あらためて戦慄が走る4号機のカタストロフィー
2011年の今日(3月15日)、午前6時過ぎに福島第一原発4号機の原子炉建屋が水素爆発を起こしました。
その瞬間、日本国民のみならず、世界中の、特に北半球の人々の眼の前には、本当の意味でのカタストロフィーが迫っていました。
それでも私たちは、今、こうして生きています。
これは、偶然に偶然が重なったからです。
ハリウッドの映画制作者なら、これを奇跡的な出来事と呼んで、早速、脚本家に仕事を依頼したかもしれません。
3月15日の水素爆発から、3月20日頃までが、この大災害のクライマックスでした。
まず、アメリカでは、日本政府からの情報を元に、NRC(米・原子力規制委員会)の技術者たちによるタスクチームが編成されていました。これは日本時間で17日の午前0時過ぎのことです。
3月18日の夜から、自衛隊と米軍の消防車による注水作業が行われました。少し後になってからですが、敷地内に散らばった瓦礫の撤去のために、陸上自衛隊の戦車まで出動しました。
次に、3月18日深夜から19日にかけては、東京消防庁のハイパーレスキューによる注水活動が行われました。
このうち、ひとつでも失敗していたら、日本は、もう無かったのかもしれません。
今年の3月8日の朝日新聞が、4号機の使用済み燃料プールが壊滅的なカタストロフィーに至らなかった本当の理由について、原子力安全・保安院の幹部からの聴き取りなどから、明らかにしています。
朝日新聞は、この“4号機の奇跡”について、3月8日に二回、ネット上に記事を上げています。
一回目は、4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発
二回目は、一回目に加筆した震災4日前の水抜き予定が遅れて燃料救う…です。
この記事は、そのまま転載すると、どうも著作権法に抵触しそうな雰囲気があるので(通常は、ソース元をしっかり明記しておけば、「引用」ということで、クレームは出ません)、両方の記事を読み込んだ上で、さらに周辺で起こった事実などで肉付けしながら新たに書き起こしたものが以下の記事です。
3月15日、4号機の使用済み燃料プールに大量の水を注水したのは誰か?
日米両政府が、3月12日の最初の水素爆発以来、もっとも警戒していた4号機建屋の使用済み燃料プールの崩壊ですが、原子炉内の大掛かりな工事をする際に使用する器具の不具合と、すでに工事のために大量の水を入れてあった工事用水槽の仕切り壁が壊れたことによって、カタストロフィーを免れたことが分かりました。
4号機原子炉は、2010年11月から定期点検に入るために、すでに原子炉の運転を停止。震災が起きた翌年の2011年3月11日には、原子炉の中にあった548体の燃料棒はすべて取り出され、使用済み燃料プールの中に移されて冷却されていました。
今回の定期点検では、営業運転開始以来初めての大工事となる原子炉圧力容器内にあるシュラウドという隔壁(高さ6.8メートル、直径4.3~4.7メートル、重さ35トン)を新しいものに交換するため、あらかじめ、作業用水槽に水を満杯になるまで入れていました。
原子炉のほとんどの作業は、作業員が被曝しないように、水の中で行われるのですが、それが、作業用の水槽です。
この作業用の水槽は、図-1のように、原子炉の上蓋の部分から上を水の中に浸すための原子炉ウェル(680m3)、その隣のDSピット(760m3)の二つで、シュラウド交換の作業をする前に、両方の水槽に、合計1,440m3の水が入れられていたのです。
図-1
これは使用済み燃料プールに入れられている水の量=1,425m3と、ほぼ同じ水の量です。
原子炉ウェル、DSピット、使用済み燃料プールの三つの水槽のうち、使用済み燃料プールの深さだけは、他の二つの水槽よりは深いものの、この三つの水槽は、直列に並んでいます。
シュラウド交換の作業手順は、原子炉の中に満杯に入れられた水の中で、大きな工具を使ってシュラウドを切断し、その分断された残骸を、原子炉の真上にある原子炉ウェルの水槽まで引き揚げて、さらに、高い放射能を帯びた機器を一時、仮置きしておくためのDSピットに移して、ホッと一息つく、という手順。
普段は、原子炉の真上の水槽である原子炉ウェルには水が入っておらず、こうした部品の交換工事をするときだけ水を入れるのです。
作業時には、隣の仮置き場となるDSピットとの間には、水槽を仕切る「仕切り壁」は設置されおらず、作業が終了した後で、原子炉ウェルの水を抜くときになって仕切り壁を落とします。
つまり、原子炉ウェルとDSピットは、つながっていて、ひとつの大きなプールになっているのです。
もうひとつの「仕切り壁」は、原子炉ウェルの水槽の隣にある使用済み燃料プールとの間に設置されており、この仕切り壁を取りはずせば、この三つの水槽の水は、自由に行き来することができるような設計になっています。
これを真横から描いたのが図-2です。
(図-2は、図-1と向きが逆になっています)
図-2
原子炉ウェル(同時に、DSピットにも)水を入れ、いざシュラウドの切断作業に取り掛かろうと、作業員がシュラウド切断工具を原子炉内に入れようとしたところ、はて?となったわけです。
ジュラウド切断工具は大変大きいので、その工具自体を原子炉の所定の位置に入れるためには、別の補助器具が必要なのですが、その補助器具の寸法が4号機原子炉に合致しないサイズだったのです。
それで作業員は、この補助器具を改造しなければならなくなり、工程が遅れてしまったというわけです。
工程どおりシュラウドの交換作業が進んでいれば、すで切断されたシュラウドの残骸は、原子炉ウェルに引き揚げられ、いったん隣のDSピットに移されて、作業に当たった現場の人たちも、いったんは極度の緊張を解いていたはずなのです。
そして、作業が終了したので、DSピットと原子炉ウェルとの間に仕切り壁が入れられて、原子炉ウェルの水が抜かれていたはずなのです。
これが工程表の上では3月7日にやるべきことになっていました。
しかし、こうした手順の狂いから作業全体が遅れ、震災が起こった3月11の時点では、原子炉ウェル、DSピットの中には、満々と水が入れられたままになっていたのです。
これが、日本列島が壊滅し、北半球にカタストロフィーが訪れるかどうか明暗を分けたのです。
3月11日、午後2時46分、東北を未曾有の巨大地震が襲いました。
間もなく福島第一原発の全電源が喪失して、各号機の循環冷却システムは作動を止めました。
4号機に関しては、原子炉の中にあった548体の燃料棒は、すべて使用済み燃料プールに移されていたので、原子炉に注水ができなくなっても問題はありませんでしたが、一方の使用済み燃料プールには、新たに移動してきた548体の燃料棒が入れられて、計1331体の使用済み燃料がありました。
この1331体という、他の原子炉に入っている3倍近い量の燃料棒は、崩壊熱を出し続けているので、もし使用済み燃料プールに冷却された水が送り込まれなくなれば、水は蒸発する一方。やがては空炊き状態になり、プールで放射能火災が起こるはずです。そうなれば、すべて終わりです。
しかし、使用済み燃料プールの水は、3月11日以降も、燃料棒の上まで満ちた状態を維持しており、結果として燃料棒は、ほとんど無傷の状態のまま保たれたのです。
これは、3月11日に地震が起こったときに、原子炉ウェルと使用済み燃料プールとの間を仕切っている壁が、地震の震動によってズレて、そこから原子炉ウェルの水が使用済み燃料プールに流れ込んだからです。
これは、東電や政府の後の調査によって分かったことです。
もし、シュラウドの交換作業が工程表のとおり終了していたら、そして、原子炉ウェルの水が抜かれていたら、使用済み燃料プールへ水が回ることなく、“蓋の無い炉心”である使用済み燃料プールからは、かつて人類が経験したことのないほどの量の放射性物質が大気中に放出されていたのです。
それだけでなく、福島第一原発の敷地内には誰も立ち入ることができず、冷却できなくなった1、2、3、5、6号機の原子炉では、次々と別の水素爆発が起こり、各号機建屋の使用済み燃料プールの水がすべて蒸発して、空炊き状態になるのも時間の問題だったでしょう。
そして、原子炉、プールともに核燃料の溶融が始まるのです。
さらに、当然のことながら、福島第一から南方20kmに位置する福島第二原発も全面撤退を余儀なくされ、ここも時間の問題で、福島第一原発と同様、破滅的事態に陥っていったでしょう。
さらに、東海第二原発、女川原発にさえ、大量の放射能が襲い掛かり、とんでもない数の作業員の人たちが犠牲になったでしょう。
そして、最後には、こちらのほうも撤退ということになるのかもしれません。
福島県の浜通りの住民は、語ることさえ恐ろしい結果になっていたはずです。
4号機の使用済み燃料プールの崩壊は、日本列島、そして全世界の破滅の序章に過ぎなかったでしょう。
本当に世界が終っていたのです。
すでに出てしまった犠牲者のことを思うと、これを無闇に奇跡と呼べないかもしれません。
しかし、シュラウド交換時に使用する補助器具の寸法を作業員に錯覚させ、原子炉ウェルと使用済み燃料プールの仕切り壁が開いた原因を、「たまたま偶然が重なった」で切り捨ててしまうには忍びないのです。
普通なら、私たちの多くは、今頃、今までのような日常的な活動ができなくなっていたかもしれないのです。
そうだとしたら、私たちの受けた恩恵は、実はとんでもなく大きいものであったかもしれません。
彼らがいなかったら、あなたも、私もここにいなかった
今、初めて書くことですが、この時、私のところには、クリスチャンの方々からの情報が寄せられていました。
内容は書くことはできないのですが、原発作業員の決死隊の中に、数名のクリスチャンがいるとのこと。
「どうか、捨て身になって志願した、その人たちの作業が成功するように祈りを捧げてください」という内容でした。
私はクリスチャンではないので、もちろん、まともな祈り方はできないのですが、それでも心の中で手を合わせていました。
さらに、クリスチャンの方々は、素晴らしい動きをしていて、周囲の子供たちを募って、バスに乗せ、数日の間、関西以西のキャンプ場やバンガローに避難したのです。二度も三度も。
避難したのは、クリスチャンの子供たちだけではありませんでした。その呼びかけに縁のあった子供たちがバスに乗ったのです。
その素早い行動力には唖然としたくらいです。
そのとき、胸騒ぎの高鳴りのまま、子供を連れて避難しようとしていたご家庭もあります。しかし、“人生経験豊富な”姑の「避難だなんて、何を寝ぼけたことを言っている」という一喝で避難することができなくなってしまったのです。
無知ほど恐ろしいものはありません。
このように不思議な采配によって、使用済み燃料プールには原子炉ウェルから新しい水が流れ込んだものの、依然として電源は回復せず、いよいよ使用済み燃料プールの水面から燃料棒の頭が出るかもしれないという局面に入ってきました。
命を捧げようとしていた人々は、誰に言われるでもなく、最終的な重苦しい決断をしたのです。
東京消防庁のハイパー・レスキューと、Fukushima50(フィフティー)が、恐ろしい被曝にさらされながら、電源のない暗闇の中で、にわか照明だけを頼りに外からの注水作業を行い、電源の復旧工事を行っていたのです。
真っ暗闇の中、自分が浴びている線量も分からず、放射能の水蒸気でスチームサウナ状態の建屋の中にヘッドライトの灯りだけを頼りに入っていったのです。
それは、まさにコッポラの「地獄の黙示録」以上の光景であったことでしょう。
彼らは、完全に死を覚悟していました。
結果は成功でした。
訳知り顔の一部の評論家たちは、このカタストロフィー手前の事態を、1年経った今になっても理解できません。
彼らは、「Fukushima50を英雄視し過ぎだ」という意味の評論をしていました。
とても悲しい哀れな人々です。
これは日本ではなく、世界が称讃していることなのです。
彼らがいなかったら、あなたは、私は本当にここにいなかったでしょう。
そのとき、官邸にいた、この国の首相と官房長官は… 特に官房長官は、3月13日の午後6時過ぎ、原子力安全・保安院の技官が記者会見で「メルトダウンしている」と発表したことは無用な混乱を引き起こす元になる、という理由で、すぐに更迭してしまいました。
そして、その罪深い官房長官は、「ただちに」、「いますぐに」を繰り返したのです。
彼は、とっくに福島第一原発が、このままいけぱ世界を破滅させるかもしれないことを認識していたのです。
彼は国民に何度も嘘をついて、人々から避難する機会を奪い、大勢の子供たちを被曝させました。
テレビ、新聞などのマスメディアは、何ら根拠もなしに、「ネットの情報を信じないでください。政府の発表だけが正しいので、惑わされないように」と視聴者に向かって叫んでいました。
マスメディアは、今になって、これと正反対のことを言い出しました。
その一方で、アメリカ大使館は、日本在住のアメリカ国籍の人々に、原発から半径80km以内には絶対に近づかないようにと警告し、安定ヨウ素剤を配布していました。
ドイツ、フランスなどの大使館は東京から関西方面に移動、中国人は飛行機で本土に帰っていきました。
東京から一気に外国人が消えたのです。
「彼らが日本を救い、世界を救ったのだと思います」
アメリカの著名な原子力技術者、アーニー・ガンダーセン氏が、2月20日、東京・内幸町の日本記者クラブでプレスに対して会見を行いました。
ガンダーセン氏の今回の来日は、同氏の近著「福島第一原発 ―真相と展望 (集英社新書)」の日本でのプロモーションのために版元である集英社が招いたもの。
同時に、作家・広瀬隆氏との対談などもブッキングされ、まだまだ気の抜けない福島第一原発事故収束について語りました。
ガンダーセン氏は、ご夫人と二人で運営している原子力関連の分析・評価サイト「fairewinds associates」で世界的に有名になりました。
当初、私は、ガンダーセン氏には、何らかのスポンサードがあって、こうした活動を続けていると考えていたのですが、実はまったくの個人の独立サイトで、視聴者からの少ない浄財によって運営していることを知って、余計に、その情報に重きを置くようになったのです。
どちらかというと、原子力推進派にとって、耳の痛いことも指摘しているので、当然の事ながら、さまざまな妨害にも遭ってきたようです。そのせいか、大切なご自宅も手放したということを他の記事で読んだことがあります。
この動画は、すでに何人かのブロガーさんが文字起こしされています。
2月20日/アーニー・ガンダーセン氏記者会見:『福島第一原発~真相と展望』
Arnie Gundersen:日本政府は #東電 を守る事を最優先し国民を守るのは二の次
ガンダーセン氏は、大勢の記者を前にして、冒頭でこのように述べています。
「まず私の話を始める前に申し上げておきたいのは、今回の事故で福島第一、そして第二発電所で、まことに勇敢に事故に対応するために働かれました男性、女性のみなさん、主に男性だったと思いますけれど、まことに勇敢なお仕事をしてくださった方々に感謝の気持ちを捧げたいと思います。
事故直後からの一週間、二週間、本当に見事な勇敢な戦いぶりだったと思います。
彼らが勇敢にも戦ってくれたということは、私個人の意見ですけれども、日本という国を救ったと思いますし、それだけではなく世界全体を救ったともいえるのではないかと思います。
ですから、我々全員は彼らに負うところ大であると、彼らに対する感謝の気持ちを本当に持たなければならないと思っておりますし、また、あのように本当に酷い条件の中で、大変な仕事を成し遂げられた現場の人々に対しまして、私は個人的に本当に感謝をしたいと思います。
彼らが日本を救ったと思っております。
本当に勇敢な人たちでした」。
ガンダーセン氏は、繰り返し、決死の覚悟でカタストロフィーを止めるために戦った“戦士”たちに感謝の意を表し、「世界を救ったのは彼らである」と力説しました。
あの時、彼らには、何かとても善い存在が宿っていたに違いないのです。
福島第一原発 ―真相と展望 (集英社新書)
アーニー・ガンダーセン (著), 岡崎 玲子 (翻訳) 集英社
735円 配送無料
2011年の今日(3月15日)、午前6時過ぎに福島第一原発4号機の原子炉建屋が水素爆発を起こしました。
その瞬間、日本国民のみならず、世界中の、特に北半球の人々の眼の前には、本当の意味でのカタストロフィーが迫っていました。
それでも私たちは、今、こうして生きています。
これは、偶然に偶然が重なったからです。
ハリウッドの映画制作者なら、これを奇跡的な出来事と呼んで、早速、脚本家に仕事を依頼したかもしれません。
3月15日の水素爆発から、3月20日頃までが、この大災害のクライマックスでした。
まず、アメリカでは、日本政府からの情報を元に、NRC(米・原子力規制委員会)の技術者たちによるタスクチームが編成されていました。これは日本時間で17日の午前0時過ぎのことです。
3月18日の夜から、自衛隊と米軍の消防車による注水作業が行われました。少し後になってからですが、敷地内に散らばった瓦礫の撤去のために、陸上自衛隊の戦車まで出動しました。
次に、3月18日深夜から19日にかけては、東京消防庁のハイパーレスキューによる注水活動が行われました。
このうち、ひとつでも失敗していたら、日本は、もう無かったのかもしれません。
今年の3月8日の朝日新聞が、4号機の使用済み燃料プールが壊滅的なカタストロフィーに至らなかった本当の理由について、原子力安全・保安院の幹部からの聴き取りなどから、明らかにしています。
朝日新聞は、この“4号機の奇跡”について、3月8日に二回、ネット上に記事を上げています。
一回目は、4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発
二回目は、一回目に加筆した震災4日前の水抜き予定が遅れて燃料救う…です。
この記事は、そのまま転載すると、どうも著作権法に抵触しそうな雰囲気があるので(通常は、ソース元をしっかり明記しておけば、「引用」ということで、クレームは出ません)、両方の記事を読み込んだ上で、さらに周辺で起こった事実などで肉付けしながら新たに書き起こしたものが以下の記事です。
3月15日、4号機の使用済み燃料プールに大量の水を注水したのは誰か?
日米両政府が、3月12日の最初の水素爆発以来、もっとも警戒していた4号機建屋の使用済み燃料プールの崩壊ですが、原子炉内の大掛かりな工事をする際に使用する器具の不具合と、すでに工事のために大量の水を入れてあった工事用水槽の仕切り壁が壊れたことによって、カタストロフィーを免れたことが分かりました。
4号機原子炉は、2010年11月から定期点検に入るために、すでに原子炉の運転を停止。震災が起きた翌年の2011年3月11日には、原子炉の中にあった548体の燃料棒はすべて取り出され、使用済み燃料プールの中に移されて冷却されていました。
今回の定期点検では、営業運転開始以来初めての大工事となる原子炉圧力容器内にあるシュラウドという隔壁(高さ6.8メートル、直径4.3~4.7メートル、重さ35トン)を新しいものに交換するため、あらかじめ、作業用水槽に水を満杯になるまで入れていました。
原子炉のほとんどの作業は、作業員が被曝しないように、水の中で行われるのですが、それが、作業用の水槽です。
この作業用の水槽は、図-1のように、原子炉の上蓋の部分から上を水の中に浸すための原子炉ウェル(680m3)、その隣のDSピット(760m3)の二つで、シュラウド交換の作業をする前に、両方の水槽に、合計1,440m3の水が入れられていたのです。
図-1
これは使用済み燃料プールに入れられている水の量=1,425m3と、ほぼ同じ水の量です。
原子炉ウェル、DSピット、使用済み燃料プールの三つの水槽のうち、使用済み燃料プールの深さだけは、他の二つの水槽よりは深いものの、この三つの水槽は、直列に並んでいます。
シュラウド交換の作業手順は、原子炉の中に満杯に入れられた水の中で、大きな工具を使ってシュラウドを切断し、その分断された残骸を、原子炉の真上にある原子炉ウェルの水槽まで引き揚げて、さらに、高い放射能を帯びた機器を一時、仮置きしておくためのDSピットに移して、ホッと一息つく、という手順。
普段は、原子炉の真上の水槽である原子炉ウェルには水が入っておらず、こうした部品の交換工事をするときだけ水を入れるのです。
作業時には、隣の仮置き場となるDSピットとの間には、水槽を仕切る「仕切り壁」は設置されおらず、作業が終了した後で、原子炉ウェルの水を抜くときになって仕切り壁を落とします。
つまり、原子炉ウェルとDSピットは、つながっていて、ひとつの大きなプールになっているのです。
もうひとつの「仕切り壁」は、原子炉ウェルの水槽の隣にある使用済み燃料プールとの間に設置されており、この仕切り壁を取りはずせば、この三つの水槽の水は、自由に行き来することができるような設計になっています。
これを真横から描いたのが図-2です。
(図-2は、図-1と向きが逆になっています)
図-2
原子炉ウェル(同時に、DSピットにも)水を入れ、いざシュラウドの切断作業に取り掛かろうと、作業員がシュラウド切断工具を原子炉内に入れようとしたところ、はて?となったわけです。
ジュラウド切断工具は大変大きいので、その工具自体を原子炉の所定の位置に入れるためには、別の補助器具が必要なのですが、その補助器具の寸法が4号機原子炉に合致しないサイズだったのです。
それで作業員は、この補助器具を改造しなければならなくなり、工程が遅れてしまったというわけです。
工程どおりシュラウドの交換作業が進んでいれば、すで切断されたシュラウドの残骸は、原子炉ウェルに引き揚げられ、いったん隣のDSピットに移されて、作業に当たった現場の人たちも、いったんは極度の緊張を解いていたはずなのです。
そして、作業が終了したので、DSピットと原子炉ウェルとの間に仕切り壁が入れられて、原子炉ウェルの水が抜かれていたはずなのです。
これが工程表の上では3月7日にやるべきことになっていました。
しかし、こうした手順の狂いから作業全体が遅れ、震災が起こった3月11の時点では、原子炉ウェル、DSピットの中には、満々と水が入れられたままになっていたのです。
これが、日本列島が壊滅し、北半球にカタストロフィーが訪れるかどうか明暗を分けたのです。
3月11日、午後2時46分、東北を未曾有の巨大地震が襲いました。
間もなく福島第一原発の全電源が喪失して、各号機の循環冷却システムは作動を止めました。
4号機に関しては、原子炉の中にあった548体の燃料棒は、すべて使用済み燃料プールに移されていたので、原子炉に注水ができなくなっても問題はありませんでしたが、一方の使用済み燃料プールには、新たに移動してきた548体の燃料棒が入れられて、計1331体の使用済み燃料がありました。
この1331体という、他の原子炉に入っている3倍近い量の燃料棒は、崩壊熱を出し続けているので、もし使用済み燃料プールに冷却された水が送り込まれなくなれば、水は蒸発する一方。やがては空炊き状態になり、プールで放射能火災が起こるはずです。そうなれば、すべて終わりです。
しかし、使用済み燃料プールの水は、3月11日以降も、燃料棒の上まで満ちた状態を維持しており、結果として燃料棒は、ほとんど無傷の状態のまま保たれたのです。
これは、3月11日に地震が起こったときに、原子炉ウェルと使用済み燃料プールとの間を仕切っている壁が、地震の震動によってズレて、そこから原子炉ウェルの水が使用済み燃料プールに流れ込んだからです。
これは、東電や政府の後の調査によって分かったことです。
もし、シュラウドの交換作業が工程表のとおり終了していたら、そして、原子炉ウェルの水が抜かれていたら、使用済み燃料プールへ水が回ることなく、“蓋の無い炉心”である使用済み燃料プールからは、かつて人類が経験したことのないほどの量の放射性物質が大気中に放出されていたのです。
それだけでなく、福島第一原発の敷地内には誰も立ち入ることができず、冷却できなくなった1、2、3、5、6号機の原子炉では、次々と別の水素爆発が起こり、各号機建屋の使用済み燃料プールの水がすべて蒸発して、空炊き状態になるのも時間の問題だったでしょう。
そして、原子炉、プールともに核燃料の溶融が始まるのです。
さらに、当然のことながら、福島第一から南方20kmに位置する福島第二原発も全面撤退を余儀なくされ、ここも時間の問題で、福島第一原発と同様、破滅的事態に陥っていったでしょう。
さらに、東海第二原発、女川原発にさえ、大量の放射能が襲い掛かり、とんでもない数の作業員の人たちが犠牲になったでしょう。
そして、最後には、こちらのほうも撤退ということになるのかもしれません。
福島県の浜通りの住民は、語ることさえ恐ろしい結果になっていたはずです。
4号機の使用済み燃料プールの崩壊は、日本列島、そして全世界の破滅の序章に過ぎなかったでしょう。
本当に世界が終っていたのです。
すでに出てしまった犠牲者のことを思うと、これを無闇に奇跡と呼べないかもしれません。
しかし、シュラウド交換時に使用する補助器具の寸法を作業員に錯覚させ、原子炉ウェルと使用済み燃料プールの仕切り壁が開いた原因を、「たまたま偶然が重なった」で切り捨ててしまうには忍びないのです。
普通なら、私たちの多くは、今頃、今までのような日常的な活動ができなくなっていたかもしれないのです。
そうだとしたら、私たちの受けた恩恵は、実はとんでもなく大きいものであったかもしれません。
彼らがいなかったら、あなたも、私もここにいなかった
今、初めて書くことですが、この時、私のところには、クリスチャンの方々からの情報が寄せられていました。
内容は書くことはできないのですが、原発作業員の決死隊の中に、数名のクリスチャンがいるとのこと。
「どうか、捨て身になって志願した、その人たちの作業が成功するように祈りを捧げてください」という内容でした。
私はクリスチャンではないので、もちろん、まともな祈り方はできないのですが、それでも心の中で手を合わせていました。
さらに、クリスチャンの方々は、素晴らしい動きをしていて、周囲の子供たちを募って、バスに乗せ、数日の間、関西以西のキャンプ場やバンガローに避難したのです。二度も三度も。
避難したのは、クリスチャンの子供たちだけではありませんでした。その呼びかけに縁のあった子供たちがバスに乗ったのです。
その素早い行動力には唖然としたくらいです。
そのとき、胸騒ぎの高鳴りのまま、子供を連れて避難しようとしていたご家庭もあります。しかし、“人生経験豊富な”姑の「避難だなんて、何を寝ぼけたことを言っている」という一喝で避難することができなくなってしまったのです。
無知ほど恐ろしいものはありません。
このように不思議な采配によって、使用済み燃料プールには原子炉ウェルから新しい水が流れ込んだものの、依然として電源は回復せず、いよいよ使用済み燃料プールの水面から燃料棒の頭が出るかもしれないという局面に入ってきました。
命を捧げようとしていた人々は、誰に言われるでもなく、最終的な重苦しい決断をしたのです。
東京消防庁のハイパー・レスキューと、Fukushima50(フィフティー)が、恐ろしい被曝にさらされながら、電源のない暗闇の中で、にわか照明だけを頼りに外からの注水作業を行い、電源の復旧工事を行っていたのです。
真っ暗闇の中、自分が浴びている線量も分からず、放射能の水蒸気でスチームサウナ状態の建屋の中にヘッドライトの灯りだけを頼りに入っていったのです。
それは、まさにコッポラの「地獄の黙示録」以上の光景であったことでしょう。
彼らは、完全に死を覚悟していました。
結果は成功でした。
訳知り顔の一部の評論家たちは、このカタストロフィー手前の事態を、1年経った今になっても理解できません。
彼らは、「Fukushima50を英雄視し過ぎだ」という意味の評論をしていました。
とても悲しい哀れな人々です。
これは日本ではなく、世界が称讃していることなのです。
彼らがいなかったら、あなたは、私は本当にここにいなかったでしょう。
そのとき、官邸にいた、この国の首相と官房長官は… 特に官房長官は、3月13日の午後6時過ぎ、原子力安全・保安院の技官が記者会見で「メルトダウンしている」と発表したことは無用な混乱を引き起こす元になる、という理由で、すぐに更迭してしまいました。
そして、その罪深い官房長官は、「ただちに」、「いますぐに」を繰り返したのです。
彼は、とっくに福島第一原発が、このままいけぱ世界を破滅させるかもしれないことを認識していたのです。
彼は国民に何度も嘘をついて、人々から避難する機会を奪い、大勢の子供たちを被曝させました。
テレビ、新聞などのマスメディアは、何ら根拠もなしに、「ネットの情報を信じないでください。政府の発表だけが正しいので、惑わされないように」と視聴者に向かって叫んでいました。
マスメディアは、今になって、これと正反対のことを言い出しました。
その一方で、アメリカ大使館は、日本在住のアメリカ国籍の人々に、原発から半径80km以内には絶対に近づかないようにと警告し、安定ヨウ素剤を配布していました。
ドイツ、フランスなどの大使館は東京から関西方面に移動、中国人は飛行機で本土に帰っていきました。
東京から一気に外国人が消えたのです。
「彼らが日本を救い、世界を救ったのだと思います」
アメリカの著名な原子力技術者、アーニー・ガンダーセン氏が、2月20日、東京・内幸町の日本記者クラブでプレスに対して会見を行いました。
ガンダーセン氏の今回の来日は、同氏の近著「福島第一原発 ―真相と展望 (集英社新書)」の日本でのプロモーションのために版元である集英社が招いたもの。
同時に、作家・広瀬隆氏との対談などもブッキングされ、まだまだ気の抜けない福島第一原発事故収束について語りました。
ガンダーセン氏は、ご夫人と二人で運営している原子力関連の分析・評価サイト「fairewinds associates」で世界的に有名になりました。
当初、私は、ガンダーセン氏には、何らかのスポンサードがあって、こうした活動を続けていると考えていたのですが、実はまったくの個人の独立サイトで、視聴者からの少ない浄財によって運営していることを知って、余計に、その情報に重きを置くようになったのです。
どちらかというと、原子力推進派にとって、耳の痛いことも指摘しているので、当然の事ながら、さまざまな妨害にも遭ってきたようです。そのせいか、大切なご自宅も手放したということを他の記事で読んだことがあります。
この動画は、すでに何人かのブロガーさんが文字起こしされています。
2月20日/アーニー・ガンダーセン氏記者会見:『福島第一原発~真相と展望』
Arnie Gundersen:日本政府は #東電 を守る事を最優先し国民を守るのは二の次
ガンダーセン氏は、大勢の記者を前にして、冒頭でこのように述べています。
「まず私の話を始める前に申し上げておきたいのは、今回の事故で福島第一、そして第二発電所で、まことに勇敢に事故に対応するために働かれました男性、女性のみなさん、主に男性だったと思いますけれど、まことに勇敢なお仕事をしてくださった方々に感謝の気持ちを捧げたいと思います。
事故直後からの一週間、二週間、本当に見事な勇敢な戦いぶりだったと思います。
彼らが勇敢にも戦ってくれたということは、私個人の意見ですけれども、日本という国を救ったと思いますし、それだけではなく世界全体を救ったともいえるのではないかと思います。
ですから、我々全員は彼らに負うところ大であると、彼らに対する感謝の気持ちを本当に持たなければならないと思っておりますし、また、あのように本当に酷い条件の中で、大変な仕事を成し遂げられた現場の人々に対しまして、私は個人的に本当に感謝をしたいと思います。
彼らが日本を救ったと思っております。
本当に勇敢な人たちでした」。
ガンダーセン氏は、繰り返し、決死の覚悟でカタストロフィーを止めるために戦った“戦士”たちに感謝の意を表し、「世界を救ったのは彼らである」と力説しました。
あの時、彼らには、何かとても善い存在が宿っていたに違いないのです。
福島第一原発 ―真相と展望 (集英社新書)
アーニー・ガンダーセン (著), 岡崎 玲子 (翻訳) 集英社
735円 配送無料
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