1946年に志賀直哉が雑誌「改造」誌上で「日本語を廃止してフランス語にすればどうか」と提案したことは日本の、特に文学者におおきな衝撃を与えた。
1980年代になると、この発言は「志賀直哉の醜態」であり、「志賀直哉にときどき見られた機会主義的な発言」ということになって、「なかったこと」にされたが、当時の人の日記を読むと、日本一の日本語の書き手であることが周知で、おおげさに言えば、作家の誰もが志賀直哉の日本語の標準に達することを目指していた当人が「不完全な日本語ではダメだ」と言い出したことへの衝撃がどれほどおおきかったか判る。
考えの底が浅いことで終始一貫している丸谷才一は1970年代に書いた雑文のなかで志賀直哉の考えの浅さを笑っているが、言いようによっては丸谷才一自身と同じく深くものごとを考えることをしなかった志賀直哉には、その代わり、自分自身ですら何を感じているのか判らないでいるような、ほとんど自己の自意識とは独立した深い直観の力があった。
小林秀雄は電車で偶然乗り合わせた志賀直哉の「なにも見ていないようでいて、なにもかも見透している眼」の怖さについて述べている。
いまから考えると志賀直哉の意見を頭から「たわごと」と決めてかかった人たちは同じ文章のなかの「フランス語に移行することなど簡単だろう」のほうに「この意見はダメだな」と考える根拠を見いだしていたので、半藤一利の敗戦直後の見聞を記した文章を読んでも、「不完全な日本語ではダメだ」のほうは、なにをっ、という反発は感じても、どうも本当なのではないか、と感じていたのがありありと判る。
面白いことに、志賀直哉が激しい反発を受けて、「日本語廃止論」が志賀直哉の一生の汚点と決めつけられたあと、最も真剣に「日本語で世界を表現できるか」議論することになったのは、ロックミュージシャンたちで、日本語でロックがやれるかよ、という内田裕也やジョー・山中の「Flower Travellin’ Band」に対して日本のロックは日本語でなければオリジナリティをもちえないと考えた細野晴臣や大瀧詠一の「はっぴいえんど」が対立の軸であったように見える。
大勢の外国人たちで賑わっていた赤坂の「ビブロス」や六本木の「JAJU」に入り浸っていた内田裕也やジョー・山中に対して炬燵に入って「プレスリー、いいよね」などと述べあっていた大瀧詠一たちとでは拠ってくるところ、立っているところが全然別で、「日本語で自分たちの世界観が述べられるかどうか」という対立が並行したまま終わってしまったことには、ライフスタイルの違いもあったようです。
「見るまえに跳べ」という「フォークの神様」岡林信康のアルバムを見ると、あとで「ティン・パン・アレー」や「イエロー・マジック・オーケストラ」につながってゆく、この「はっぴいえんど」が、バックバンドとしてクレジットされている。
1970年には一緒にツアーにも参加している。
吉田日出子によれば、それまでの、岡林信康自身を含むベタベタした情緒で恨み辛みを述べるタイプの音楽に嫌気がさしていたらしいフォーク歌手と日本語でも乾いた音が出せるはずだと信じたはっぴいえんどのあいだに諒解点があったのでしょう。
一方、内田裕也のほうは逆に、日本語世界から剥離して、疎外され、人物的印象として、怒れる右翼のおじーちゃんみたいな人になっていった。
前に「日本語は言語としての役割が果たせなくなって地方語の位置に転落するだろう」と書いたら、「無知なようなので教えてやるが志賀直哉の発言も知らないくせに、くだらないことを書きやがって」と書いてきた人が何人かいたが、
志賀直哉、桑原武雄、山本有三たちの「国語改造論」が冷笑された過去を前提としての記事であることは、このブログ記事のずっと前のほうに何度か書いてあるはずで、見当が外れている。
積極的に日本語をやめるかどうかは、どうでもいいことで、記事の論旨は「日本語で世界が説明できなくなっているのではないか」ということと
「日本語は真実性を失って『空洞言語』(mannequin language)化しているのではないか」というふたつのことだった。
日本語全体が言語として死語になるのは、その当然の結果にしかすぎない。
どういう理由によるのか、日本にいるときには研究者の友達が多かったが、最も年長の50代のMさんですら医学生当時使っていた生化学の教科書(多分、コーンスタンプだろう)が、英語が第五版だったときに日本語は価格は数倍であるのに第二版で、到底つかいものにならなかったと述べていたのをおぼろげに憶えているから、医化学の世界では学部生レベルでも、日本語は英語世界に追いついていけなくなっていた。
同じことが戦前では技術・物理の世界で起きていて、いまはビジネスの世界や金融理論の世界で起きている。
さらに最も致命的に思えるのは、たとえば20代の人間には自分の生活感覚や上の世代とは明らかに異なる感情のリズムが日本語では表現できないことであるように見えます。
インターネットの根源的な役割は、もちろん世界の破壊にある。
もう少し詳細に述べれば人類の歴史を通じて何千年と続いたスタティックな世界の破壊者がインターネットで、定型に対して不定型、固定的に対して流動的、静的に対して動的、すべてのものが混沌として渦を巻きながら高速で変容しつづける世界のエンジンがインターネットだが、一方ではインターネットには「大数の動的な知性の集合体」という側面も持っている。
そのインターネットの性格が最も活かされているのは北海文明由来の「シェアリング」の堅固な思想をもった知性の持ち主がもともとたくさんいた英語世界で、英語の外側から英語によって参加する人間が素晴らしい速度で増加することによって、当面ゆるぎそうもない言語的優越を獲得した。
簡単に言ってしまえば、「英語で考えることが出来ない人間は世界に参加できない」図式ができあがって、ネガティブな効果のほうを知りたければ、日本も典型だが、イタリアやスペインの田舎を旅行して地元のひとびととイタリア語やスペイン語で話してみれば判る。
「世界から取り残されたひとびと」で、それがための良さとそれがための悲惨とを、両方、判然と見てとれる。
最も興味があるのはインドで、映画、たとえばEnglish Vinglish
English Janglish
を観ても、The Lunchbox
Taking the wrong train
を観ても、中層家庭の家庭内の会話が半分英語、半分インド諸語になっている。
インド版「X Factor」が好きなので、よく観るが、スター志望のパフォーマーたちに対して述べられる講評は、ひとつの対話のなかで、たとえばヒンディ語で話し始めて、英語に変わり、またヒンディ語に戻ったりする。
話したり聞いたりするのに都合がよい言語を選んで、ひとつの発言のなかでさえ言語が混在する。
あるいは、クルマを運転しているときに聴いているのは、たいていローカルのインド人コミュニティFM局だが、ひとつの番組のなかでも英語とヒンディやベンガル語、タミル語が混ざっている。
インドの中等教育の教師には全国的にベンガル人が多くいるが、ベンガル人はベンガル語に高い誇りをもっているので、たいていの場合、ヒンディ語を話さない。
良い学校にいれると、そういう事情が働いて、父兄懇談のような機会には自然、教師に失礼がないように会話はすべて英語になる。
BBCのドキュメンタリを観ていると、火葬を受け持つ不可触賤民の若い男が「私たちは、カーストの最下層だといっても、私たちなしではどんな高貴な人間も死ぬことさえできない」と誇らしげに述べている。
ところで、見終わってから気がついたが、この若い男の人は、流暢な英語で話していたのだった。
人間の最も根底的な情緒の場である家庭で英語が話されるのは「母語」というものへの強い思い入れがあった人間としては驚きだったが、しかし、インドに限らず、考えてみれば、たとえば海外に移住した香港人/広東人のあいだでは以前から普通のことだったのである。
本来の自分達の言語から英語への移行は、おもしろいことに民族や文化によって特徴的なパターンがある。
欧州人は「移行」であるよりも多言語型で、ただ、このやりかたは異言語の人間が大量に往来する欧州の特殊な事情に基づいている。
連合王国を例にとると、ロンドンの小学校でホッケーのクラブに所属している子供は、一年に数回はフランスに遠征する。
中学校になれば、フランスだけでなく、スペイン、オランダ、ベルギー、…と遠征して練習試合を繰り返すだろう。
日本では、どんなふうに言語の移行が起きるか判らないが、いまのような教室での学習のベースでは日本語世界の部屋に自分で鍵をかけてしまう結果にしかならないのは自明であると思う。
翻訳や通訳のような職分が10年後にもあるとすれば、それは日本が閉鎖的な一地方国家になることを意味している。
最もよろしくないのは「仕事のため」に英語能力を獲得しようとするバターンで、第一、そういう姿勢では英語そのものが身につくわけはない。
いまのところ、日本の人で英語が「出来る」人には自らにスパルタンな習慣を課して「歯を食いしばって頑張る」タイプの人が多いように見えるが、傍からみると、そういうひとの英語には名状しがたい「浅さ」があって、本人は得意でも、英語が母語の人間からすると、なんだか聴いていていやになってくる英語であると思う。
鍵は「自然と学習する」方法をみいだすことだろう。
考えてみれば、言語というものの性質から言ってあたりまえだが、言語の習得は個人によって異なる。
誰にも教えてもらえないもので、教師に教わって効果があるのは発音とアクセントくらいのものではあるまいか。
ヒントらしいことを述べると、昔から、社会的競争が発達した国の国民は、多言語を身につけにくい。
試験の選別が厳しいばかりで個人主義を「利己主義」「わがまま」と考えて忌む社会では、なんちゃら方式の能書きばかりが多くて現実に臨むと唖然とするくらい話せないし書けない。
「英語は読めるが話せない」は、自分が秀才であると思いたいロシア人の、昔から有名な言い訳である。
聴いている英語人のほうは、「話せなくて聴けないのなら、それは訳しているだけで読めていないのだとおもうぞ」と思って聴いているが、気の毒なので、なるほど、という顔をつくってみせて、困惑を隠蔽するために微笑んでいる。
新刊やインターネット上の日本語表現の貧しさをみると、日本語の崩壊は当初の予想よりもずっと早く起きて、簡潔にいえば、いま眼の前にある。
もっかは、大多数の日本人は「言語を失った国民」なのであると思う。
おおきな言語集団が言語を失いかけたのは近代中国以来で、その中国は詩人で虐殺者でもあった毛沢東が「中国文明をいったん廃止する」ことで建て直してしまったが、日本は、どんな方法をとるだろう?
楽しみな気がします。
03/November/2014