チラシの裏の落書き帳   作:はのじ
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艦隊これくしょん きらきら光る

「私、なんでこんな部隊に配属されたのかしら……」

 

 満潮は海上でひとりぽつりと呟いた。

 

 空は澄み切り晴れ渡り、青い海はきらきらと太陽の粒子を弾き返していた。この海域は深海棲艦から奪還して久しい。赤い海は遥か水辺線の彼方だ。

 

 満潮は作戦海域から帰還の途中であった。

 

 長門を旗艦として以下、瑞鶴、隼鷹、五十鈴、木曽、満潮の六人で艦隊を組み、中破・小破の艦娘はいるもの、深海棲艦の部隊を殲滅。勝利の余韻に浸る艦娘達に気の緩みは許さないとばかりに、戦艦長門が激を飛ばし気を引き締め、整然と編隊を組み泊地への帰還の途についているのだ。

 

 戦闘は激戦だった。運が悪ければ大破が、そして誰かが轟沈したかもしれない。そう、運が良かったのだ。本当に運が良かった。

 

 深海棲艦側の艦隊編成は、戦艦ル級、空母ヲ級、軽巡ホ級、軽巡ヘ級、駆逐ロ級、駆逐ロ級の六隻。奇しくも艦娘艦隊と同数だった。

 

 戦闘を終え、無傷なのは長門ただ一人。瑞鶴、隼鷹、五十鈴は中破し、木曽は小破。満潮は運良く小破未満に留まっていた。満身創痍とまでは行かずともこれ以上の連戦は避けたい所だった。

 

 尤もこの海域は艦娘達の庭だと言っても良い。泊地にほど近く、駆逐艦や潜水艦、空母による偵察機による哨戒が常に行われている。上空では妖精さんが搭乗する零式水上偵察機が翼を上下に振り、艦娘達の無事の帰還にお帰りなさいと挨拶をしていた。

 

 満潮は胸の奥に燻る、澱にも似た重く濁った思いをため息と一緒に吐き出した。

 

 戦場で死ぬかもと思った事は何度もあった。泊地に赴任する以前、鎮守府に所属していた頃の戦闘でだ。しかしそれは個人的な事例だ。自分は死ぬかもしれないが艦隊は生き残る、そういう戦闘だった。

 

 今日の戦闘で覚えた死の恐怖は過去に体験したそれではない。満潮個人の死ではなく艦隊の全滅。全員の死だ。全員死ぬかも、ではない。全員死ぬと思った。全員死んだとも。

 

 満潮はぶるりと体を震わせた。海上を移動する艦娘に、気化熱による体温の低下はあり得ない。水しぶきに塗れながら深海棲艦相手に砲撃戦をするのだ。熱い寒いなど艤装を展開した瞬間に感じなくなく。

 

 体を震わせたのは恐怖からだ。

 

 満潮は恐怖で身を震わせた。艦娘として誕生して、初めて感じた純粋な恐怖を思い出したのだ。

 

「ひゃっはぁー! 帰ったらパーッと飲もうぜ~。パーッとっ!」

 

 我慢しきれなくなったのか、隼鷹が艦隊の艦娘を飲みに誘っていた。

 

「俺に酒で勝負を挑む馬鹿は何処の何奴だぁ?」

 

「バカね、飲み比べは五十鈴の十八番よ」

 

「いいわね。五航戦の本当の力、見せてあげるわよ」

 

 隼鷹に釣られて木曽、五十鈴、瑞鶴が笑顔を見せた。入渠が終われば艦隊の有志で飲みに行くのだろう。だが……

 

「……っ」

 

 そんな艦娘達を長門がじろりと睨んだ。気を抜くなと激を飛ばした長門だ。戦艦として、旗艦として、責任ある立場の長門の眼光は歴戦の満潮をして身がすくむ思いだ。

 

 爆音鳴り響く戦場であっても不思議とはっきり響く長門の大音声は時に味方を奮い立たせ、敵を震え上がらせる。満潮は長門の叱責を覚悟した。

 

「ふっ…この長門を侮るなよ。ビッグセブンの力とくと味わうがいい。全員で掛かってこい。もしも勝てたなら、お代はこの長門の奢りとしようか」

 

 長門の勇ましい言葉に、わー、きゃー、おー、きゃはーと姦しい声が重なった。満潮が長門の横顔を盗み見すれば、先程までの厳しい表情は崩れ、白い歯を見せて笑みさえ浮かべていた。

 

「提督に無事の帰還を報告するまでが作戦だ。泊地まであと少しだ。気を抜くなよ」

 

 この海域で深海棲艦の奇襲などあり得ない。しかし長門は表情とは裏腹に皆の気を引き締める。歴戦の艦娘達だ。言われずとも誰よりも理解しているはずだ。実際に口に出した言葉とは真逆に油断している艦娘は誰一人としていなかった。油断なく周囲の警戒をしているのは満潮の目から見ても一目瞭然だった。

 

 満潮はそんな艦娘達を見ながらため息をついた。

 

「……ほんとに……なんでこんな部隊に配属されたのかしら……」

 

 満潮の視界にも泊地の施設がはっきりと見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「小破以上は高速修復材の許可が出ている。満潮は小破に届いていない。ゆっくりと入渠してくれ。なに、心配するな。店の予約は満潮が全快する予定の時間に合わせている」

 

「そんな心配してないわよ」

 

 艦隊は泊地の桟橋施設から上陸した。上陸後負傷者は入居施設へ、長門は帰還の報告を提督にする必要があった。

 

「そうか。ならばしっかりと傷を癒やしておけ。私は提督に作戦終了の報告をしてくる。今日はよくやったな」

 

 褒められた事と、しっかりと酒席の頭数に勘定されている事が嬉しくもあり恥ずかしくもあり、満潮は頬を染めながらそっぽを向いてしまい、この時の長門の表情を見ることが出来なかった。

 

「ふふ……」

 

 そんな態度の満潮に気分を害する事も無く、素直になれない満潮の態度を可愛いと思ったのか、他に理由があるのか、長門は小さな笑い声を残し颯爽とその場を去っていった。

 

「そういう事だからさ、先に飲んでっからな。ちゃんと来いよ~。今日は満潮の歓迎会も兼ねてるんだからさ。ひひっ」

 

「え?……」

 

 隼鷹が屈託なく満潮の肩をぽんと叩いた。振り向いた時には隼鷹は既に背中を向けていた。

 

「そういう事だ。新参者の飲みっぷりに期待してるぜ」

 

「新しい戦力に乾杯ね」

 

「あ~あ。折角内緒にしてたのに。じゃ、待ってるから後でね」

 

 木曽、五十鈴、瑞鶴がすれ違う度に満潮の頭を肩を背中をぽんと叩きながら通り過ぎていった。

 

 満潮は生来の性格から素直に礼が言えなかった。勿論内心は嬉しい。我慢しきれず嬉しさから口元がによによとする程に。頬が紅潮しやり場に困った手が中空に浮いていた。

 

「……嬉しくなんか……ないんだから……ふんっ……」

 

 嬉しくないはずがない。仲間だと認めてもらったのだから。しかし満潮はとある理由から、自らが彼女たちの仲間だと胸を張って言えない理由があった。

 

 そして、それとは別に理解出来ない一つの思いがあった。それは戦場から帰ってきたばかりの彼女たちの屈託のない態度だ。

 

 満潮は部隊全滅の予感に恐怖した。しかし長門を含めて、満潮以外の艦娘達は全員、戦闘前も、戦闘中も、戦闘後も、誰一人として恐怖という感情を表に出した者がいない。満潮はただただ無我夢中だったが、戦闘中も彼女たちは終始余裕で笑い声さえ上げていた者もいた。

 

 満潮はそんな彼女達にも恐怖を覚えたのだ。戦歴の差、経験の差と言ってしまえば簡単だ。本土の鎮守府から赴任した満潮と最前線の泊地で戦う艦娘の戦闘経験値の差は当然ある。練度も違う。

 

 だが部隊全滅という最悪の死を目の前にして彼女達のように屈託なく笑う余裕など満潮にはない。そこには何か秘密があるはずだ。

 

 最前線の泊地で異常な戦果を上げる司令官。一時期、本土と泊地をつなぐ航路が深海棲艦に遮断され補給も連絡も滞った時期があった。大本営は泊地の全滅を覚悟していた。しかし泊地の艦娘達は独自で航路を奪い返した。信じられない戦果と共に。その上、以後は資源の補給要請は一切なく、それでも戦果を上げ続けているのだ。

 

 日々の報告は送られている。だが大本営の幹部は誰も信じなかった。泊地の司令官は重大な何かを隠しているはずだと。

 

 満潮はその秘密が知りたい。何故なら満潮はその秘密を探るべく大本営から諜報の為に派遣された艦娘なのだから。

 

 満潮の心は複雑だ。それを踏まえても満潮の口から出る言葉は。

 

「……なんでこんな部隊に配属されたのかしら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「入り給え」

 

 提督が入室の許可を出し、秘書艦の高雄が扉を開いた。その先には満潮が立っていた。

 

 入渠を終えた満潮だったが、歓迎会の約束の時間にはまだ余裕があった。いつまでも心に澱を溜めておくのは満潮の性に合わない。ならば思い立ったらとばかりに満潮は、直接提督と話をしようと決めたのだった。

 

 提督。司令官。

 

 泊地に在籍する艦娘達を指揮する艦隊司令官だ。

 

 第二種軍装に身を包み、目深に被った軍帽からは鋭い眼光が覗いていた。戦闘中に負ったのか、頬にある一文字の傷が印象的だ。司令官は満潮の姿を確認すると執務を続行し書類に決済をしていた。

 

 秘書艦の高雄が執務室に備え付けの応接ソファーに満潮を案内し、自身はお茶の用意をすべく、笑顔を残して同じく備え付けの給湯室に消えた。その際に司令官とアイコンタクトをして頷いていたのが印象的だった。

 

 チコチコと機械式の置き時計から秒針の音が聞こえる。窓の外からは駆逐艦達の甲高い、楽しげなはしゃいだ声が聞こえた。

 

 時間にすれば僅かだった。満潮が何を話そうかと思案が纏まらないままにいると司令官が手にした万年筆を片付ける音が聞こえた。

 

「すまない。待たせたな」

 

「……別に」

 

「そうか」

 

 司令官は気分を害する事もなく小さく微笑むと応接ソファーまで歩き、ローテーブルを挟んで満潮の正面に座った。タイミングを計ったかのように高雄がお茶とお茶請けを満潮と司令官の前に並べ、流れるように司令官の隣に腰掛けた。

 

 少しだけ怪訝に感じた満潮だが、上官のすることだ。そんなものかと流すことにした。

 

 満潮の目の前に座る司令官は、一〇年を超える歳月を泊地で過ごし、数々の武勲を打ち立てている。泊地に着任する以前は鎮守府に在籍し、当時まだ数の少なかった提督達と連携し艦娘を従え、深海棲艦の支配する海域を次々と開放していった。

 

 しかし実績と比べて年齢は意外と若い。まだ三〇を過ぎたか過ぎていないか。その程度である。鋭い眼光の中に優しさが見え隠れし、頬の傷も、時折浮かべる笑みが威圧感を和らいでいた。

 

「高雄の淹れたお茶は相変わらずおいしいな」

 

「ふふふ。提督、ありがとうございます」

 

 満潮の心情を知ってか知らずか司令官は話を急かすこと無くお茶を飲んで寛いでいた。唐突の訪問に執務を中断させられても嫌な顔一つせず、満潮が話すのを待ってくれている。満潮は考えが未だ纏まらない。しかし口に出るがままに任せる事にした。

 

「……どうして……どうしてあの部隊に、私を配属したのよ……」

 

「ふむ」

 

 司令官は手にした湯呑みをローテーブルに置くと、思案するように顎に手を遣った。

 

「満潮君は、あの部隊の者達をどう思う?」

 

「……君はいらない……満潮でいいわ……」

 

「わかった。満潮は長門達と一緒に戦ってどう感じた?」

 

「……変よ、あの人達……」

 

 満潮の回答は辛辣だ。しかしこれでも控えめに言ったつもりだった。泊地に所属する艦娘は大半が、目の前の司令官が建造し鍛えてきた者達だ。中でも満潮が所属する艦隊の艦娘は全員、司令官が建造した艦娘達だ。悪く言われればいい気はしないだろう。それでも満潮は言わずにいられない。

 

 長門以下、瑞鶴、隼鷹、五十鈴、木曽の練度は満潮を遥かに上回り、一対一で演習を一〇〇度行えば一〇〇度負けるだろう。士気も高く、泊地、つまり司令官への帰属意識も高い。轟沈の可能性が高い作戦でも司令官の命令一つで躊躇せず出撃するだろう。

 

 だがそこは問題ではない。練度も最前線の泊地で戦う内に追いつく自信はある。士気も今は心の整理がついていないだけで落ち着けば負けない自負はある。満潮は艦娘なのだから。

 

 轟沈は怖い。怖いが我が身が大事で怖い訳ではない。身を犠牲にすることで艦隊が勝利出来るなら笑いながら沈んでやると日頃からの心構えはあるつもりだ。

 

 満潮と長門達の決定的な違い。それは……

 

「変か。成る程。ふははは」

 

 叱責を覚悟していた満潮だったが意外にも司令官は怒りもせずに笑った。司令官の隣に座る高雄もふふふと笑みを浮かべている。

 

「……なによ」

 

「あぁ、済まない。長門の艦隊に配属した理由だったな。いくつか理由はあるが、満潮が泊地に派遣された目的を果たして貰う為だと言っておこうか」

 

「……え?」

 

 満潮は血の気が引いていく音を建造されて初めて聞いた。背筋に冷や汗が流れ指先が声が震えた。この司令官はどこまで知っているのだろうかと。

 

泊地(ここ)にはそういうのが得意な艦娘がいるんだ。満潮の様子を気にして勝手に調べたみたいでね。尤も彼女の場合は趣味の範疇だけど」

 

 満潮は諜報活動は得意ではない。むしろ苦手だ。自らの気質にもそぐわない。自分に諜報などという命令を下した大本営が間違っている。それ以前に満潮は諜報活動などするつもりなどなかった。仲間である艦娘を騙すように調査を行うなどあり得なかった。

 

 最初命令を受けたときは鼻で笑った。あり得ないと。艦娘である満潮に深海棲艦と戦う以外、馬鹿な命令を唯々諾々と受諾する義務はない。満潮は、機会があれば調べといてあげる、とその場を濁した。転任してしまえばこちらのものだ。馬鹿な命令を聞く義務も義理もなくなるのだから。

 

 艦娘に命令出来るのは司令官のみ。いくら大本営の幹部だとて艦娘の満潮が彼らの命令を聞くはずがない。そこを勘違いしている人間の、なんと多い事か。

 

 だがその命令は満潮の心の隅に残ってしまった。抜群の戦果を上げる泊地の艦娘達。艦娘として満潮にも誇りはある。深海棲艦と戦う事は艦娘として存在意義でもある。そして自らも泊地の艦娘と同じステージに立って戦いたい。満潮は自らの好奇心と向上心から泊地の艦娘の秘密を探ろうとしていたのだ。勿論大本営に報告するつもりなどなかった。

 

「……どうして……どうして知って……」

 

「言っただろ? そういうのが得意な艦娘がいるって」

 

 満潮は顔を伏せた。いつも強気な自分らしくないことは分かっていた。今更大本営は関係ない、興味本位からだと言っても通用しないだろう。後ろめたさも相まり、満潮は司令官の顔が見れなくなった。

 

 どうやって調べたか分からない。分からないが満潮は司令官に恐怖した。まるで全てを見透かされている様に、装甲艤装であるブラウスからサロペットスカートに至るまで全てを剥かれ、裸で相対している様な恐怖を感じた。司令官と戦えば間違いなく満潮が勝つだろう。それは百回、千回、万回繰り返しても同じだ。しかし司令官の強さとは肉体的なものではない。旗下の艦娘を指揮して戦う総合的な強さこそが司令官の力だ。事実司令官の隣には重巡洋艦たる高雄がいる。肉体の性能も練度も経験も圧倒的に負けている。あり得ない仮定の話だが、満潮が司令官に襲いかかれば次の瞬間、床に這いつくばっているのは間違いなく満潮だ。もしかしたら執務室のどこかに、気配を消すのが得意な艦娘が隠れているかもしれない。

 

 俯いた顎からぽたりと汗が膝の上の手の甲に落ちた。誉ある戦場の恐怖とは一線を画する異次元のもの恐ろしさが満潮の心を縛ろうとしていた。

 

「怖がらせてしまったか?」

 

 意外と言えば失礼に当たるのだろうか。司令官の気遣うような優しい声が耳に響いた。いつの間にか高雄が隣に移動し満潮の背中を労るように撫でていた。母性あふれる高雄の大きな胸が肩に触れたが、悔しさを感じる事なく安心感を与えてくれていた。

 

「もう。提督、駄目ですよ」

 

「むう……満潮、済まなかった」

 

 高雄が提督を窘め、司令官が申し訳なさ気に頭を下げた。

 

「さぁ、これを飲んで落ち着きなさい、ね?」

 

 高雄がローテーブルの上に置かれた湯呑みを手に取り満潮に持たせた。湯呑みはまだ十分に温かく、冷えた満潮の手に熱を伝えた。

 

「……おいしい……」

 

「うふふ。お茶を淹れるのは自信があるの」

 

 満潮が美味しそうにお茶を飲む姿を見て高雄の目が喜びで細まった。

 

「それも食べるがいい。甘いくて美味しいぞ」

 

 司令官がお茶と一緒に出されていたお茶請けを勧めた。それは、餅から作った皮で餡を包んだ和菓子の一種だった。

 

 高雄を見れば、微笑みながら頷いていた。満潮はまだ震える指でそれをつまみ口に運んだ。

 

 まず、さくりとした食感が歯に伝わった。そのまま歯を通すと餡のしっとりとした柔らかさに変わった。

 

 美味しい。甘い。

 

 どちらを先に思っただろうか。唾液がじゅわっと溢れ出し、餡の絶妙な甘さを口いっぱいに広げた。甘味などどれも同じだ。大きな違いなどない。満潮は今日からそんな言葉を言えなくなった事に気がついていない。

 

 二口、三口、四口。夢中になり口に次々と運んでいった。この味は決して飽きることがない。食べれば食べるほどに新しい美味しさに気がつく。

 

「何よこれ……何よこれ」

 

 自身が呟いたことも後で聞いて知った。怯えていた瞳に光が灯り震えていた指はしっかりとそれを掴んでいた。

 

 悩んで悩んで体の奥であやふやになりつつあった艦娘としての芯が真っ直ぐに伸びていく。心に抱え込んでいた澱が次々と融けていき、つまらない事に悩んでいた自分が馬鹿らしく思えた。そうだ自分は艦娘なのだ。人間のつまらない勢力争いに巻き込まれる理由なんて無い。一番に考える事は深海棲艦を倒す事だ。倒す? どうやって? 決まっている。真正面からだ。艤装で吹き飛ばしてやるのだ。素手で殴り倒してやるのだ。仲間(艦娘)を助け庇い、司令官を輔ける。その上で満潮としてありまのままをさらけ出すんだ。それが艦娘だ。艦娘の満潮としてのあり方だ。今なら何でも出来る。根拠のない万能感が満潮を包んでいた。

 

 いつの間にかそれを食べ終わっていた。司令官の前に置かれたもう一つは手付かずで残っていた。高雄の前にはない。彼女の分は最初から置かれていなかった。

 

「よければ私のも食べるといい」

 

「提督」

 

「構わない。私にはただ美味しいだけの甘味だ」

 

 物欲しそうな顔をしていたのだろうか。司令官が自らの前に置かれた甘味を満潮に差し出した。高雄が少しだけ羨ましそうな顔をしていたが、これ程美味しい甘味だ。気持は痛いほど理解出来る。だがそればらば何故最初から高雄の分も用意しなかったのだろうか。

 

「何よ? それで私に恩を着せたつもり?」

 

 艦娘満潮としての性が素直に礼を言わせないでいた。これで臍を曲げられて食べれないとなれば痛恨の極みだ。こんな機会は二度とないかもしれないのだから。しかし満潮には何故か漠然とした安心感があった。この司令官になら、ありのままの自分を曝け出してもいいのだと。それは建造されて今まで感じたことのない不思議な感覚だった。

 

「そんなつもりはないよ。私は甘いものが少し苦手なんだ」

 

 司令官は満潮の言いように気を害することもなく笑顔のままだった。

 

 満潮には分かる。これはやせ我慢だ。司令官が苦手な甘味を高雄が出すはずがない。それに、これほどの甘味は万人を虜にする。甘味が嫌いな者でもだ。

 

「あ、そう。じゃ、貰ってあげるわ」

 

 ありがとうと言うつもりだった。しかし口をついた言葉は減らず口だった。満潮は甘味を見る振りをしながら視界の隅に司令官を収めるが気にした様子はない。やはりこの司令官は満潮としての性を曝け出してもいいんだと再確認出来た。

 

「そうして貰えると助かるよ」

 

「ふんっ、どうも。……ありがと……」

 

 減らず口と感謝の言葉。語尾は小さく司令官達には聞こえなかったかもしれない。自身ですらもどかしく、気恥ずかしいがこればかりは治らない。この司令官を前にすれば尚更だ。

 

 満潮は差し出された甘味を手に取り口に運んだ。一つ目と変わらず美味しく、ふつふつと体と心の奥から湧き上がる何かも同時に感じた。

 

「満潮。食べ終わってからでいい。長門達と一緒に戦ってどう思ったか、もう一度教えて欲しい」

 

 満潮はぱくぱくと甘味を咀嚼し、お茶で嚥下しながら今日の戦闘を思い出していた。

 

「……」

 

 勇ましい戦艦長門。頼もしい正規空母瑞鶴。軽快な軽空母隼鷹、凛々しい軽巡洋艦五十鈴、豪胆な軽巡洋艦木曽。

 

 結果だけ見れば、長門は深海棲艦を二隻、瑞鶴が一隻、隼鷹は制空権確保に貢献し、五十鈴と木曽がそれぞれ一隻づつ倒している。満潮も深海棲艦を一隻轟沈させた。

 

 戦闘の結果から殊勲(MVP)は深海棲艦を二隻沈めた無傷の長門が獲得した。

 

「あの艦娘()達、頭がおかしいわよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘開始直後、開幕爆撃で瑞鶴が軽巡ホ級を沈め、空母ヲ級を小破させた。隼鷹の攻撃では軽巡ヘ級が小破。対して艦娘側は流石の練度で全員無傷であった。

 

 満潮はこの時点で勝利を確信した。確信してしまった。それは慢心だったのだ。艦娘艦隊が順調なのはここまでだった。

 

「どうして長門は駆逐艦しか狙わないのよ! 狙うなら戦艦か空母でしょ!」

 

 射程の関係上、最初の砲撃は長門から始まった。

 

『全主砲、斉射!て――ッ!!』

 

 水柱が駆逐艦ロ級の近くで上がった。砲撃は外れたが、距離もあり最初の砲撃が観測射撃の基本となる。後は修正するだけだ。満潮に不満はなかった。

 

 戦艦ル級の反撃だ。満潮の出番だった。射線に割り込み深海棲艦を撹乱するのが目的だった。満潮は直撃を回避するため最大速度で海上を移動した。

 

『ひゃっはー!』

 

 その満潮の前に隼鷹が割り込んだ。長門を狙った戦艦ル級の砲撃で隼鷹は被弾した。

 

「なんで軽空母が戦艦の盾になるのよー!!」

 

 隼鷹は中破し置物になった。上空では開幕爆撃から帰還する術を失った艦爆と艦攻が補給の出来ないままフラフラと飛び回っていた。艦戦はギリギリ機能していた。

 

『やってくれたわね! でもねっ! 五十鈴には丸見えよ!!』

 

 五十鈴の準備が整った。五十鈴の砲撃は戦艦ル級の装甲に弾き返された。

 

「軽巡洋艦がダメージの通らない戦艦を狙っても意味ないわよ! 目の前のヘ級かロ級狙ってよ!」

 

 開幕爆撃から立ち直った空母ヲ級から艦載機が飛び立った。今度こそ満潮の出番だ。満潮は対空機銃を手に艦隊の正面に飛び出た。そして飛び出た満潮の前に瑞鶴が飛び出た。

 

『五航戦、瑞鶴の力! 見せてあげる! きゃー! 私がここまで被弾するなんて!』

 

 誰をかばったのか。瑞鶴が中破し置物になった。上空では開幕爆撃から帰還する術を失った艦爆と艦攻が補給の出来ないままフラフラと飛び回っていた。艦戦はギリギリ機能していた。

 

「攻撃前の空母が前に出て何がしたいのよ! もう! ほんとにもう!」

 

 満潮は慌てた。勝てる戦闘だと慢心したのがいけなかったのか。ダメージディーラーである空母の二人が現時点で戦力外通達されたのだ。

 

『本当の戦闘ってヤツを、教えてやるよ』

 

 ここで準備を終えた重雷装巡洋艦、木曽が満を持して登場した。

 

『喰らいやがれ!』

 

 木曽の砲撃は戦艦ル級の装甲に弾き返された。

 

「だからなんで戦艦を狙うのよ!! 目の前に小破したヘ級と駆逐艦がいるでしょう!! もう! もう!!」

 

 急いで長門に砲撃をしてもらいたいが、次弾の装填まであと少し時間がかかる。深海棲艦はヘ級とロ級二隻の攻撃準備が出来ていた。満潮は再び艦隊の前に飛び出した。自らを囮にして艦隊を護る為だ。

 

 満潮の必死の献身は報われた。小破未満のダメージを受けてしまったが、艦隊に被害は出なかったのだ。

 

 少しでも深海棲艦の数を減らそうと、奮戦した満潮の攻撃はへ級を中破に追いやった。

 

『ふっ、待たせたな。ビッグセブンの力、存分に見るがいい! てーーーー!!』

 

 長門の四一センチ連装砲が火を吹いた。駆逐艦ロ級は轟沈した。

 

「だから戦艦狙ってよ! なんで駆逐艦なのよ!」

 

 戦艦同士の殴り合いは回避された。飛距離の関係上次に来るのはル級の反撃だ。

 

『やだっ、痛いじゃない! でも! これくらいで五十鈴が参ると思ってるのかしら!』

 

 五十鈴が長門を庇い被弾した。幸いにも直撃を免れ中破で済んだ。しかし手にした連装砲の砲身が曲がり、全力の攻撃は期待できなくなった。だが五十鈴の闘志は本物だ。被弾したばかりの体に鞭を打ち、深海棲艦を沈めんと体制を崩したままに攻撃をしたのだ。

 

『バカね、撃ってくれってこと?』

 

 五十鈴の攻撃はル級に直撃し、装甲に弾き返された。

 

「もう! もう! 分かってたけど! もう! このままだと全滅しちゃうってこの時初めて頭によぎったのよ!」

 

 反撃とばかりにヲ級の艦載機が上空を旋回し急降下してきた。狙いは誰だ? 満潮は運が良かった。狙われたのは木曽だった。木曽が普通に被弾し小破した。

 

『やってくれるじゃねぇか。ちょっとばかし涼しくなったぜ!』

 

 木曽が手に持つ連装砲の砲身は一部が曲がっていた。

 

『今度こそ喰らいやがれ!!』

 

 小破し少しだけ肌が露出した木曽が、折れない心のままに、闘志を剥き出しに反撃をした。

 

 木曽の攻撃はル級に直撃し、装甲に弾き返された。

 

「分かってたわよ! ル級を攻撃するんだろうな~って分かってたわよ! でもね! もしかしたらって心のどこかで期待もしてたのよ! 私の馬鹿馬鹿馬鹿!!」

 

 満潮は艦隊の前に飛び出た。囮になるためだ。なんとしてでも艦隊の被害を最小限にしなければと、ただただその想いからだ。

 

 深海棲艦の攻撃を必死で避けながら放った砲撃は中破のヘ級を大破にまで持っていった。

 

「私だって頑張ったのよ! よく、よく……頑張ったんだから……!!」

 

 ここまでの被害を整理しよう。艦娘艦隊は長門が無傷。瑞鶴、隼鷹、五十鈴が中破。木曽は小破。満潮は小破未満だ。

 

 対する深海棲艦は、戦艦ル級と駆逐艦ロ級が無傷。空母ヲ級が小破。軽巡ヘ級が満潮の頑張りで大破。軽巡ホ級と駆逐ロ級がそれぞれ轟沈していた。

 

 分かり易くまとめればこうだ。

 

 艦娘艦隊

   長門  瑞鶴  隼鷹  五十鈴  木曽  満潮

   無傷  中破  中破  中破   小破 小破未満

 

 深海棲艦

   ル級  ヲ級  ホ級  ヘ級   ロ級  ロ級

   無傷  小破  轟沈  大破   無傷  轟沈

 

 こうしてお互い決定打がないまま戦闘は夜戦に突入した。

 

 夜戦は超至近距離での打ち合いだ。故に互いの攻撃が一撃必殺となり得る。つまり駆逐艦である満潮の攻撃ですら戦艦に通るのだ。

 

 満潮はまだ心の奥の奥に甘えがあったのだろう。それはパンドラの箱にも似た淡い期待に縋る一種の現実逃避とも呼べるかもしれない。満潮が悪いのか? そんなはずはない。

 

 満潮は鎮守府では標準的な駆逐艦だった。敵の攻撃の手数を減らし、相対的に味方の攻撃を増やす。そんな戦闘を念頭に置き戦ってきた。満潮だけではない。鎮守府に在籍する仲間の艦娘は全員同じ考えだった。

 

 激戦の最前線、泊地で戦う艦娘達の戦いは満潮の予想を遥かに超えていた。斜めに。

 

『夜戦か。よし! 艦隊、この長門に続け!』

 

 長門の砲身が火を吹いた。砲弾は駆逐艦ロ級に直撃し、闇夜に大きな火柱を上げた。この一撃を以って長門は深海棲艦二隻を轟沈させ殊勲(MVP)となった。

 

「分かってたのよ。分かってたの。でも駆逐艦は期待しちゃいけないの? 戦艦を狙ってよって期待しちゃいけないの? 私は悪くないわよね!?」

 

 深海棲艦の反撃だ。相手は当然、

 

「ル級の攻撃よ。死を覚悟したわ。砲身は私を狙っていたの……」

 

 至近距離からの直撃を喰らえば駆逐艦満潮の体は粉々に砕け欠片も燃やし尽くされるだろう。戦艦ル級の砲身は満潮に照準を合わせていた。恐怖に体が硬直し、満潮は海上を滑る脚を止めてしまったのだ。

 

『何をしている! 戦場で気を抜くな! 常にベストを尽くすんだ!』

 

 長門の大音声が戦場に響いた。

 

 満潮の頭に血が登った。それを言うのかと。

 

 直後、ル級の砲撃が逸れた。満潮ではなく五十鈴を狙ったのだ。五十鈴は探照灯を照らし自らを囮にしたのだ。体の硬直が解け、海上を滑るように移動した。

 

 探照灯は砕け星空が海上を照らした。

 

 五十鈴は無事だった。練度の高さを存分に活かして神回避を行ったのだ。

 

「……この時初めてこの艦隊の練度が凄いって分かったわ。最初で最後だったけど……」

 

『五十鈴のいい所見せてあげるわ。沈みなさい!』

 

 軽巡ヘ級、轟沈。

 

「もう期待するのは止めてたわ。だってこの時点で残っているのがル級とヲ級だけだったんだもの。私だったらヲ級狙ったけどね……ははは……あははは……」

 

 深海棲艦の反撃だ。しかし夜間攻撃だったこともあり、ヲ級の艦載機の攻撃は要領を得ず回避は簡単だった。

 

『お前等の指揮官は無能だなぁ!』

 

 重雷装巡洋艦木曽の本領は夜間にある。木曽は大量の魚雷を至近距離からばら撒き、面制圧とも呼べる攻撃はヲ級をあっさりと轟沈させた。

 

「感想? 予想通りとしか言えないわね……今まで執拗にル級を狙っていたのは何だったのかとはもうどうでもいいわ」

 

 超至近距離からの攻撃だ。普段は非力な満潮の攻撃もこの距離ならば絶大な威力を発揮する。満潮の連装砲はル級の土手腹に風穴を開け、ル級は轟沈した。

 

「もうね、乾いた笑いしか出なかったわ……後は長門が気を抜くなって檄を飛ばして帰還したわ……なんでこんな部隊に配属されたのかしらってずっと考えながら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 満潮は手にした湯呑みをことりとローテーブルに置き、語りを終えた。甘味はとうに食べ終わっていた。

 

 誰も口を聞かず、執務室に静寂が訪れた。

 

「もう! なんなのよあれは!? 全滅するかと思ったじゃない! 一体どういう指揮をしているのよ!!」

 

 静寂を破ったのは満潮だ。椅子から立ち上がり拳を握りしめていた。もちろん司令官を殴るはずもなく、行き場のない想いが拳の中に充満しているのだ。

 

「満潮」

 

「何よ!」

 

 司令官の指揮を疑う。艦娘にとってはあってはならないことだ。満潮とて本心で疑ってはいない。きっと理由があるはずなのだ。自らの性を曝け出せる安心感と、先程から続く不思議な心の高揚。この二つが相まって満潮は叫ばずにはいられなかった。

 

「満潮が立っている場所。そこはかつて私が立っていた場所だ」

 

「なにそれ、意味分かんない」

 

 司令官は目深に被った軍帽に手を遣った。被り直すのだろうか。いや不自然だ。それ以前にどうして室内で軍帽を被っているのだ。

 

「私もかつて満潮と同じことを考えていた。何故駆逐艦ばかりを狙うのだ。何故ダメージの通らない戦艦を狙い続けるのだ。何故攻撃前の深海棲艦を攻撃しないのだ。何故攻撃の終わった敵ばかり執拗に攻撃するのかと。何故。何故。何故何故何故」

 

「提督……」

 

「司令官の指揮が悪いのね、きっと」

 

「満潮!」

 

「いいんだ高雄。満潮の言う通りなんだ」

 

 司令官は激高しかけた高雄を宥めた。自分で言っておきながら満潮は司令官の力を疑ってはいない。異常な戦果を上げ続ける泊地の司令官が無能な訳がないのだから。

 

「何度も話あった。彼女たちは素直だ。ちゃんと聞いてくれる。だが結果は同じだった。私は悩んだ。提督としての資質すら疑った」

 

 司令官は軍帽のつばを掴んだ。優しかった眼差しが鋭いものに変化していた。

 

「悩んで悩んで悩み抜いて……そして……」

 

 司令官が軍帽を脱いだ。

 

「禿げた」

 

 司令官の形の良い頭部に毛髪は一本も生えていなかった。窓から差し込む陽光が頭皮に反射してきらきらと光り、室内の明度が上がったように感じた。

 

「あ? え?」

 

「満潮。必要以上に悩んではいけない。私のように禿げてしまうぞ」

 

「提督! 大丈夫です! 少しだけ大きな円形脱毛症です! 他の方より額が少しだけっ! ……大分広いだけです! きっと! きっとまた生えてきます! それに! それに肌面積が増えた提督も素敵です!」

 

「高雄。それ以上私の心をえぐらないでくれ」

 

「ごめんなさい!」

 

 高雄が慌てて慰めた言葉は司令官の心を傷つけたようだ。満潮は何を言っていいか言葉が出ない。

 

 またしても静寂が執務室を包んだ。

 

「くくく……」

 

「うふふ……」

 

「え? え? なに?」

 

 静寂を破ったのは司令官と高雄の笑い声だ。

 

「あらあら。提督の鉄板の飛び道具不発ですわね」

 

「そうみたいだな。長門達は爆笑するのだが……」

 

 司令官と高雄はお互い見つめ合い、何やら残念そうに呟いた。

 

「え? え?」

 

「済まない。冗談だ。いや、悩んで禿げたのは本当だが、気にしていない」

 

「え? え?」

 

「場を和まそうとちょっとした悪戯だ」

 

「提督の鉄板ネタなの」

 

 満潮はやっと理解した。誂われていたのだと。

 

「何考えてるのよ!」

 

「場が暗くなったのでな……」

 

「ごめんなさい」

 

 二人して頭を下げる姿に脱力して、満潮はこれ以上責める気が無くなってしまった。司令官の頭頂部がきらきら光り、思わず吹き出しそうになってしまったのもあった。

 

「話の腰が折れてしまったな」

 

「折ったのは誰よ」

 

「それはさて置き。満潮、もう分かったのではないか?」

 

 司令官は軍帽を被り直し、居住まいを正すと、満潮ならば既に理解を得ただろうと問いかけてきた。満潮が執務室に来訪してから、満潮が望んでいた答えに至る材料は全て揃っていると。

 

 満潮は体が震える想いだった。鎮守府から泊地に移籍し、泊地での活動はまだわずかだ。しかし司令官は満潮という存在を理解してくれ、信頼し、大本営が暴こうとしていた泊地の秘密を教えてくれようとしていた。

 

「……今食べた甘味ね」

 

 満潮は空になったお茶請けの皿を見ながら言った。司令官は満潮の答えに頷いた。

 

「そうだ。これは最中だが他に羊羹もある。最中と一緒に食べることで効果は倍増する」

 

 満潮は思った。羊羹、食べたいと。口腔にじゅわっと唾液が溢れた。

 

「どういう事なの?」

 

 今食べた最中だけでも、落ち込んでいた満潮の気持は持ち直し、それどころか艦娘としての本来の自分を取り戻すに至った。自らの性を出せる艦娘は強い。身体的な強さが変わるわけではない。変わらないが精神が安定し、それが身体に影響を与えるからだ。負荷(ストレス)のない生活は戦いにも影響する。

 

 満潮は羊羹食べたいと、口元から溢れた唾液を拭いながら尋ねた。

 

「これは伊良湖の最中だ。ここには無いが羊羹は間宮が作る」

 

「伊良湖……間宮……補給艦ね」

 

「そうだ。ここの泊地で建造に成功した。海軍で唯一の成功例だと言っていいだろう。羊羹が疲れを癒やし、最中が心を高揚させる」

 

「心が高揚した艦娘は命中率や回避率が格段に向上するのよ。それと遠征での資源獲得効率が著しく向上したわ」

 

 高雄が司令官の説明を補足した。精神は身体に影響を及ぼす。これは艦娘とて同様だ。しかし満潮には疑問が残る。

 

「まぁ、今回は運が悪かったな」

 

「運?」

 

 表情から考えていることを読まれたのか司令官が満潮の疑問を解消する。

 

「長門達は、新しく配属された満潮にいいところを見せようと力んでいたんだろう。普段はもっと当てるし避けるからな」

 

 あぁそうか、と満潮は納得するものがあった。満潮に聞こえる様に声を張り上げ、ちらちらと見られている気がしたのだ。あれはただ張り切って空回りしていたのだと。空回りした結果、長門は駆逐艦を、五十鈴と木曽はジャイアントキリングを狙って戦艦を狙っていたのだと。

 

「長門も時々駆逐艦以外を狙うし、稀に戦艦を初撃で落とす事もある」

 

「時々? 稀?」

 

「あぁ。時々稀に」

 

 満潮の淡い幻想はあっさりと打ち砕かれた。

 

「なんで駆逐艦を狙うのよ!」

 

「考えるな。禿げるぞ」

 

 司令官は軍帽を脱いで満潮に警告した。何という説得力だろうか。

 

「うくっ、卑怯よそれ」

 

 満潮は笑いそうになり口元をを押さえた。先程と違い心に余裕に出来た為か飛び道具としては有効なのを理解出来た。

 

「こんなに凄いんだから食堂で通常メニューに出せばいいのに」

 

 そうなれば満潮は毎日、毎食食べる事だろう。艦娘なので太る心配は無用なのだ。

 

「貴重なんだ。普段から常食するだけの数を用意出来ない」

 

 又しても満潮の幻想は打ち砕かれた。世間は甘味のように甘くないのだ。殊勲(MVP)の報酬として甘味は司令官から渡される。長門はその報酬を艦隊の艦娘達に配っていたのだ。

 

「……残念だわ。あ、そうか。だから高雄は食べなかったのね」

 

 満潮と司令官にだけ出されたお茶請けの最中。最初から高雄の分は用意されていなかった。

 

「違うわ。今は秘書艦だからよ。出撃する時は勿論頂きます」

 

「執務中に、『馬鹿め、と言って差し上げますわ』とか言って欲しくないからな。私に被虐趣味はない」

 

「もう。提督ったら」

 

「おっとこれは失言だったな」

 

 きゃっきゃうふふと高雄がボディタッチを駆使して提督を咎めた。その声、姿には艶があり、二人が只ならぬ関係であることを想像するのは満潮であっても容易であった。

 

 艦娘と司令官が一線を超える関係になることは稀とまではいかないが、儘あることだった。むしろ積極的にアピールする艦娘は多い。そしてそれは人間によくある男性側の勘違いといったものではない。

 

「ごほっごほ! うぅん!」

 

 満潮は司令官と艦娘の関係を否定するつもりはない。満潮とていつかは司令官とごにょごにょと夢見ているのだから。ただ、今はTPOを弁えて貰いたい。

 

「これがこの泊地の秘密なのね?」

 

「秘密と言う程の秘密でも無いんだがな。大本営には当然報告している」

 

「何よそれ。私はそれを調べろって言われたのに。あっ! そんなの報告するつもりは無かったんだからね! ただ自分が知りたかっただけなんだから! 勘違いしないでよね!」

 

 書類上も心情的にも満潮は既に泊地所属の艦娘だ。大本営の指令など既に知ったことではない。だが、目の前の司令官に勘違いされるのだけは絶対に避けたかった。

 

「大丈夫だ。満潮を信頼している」

 

 信頼。その言葉は満潮に絶大な安心感を与えた。

 

「ふ、ふんっ。ならいいわ」

 

 満潮は照れ隠しにそっぽを向いた。

 

「人間というのは不思議だな。艦娘というこれ以上ない不思議な存在を前にして甘味一つの力を信じないなんてな」

 

 深海棲艦は謎だが艦娘もまた謎である。人類を助けに現れた古い時代の艦船の名を持つ戦女神。深海棲艦の猛攻を受け、人類は滅びを避けるため藁をも掴む想いで艦娘達の手に縋り、一息付ける段階に至り、力を利用しようとしている。謎は謎、不思議は不思議のままに。しかしそれでも理解を超える現象については受け入れられないのだ。あり得ないと。そんな馬鹿な話は信じないと。深海棲艦を、艦娘を前にして。

 

「時間だな」

 

 司令官が時計を見て言った。執務開始の時間ではない。飲み会と言う名目の満潮の歓迎会の時間が迫っていた。

 

「ごちそうさま。貴重な甘味……ありがと……」

 

「どういたしまして。困ったことがあればいつでも来てくれ。大抵はこの部屋にいるから」

 

 小さく呟いたつもりだったが司令官には聞こえたようだった。頬を染めた満潮は「ふんっ」と虚勢を張りながら執務室を出ていった。

 

 執務室には司令官と高雄の二人になった。

 

「今は呆れているようだが、泊地(ここ)に染まれば満潮も……」

 

「時間の問題ですね」

 

 ふふふと、二人は見つめ合い笑った。

 

「さて、執務の続きだ。高雄、頼むぞ」

 

「はい」

 

 膝を叩いて立ち上がる司令官。頷いてその後に続く高雄。

 

 その晩、司令官の下に、甘味の効果もあり、歓迎会で気分が更に高揚した満潮が、艦娘達の『みっちしお』コールに押し負け、那珂の持ち歌、『初恋!水雷戦隊』を熱唱したとの密告が映像付きで届いた。

 

 そこには長門から本当の殊勲は満潮だと、伊良湖の最中を手渡され、顔を真赤にした満潮が写っていた。顔が赤いのはお酒か照れからか。

 

 この日から満潮は泊地に所属する艦娘全員から仲間として心からの信頼を受けるに事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――一年後。

 

「見つけたわ。ウザイのよ! 蹴散らせ!!」

 

 満潮は昼戦でジャイアントキリングを狙い戦艦ル級に狙いを定め、装甲に攻撃を弾き返され。

 

「バカね。その先にあるのは、本当の地獄よ」

 

 夜戦で見事ジャイアントキリングを果たし。

 

「手ごたえのない子!」

 

 新しく鎮守府から赴任し目を白黒させる曙の前で、自らがされたように啖呵を切り、艦娘らしく戦う姿を見せていた。

 

「この部隊に配属されたからには……力を尽くすわ!」

 

 泊地の秘密は今日も明かされていない。

 

 




詳細

並び  長門 瑞鶴 隼鷹 五十鈴 木曽 満潮

   戦艦ル級 空母ヲ級 軽巡ホ級 軽巡ヘ級 駆逐ロ級 駆逐ロ級
---------------------------------------------------------------------
開幕       小破   轟沈   小破
爆撃       瑞鶴   瑞鶴   隼鷹

一巡       小破   轟沈   中破
                   満潮

二巡       小破   轟沈   大破        轟沈
                   満潮        長門

夜戦  轟沈   轟沈   轟沈   轟沈   轟沈   轟沈
    満潮   木曽        五十鈴  長門








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