小池みき氏の記事の問題は、スピリチュアル云々と別に、批判的言論のあり方・扱い方の問題でもある。ちょっと前のFactCheck福島の記事訂正問題にも共通するんだけど、分断云々みたいな理屈で「批判対象に気を遣え」とする要求。これがのさばると、批判的言論が滅びる。
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これはカルトのいち要素でもあるけど、カルトの専売特許じゃない。何であれ人間が群れればそうなりがち、という類のもの。社会的議論において「批判対象に気を遣え」みたいなのは、このカルトっぽい相互批判抑制の論理を社会規模で実践しろって要求なんだよね。
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批判される側に配慮した優しい物言いをして分断を避けましょうみたいなのって、聞こえはいいかもしれない。でもそれは批判の内容や重要性を度外視して批判を抑制するってことで、カルト含め人間の集団が集団内での相互批判を抑制し構成員に思考停止させたり批判表現を手控えさせたりする論理そのもの。
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仮にそれが団体の外の一般社会においても正しいとなったらどうなるか。カルトの中での「自団体を批判するのは分断だから良くない」という価値観はやっぱり正しいということになるので、いまハマってる最中の人の思考停止を促進する。カルトにとっちゃ天国、信者にとってはさらなる地獄。
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小池氏は記事の中で「敵意の反転」という話をしている。スピリチュアル嫌いが反転してコアなファンになっちゃうみたいな話。それを想定して気を遣えって話なんだけど、でも考えてみ。カルトにハマってる人がやめてアンチになってるケースは全て、現役信者の「敵意の反転」だよ。
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幸福の科学のアンチがイタコ芸人バカにしてクソコラで遊びまくってるけど、あのノリの原点はやや日刊カルト新聞だと言ってるアンチもいる。「教団にいたときは藤倉は悪魔だと教えられていたけど、なんていい悪魔なんだ!」みたいに言われたこともある。信者にも「敵意の反転」は起こる。
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嘲笑(ぼくは風刺と呼ぶ)も含めて、社会的な批判というのは、こういう利点もある。だからこそ団体や指導者を批判しても無害な個々の一般信者を攻撃するなってとこは押さえとくべきなんだけど、団体や指導者への厳しい批判や嘲笑自体を否定しちゃまずいんだよね。
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ちなみに、ぼくが「カルト問題」を扱っていることを指して、カルトの問題とスピリチュアルの問題は違うみたいに言う人がいるけど、これも間違いね。「カルト」を組織化された宗教団体の問題としてイメージしてるのなんか知らんけど、そもそも「カルト問題」は宗教組織に限定されてない。
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ミイラ事件のライフスペース(有限会社)、X JAPAN のTOSHIが広告塔だったホームオブハート(株式会社)、高島易断(宗教法人&株式会社)、占い、ヨガ教室、癒やしフェア、自己啓発セミナー、開運商法、ニセ医療……。これら全て、カルト対策の場で扱われてるしやや日刊カルト新聞でも記事にしてる。
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「カルト」の基準は人権侵害や違法行為で、宗教だろうがスピリチュアルだろうが関係ないんだよね。マルチ商法や政治セクトだって含まれる。どの団体においても、批判の抑制は構成員統制の重要ないち要素。社会規模でそれに与してはいけない。
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新左翼において、反論や異論をいわゆる分派主義・工作として、吊るし上げたりリンチしたりするのもそうですね。
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そうですね。でもガチ左翼は根性ある人もいるからなのか、内ゲバとか分派は実際起こる。分断という理屈で馴れ合うことを善しとしない場面もありますね。
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