家族の悪口の話です。
今まで自分は、このクソブログにおいて
自分が何故ニートになったのかとか
その根本的原因とか 経緯の話とか
自分のプロフィール・生い立ち的な話とか
・・・
それらの類の
「自分語り」、そういう話は 多分 一度もしてきませんでした。 封印していました。
なぜ、そういう話をしたくなかったのかというと、
・まぁどうでもいいだろうと自分でも思うから
・ていうか自分の人生の失敗談とか大した話じゃないよと自分でも思ってるから
・というかこの話をするためには結局「自分の家族がどれだけゴミなのか」という話を延々とするだけになるから、
そんな話を一体誰が聞きたがるんだよ、と自分でも思うから
・なんか言い訳がましいから
(・世の中には、もっと過酷な逆境の中でも成功した人がいるから・・・)というのがあります。
実際自分が何故こんな糞な性格の糞ニートになったのかという話を自分でしようとする場合
基本・家族への恨みつらみを語るだけにしかならないと思います。
そして
それは傍から見ると、
ニートお得意の「責任転嫁」にしか見えないかもしれないだろうなと、自分でも想像がつきます。
そういうのがわかるからこそ、
今まで自分はそういう話が出来なかったのです。
が、 昨日、 あまりにもクソなことが起きました。
もう本当に、自分の家族はゴミだとしか言いようがありません。
「家族の悪口をいう」ということが、どういうデメリットを産むかくらいはわかっています。
(
近しい人の悪口をいう人間は、その人と近しくなったら悪口を言われるようになるということだ~、みたいな話)
でも、今回は 自分がもう我慢ならなくなりました。
だから、もう純粋に 自分の怒りのために、今回は自分の家族の悪口を書きます。
家族の悪口
でも 何から書いたらいいんだろうね。
今まで全く話してなかったからなぁ。
まぁ自分には
「姉」がいるのですが (初めて言ったよこれ)
コイツがゴミです。
人間のクズです。
ここまでどストレートな他人への罵倒を自分はこのブログでしたこと無いと思いますが、
こういうことを、自分が平気で断言できるくらい、 正真正銘のゴミみたいな人間です。
ここまで醜悪な人間が存在していていいのか? とビックリするくらいの人間です。
で、この姉はいちおう障害者です。
それだけなら普通、同情の対象なのですが、
これがまた、
障害を笠に着て、家族をいじめ抜くような人間なのです。 そこが最悪なのです。
性格は、
ヒステリババァ 強欲ババァというのがぴったりです。 というかほとんど発狂しています。
(ババァといっても30~31なのですが) (ていうかコイツの年齢とか誕生日すら本当は覚えたくないよ)
いつも何かしらに対して怒っています。 大声で叫んでいます。
いつも誰かの悪口を言っています。
(まぁ自分も今、実の姉の悪口を書いているようなモノなのだが・・・そういうレベルではない)
(人の居ない所で陰湿な陰口をずーっと叩いているようなタイプの、そういう
イジワルババァなのだ)
まともな理論が通用するような人間じゃないのです。
理屈で説明すれば分かるようなことが、一切通じません。 そういう人間がいるのです。
で、その人間がおととい 具体的に 何をしたのかというと
まず、 このゴミが 夜中に大音量でガンガンCDプレイヤー?で音楽をかけておりました。
(当然?イヤホンとか使わずに、普通に大音響で近所中に響くような音で、です)
当然うるさいし激しく近所迷惑なので 自分はドアをバタンと閉じました。
そしたら、その「ドアを閉じた音」に 急にあのゴミが怒り出したのです!(もうこの時点で本当に頭がおかしいとしか言いようが無い)
(おのれが騒音を立てているのに、それに注意されたら逆ギレどころでない怒り方をするわけだ)
それから言ってきたことがもういつにも増して意味不明で
なんか
「障害者の人権を守れ」とか
「障害者を虐待するな」とか そういうことを連呼しまくって、
それからは
自分に対する個人攻撃、人格攻撃、罵詈雑言を延々としてきました。
その内容としゃべり方が
あまりにもムカつくので
こちらも反論しようとするのですが、
都合の悪いことを言われそうになると、意味不明なことを大声で言って、かき消してくるのです。「親鸞しっとるか? どーせお前はしらんだろ!」
「親鸞はなぁ!」
「他力本願なんじゃ!」
「他力本願が正しいんじゃ!」
「悪人正機なんじゃ!」
「だから私は正しいんじゃ!」
「だから障害者を守れ!」 (←本当にこういうしゃべり方する)
・・・
とかそういう意味不明なことで会話を中断させてくるので、こんな相手を説き伏せることとか不可能です。
(ていうかどう考えても親鸞の教えを間違えて我田引水してるだろこれ)
(信じられ無いだろうけど、ここまで意味不明なことを浴びせてくる人間がいるのです)
(
「IQが20離れると会話不能」ってよく言いますよね)
(そういうレベルじゃねーですね
50は離れてる)
それでも自分が食い下がって
「どう考えても夜中に大音量で音楽をかけていたお前がおかしい」というごく当たり前なことを言っていたら
いきなり
「障害者になにするんじゃー!!」とぶちきれて
警察に通報しました。
はい。 「姉のほうが」通報したのです。 意味が分かりませんよね。 でも通報したのです。
その時の通報の内容は
「いま〇〇(自分の名前)に虐待されてるんです!
暴力を振るわれてるんです! 障害者虐待です! すぐ来てください! 助けてください! 住所は~~ 」みたいな感じでした。
なにが「暴力」だ、という話ですよ。
自分はこの豚に一度たりとて 手を上げた、というか触ったことがないです。 触りたくもないからです。
ていうか普段、家族に暴力を振るっているのはこの豚姉の方なのです。
勿論 このアホは いきなり目の前でケータイを取り出して通報しているワケですから
取り押さえようと思えば止めることは出来るだろ、と思うでしょう。
でも
自分はコイツに触りたくもないし、
ここで無理に電話を取り上げたりしようものなら本当に虐待だと主張されかねないし、
まぁ通報はされちゃったから警察は来るだろうし、
別に警察がきて本当に困るのはこのアホの方だろうし・・・
というワケで放置していました。
(いきなり警察に通報するという意味不明な行動に あっけにとられていた、というのもある)
で 警察がきました。
やって来た数人の警察の人のうち、一人が自分の方に話を聞きにきました。
が、なんかいきなり最初からすごい「優しげな態度」でした。
通報の内容としては
「このニートが 姉に暴力を振るった」ということになってるはずなのですが、
なんかもう普通に「アレな通報」であることを最初から理解してくれてる感じでした。
で、自分への事情聴取は10分もかからずすぐに終わって、
その後は延々と 姉に対して「なんでこんなことで通報したのか」というお説教です。
で、このクソ姉はどうしていたか。
このクソ姉、
家族に対しては 悪鬼の如く 異常なテンション、異常な形相、異常な声で まくしたてるのですが、
警察の前では すごく大人し目で、
私が被害者なんです~ 暴力を振るわれたんです~ とウソ泣きのような素振りを最初はやっていました。
(これ、目の前でやられると本当に腹が立つぞこれ)
(こんな
テンプレみたいなウソ演技するやつが 現実に生きているということを、もう信じたくない)
が、
まぁ虚偽通報なことはソッコーでバレて、 警察からも責め立てられるような調子で迫られだし、
それからは「素で」弱々しくなっていきました。
すると今度は警察に向かって
「私は障害者なんです~」
「しっかり睡眠をとらないといけないんです~」
「もう夜中で遅いですから帰ってください~」
「こんな面倒なことになるなんて思ってなかったんです~」とか泣き落としみたいなことを言い出しました。 お前が警察よんだんだろうが。
マジで腹が立ちますが、自分ももう面倒くさくなってるから
これで警察もさっさと帰ってくれればいいや、と思ってました。
が、警察もなんか
「この姉の明らさまなクソ態度」に腹が立ったのか
「いや、あなたが通報したのだから あなたがちゃんと経緯を説明してくれないと」
「本当のことはなしなさい」
「あなたなんでこんなことしたの」
「あなた普段からこんなことしてるの?」
「あなた親にあれしてない? これしてない? 暴力ふるってない?」・・・みたいな感じでどんどん話が長くなりそうでした。
で、最終的には精神病院に行く行かねーの話になって
絶対にあそこにはもう行きたくないから、お願いだからやめてくれ、ということになって
そこでようやく反省?して、
これからは「他人の迷惑になるようなことはしません」とか抜かして、 (でも自分に対する謝罪は一切ナシ)
その日は終わりになったのです。
(夜中の3時くらいになっていた)
こんな感じ。
はい。
文章で伝えようとしても 自分の姉が如何にクソで 如何にムカつく存在で
如何に
「生きてる価値が無い人間ってこういう奴なのだなぁ~」としみじみ思うかということは 全く伝えられてる自信がありません。
自分の文章力で
いくら説明しようとしても無理っぽいです。
キチガイのしゃべりかた、キチガイの身振り手振り、その
実際の迫力。
目の前で実際に体感しないと 絶対に分かりません。
ていうか、
こんな意味不明な人間が本当にいるのかと、リアリティが感じられないかもしれません。
でもこういう奴が自分の姉なのです。
で、だからなんだと。
この時点で、 これを読んだ人は 逆に色々と疑問とか意見とかが出るでしょう。
「お前はなんでそんな奴と暮らしているのか?」 とか。
「そんな奴はこうしてしまえ ああしてしまえ」 とか。
「そういうときはこういう施設で対処したらいい」 とか。
あげく
「それは明らかに〇〇の症例なので、その姉こそが被害者なのです」 とか。
そういう話し。
でもなんというか、自分はそういうことすら考えたくないくらい気力がないのです。
本当になんでだろう。
なんでこのクソ家族と暮らしているのか本当に不思議。
なんで自分が生きていられるのかが本当に不思議。
自分は障害者の姉に同情しません。
普通なら同情するべきところなのでしょう、 それは分かります。
でもコイツはムリです。
コイツは
障害を隠れ蓑にして、家族をイジメ抜いて楽しんでいるのがわかるからです。
コイツ本来の「サディスト」の部分が、
障害手帳という紋所によって守られてしまっている状態です。
いや、それ自体も障害者独特の「幼稚さ」からくる行動なのかもしれません。
でも、自分だってコイツのせいでアスペ・自閉症・引きこもりになったようなものなのだから、
なぜ「自分に全く同情しないコイツ」に自分が同情しなきゃいかんのだ!?というのがあります。ていうか全てコイツのせいで自分の人生が狂ったと言っても過言ではないのに。
で、ここからちょっとだけ自分の話。
自分が中学、高校の受験戦争の頃、 つまり人生で一番ナーバスな頃、
丁度 このクソ姉の精神が徐々におかしくなっていきました。
自分や家族に対して「嫌がらせ」のようなことをするようになってきました。
受験勉強で大変なときに
夜中に延々と大音量で音楽を流すということを、その頃からやってきたのです。
(その頃から、いくらやめてくれと頼んでも、
いくら、音楽をイヤホンで聞いてくれと頼んでも 聞く耳を持たなかったのです。 このクズは)
受験勉強でイライラしているのに、隣の部屋で音楽を昼夜問わずガンガン流されて、
それをいくらやめろと言われても やめてもらえないストレスが想像できますかね?(それがあるからこそ、自分は「音楽をガンガン鳴らす人」というのがトラウマ、不快でしかたない)
(だからこそ、今回のことで自分はまた腹を立てたとも言える)
(未だにこのクソ姉は音楽を大音量で鳴らすのを止めないのかと)
一体何故こんな仕打ちをされなきゃならんのか? 今でもわからない。
だが今、想像することはできる。
ところで、
姉のクソ妨害に耐えながらも、
自分は一応、県で一番偏差値の高い進学校に受かることが出来たのです (これは自慢か?)
で、このクソ姉は ことあるごとにそのことを言ってくる。
「私だって本当は〇高行けたのに、自分は病気のせいで行けなかった」
「だから〇〇(自分の名前)はズルい!」
「その学歴を活用できないお前はクズだ!」・・・
みたいなことを延々と言ってくるわけです。
(あの糞馬鹿の姉が○高に行けただろうか? 今思えば怪しいものである)
つまり、このクソ姉は 自分の成績とかに嫉妬して、
そのコンプレックスから、攻撃・嫌がらせをしてきたというワケです。 どんな姉だ??? やっぱりクソです。
んで、その嫌がらせをの影響で、自分も高校ぐらいからだんだん性格がおかしくなっていったと思います。
ていうかそのころ辺りから
もう家族が完全に崩壊してた気がする。
普通にもう両親は離婚してたし、
なんか夜はいつも口論してたと思う。
家族同士で包丁突き付けあったりしてたような気がする。 いやマジで。
ギャンギャンギャンギャン口論してて、夜も恐怖と騒音で眠れない日が多かったように思う。
寝てる間に殺されるんじゃないかって本気で怯えていた。
そんな日々がずっと続いた。
で、自分も高校後半の頃らへんからは、そうとう頭がおかしくなってたと思う。
・・・
・・・
そんなこんなの積み重ねで、自分の人生は崩壊したと思ってます。
人生というか、自分の性格の色んな部分が崩壊したと思うのです。
・他人から攻撃されているとしか思えない。
・どこまで行っても他人に馬鹿にされているとしか思えない。
・逆に、いくら他人から褒められても、絶対にそれは「お世辞」だとしか思えない。
・人が見ている所で食事ができない。
・人が信じられない。
・人としゃべれない。
・他人に心を開けない。
・他人に何かを相談することができない!! (←これこじらせると人生詰みますよ)
・他人に何かを頼むことが出来ない!!こんな風に性格がねじれてくると、なんかもう人生がどうしようもなくなってきます。
「家族と口がきけない」というのも普通にあります。
家族が全員ゴミみたいな人間なので、もう誰とも会話をしたくないのです。
だから家族に対して、「人生の方針とか進路の相談」が一切できなくなります。自分は将来どういう人間になりたいかとか、どういう職業につきたいか、つくべきか、
どう生きるべきか・・・
そういう相談が出来るような相手が、そういうことについて考える機会が、
思春期の自分には全くありませんでした。
そういうことについて一切考えることが出来なかったのです。
そうなってくると、流されるように主体性のないことを延々とやるようになって
一回の失敗で全部嫌になってしまうのです。
それで自分は引きこもりニートになったようなもんです。
だから自分がニートになったのは
自分の性格がそんな風になったのは
全部家族のせいだと、自分は今でもマジで思っているのです。
どうなんだろうか。
これを読んだ人は、どう思うんだろうか。
それでもやっぱり自分が
「甘え」ているのだろうか?
自分がなんとかしてでも家庭崩壊を食い止めるべきだったのだろうか?
(それって本当か?)
(「自分の両親の離婚」とかも、子供自身が自力で止めなきゃならんのか? そういうことになってくるぞ?)病気の姉に理解を示すべきなのだろうか?
(あいつの嫌がらせのせいで、自分も頭がおかしくなったのに?)
なんかもう、どこまで言っても
「他人には理解されない」という風にしか考えられないのです。
これは
「カサンドラ症候群」みたいなもんだろうか?
姉の悪口を書いた所で、どうせ自分は理解されない。
で、次は自分の母親の話なのだが
(まだあんのかよ)
(いやでも、こんな糞みたいな話について記事を個別に分けるのも、もう嫌なんだ)
(だからこそ全部話してしまいたいのだが)
(これは一生終わらんぞ・・・)
姉は性格がゴミなゴミ人間でしたが、
母親はそうではないといえます。
その代わり
ただひたすら「頭が悪い」という点で、ダメな親だったと思います。
どういう点が最悪だったかというと、
この親は ある「新興宗教」にハマっていて (多分 その宗教も かれこれ3種類くらいを転々としている)
その宗教を自分の子供にも押し付けるような親だったのです。(この行為、自分が
「人の親として絶対にしてはいけないこと1位」だと思ってます)
ちょっと
うちの親が具体的にどれだけ馬鹿かというのを紹介してみます。
まぁ新興宗教には、独特の
「馬鹿に神秘主義を信じさせるためのトリック」みたいなのが色々あるのですが
そういうのにコロっと騙されるようなヤツなのです。
例えば
「雲を念じると消える」
「人間の祈る力は、雲くらいなら消すことができる」 みたいな教義。
これ、実際に天気のいい日にやってみてください。
「消えろ消えろー」って念じながら雲を見てると、本当に消えます。
小学生とか馬鹿な母親とかはこんな馬鹿なトリックにマジで騙されてしまうのです。
この仕組は
「TRICK」というドラマでも暴かれてたと思います。
自分はそのドラマを見た時、手を叩いて大喜びしました。
この手品の種を明かしてしまうと、
ある天気、あるタイプの雲は、「消えたり出たり」を割と短いスパンで繰り返しているのです。人間は雲が消える瞬間とか出たりする瞬間とかを普段見ていないので、
そうやって「ずっと念じてると消える」とか言われて、実際その雲が消えた時、
「うわっ本当だ!」て感動して、信じてしまうのです。
「んな馬鹿な」「だからってそんなのすぐ信じるなよ」って思うかもしれない。
でも、小学生くらいの判断のつかない子供とか、馬鹿な主婦とか、
「一部の理論的にモノを考えられない層」は、
こういうのでコロ~ッと神秘主義にハマってしまうのです。他にも色々あります。
・水はきれいな言葉を読ませると結晶が綺麗になる、とか
・人間は手をかざすだけで大抵の病気を直すくらいの力を本来備えている、とか
・目を閉じて太陽をずーっと見ていると目が浄化される、とか
(これも親にさせられてた)
(自分が近眼になったのはこれのせいだと思う)
・電子レンジは放射能が危ない、とか
・日木流奈の奇跡とか
・サイババの奇跡とか
・・・
・・・まぁ色んな、教義とはちょっと違うけど、新興宗教に付随してくる
「よくあるデタラメスピリチュアル話」を、
ウチの親は簡単に信じてしまうタイプで、
しかもそれを自分の子供に押し付ける、やらせるような人間だったのです。
(他にも
「アムウェイ」とかのネズミ講にも引っかかるような人間でした)
(本当に情けない)
(今でも家の中は怪しげな健康食品で溢れています)
で、自分も小学生の頃はこの親に連れられて宗教の集会とかに行かされました。
だからその雰囲気とかは良くわかっています。
居心地は悪くはないんですよアレ。 お菓子とか食べてお茶とか飲んで、あとは説教とかをテープで聞いて、そんでお祈りとかする。
なんかいい匂い、いい雰囲気で、
「神秘的な」、「敬虔な」、「自分は良いことしているような」気分にすごーくなれるんですよ。そこの新興宗教の教義はなんか、
「祈ってるだけで世界平和に貢献できる」とか、「人間は神である」とか、そういう感じの教義でした。
まぁ、暇で無能で何もしてない馬鹿主婦とかにとっては、心地よい教義ですわな。自分は神だとか、毎日何もせずに宗教の集会に参加するだけで世界平和のために活動できていると信じられるとか、
気分はいいんでしょうな?
生きがいを与えてくれるんでしょうな?
で、それで何になるのか。
普通に考えれば、
冷静に見れば明らかにデタラメ。 何にもならないことに時間を費やしているのが分かるだけじゃないか。
そんな活動に時間や金を吸われて、
自分の子供達の教育もロクにしないで、神秘主義にだけ傾倒して、何になるのか。
何にもならない。
自分は、自分の親から
「人の親として子供に伝えるべき何か」を与えられた記憶が全くありません。
「人はこういう風に考えて生きるべき」とか、
「こういう風に行動すれば人生はこうなる」とか、
そういう
根本的な人生訓、親として、
「人生の先輩」としての、子供に伝えるべき重要な考え。
そういうのを何一つ親から教わった記憶がありません。
親に押し付けられたのは新興宗教のニセ教義だけです。一体何だったのかこの親は。
新興宗教なんか信じたって人生は良くなるワケがない。
デタラメな宗教にかまけて、人としての教育を放棄した親。
結果はなんだ? 子供はめでたくニートになったぞ?
これが宗教によって救われた結果か?
これが「開運」「金運」「救い」とかの本を買い漁った結果か?
宗教なんて何にもならない。
でも、宗教信じてる奴はこれを疑わないんですよねー。
で、自分は小学生のころはそんな風にして親に洗脳されてましたが、
何時頃だったかなぁ?
中学のころには、もう普通にそういう
新興宗教がデタラメだということを見ぬいて、辞めてたと思います。
が、自分以外の家族は全員、未だに宗教を信じてるんですよ!!!!これが自分にとって最悪の事態なのです。
想像できますか?あなたが、ごく普通に、物事を 論理的に、理論的に考えられる人間だとする。
一方で、あなた以外の家族の全員が、気持ち悪い、得体のしれない新興宗教にハマっているとする。どんな気持ちがしますか?自分は、自分以外の人間がエイリアンみたいにしか感じられませんでした。そんな環境で育った人間がどうなるか。
まぁ自分ですよ。
人間不信、人間を頼れない、他人に話しかけることができない、他人に何も相談できない、
そういう人間が出来上がるのですよ。そんな人間は人生詰むの当然じゃないか。
想像してみてください。あなたの親の本棚を見てみたら、
「開運がどうのこうの」「金運がどうのこうの」「スピリチュアルがどうのこうの」「誕生日がどうのこうの」
「守護霊がどうのこうの」「前世がどうのこうの」「祈れば病気は治るとかどうのこうの」・・・・そういう、
鳥肌立つような怪しげな本ばっかりがぎっしりだった時のことを。
こんな、
頭の弱い、判断力のない人間が自分の親なのかと、ほとほと自分が情けなくなってきますよ。マジで。
こんなんなら、ビジネス書とか自己啓発本とか読んでる「意識高い系」の方がよっぽどマシです。
親しい人間が新興宗教に引っかかってしまったとき、あなたはどうしますか?これって人生最大級の難問だと自分は思ってる。これほど解決困難な問題ってないと思う。
よく、色んな人生相談とかでもある。
例えばこんなの
Q.
「友人が怪しげな新興宗教にハマっててヤバいんです でも言うこと聞いてくれないんです」
「逆に勧誘されそうで自分もヤバそうなんです もう友人としての縁を切るべきでしょうか?」A.
「あなたにとって本当にその友人が大切なら、あなた自身がその友人を宗教から救ってあげなくてどうすんですか!!! 完」みたいな、
こんなテキトーな人生相談が、未だに世界中で繰り返されていると思います。
(オセロの中島だったかなぁ)
(あれが宗教にハマった時も、なんかこういう結論で終わってる人がいっぱい居たような気がする)
でも自分はそうは思わない。
友人、家族、恋人・・・
親しい人間が宗教にハマった時、
「親しい人間が本気で説得すれば、宗教くらい止めさせられるはずだ!」みたいな幻想抱いてる人は山程いるのだろうけど、
自分に言わせればそれは
想像力が足りないだけだと思う。
実際は、もうマジ無理って感じです。
覚せい剤とか止めさせるのより難しいと思います。
ていうか、
自分だって、一回、本気で親に宗教止めさせてもらうために、
延々と理論的に「何故こんなのがおかしいのか」について説き伏せたことが、あります。その時本気を出しました。 人生で一番、親と長く喋ったと思うし、人生で一番、親のことを真剣に考えてた瞬間だったと思う。で、その時は
「分かったお母さん宗教止める」とか言ってたと思うのです。 泣きながら。お互い泣きながら。
「ああよかった、やっと通じたのだ」と思いましたよ。
・・・
でもそのあと、しれっと宗教の広報誌みたいなのが相変わらず家に転がってるんですよ。
普通に参加してるみたいですよ。
それでもう、絶対無理だなと思いましたね。
それでもう、自分の親に対する「宗教から救ってあげよう」みたいな感覚、消え失せましたね。
親に対する尊敬とかも完全に無くなりました。
なんかもう宗教信じてる奴は頭の論理回路が違うんじゃなかろうか。
何言っても
「暖簾に腕押し」なのです。
「これこれこうで、こういう宗教は間違ってるんだ!」
「こんな教義はただ単に、この宗教を作った奴が信者にこれをさせるために、こう設定しただけなのが分かるじゃないか!」
「これは科学的に考えればこうなのに、こんなのをそんな風に信じるなんて、明らかに間違ってるじゃないか!」・・・
とか、そういうことをいくら論理的に語っても、無駄なのです。
「それはそういうモノの見方の一面もあるかもしれないけどね・・・」
「やっぱりこの世には科学だけでは解明されてないこともあるから・・・」
「やっぱり科学では説明できないこともあるから・・・」最終的には
「それはアンタが科学教を信じてるだけだよ・・・」 (←これほんとムカつく)
みたいなそういうことを言われて、絶対に都合の悪いことを信じようとしないのです。
(この辺の、
「なぜ宗教信じるやつはこうなのか」
「科学は疑う所から始める」「宗教は信じる所から始める」 この根本的な違いについての話、延々としたい・・・)
やっぱり究極的には宗教って、前世とか輪廻転生とかを信じさせてくれますからね。
現状、
「死の恐怖」からの一番の開放ってそれしかないのかもしれない。
だから、教義の根本が「輪廻」とか「死後の救い」に結びついてる宗教は本当に強い。その教義が間違っていることを理解させることは、結局
「人間は死んだら土になるだけ」というのを理解させるということになってしまう。
馬鹿はそんなの絶対に信じたくない。 それほどまでに「死の恐怖」はすごい。だから結局、輪廻転生と、それに結びついた宗教の教義を、芋づる式に信じてしまうのだ。
「シンギュラリティ」がくるまでどうしようもなくないか?
で、何の話だったのか。
ああ家族の悪口の延長だ。
・姉は障害とヒステリーで、家族全員を攻撃するゴミ
・母はひたすら頭が弱く、問題解決能力ゼロで、宗教にハマりっきりでそれ以外の何もしないゴミということが分かりました。
他には
離婚した父親の話とかになってくるのですが、これはまぁ別にいいや。
でも一応言っておくと、
やっぱりこれも宗教信じてますよ。 これもちょっと頭のおかしい人間です。
どんだけだよ。
本当に四面楚歌です。
インターネッツとか見てると、まぁ基本的に科学的にモノを考えられる人しか見かけませんよ。
どんな悪意や善意がうごめいていても、その点は安心します。
2chねらーとか、口は悪いけど、彼らは「理論的にモノを考えられる側の人間」ですよ。
そういう世界をみていると、今時
・宗教を信じてるような奴
・血液型占いを信じてるような奴
・神や輪廻転生とか信じてるような奴そんな奴らはもうとっくに絶滅してるんじゃないか?という、希望に満ち溢れた気分になってきますね。
でも実際は、現実は、
目の前に宗教にどっぷりハマっている人間が普通にいるのです。
自分以外の家族全員が、「そちらがわ」の住民なのです。
「宗教を信じてない自分がおかしいのか?」などと錯覚しそうになりますよ。
そのギャップに自分は耐えられません。
どうしてこんなことになっているのでしょう。
まぁとにかくそんな感じで、自分の家族は自分以外、全員怪しげな宗教にハマっている人間なのです。
つまり全員、物事をマトモに考えられない、頭の弱い人間だと言ってしまえます。
全員問題解決能力が無いので、こんな奴ら救われるわけないのです。
で、どういうことになるんでしょう。
「それならお前がなんとかしてそいつらを救えよ」ということになるんでしょうか?
自分的にはそれはもうムリです。
馬鹿から宗教を取り上げるということに対して、自分はもう諦めてしまっています。
家族全員が馬鹿でゴミみたいな人間で、
全く人として尊敬できる所がないのに、
なんでこんな奴らの為に働かなきゃならないのか?
なんでこんな奴らの為に生きなきゃならないのか?
なんでこんな奴ら相手に親孝行家族孝行しないといけないのか?
なぜ自分が一番苦しかった時に何もしなかった人間のために動かないといけないんだ?
と、そういう風にしか考えられないのです。自殺とかも考えたけど、
最近は大分この辺の気分が変わってきましたね。
なんでこんなゴミが生きてるのに自分が死ななきゃならんのだ? みたいな感覚がありますね。
・・・
・・・
これが自分の中の大前提です。
自分の中の「働きたくない」は、
家族全員が全く尊敬出来ない人間であるという環境で育った所から来ていると思うのです。
こんなこと初めて話したと思います。
家族のために頑張るとか、そういうのが崩壊しているのですね。
尊敬できるような人間の元に産まれた人を本当に羨ましく思います。
で、すると次はまぁ
「そんな家族捨てろよ」
「一人で自立して生きていけよ」とかの話になるのでしょうが、
これがまぁ今度は
「自分の問題」になるわけで、
やはり、自分は自分で頭がおかしくなっているので、そういうことをする気力が全く湧いてこない人間なのです。
「トコノクボ」の主人公のようには生きられません。
自分はああいう強い人間ではないのです。
どうやって生きていけば良いのか全くわからない。
というか考えたくない。
現実逃避以外何もしたくない。
自分の中にある
「環境の変化に耐えられない」という性格はなんなのか。という感じです。
「環境の変化に晒されるくらいなら死んだほうがマシ」という感覚があります。
これがどうしようもなく強いのです。
この根源は何なのだろうか。
(今分析するに)
(子供の頃の親の離婚と、それに伴う「引越し」が凄く嫌だったから、それを引きずって居るのだろうか?)
つまり
「家族全員がゴミ人間」というのは、
自分も含めてゴミということです。
結論としては
「馬鹿は絶対に救われない」ということにしかならないと思います。
本当に。
自分で自分の境遇を改善する能力が無いくらいの馬鹿なのだから、馬鹿は馬鹿なのです。
じゃあその馬鹿がどうやったら救われるかといったら、
なんかもう、「雨が天から降ってくるのを口開けて待ってるしかないんじゃないか?」という感覚しかないのです。
それくらいの馬鹿なんです。
だから絶対に救われません。
まぁそれはそれとしても
「それでも8年ニート続けてるのはどうなのよ」というのがあるので
これについては、いつか何か書きます。
今年のエイプリルフールくらいに、何か発表すると思います。
本当に、
大川隆法とか、
深見東州とか、
あのへんの人間死なないかなぁ。
誰か殺してくれませんか?これが結論。
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