さつきのブログ「科学と認識」

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 東電原発事故によって放出された放射性物質の危険性をめぐって、あいかわらず「自然界にこれだけあるから大丈夫」論がまかり通っている。この論法は、歴史的には原子力PAと反原発運動のせめぎ合いの中にあって、放射線防護の科学の進展によって後退を余儀なくされ、それとともにICRPの規制基準も引き下げられてきた。それがいまだに声高に主張されているのであるが、不思議なことにこの論法は、巧妙・精緻化しているのでは全くなく、ごく「素朴」な「自然界にこれだけあるから安全」論にとどまったままなのである。さらに不思議なことにこの論法は、私の見るところ「ニセ科学批判」に熱心な人々によって担われているようだ。

 私は、このような言説はまさにニセ科学ではないかと考えてこのブログにも記事を上げたことがあるが(注1)、ニセ科学を批判する者がそれをやる筈はないとの考えも成立するので、私の良く知らない言葉の定義からすると、これは「ニセ科学」ではないのであろう。そこで私は、これらの言説を「デタラメ科学」と呼ぶことにしたのであるが(注2)、ここではもう少し意味を広くとるために「ダメ科学」と呼ぶことにしよう。つまり私は、東電原発事故以来、「ニセ科学批判」界隈の中に「ダメ科学」が蔓延していると考えている。このことは、日本の科学史の中でも一つの時代を画する出来事と考え、それらの実例を収集してきた(注3)。ここでは、その中の「自然界にこれだけあるから安全」論法の一例として、最近話題になっているトリチウムをめぐる問題をとりあげる。

 この問題は、福島第一原発の地下水を浄化処理したいわゆる「トリチウム汚染水」の海洋放出をタイムテーブルに載せようとする東電や経産省の説明会が開催されるようになったことで、活発に議論されるようになった。その前提として、そもそもこの浄化処理水には、それまで安全基準値以下しか含まれていないと説明されていたトリチウム以外の放射性核種が基準値を大きく超える濃度で含まれていることが発覚したことは抑えておく必要がある(注4)。つまり、この浄化処理水を「トリチウム汚染水」と称することは間違っているのであるが、ここではとりあえずトリチウムの問題をとり上げよう。

 トリチウムについては、ことに有機結合型トリチウム(注5)の健康影響をめぐる研究が多数なされているが、そうした研究を参照することなく、トリチウムは安全だと主張する「科学者」や「科学ライター」や謎の<原子力PAボランティア>がいて、sivadさんによるtogether:「有機結合型トリチウムという基本概念を知らない人たち」に収集されている。

 トリチウム水(HTO)のトリチウムが光合成によって有機物に取り込まれるのは基本中の基本であるが、自然界に存在する全ての同位体は、その元素を含む全ての物質中に天然とほぼ同じ割合で含まれるというのもまた、同位体化学の基本原理である。「ほぼ」と書いたのは、質量数の小さな元素の同位体は、同位体間の質量比が大きいことが要因となって、天然での元素移行や生体における合成・代謝などの過程で特定の同位体が「濃縮」されることもあるからである(注6)。いずれにしてもトリチウムは、太古の昔から天然に存在しているのだから、もともと天然に存在する元素から構成される生命体の水素を含む全ての分子(タンパク質、脂質、糖類、DNA、細胞外高分子など)に含まれることは常識である。逆に特定の物質に含まれないとしたら特殊な同位体分別作用が働いているということで、それを排除したカウンター物質にトリチウムが「濃縮」されることになる。

 さて、誤りや無知に気づいても絶対に反省したくない者が、話の筋とは全く関係ないのに決まって持ち出してくるのが「自然界にこれだけあるから安全」と言ういつもの<捨て台詞>である。

 自然にあるから安全とは言えないことは、例えば天然のラドンが肺がんの原因の一つであるとWHOが警告していることからも明らかであろう。その事を知らなくても、日本を含め、世界の各地で自然にあるヒ素や重金属によって健康被害が起こっていることくらい知っているだろう。それも知らないなら、せめて、自然の紫外線が皮膚ガンの最大の原因であることくらいは常識として知っている筈だ。

 太陽から地表へ降り注ぐ紫外線は、UV-A (波長 315–380 nm)、UV-B (波長 280–315 nm)、UV-C (波長 100–280 nm)に三分されるが、これらの波長域は水素原子の発光スペクトルのバルマー系列より波長が短く、水素原子の軌道電子がエネルギー準位2の状態にあれば、それを弾き飛ばして電離させる能力がある。最低励起エネルギーは、この場合わずか3.4 eVで、電子が基底状態にあれば13.6 eV(波長91.2 nmの遠紫外線に相当)である。すなわち、紫外線の化学作用は電離放射線のそれであり、水素を主要な構成元素の一つとする生体にとって脅威となる。人は、紫外線の照射を受けるとメラニン色素を分泌するなどの防御の仕組みを備えているが、それでも皮膚ガンは一定の割合で発生してしまうので、屋外における紫外線の量が二倍にでもなったら大騒ぎである。どうして自然にある放射性物質の100万倍もの濃度の廃液を垂れ流すのに無頓着でいられるのか、そのことを心配する人に向けて嘲笑の言葉を投げることができるのか、訳がわからない。

 前掲のtogetterにも次のコメントがあった。
原発から出るトリチウムなんて、一日200兆Bqくらい自然に作られてる量に比べたら、微々たるもんだもんね。有機化云々以前の問題。っつか、問題ない、って言うべきか。

 この「一日200兆Bq」は変な値だと思ってリンクをたどると、経産省の中にある「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」の資料(注7)に、日本周辺における自然由来のトリチウム生成量は年間約110~680兆ベクレルと記載されているのが元になっているようだ。日本周辺(領土+領海)に限っているので、変な値になっている。同じ趣旨の発言はネット上に溢れているが、いつもの原子力PAの垂れ流しで、科学が本来持っていなければならない懐疑主義は微塵も感じられない。

 自然界で作られている放射性核種はトリチウムや14C(炭素14)だけではない。ウラン系列、アクチニウム系列やトリウム系列の種々の放射性核種は、日々、膨大な量が生み出されている。その中でも、いろいろな意味で最も危険な放射性核種の一つであるラジウム226(半減期1,600年)が日本列島の地表部(深さ5 cmまで)でどれくらい生み出されているか概算すると、1日あたり1.31 × 10^21 Bq(13.1垓Bq /日)となる(注8)。表層5 cmに限ってもトリチウムの日産量をはるかに凌ぐ量が日々生成され、存在しているのである。だからと言って、こんなに沢山自然界で作られているのだから、ラジウム1兆ベクレルくらい大したことはないと主張したら、莫迦にされるだろう。自然界に沢山あるからというのは、それが安全であることの理由にはならないのである。

 ついでに書いておくと、単位Bq(ベクレル)は1秒あたりの壊変数を言うのだから(Bq/時)や(Bq/日)、(Bq/年)という用法はおかしいとして、それを用いた人に向けて嘲笑の言葉を投げた大学教員が居たが、この方面の分野(放射化学など)では普通に用いられる単位である。その誤りを指摘されても反省も謝罪もなくダンマリを決め込んでいるのもまた、象徴的な出来事であった。

―――――――――――――――――――――――


注3)

注4)以下、デジタル毎日の記事「福島第1処理水 海洋放出、前提危うく 再処理コスト増も」2018/9/29)から引用。

東電と政府はこれまで汚染水処理について、多核種除去設備「ALPS(アルプス)」でトリチウム以外の62種類の放射性物質を除去でき、基準値以下に浄化できると説明してきた。性質が水に近いトリチウムだけは取り除けないが、薄めることで基準値未満にできるとして、汚染水浄化後の処理水の有力な処分方法に海洋放出を挙げていた。

 しかし今回の東電の発表によると、処理水計約94万トン(20日現在)のうち約89万トンを分析した結果、トリチウム以外で排水基準値を下回るのは約14万トンで、約75万トンは超過すると推定される。基準値超えの中には半減期が約30年と長く、体内に入ると骨に蓄積しやすいストロンチウム90も含まれており、サンプル分析では最大で基準値の約2万倍の1リットル当たり約60万ベクレルが検出された。

注5) ATOMICAの「有機結合型トリチウム」の解説に、次の記述がある。

有機結合型トリチウムには、組織内に存在する自由水(組織自由水)と容易に交換可能な交換型トリチウムと有機物の炭素と強く結合している非交換型トリチウムの2種類がある。国際放射線防護委員会(ICRP)が提示しているトリチウムの化学形別の線量係数(Sv/Bq)、すなわち単位摂取放射能当たりの実効線量では、吸入および経口摂取のいずれの場合もトリチウム水(HTO)の線量係数は、トリチウムガス(HT)の10000倍となっている。植物等の組織と結合した有機結合型トリチウム(OBT)の線量係数はトリチウム水(HTO)のさらに約2.3倍である。

注6)炭素同位体(12C, 13C)は植物の光合成によって同位体分別が起こるが、炭素同位体の質量比は13:12と1に近いので、標準物質に対する有機物の13C/12Cは-20‰(パーミル:千分率)程度にすぎない(C3植物、C4植物、CAM植物で若干異なる)。これに対して、水素(H)とトリチウム(T)の質量は3倍も異なっているので、同位体分別はかなり大きくなり得るが、多段階の分別プロセスを仮定したとしても10倍以上の濃縮は考えにくい。

注7)トリチウムの性質等について(案) (参考資料),多核種除去設備等処理水の取扱いに 関する小委員会 事務局,資料5-2(pdf: 1 MB)

注8)富樫ほか(2001)日本列島の”クラーク数” 若い島弧の上部地殻の元素存在度.地質ニュース558,25-33.(pdf: 1.3 MB)によると、日本列島の上部地殻には、平均2.32 ppmのウランが含まれている。
 日本の面積は377,972 km^2で、表層部の岩石・土壌の平均の密度を2.0g/cm^3(=
2000 kg/m^3)とすると、日本列島の表層5 cm厚の岩石・土壌の質量は3.78 × 10^13 kg となる。
その中の濃度 2.32 ppm のウランの質量は8.77 × 10^7 kg である。
その99.27%がウラン238であり、その放射能を計算すると1.52 × 10^16 Bq(1.52 京Bq)となる。
天然のウラン系列の14回の放射壊変は全て永続平衡に達しているので、その系列途上にある中間娘核種トリウム230のα崩壊によってラジウム226が生成される量も、同じく1.52 京Bqとなる。
これは一秒間の生成量であるから、1日あたり1.31 × 10^21 Bq(13.1垓Bq)となる。
Bqの計算法はここなど参照のこと。

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