妹のような天賦の才がないのに、いろいろな言語を理解しようとしてジタバタするのは、「美しい表現」が見たいという、ただそれだけのことなのではないかと思う事がある。日本語で、こんなことを書いてもしようがないのかも知れないが、
Shall I say, I have gone at dusk through narrow streets
And watched the smoke that rises from the pipes
Of lonely men in shirt-sleeves, leaning out of windows?…
という英語世界でふつーの教育をうけたものなら誰でも暗誦してみせることができる
詩句は、明らかにこれまでに書かれた英語のなかで最も美しいもののひとつである。
だが、
「死の滴り、
この鳶色の都会の、
雨の中のねじれた腸の群れ、
黒い蝙蝠傘の、死滅した経験の流れ。」
という表現は観念的でありすぎるかもしれないが、極めてすぐれたものであるの に、もう誰にも読まれはしない。
日本語で書かれた詩句だから。
ぼくが日本語を夢中になって勉強したのは、そういうことのためであったと思う。
ぼくはCueva de El CastilloにわけいったHermilio Alcalde Rioにどこまでも似ている。
いろいろな言語の洞窟にわけいって、これはいったいなんだろう? どうして、このひとはこんなことを述べているのだろう?
この世界を支配している情緒はいったいなんだ?
と壁いっぱいに書かれた記号や線描を前に考えているにすぎない。
ぼくは「理解されたい」と願ったことのない奇妙な子供だった。
(こういうことがあった)
ラテン語の教師がやってきて、ぼくを立たせて「ミスタ・オベール、きみは自分の行いを恥ずかしいと思わないのかね」と言い出した。
途中でぼくは気が付いた。
その新任の教師は、ぼくをあるクラスメイトと間違えていて、試験のカンニングを激しく糾弾しているのである。
その糾弾は40分も続いた。
火のように激しい糾弾であって、サヴォナ・ローラを火刑に処した審問官たちは、こんな感じだったろう、とぼくはさめた気持ちで考えた。
ぼくは抗弁しなかった。
妹が指摘するように、ぼくは抗弁して、彼の誤りを指摘するべきだった。
でも、ぼくは抗弁しなかった。
「めんどくさかった」のだと思う。
彼は激しに激して、おまえのような人間は人間のクズだ、と述べたりしたが、ぼくは、なんだか、ただめんどくさくて、「謝れ!」と絶叫する教師に、
「謝る理由がみつからない」と述べただけだった。
彼はぼくがいかにインチキな人間か邪で心根から腐った人間か「証明」したが、ぼくは、黙っていた。
ところで、ぼくは、その誤解に満ちた議論が続いているあいだじゅう、なんだか自分が遠い銀河にいて、この地球で起きていることをたまたま目撃しているひとのような気がしていたのを告白しないわけにはいかない。
彼の致命的な誤解は、級友によって指摘され、彼は馘首されて、校長の瞋恚のあと、どこか違う学校へ去ってしまったが、ぼくにはどうでもいいことだった。
ぼくは驚くべきことに30歳になった。
でも、だからといって、どうして世界に認められなければいけないのか判らない。
そんなことは、(わかりにくいかもしれないが)、心から、どうでもいいような気がする。
倫理的な徳目の問題でなくて、ぼくは、きっと世界に何も期待したことがないのだと思う。
まだ地震でカテドラルが壊れる前のクライストチャーチのスクエアを午前二時に横切ったことがある。
妹が酔っ払って、「おにーちゃんは、いつもスクエアは危ない危ないっていうけど、そんなことないわよ。ニュージーランド人の道徳をおにーちゃんは低く見積もりすぎると思うし、わたしは、そーゆーおにーちゃんをヘンだと思う」というので、
義理叔父たちと一緒にスクエアを渡ったら、ハゲたちが寄ってきて、義理叔父やぼくを取り囲んで「こんなところで中国人と何をしてるんだ」という。
義理叔父の腕をつかんだやつがいたので、ぼくは、その若い男の腕を握って、ぼくのほうに向かせた。
両の二の腕をもって地面から20センチ離れるくらいもちあげて、「ぼくとこのひとたちはこの広場を渡りたいだけなんだよ」と述べた。
腕をにぎりしめすぎて鈍いヘンな音がしたが、(その若い男にぼくの住所と電話番号を言い聞かせてやったにも関わらず)次の日になっても警察がこなかったところをみると、骨が折れたわけではないようでした。
ぼくは世界に何も期待したことがないのだと思う。
神がいてもいなくても、そんなことはどうでもいいことだ、と思うことがある。
木や花の名前を思い出せないと途方もなく、いらいらする。
夜空の星座をひとつずつモニと交代で述べて、星座の数が20にもなると、それだけで嬉しくなる。
こうやって考えていると、モニと会わなければぼくは「死せる魂」のように生きていただろうとわかる。
ぼくは世界に理解されたいと願わない奇妙な魂で、いつまでも自分の言葉がつくった突出部の階(きざはし)に座って、高い塔の上から皮肉な気持ちで、この世界を眺めているだけだったに違いないからです。
ぼくは16歳のときにはもう、この世界のばかばかしさを熟知していたと思うが、その愚かさにこそ人間が神に自分の存在の正統性を主張する由縁があると知らなかった。
愚かさというものの不思議な特性の水にびっしょり濡れることによってのみ、神を考えられつづけることができることをやっと学習した。
ここから、どこへ行けばいいのかはぼくにはわからない。
それは、きっと「小さいひと」だけが知っている秘密なのだと思います。
We have lingered in the chambers of the sea
By sea-girls wreathed with seaweed red and brown
Till human voices wake us, and we drown.