で、世界90カ国に活動拠点があり、6万人以上のメンバーが在籍しているといわれる。
中でもラエリアンムーブメント日本支部は最も規模が大きく、公式アナウンスによれば6,000人以上のメンバーを擁している。現在は、ラエリアンムーブメント主催によるメッセージ講演会が全国各地で開催されている。
※日本ラエリアン・ムーブメント
設立年:1980年
住所:289-2311 千葉県香取郡多古町本三倉640-A1
(上)代表責任者:伊藤 通朗(いとう みちお)
http://profile.ameba.jp/michioito/
教義
ラエリアン・ムーブメントの教義は、ラエルが異星人エロヒムの1人と会って告げられたメッセージを真実と認め、エロヒムを人類の創造主と認めて、彼らの要望どおり地球に迎え入れることである。ラエリアンとは、このメッセージを理解できた人のことをいう。メッセージは、ラエルの著作『地球人は科学的に創造された』にまとめられており、概要は以下のとおりである。
1973年のメッセージ
この団体の広報によると、ラエルは1973年にフランス中部の山岳地帯で、空飛ぶ円盤から降りてきた異星人と遭遇した。異星人は世界中の言語を話せるといい、フランス語でラエルと会話した。その後、同じ場所に円盤は出現し、ラエルは6日間にわたり円盤内で異星人からメッセージを聞き、それをノートに書きとめた。
異星人は自らをエロヒム(ヘブライ語で「天空から飛来した者たち」の意)と名乗り、2万5千年前に、彼らの科学者たちが地球にやってきて、生命創造実験を開始したと語った。彼らの惑星では、生命創造実験は危険であるとされ、禁止されていたからである。彼らは地球で、ひとつの大陸を形成した後に、化学物質から植物の細胞を創造した。全ての生命を創造し、現代で言うエコロジーと呼ばれる生態系を作った、とされる。
人間の文明が進歩することは、創造者=エロヒムの安全を脅かすことであり、科学に関しては無知にする必要があった。しかし、実験場の1つであるエデンで、創造者の科学者たちが人間に、科学技術を発展させれば創造者と同様になれる、ということを教えてしまった。そのため実験場内での人間の保護を止め、人間は実験場から外界に出されることとなった。このことにより、追放された創造者の科学者たちは、人間の娘たちを妻にした。そして、彼らの子供たちの子孫がイスラエルの民となった。この後、彼方の惑星の創造者たちは人間を危険なものとして、洪水によって全ての生命を抹殺した。しかし、数千キロメートル離れた上空で保存されていた細胞を使って再び生命は創造された、と説かれている。
モーゼやエリヤ、エゼキエルらの前に姿を現したエロヒムは、その後ひとりの「メシア」を遣わすために、マリアに創造者の子をもうけた。イエスやモーゼによる様々な奇跡は、創造者の科学技術によるものである。イエス・キリストは、エロヒムが人類を創造した証としての聖書を、世界中に広める役割を持っていた。この役割は、本来はイスラエル人に与えられていたものである。
ラエルはモーゼ、釈迦、イエス・キリスト、ムハンマドなどのエロヒムが遣わした預言者たちに続く、アポカリプスの時代(全ての事が科学的に理解できる時代)の最後の預言者になる。ラエルは、ラエルの名でメッセージを広め伝えることと、エロヒムを迎える大使館を作ることを要請される。
エロヒム自身も別の惑星からの創造者により創造され、将来人類も創造者となり他の惑星に生命を誕生させる時が来るという。またエロヒムは、他の多くの惑星と経済的交流をもっているが、エロヒムと同等の科学水準にある惑星の文明は発見できていない。創造者の世界では、生物ロボットを使うことにより労働の義務がなく、貨幣制度も結婚制度も存在せず、知性が高い人々によって選ばれた天才たちによって統治されているという。人類の破滅を避けるためには、天才たちによる天才政治、人道的人類主義、単一の貨幣制度および世界政府実現が必要であると記されている。
※一般論として、フリーメイソンリー=イルミナティの独善的な思想が良くわかる。基本的に世界中のカルトは、フリーメイソンリー=イルミナティのダミー団体。どのカルトでも終着点は同じ。共産主義。
1975年のメッセージ
この団体の広報によると、ラエルは、1975年にロックプラで再びエロヒムと会った。そして地球近くの基地を経由して、エロヒムが他の惑星上に造った楽園を訪れた。そこは「不死の惑星」と呼ばれ、科学的に不死となったイエス・キリストや仏陀、モーゼなどの預言者たちと、選ばれた不死の地球人たちがいた。
エロヒムが人類を滅ぼすことはしない。ただし、人類自身の手による大破局が訪れた場合は、ラエルに従う人々及びエロヒムのメッセージは知らなかったが人類の発展に貢献した人々だけが救われる。
ヤーウェはエロヒム不死会議の議長であり、地球における人工生命創造計画の指揮をした。エロヒムはすべての人間を観察していて、その生涯の行為において採点され、死後「不死の惑星」に再生されるか否か、裁きを受けると記されている。 神は存在せず、霊魂も存在しない。死んだ後は、科学によるものでない限り何も残らない。
エロヒムを迎える大使館はイスラエルのエルサレム近くに希望するが、もしイスラエルが拒否すれば大使館は別の国に建てられて、イスラエルは破壊される。
現在は日本に大使館を建設する計画が進んでいる。
エロヒムが再び来訪すれば、人類は新たなる黄金時代に入る。エロヒムと共にキリストなどの預言者が大使館にやって来る。
過去にエロヒムは、ルルドをはじめとして、世界各地で援助に値すると判断した人々に、救いの手を差しのべて来た。
1997年のメッセージ
この団体の広報によるとその後1997年にもメッセージがあり、イスラエルの民とのつながりは終わりに近く、エロヒムの保護を失い離散するだろうとしている。新しい時代での仏教は、ラエリアンに近い宗教である。全ての諸国に、大使館建設のための許可と必要な治外法権を要請する。1kmの領地の半径は陸でも、航行が禁止されていれば水面でも良い。大使館を建てる国の将来は保障され繁栄し、将来何千年も全地球の精神的科学的センターになる、とのメッセージがあったと記されている。
なお、2009年(ユダヤ歴5769年)にイスラエルに対してエロヒムから最終警告のメッセージがあったとされ、その後、広報によると、2015年8月6日でエロヒムのイスラエルへの保護が無くなったという。
クローン人間
ラエリアン・ムーブメントの司教ガイドであるブリジット・ボワセリエ(Brigitte Boisselier)代表は、「クローンエイド」(Clonaid)という専門会社を設立して研究を行い、2003年にクローン人間が誕生したことを発表した。また、2004年にも同社は複数のクローン人間の誕生を発表した。日本でも発表した事実については、文部科学省の作業部会と国会で取り上げられている。
※一般人としては世界初、エロヒム寺で初詣で(やや日刊カルト新聞 2011年1月1日)
http://dailycult.blogspot.jp/2011/01/blog-post.html
教祖がUFOに乗せられ宇宙人エロヒムからメッセージを受け取ったとする「ラエリアン・ムーブメント」が今年10月、成田空港に近い千葉県多古町に寺院を建設しました。そこに本紙記者陣がアポなし“初詣で”。部外者としては世界で初めて、同寺院への参拝を果たしました。
寺院の正式名称は「弥勒菩薩光臨堂」。ラエリアンでは、教祖ラエル氏はマイトレーヤ(弥勒菩薩)であるとされており、この寺院でラエル氏は毎週、瞑想指導を行っているとのことです。
周囲を杉林に囲まれた真っ暗な敷地に浮かび上がる、朱塗りのお堂。ラエリアンは「宗教ではない」と主張している団体です(もちろん仏教でもありません)が、こりゃ確かに寺っぽい。「ラエリアンニュース」でも、「寺院」と書かれています。
ちょうどメンバーの姿が見えたので「こんばんは~」「初詣に来ました~」と声をかけると、「ちょうど大みそかのパーティーが終わったところ」と言って、快く中に招き入れてくれました。アポなしにもかかわらず。
聞けば、ここは「寺ではなく、瞑想センターだ」とのこと。現在、教祖ラエル氏は日本に居住し、毎週ここで瞑想指導などを行っているそうです。
パーティーは終了していましたが、メンバーが豚汁をふるまってくれました。壁に巨大なラエリアンマークが飾られていました。六芒星と逆卍を組み合わせたマークです。
本紙・藤倉「あれ、マークが元に戻ったんですね」
もともとラエリアンのマークは六芒星に逆卍でしたが、一時期、六芒星と渦巻きの組み合わせに変えていました。それが元に戻っています。
メンバー「よく知ってますね~。逆卍はヨーロッパで評判が悪いので、使わなくなっていたんです。でも、もともとのマークは、六芒星に逆卍の組み合わせで「無限」を意味するものとして作られたので、やはり元のマークがいいだろうということで」
話している途中、メンバーのノートパソコンに韓国のメンバーからネット電話が入りました。韓国にもメンバーがけっこういるのだそうです。
でも、部外者がお参りに来るのは初めてだったらしく、メンバーは「世界初の一般参賀~!」と喜んでくれました。
帰りしなに、お賽銭箱に1万ウォン入れて、記者陣の取材の無事と健康、交通安全、金運・恋愛運・仕事運・勝負運その他もろもろの運気の向上を願ってきました。お賽銭箱の脇には、「創造者エロヒムからのメッセージ」というポスターが祀られていました。御本尊はエロヒムなのでしょうか。
なんだかよくわかりませんが、当初のもくろみ通り、一風変わった初詣でを満喫できました。
※宇宙人・鳩山由紀夫首相にラエリアンがラブコール(やや日刊カルト新聞 2010年3月27日)
http://dailycult.blogspot.jp/2010/03/blog-post_27.html#more
(前略)
■宇宙人大好き・疑似科学セックス教団
人間の体の仕組みに関するラエリアンの感性はかなり独特です。2004年頃に私がセミナーに潜入した際には、「いろんな人とセックスすると脳のニューロンが活発になって頭がよくなる」という教義を聞かされました。フリーセックスを推奨する宗教団体ですが、実はその根拠がこんな話だったりします。ただしセミナーでは教祖の音頭で信者たちが「オールウェイズ、オールウェイズ、コンドーム!!!」と叫び声をあげたりするので、エイズ対策は万全です(たぶん)。
さらにラエリアンムーブメントは、善業を積んだ人間は死後、その遺伝子をもとに宇宙人がクローンを作ってくれるので、宇宙で復活できるという教義を持っています。クローン人間は遺伝子情報が同じなだけで人格や記憶は全くの別人なんですが、ラエリアン的には、その辺のつじつまがあわなくたってへっちゃらみたいです。
本紙主筆も、セミナーに潜入した際にラエリアンの洗礼(トランスミッションと呼ばれています)を受けました。この儀式によって、本紙主筆の遺伝子情報がすでにUFOに転送されています。死んでも宇宙で復活できるので、病気なんか怖くありません。毎日たっぷりタバコを吸いまくっています(ラエリアンの教義では、タバコ、酒、カフェインの摂取が禁止なんですが)。
■本紙主筆を打ちのめしたエロ合宿
ラエリアンの合宿セミナーではダンスパーティーもあり、本紙主筆は女装させられた上に、男装した女性の先輩信者からチークタイムにお尻をまさぐられたりして、ちょっとトラウマになりました。痴漢にあった女性の恐怖感が少し理解できました。痴漢は憎むべき犯罪であると身を持って知る、いい機会になりました。韓国人の女性信者がやたらとノリがよく、モーニング娘。の曲にあわせておっぱい丸出しで踊り狂っていたりしました。これは見ていて楽しかった。
当時、某ホテルを貸切にして合宿をしていたラエリアンはホテルの風呂は混浴にし、カラオケルームを信者同士のヤリ部屋として使うなど、まさにヤリたい放題でした。紙に名前を書いて、時間ごとに順番で信者たちがカラオケルームでセックスしていました。お相手が見つからずにいた新参信者たちの間では、「風呂場でヤッてるヤツらがいた!」「ホテル近くの林でヤッてるヤツらがいた!」「車の中でヤッてるヤツらがいた!」と、熱い目撃情報が飛び交っていました。
ただしこのときラエリアンは、見境ない乱交を行っていたわけではありません。いうなれば「合宿式の合コン」みたいなもので、すでにパートナーがいる人だろうがそうでない人だろうが、声をかけて双方が合意すればヤッちゃうというニュアンスです。そういうシステムなので、ボーッと突っ立っているだけでは、誰もセックスしてくれません。
本紙主筆は、「世俗でもモテないのに、セックス教団でもモテなかった」という現実を突き付けられ、心に深い傷を負ったままラエリアン取材をやめました。
合宿中は、断食修行(?)もありました。確か24時間だか36時間程度ですが、水以外は一切口にしてはいけないと言われました。あと、セックスはおろかオナニーも禁止だと言われました。理由はナゾです。
断食終了の時間に夕食が出たのですが、タマゴとかウナギとか天ぷらとか、やたら精のつくものばかり。このときからセックスもオナニーも解禁なので、「栄養つけて励めよ」ということなのかもしれませんが、断食明けにこの食事は体に悪そうです。統合医療云々とかいうなら、断食療法くらいかじっておいてほしいと思います。で、この食事の後に、セックス解禁を告げられた信者たちが「オールウェイズ、オールウェイズ、コンドーム!!!」と叫んでいたわけです。ウナギを食いながら。
しかし近年のラエリアン合宿は、ホテルを貸し切るまではせず、一般宿泊客もいるホテルを利用しているようです。そのせいか、エロさはトーンダウンしています。食事中に「コンドーム!」とか叫ぶこともないようです。
・妙信講、講頭・甚兵衛、理事長・昭衛(いずれも当時の役職名)、幹部と男子部員ら33名が、創価学会本部を襲撃したとして日蓮正宗から信徒除名処分にされる(1974年11月4日)
・三木内閣(1974年(昭和49年)12月9日から1976年(昭和51年)9月15日)
・日本で(現)「世界日報」創刊(1975年1月1日~)
※(現)「世界日報」は世界基督教統一神霊協会の機関紙。発行社は世界日報社。初代会長は「世界基督教統一神霊協会(統一協会)」と「国際勝共連合」の会長を兼任していた久保木修己。代表取締役社長兼主筆は木下義昭。韓国の全国紙「世界日報」や、統一教会傘下の「ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ」社が発行する「ワシントン・タイムズ」紙と提携している。
勝共連合機関紙「思想新聞」を改称し、発展させる形で、一般日刊総合紙を装う形ながら、事実上統一協会と勝共連合の機関紙である。
・中川隆、東京大学文科一類を受験するも不合格(1975年2月)
・中川隆、徳島県立城南高等学校を卒業。1年間浪人(1975年3月)
・石原慎太郎、現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選挙に自民党推薦で出馬するも落選。その後衆議院議員に復帰(1975年4月13日)
・「パシフィックフォーラム CSIS」設立(1975年)
・グアム島で「創価学会インタナショナル」(SGI)設立(1975年)
・アミシャーブ(Amishav)設立(1975年)
※イスラエルの失われた10支族に関する調査機関。アミシャブはイスラエルの失われた10支族(12支族)を捜し求め、世界中の国々を調査している。最高責任者はラビ・エリエフ・アビハイル(Rabbi Eliyahu Avichail)。
アミシャブ傘下の「ベネイ・マナセ」(Bnei Menashe)という団体が帰還運動を推進している。
アミシャブと同様の活動をする組織としては、シャーベイ・イスラエル(Shavei Israel)も存在する。
・欧州非干渉散乱科学協会(EISCAT)設立(1975年)
(上)EISCATのロゴマーク。
※牛(CAT=CATTLE)です。EIS=ice(氷)?極地での実験だから?eye(目)とかけてる?
・韓国、「国家冒涜罪」制定(1975年)
※一般に「国家元首冒涜罪」と呼ばれ、大統領への批判に対する言論統制を行なう手段として利用されてきた。1988年廃止。
・国際連合大学活動開始(1975年)
(上)東京都渋谷区神宮前五丁目53-70にある国際連合大学本部。国連大学は日本に本部を置く唯一の国連機関。国連の日本における拠点でもあり、構内では不可侵権が認められている。土地および建物は、建物が文部科学省の管轄であり、土地が東京都の管轄である。
本部施設(国連大学本部ビル)は、東京都により無償で貸与された土地に日本政府の予算(総工費120億円)+国際連合大学基金への拠出金1億ドルで建設されたもので(負担を嫌ってどこの国も誘致しなかった)、1992年6月に完成。設計は丹下健三による。
・崔太敏、「大韓救国宣教団」(救国十字軍)を創設(1975年4月)
(上)崔 太敏(チェ・テミン、朝鮮語: 최태민、1912年5月5日 - 1994年5月1日、生誕名は崔道源(チェ・ドウォン、최도원)) 。画像は1977年1月19日撮影。
※大韓民国の牧師、呪術師、シャーマン。 黄海道鳳山郡生まれ。日本統治時代に警察官を務め、光復後僧になったという。6回結婚し、複数の偽名を使っていた。娘は崔順実(チェ・スンシル) 。
1970年代初め、仏教・キリスト教・天道教を総合した新宗教「永世教(ko:영세교)」の開祖となった。
1974年8月15日に朴正煕元大統領の夫人、陸英修が暗殺された後に、陸の霊に『私と娘の間には秘密がある。それを手紙に書いて送れば先生に会うから、会ったら娘に力を貸してやって欲しい』と話した崔が手紙を書いて、ソウルの光化門郵便局に送ったところ、大統領府(青瓦台)から崔氏の龍山の自宅(同時)に電話があり『差し向ける黒い乗用車に乗って来なさい』と言われた。崔が朴槿恵に会い、母親から聞いた秘密の話をしたところ、朴槿恵が気絶した。その夢で朴槿恵が母親に会ったところ「崔太敏さんはお前を助けてくれる」と言ったという。その時から朴槿恵は崔を完全に信じることになった。
そして朴正煕大統領が1972年10月に維新体制を行い、キリスト教は反対勢力になったので崔太敏に『お前はもう牧師なんだから、基督教の既存勢力を抑える団体を作れ』と言われ永世教の看板を下ろし、1975年4月、宗教団体「大韓救国宣教団」(救国十字軍)を創設し全国に支部が完成すると総裁に就任、朴槿恵を名誉総裁に迎えた。その時、崔太敏と令嬢・朴槿恵が部屋に入れば、一日中出てこないという噂があり、金載圭中央情報部長が情報報告を朴正煕大統領にしたことで朴大統領が二人を呼んで直接訊いた。朴槿恵は崔を積極的に擁護し、崔は『私たちは霊的な家族や夫婦のようなものであって、肉体に関する浅ましい話はしてくれるな』と言った。この話を朴正煕大統領が聞いて納得した。金載圭部長には情報を上げるならしっかりしろと言った。この事が金による朴正煕暗殺事件に繋がった。
1979年、この団体を「セマウム奉仕団」に改称、地域・大学・企業内に支部を作り急成長させていった。
朴正煕政権時代(1979年10月26日まで)、青瓦台に自由に出入りし権勢をほしいままにしており、『韓国のラスプーチン』ともよばれていたという。1977年9月、大韓民国中央情報部(KCIA)長金載圭の報告をもとに、不正容疑などのため朴正熙大統領から直接尋問されたものの、司法処理は免れた。朴正煕暗殺事件3日前の1979年10月23日、金載圭は、崔太敏の経歴・不正の事実・女性関係・利権介入に関する報告書を朴大統領に直接手渡しており、その内容は、2007年大韓民国大統領選挙・2012年大韓民国大統領選挙の際韓国メディアに詳報された。
1980年代には槿花奉仕団の総合総会長として寵愛していた若くして副総会長にしたチョン・ギヨン牧師を妬む他の牧師に『オイ、この野郎。お前たちはシャーマンが持つ霊力もないくせに、何が牧師だ。情けないやつらだ。この方は私より霊力が強いので私が迎えた方だ』と激怒した。崔は普段は言葉が粗いがこチョン牧師には優しく、600万ウォンという当時ならマンション2世帯分買える金を与えた。
1993年10月にチョン牧師と会うと、崔太敏はボディガード6人を連れていて『将来、朴槿恵氏が大統領になるので彼女の選挙運動に力を貸してください。槿花奉仕団が全国に70万人の組織を使って選挙運動を引き受けてください。資金は朝興銀行[安国洞]](アングクトン)支店に13億ウォンあり、貯まっている利子が9000万ウォンあります」と頼んだ。崔一家は生活が苦しく修業時代は他人に米を貰って食べていたほど貧しかったが、1974年の暗殺事件以後に朴大統領(父)の近くにいるようになると、企業関係者や救国布教団の役職が欲しい人々が様々な物を持って来るなど13億ウォンも貰ったものだった。
1994年に崔は慢性腎不全で亡くなった。しかし、1998年、朴槿恵大統領が大邱達城の再・補欠選挙で当選し政治を始めた時、娘で五女のチェ・スンシルの夫のチョン・ユンフェ)が秘書室長として2000年まで朴槿恵議員室の活動を管理して大統領府(青瓦台)の「門番3人組」(イ・ジェマン前総務秘書官、アン・ポングン前国政広報秘書官、チョン・ホソン前付属秘書官)を1998年に選んだ人物として韓国では知られている。上記のように朴槿恵には崔の影が付きまとっていたことが崔順実ゲート事件に繋がった。