and we drown

 

nyc390

 

妹のような天賦の才がないのに、いろいろな言語を理解しようとしてジタバタするのは、「美しい表現」が見たいという、ただそれだけのことなのではないかと思う事がある。日本語で、こんなことを書いてもしようがないのかも知れないが、

Shall I say, I have gone at dusk through narrow streets

And watched the smoke that rises from the pipes

Of  lonely men in shirt-sleeves, leaning out of windows?…

 

という英語世界でふつーの教育をうけたものなら誰でも暗誦してみせることができる

詩句は、明らかにこれまでに書かれた英語のなかで最も美しいもののひとつである。

 

だが、

「死の滴り、

この鳶色の都会の、

雨の中のねじれた腸の群れ、

黒い蝙蝠傘の、死滅した経験の流れ。」

という表現は観念的でありすぎるかもしれないが、極めてすぐれたものであるの       に、もう誰にも読まれはしない。

日本語で書かれた詩句だから。

 

 

ぼくが日本語を夢中になって勉強したのは、そういうことのためであったと思う。

 

 

 

ぼくはCueva de El CastilloにわけいったHermilio Alcalde Rioにどこまでも似ている。

いろいろな言語の洞窟にわけいって、これはいったいなんだろう? どうして、このひとはこんなことを述べているのだろう?

この世界を支配している情緒はいったいなんだ?

と壁いっぱいに書かれた記号や線描を前に考えているにすぎない。

 

 

ぼくは「理解されたい」と願ったことのない奇妙な子供だった。

(こういうことがあった)

 

ラテン語の教師がやってきて、ぼくを立たせて「ミスタ・オベール、きみは自分の行いを恥ずかしいと思わないのかね」と言い出した。

途中でぼくは気が付いた。

その新任の教師は、ぼくをあるクラスメイトと間違えていて、試験のカンニングを激しく糾弾しているのである。

その糾弾は40分も続いた。

火のように激しい糾弾であって、サヴォナ・ローラを火刑に処した審問官たちは、こんな感じだったろう、とぼくはさめた気持ちで考えた。

 

ぼくは抗弁しなかった。

妹が指摘するように、ぼくは抗弁して、彼の誤りを指摘するべきだった。

でも、ぼくは抗弁しなかった。

「めんどくさかった」のだと思う。

彼は激しに激して、おまえのような人間は人間のクズだ、と述べたりしたが、ぼくは、なんだか、ただめんどくさくて、「謝れ!」と絶叫する教師に、

「謝る理由がみつからない」と述べただけだった。

彼はぼくがいかにインチキな人間か邪で心根から腐った人間か「証明」したが、ぼくは、黙っていた。

 

 

ところで、ぼくは、その誤解に満ちた議論が続いているあいだじゅう、なんだか自分が遠い銀河にいて、この地球で起きていることをたまたま目撃しているひとのような気がしていたのを告白しないわけにはいかない。

 

 

彼の致命的な誤解は、級友によって指摘され、彼は馘首されて、校長の瞋恚のあと、どこか違う学校へ去ってしまったが、ぼくにはどうでもいいことだった。

 

 

ぼくは驚くべきことに30歳になった。

でも、だからといって、どうして世界に認められなければいけないのか判らない。

そんなことは、(わかりにくいかもしれないが)、心から、どうでもいいような気がする。

 

 

倫理的な徳目の問題でなくて、ぼくは、きっと世界に何も期待したことがないのだと思う。

まだ地震でカテドラルが壊れる前のクライストチャーチのスクエアを午前二時に横切ったことがある。

妹が酔っ払って、「おにーちゃんは、いつもスクエアは危ない危ないっていうけど、そんなことないわよ。ニュージーランド人の道徳をおにーちゃんは低く見積もりすぎると思うし、わたしは、そーゆーおにーちゃんをヘンだと思う」というので、

義理叔父たちと一緒にスクエアを渡ったら、ハゲたちが寄ってきて、義理叔父やぼくを取り囲んで「こんなところで中国人と何をしてるんだ」という。

義理叔父の腕をつかんだやつがいたので、ぼくは、その若い男の腕を握って、ぼくのほうに向かせた。

両の二の腕をもって地面から20センチ離れるくらいもちあげて、「ぼくとこのひとたちはこの広場を渡りたいだけなんだよ」と述べた。

腕をにぎりしめすぎて鈍いヘンな音がしたが、(その若い男にぼくの住所と電話番号を言い聞かせてやったにも関わらず)次の日になっても警察がこなかったところをみると、骨が折れたわけではないようでした。

 

 

ぼくは世界に何も期待したことがないのだと思う。

 

神がいてもいなくても、そんなことはどうでもいいことだ、と思うことがある。

木や花の名前を思い出せないと途方もなく、いらいらする。

夜空の星座をひとつずつモニと交代で述べて、星座の数が20にもなると、それだけで嬉しくなる。

 

 

こうやって考えていると、モニと会わなければぼくは「死せる魂」のように生きていただろうとわかる。

ぼくは世界に理解されたいと願わない奇妙な魂で、いつまでも自分の言葉がつくった突出部の階(きざはし)に座って、高い塔の上から皮肉な気持ちで、この世界を眺めているだけだったに違いないからです。

 

ぼくは16歳のときにはもう、この世界のばかばかしさを熟知していたと思うが、その愚かさにこそ人間が神に自分の存在の正統性を主張する由縁があると知らなかった。

愚かさというものの不思議な特性の水にびっしょり濡れることによってのみ、神を考えられつづけることができることをやっと学習した。

 

ここから、どこへ行けばいいのかはぼくにはわからない。

それは、きっと「小さいひと」だけが知っている秘密なのだと思います。

 

 

We have lingered in the chambers of the sea

By sea-girls wreathed with seaweed red and brown

Till human voices wake us, and we drown.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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チョーヘイ、だってさ。

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なんだか本気で徴兵制をやりたいひとが日本にはたくさんいるのだそーだ。
ぶっくらこいちまったぜ、と思うのは、徴兵制などは装備が近代化された軍隊においてはほぼ戦力増加策としては否定された考え方で、膨大な事務費とマンパワーが兵制の維持に必要な割にその結果出来上がる「戦力」はほぼゼロに等しい「お荷物」だというのが常識だからです。

インターネットを見ても、あまりにあっさり終熄したので記事もないように見えるが1980年代の初頭には内々で言い交わして、経団連、政治家、大手メディアが交互に連続して「徴兵制待望論」を小出しに打ち上げて社会の反応を見たことがあった。
ずっと前に調べたときの記憶では登場人物は日向方斉(住友金属会長)、稲山嘉寛(新日鉄会長)、中曽根康弘というようなひとびとであったと思う。
ついでに書いておくと、いまちょっと日本語ウエブを見ると、後藤田正晴を戦争待望の「タカ派」改憲論者のように書いてある記事が多くあるよーに見えるが、後藤田正晴というひとは内務官僚の出身であり、学生運動への強面の対峙、連合赤軍に対する断固たる制圧といういかにもな印象のひとだが実際には徹底的な非戦論者で憲法9条の信奉者でもあったはずである。
立場が矛盾しているではないか、というひともいるだろーが、テクノクラートというものはそういうもので渾身が論理で出来ていないと務まらない。
憲法9条守護=平和主義=反体制というような単純安易な情緒的バカ理屈で自分の信念を装備したりしないのは万国共通であると思われる。

1980年代初頭の世の中は、ちょうど「平成日本への道」というマヌケな名前で細々と書き綴っている日本の昭和最後半の歴史についての記事の次の回のテーマなので、やる気がするときに、いまにも消えそうな弱火のエネルギーで本を前に集めた本を読んだりしているところだが、当時の日本は、いまのような(外国人たちの眼には)チョー右翼というか冥土の(と思ったらまだ死んでなかったが)ジャン=マリー・ル・ペンもびっくり、というか右翼のごろつきみたいなひとびとが新しい政党を打ち上げて、マスメディアが大々的に報道するいまの日本とは世情が異なるので、徴兵、などと述べてみても、この忙しいのに何をヒマなことをこいておる、で反撥はおろか注目すらされないで終わっただけだった。
石原慎太郎のような、ヒマ人を煽って(彼らの主観によれば愛国的な)余計なことをするために働くときのみ元気になる扇動政治家にとっては生きにくい世の中だった。

この1980年のうけねらいの徴兵制度復活提案の偵察発言を一瞬でといいたくなる素早さで葬ったのは実は防衛庁の事務方で、「日本の防衛予算では、そんなことやれません」「いったいどこにそれだけの事務処理をする人員の頭数があるんですか」
「徴兵した兵隊なんてお荷物なだけなので要りません。そんなカネがあるなら兵器システムの近代化に使って欲しい」というので、散々で、絶対嫌だ、素人はだから困る、つづめて言えば「徴兵制大反対」で、世の中に徴兵制提案の石を投げてみて、どんな水紋が出来るか観察しようと思っていたら、KY(<−空気が読めない、というラテン語の略である)の極み、支配層の釣りだったのに防衛庁自身がマジレスをして折角の秘策を潰してしまった。

防衛庁が防衛省に昇格することには、省の外局が省に名目上格上げになる以外、本質に変わりがない。
特に防衛庁は「省型庁」というか、巡洋艦を名乗る戦艦というか、第9条があるのにどこまでもインチキというか、悍馬をペンキで塗って縞々に誤魔化したシマウマみたいというか、もともと国務大臣しか長になれず、外局なのに、そのまた外局の防衛施設庁という、まるで談合接待の場のためのみに設けたような訳がわからない孫外局がある庁だったので、省でもおんなじだべということになっているが、現実には予算の拡大が格段にやりやすくなる、という隠れたメリットがある。
内閣府を通じないで予算を要求できるので「オオモノ」政治家を大臣につれてくればいいだけです。

そーすると、前にはデメリットに過ぎなかった「徴兵に伴う必要予算の飛躍的拡大」が逆に「省の論理」に順うメリットに変わる。
役人は縄張りが広がり、省の規模がおおきくなるのをことのほか愛好するが、徴兵制は残業爆弾どころか「省勢拡大」の大チャンスなので、今度は文句を言わないだろう、と予測されている。

もうひとつの大きな変化は言うまでもなく、社会の抵抗感がなくなっていることで、シンガポール型なら17、8歳で検査がある、従来案なら20歳、というような、あるいは最近はトレンドである18歳頃に始まって29歳くらいまでに2年間兵隊さんをやってね、という当該対象の若い衆は無論、ぎゃあああ、だが、残りの世代は、「気持ちがしゃんとしていいだろう」
「いまの日本の衰退の原因になっている若者の覇気のなさへの即効薬である」というふうに、なぜだか頗る評判がよいものであるらしい。
ひどい人になると、「軍隊で鍛えてもらえば、家の息子も引き籠もりをやめて社会で活躍するようになるのではないかと期待している」という戸塚ヨットスクールと自衛隊を区別していないらしい発言まである(^^)

これが普通の国なら、いきなりSNSで集合した若い衆の一団が議事堂前にあらわれて石をぶん投げるは、お巡りの目と鼻の先で女も男も裸の尻を剥きだして、ぺんぺんしてみせてあざけるわ、ウクライナ風ならば、女びとたちが全裸で、「おれに触るな、このドスケベの権力の犬め!」と叫びながら地面をひきずられて連れ去られるわ、の大騒ぎになるところだが、なにしろ日本では、優等生で賢げであることがゆいいつの社会的価値なので、何も起こりません。
静かに怒っている。
静かに、知的に、冷静に怒りながら兵営に放り込まれる。
多分、兵営で志願の古参兵に無暗矢鱈ボロカスに殴られて腫れあがった全身の痛みに耐えて眠りにつくときには、「しかし、日本は階級差別がないから徴兵が必要だったわけで、ビンボ人が生活のために兵隊になるしかないイギリスのような国よりはずっと先進的だ」と自分を批評家であると妄想する習慣を頭のなかで蘇らせて体の痛みを「他人事化」することによって耐えるのでしょう。

どうも、今回は、遅かれはやかれ、徴兵制は実現されてしまいそーである。

シンガポール人の友達たちと話していると、シンガポール人は徴兵制がそれほど嫌ではないらしく、二年間の兵役期間(シンガポールでは軍隊以外のNational Serviceに就くことで代替できる)が終わったあとの一年に一回のブラッシュ・アップのIn-Camp Trainingも、「税金で旧知の仲間とピクニックに行くみたいなもんだから、楽しいんだよ」と、あまり意に介しているふうではない。
徴兵と「人生の休暇」が意識のなかで混濁しているよーで、暢気です。

韓国人たちになると、事情はだいぶん違って、旧日本帝国陸軍ゆずりのくらああああーい体質を引き継いでいる韓国軍は、イジメ、リンチ(<−日本語の意味)、同性強姦など碌な事がないので、外国永住権者は兵役を逃れられるのを利用して、かなり必死に兵役を逃れようとする。
そこも日本社会と同じというか、露骨に兵役を逃れたりすると非国民化して自分の国に戻れなくなってしまうので、「やむをえず大嫌いなイギリスに住まねばならない理由」や「たいしたことなくて食べ物も不味い国だがニュージーランドに住まねばならない理由」を苦労して捏造して、たとえばニュージーランドなら5万人の半島人が固まって住んでいるオークランドのノースショア地区などに集住して韓国風の生活を維持するもののよーである。

ロシアは更にひどくて、友達に訊いたら「刑務所より酷い」「このガキ、がたがた言わずにケツ貸せ、ケツ。おれたちはたまってんだ、バータレが」の世界であるそーだ。
そこまで酷いと、兵役を逃れるほうもあらゆる秘術をつくして徴兵を避けるもののよーで、結果としては「兵隊になるのはマヌケだけ」という、ご返事でした。
同じロシア語圏でもウクライナは、数段マシな軍紀であるよーだ。

日本は、徴兵制度が施行されるとどうなるだろう?
と、ぼくはときどき考えてみる。
首尾よく韓国人たちのように国外に脱出して生活できるだろうか?
愛国心がかけらでもあれば徴兵に応じるべきだという空気を、もともと国営通信社に近い体質の、記者クラブで中央制御されたマスメディアと、むかしから一貫して無責任で、普段は反体制のポーズをとってみたりするくせに、いざとなると居眠りを決め込むか、大慌てでゲージツ談義に逃げ込む日本のくされきった知識人たちを動員して政府は徴兵賛成の空気を醸成することに成功するだろうが、今度はほぼ徴兵にシンガポール型のNational Serviceを織り込むことが確実で、その「National Service」には福島第一発電所事故処理の作業が否応なく含まれているだろう。
このまま徴兵もなにもなしでゆくと、処理のための人員が決定的に不足するのは明らかだからです。

兵隊になるか、福島第一事故処理にまわされる可能性のあるNational Serviceの二択を与えられれば兵隊を選ぶとして、今度は災害処理部隊員として結局は福島県に出向く可能性はある。
そうやって考えてゆくと、いかに「気難しい、不機嫌な羊」として有名な日本の若い衆でも、今度こそは現実を現実と正面から受け取って国外に逃げようとするのではないか?

ツイッタでも述べたが、若い衆が国外へ逃れる動きをみせれば、政府側としては日本のクレジット会社が発行したクレジットカードは海外で使えない、というようなルールの実施は即座にやるだろう。
いまでも同じと思うが、たとえばVISAのような会社でも「日本のVISAは『住友VISA』で名前は同じだがまったく違うクレジットカード運営なんです」というようなことをへーぜんとやっていた。
あるいはATMのカードも日本のカードでも海外のCirrus 
http://en.wikipedia.org/wiki/Cirrus_(interbank_network) マークがあるATMならどこでも下ろせたが、その逆はダメである。
(公平のために誌すとフランスもダメなATM多いけど)
たとえば、このふたつのカードを規制するだけで、大半の日本人にとっては海外に住むことを実質禁止されることになる。
あとは旅券法の運用をちょっと変えてやれば完璧だと思われる。

日本は60年代まで外貨のもちだしを冗談じみた低額に設定していたが、こっちのほうは、いくらなんでも後戻りは無理だろうけど。

一方で、世界のいまもう始まっている潮流は「国家のゲートを閉じる」ことである。
グローバリズムの時代は終わって、明瞭にブロック化を志しはじめている。
冷菜凍死という立場からみると、非常にはっきりした傾向で、グローバリズム推進言い出しっぺの国々が揃っているので、ブロック化を公表して経済上の踏鞴を踏むのがこわいので言い出せないだけであると思われる。
一例を挙げると、「隠された人種差別の典型的な例」として考えられるのがふつーであった労働ビザのための英語能力試験は、いまでは英語圏では当たり前のことになった。
やってみると、たいていの人間が「永住者になる資格なし」になるので有名なオーストラリアの「オーストラリア人としての常識テスト」も、調べるのがめんどくさいのでまだやっているかどうか判らないが、不評を通り越して爆笑されているにも関わらず、まだやっているのではなかろーか。

個人の側から言うと、徴兵制は、それまでの生活がそこで不連続になる点で厳しい。25歳で兵役に就く科学系研究者を考えれば判るが、致命的な打撃になるほうが通常であると思う。

そうまで典型的な例をもちださなくても、毎晩、夜の8時になればギターの練習をしていたひとは、兵営の夜の8時には、うすぺたい胸をはって、顎を不自然なほどひいて、バカみたいにダサイ軍隊用語で明然とクソ下士官の言う事を復唱しているだろう。
みんなと動作のタイミングが、一秒の半分遅いので、「おまえといると調子くるうんだよなあー」と級友に笑われていたKくんは、Kくん独自のタイミングが原因で何度も懲罰マラソンを走らされるフラストレーションがたまった小隊仲間に、明け方、猿ぐつわをかまされ、濡れタオルで袋だたきにされるだろう。

国の支配層が「覇気のない若者にやる気を与える」というのは、要するにそういうことで、人間から人間らしい部分をガシガシガシと削りとって、個人がもってうまれた固有の人間性という「バリ」を取って、スムースに国家なり社会なり企業なりの歯車として回転する人物をつくる、ということにしかすぎない。

こんなことは傍観者の非現実の夢にしか過ぎないが、徴兵制の提案が引き金になって、日本の若い衆がいままでベンチに腰掛けてじっと静かに公園の地面を眺めていたり、アニメにわずかに自分をうけとめてくれる世界の明るい暖かさを見いだして、ぞっとするほど冷たい現実社会の遮断につとめていたりしていたのが、誰いうともなく立ち上がって、突然、「そんなにぼくを殺したければ、おまえが死ねばいい」と叫びだす「栄光の日」が来ないものか。
賢げに「道理」を説く論者たちに糞便入りのビニール袋を投げつけて、「おれたちは、愚かでもいいから人間でいたいんだ」と述べる日が来ないものか。

わかってる。
夢にしかすぎない。

でも、社会のため、日本が立ち直るため、という胸くその悪くなる(言葉が悪くて、ごみん)言葉の洪水をインターネットで眺めながら、遠いところにいるきみの友人たちは、無抵抗に殴られ続ける無経験のボクサーの腕が、いまや、さがりかけているのをみてとって、唇をかみしめている。
自分に近い世代の人間たちが曝されている社会全体による徹底的な侮辱に拳を握りしめて、呼吸の奥の奥までしみとおってゆくほどの怒りを、共に怒っているのだと思います。

魚が釣れない午後

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ニュージーランドでは27センチ以下の鯛は釣れても海に戻してやらなければならないことになっている。
小さい鯛が釣れてしまうと、「きみは、日本で釣られていたら鯛飯にされていたのがわかっておるのか、もっと立派になるまで二度と釣り針にかからないよーに」と説諭して海に帰す。
「サビキ」を使うとどうかするといっぺんに3匹も4匹も釣られてしまうので、しみじみ「27センチ以下の鯛がこの餌を食べるのを禁止する」というサインを針の近くにつけておけばどーだろーか、とモニと話し合う。

鏡のように凪いだ海を小さなパワーボートで30キロくらいしか離れていないところにでかけて、錨をおろして、モニとふたりで日光浴をかねて釣りをするのは楽しい。
モニは眠るのが大好きなので、つばの広い帽子を顔の上にのっけてすぐに眠ってしまう。
仕方がないのでモニの釣り竿も監視しながら、ぼんやり海をみつめている。
通常はオークランドの海は、よく判らない理由によって、餌をつけなくても、真鯛や鰺のような魚はいくらでも釣れる。
でも、潮目に関係があるのでしょう、ときどき、2、3時間もソナーにたくさん魚が映っているのにまったく釣れなくなってしまうことがあります。
そーゆーときは、モニを起こすのも嫌なのでひとりで、ぼんやり海をみている。
中身を食べてしまってからテーブルの上で展げてみたチョコレートの銀紙のような海面に午後の太陽が乱反射して、なんだか現実でないような美しさであると思う。

おおきなボートとは違って小さいほうのボートででるときには、片道50キロもいかないのが殆どなので、3Gの圏内で、キンドルで面白そうな本をダウンロードして読んでいることもある(^^)
でも、たいていは、なあーんにもしないで、魚がかからないときには30分に1回くらいしかかからない魚の相手をするほか、ただもうぼんやりと空を眺めたり、クーラー(10mくらいまでの小さな船はバッテリーの容量の都合でだいたいエアコンや冷蔵庫はつけない)の氷のなかから取り出した白ワインを開けて飲みながら、モニと付き合いだしたばかりの頃のことや、子供のときに妹やデブPたちと一緒にツリーハウスで世界を救済する計画を練って、小川で二隻の縦列艦隊をつくって近隣に潜んでいると思われる悪の組織に見張りの眼を光らせたりしていた果てしのないガキわし時代、いまは麻薬戦争で行けなくなっているが大好きだったメキシコの内陸の小さな町や村、
http://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/メキシコのねーちゃん/
(リンクは自分で書いたブログ記事なので昔から読んでいる人は押さないよーに。日付が1970年になっているのはアカウントを閉鎖したときに記事がどっかにぶっとんでしまって年月がデタラメになったせいでごんす)
なかんずく、まだ神様がとどまっていそうな風情の教会の公園に鋭い目をした子供たちが屯していて、
「写真を撮ってもいいかい?」と聞くと、
「絶対ダメだ」と鋭く言い放つ、いま考えてみれば、なんのことはない、もうすでに麻薬に染め抜かれた区域だった町のことを思い出したりする。

メキシコとならんで「特別な外国」だった日本のこともよく思い出します。
遠い国をおもいだすときというのは面白いもので、そこに滞在していたときに面白いと思っていたものは脳髄にたいした印象を残していなくて、思いがけない断片、氷に包まれた別荘地の道に忽然とたっていた鹿の姿や、トンネルを抜けた途端に、いちめんに広がる稲田を埋め尽くす黄金色の「はさ」、あるいは午後に鎌倉の家で眼がさめて、二日酔いで朝比奈の切り通しを歩いて、ふと見上げると覆い被さるように建っていた(いま絶対鎧を着たおっちゃんがクビをひっこめたのが見えたよーな)中世の砦のあと、池子の弾薬庫の縁の丘を散歩してみつけた旧海軍の標識、ポール・ジャクレーの家の石標、
http://gamayauber1001.wordpress.com/2008/06/05/
(このリンクも前と同じく自分のブログ記事なので注意も前に同じ)
そんなことばかりおぼえている。
義理叔父はいまはなくなった浄明寺の鮨屋に行くのに西脇順三郎が戦争中に「学問もやれず絵も描けず」と呟きながら歩いた切り通しを通ってでかけて、帰りは「出るに決まっている」ので、くるまの通行が激しい県道を通って帰ったものだった、というが、その「出るに決まっている自然石のトンネル」で夜中まで幽霊が大好きなイギリスからやってきた友達と酒を飲んですごしたりした。

福島第一事故があったから日本に行けないのではなくて、政府が事故によって日本中にばらまかれた危険を認めないから日本に行けないのだと思う。
日本に偵察にでかけた義理叔父や海外に住む日本人の友達たちから聞いたことを考えると、なぜ日本の政府は「放射性物質が危険だと思い込んでいる」国民のために産地を県別から市町村別にしたり、サイトを使って製品の流通経路を明らかにしたりしないのか、ぼくにはよく判らない。
放射性物質を危険だと思う自分の国の国民がいて、一方では、それを「こうだから絶対に安全だ」と証明できない非力な科学の現実がある。
「消せない火」であることで有名な原子力は、同時に人体へ与える影響が皆目わからない物質を原料とする「火」でもある。
事故のあと、「わかっている」と言い張る「学者」が日本ではたくさん出たが、そんなことは多少でも学問の常識が存在する大学ではありえない強弁でしかない。
それを強弁と呼ぶしかない理由は簡単で「明瞭に科学的にわかっている」などとは、単なるウソにしか過ぎないからである。

安全が証明できないのならば、なぜせめて、放射性物質を危険であると思う国民のひとりひとりが余分なコストを自分で負う形でもいいから、「自分で判断して危険でない食品を選択する」ためのチャンスを与えないのだろう。
県別表示を町村別表示に変えるどころか、「国産」表示に変えるという聞いていて吹きだしてしまいそうなマンガ的な露骨さも、それが個々の人間に自分の生命を大事にさせないための工夫であることに思い当たると、大笑いしかけた顔が凍りついてしまう。

「あの遠い国と同じ海でつながっている」というのは安物のロマン主義の常套句だが、無数の瓦礫が漂着するカナダの太平洋岸の人間たちは、おもいがけないなりゆきで「同じ海でつながっている」現実を考えなければならなくなってしまった。
太平洋戦争中に蒟蒻糊で紙を貼り付けてつくったしょぼい風船にくくりつけられた爆弾がオレゴンまで飛んで6人の人間を殺したのに、福島から放射性物質がとんでくる心配はしなくてもよいというあなたの根拠はなにか、とインターネット上で、「あなたは距離というものが判っていない」と述べた水力発電コンサルタントにかみついているアメリカ人の主婦のひとがいて、ほんとだよなー、と考えたが、世界中で原発擁護の記事を書いている人に多い職業である「元水力発電コンサルタント」の肩書きを無視して考えても、「科学に知識がない」主婦の直感のほうが正しそうに思われる。

人間には、ごく基本的な権利として、自分の判断で健康で病気にならない生活を選択する自由があると思うが、日本では、それは贅沢な望みにすぎないことを政府は簡単に白状してしまった。
日本人に生まれるということは日本という「全体」の国益に資する「部分」として国益に生みこまれることであって、日本人である限り、それ以外の人生はない、ということを日本政府はこれ以上ない明瞭さで提示してしまった。

日本の政府に欠落しているのは個々の国民に対する想像力で、これだけ露骨に「日本には個人の幸福を考える意思はまったくない」と言葉にして表明しておいて、個々の国民、特に若い人間が絶望しないと考えるのは、はっきりした想像力の欠如であると思う。
どこの国の政府も実務家を中心に「国民は愚かだ」と考える傾向をもつが、日本ははっきりと、どれほど国家に対して好意的な人間でも幻想をもてないほど明瞭に政府が国民を生きた愚昧としてしか認識していないことを示して、「個人の幸福」を否定してしまった。

日本の政府は、いわば、「国」というものを腐らせる中心に腐食をすすめる種子を植え付けてしまったのだと思う。
国というものを腐らせる中心、という表現がわかりにくくて「愛国心」と言い換えたければ言い換えてもよいかもしれない。

日本がここに至るまでには、たとえば知識人や芸術家たちの長い長い期間に及ぶびっくりするほどの無責任・無節操や、「ほんとうのことは別のところにあるが、言葉にするときは、こういうふうに言うものだ」という「タテマエ」という名前の集団的ウソの伝統があった。
言葉を現実からはぎとり、作家は「面白い物語」を書くことを誇り、なぜ自分が書く物語が社会を反映して破綻しないかを訝しくおもわない文学者の鈍感の伝統があった。
際限もなく続いて数え上げていける、たくさんの理由があるが、
その最大のものは言葉というものの恐ろしさを社会全体が理解できなかったことだろう。
言葉が現実から剥離してしまうと、すなわち、自分たちが盲いて、耳が聞こえなくなり、声がでなくなるのだ、という単純な事実に気が付かなかった。
いまの日本の姿は、影が自分の体についてきてくれなくなって途方にくれるピーター・パンに最も似ていると思う。

夕方が近付いて風が吹き出すとモニが眼を覚ます。
だいたいそれと時を同じくして魚…鯛、シマアジ、鰺…がびっくりするほど釣れだす。30分ほどでクーラーがみるみるうちにいっぱいになる。
ニュージーランド人が普通たべない鰺に眼をつけてレシピを研究したのは、「そろそろ30歳なのだから、健康のために魚を食べるように」という健康コンサルタントのおばちゃんの意見にしたがって始めた新事業だが、食べてみると取り立ての鰺は「食用に適さない」という図鑑の記述とは異なって、押し鮨やその日のうちに料理するフライや「シオヤキ」は不味くはない。
鮨屋でモニとふたりで二日間に亘って受講した「ガイジン向け鮨クラス」も役に立っている。アメリカ人のおばちゃんが話をしながら、身振り手振り、刺身包丁をふりまわすので、あの1回だけで「鮨クラス」は終わってしまったそうだが(^^) 

ふたりで船上でシャンパンを開けて、のんびりしてから暮れなずむ海を港に帰る。
夕陽で真っ赤に染まった海面を時速30ノットで辷るようにして戻る。
桟橋に着くと他の「海のひとびと」と冗談を言い合って、ときどきは近海の情報を交換する。
あの浜辺の沖は、夜、停泊すると夜光虫が綺麗なんだよ。
あそこは浅瀬に船を泊めて買い物にに行きやすいが、よく船泥棒が出るので注意が必要だ。
あのチャネルにはイルカがよく出るのさ。それを狙ってシャチの群れも来る。

…そうしているうちに、多分、ただこのブログ記事を書いているという理由だけで続いている「日本」の影が頭からするっととれてしまって、また日本語でものを考えるまでは、すっかりどこかに行ってしまう。
こういう習慣は、なんだかヘンだ、と自分でも思うが、なぜ日本語にこれほどこだわりをもったのか自分で理解できるように所まで、どうしても、その場所まで行けないものだろうか、と考える。

その、静まりかえった沈黙と巨大な悲惨がたたずんでいる場所へ。

意識と形象

bondi3

あんまり色々なことを考えても仕方がないので、ぼおおーとしていることが多い。
振り返ってみても、だいたい10歳ぐらいを境に「心配」というようなこともしなくなってしまっている気がする。
考えていることは、たいてい「昼ご飯はなににするか?」ということで、モニに言われるまでもなく、深刻な顔をして考え込んでいるときは、たいてい、昼ご飯は中東風の仔羊の煮込みシチューがいいか、ケララ風鶏の唐揚げがいいか悩んでいる。
あるいは厨房に歩いていって、今日は、断然、自分でつくるから諸君は昼ご飯をつくってはならぬ、と宣言して日本風鶏の唐揚げをつくることもあります。
あれはうまいと思う。
日本にいたときから、焼きおにぎりと鶏の唐揚げはずっと好きだが、フリーレンジの鶏肉を売っている会社にひとつおいしい鶏肉を提供する会社があって、それを発見してから1ヶ月に1回は食べているのではなかろーか。
ふんわりした感じを出すのにはスターチと溶き卵を混ぜたものを衣に使うが、わしは単純に(味醂もなしで)酒と醤油につけこんだ鶏の脚の肉をスターチをまぶしてフライヤーで揚げたもののほうが好きなもののよーである。
食べるたびに、日本のひとは頭がいいなー、とひとりごちる。
つくづく大きく幸せになるのは下手だが、小さく幸せになる方法に長けた国民だと考える。
(ごみん)

人間を不幸にするのは金銭の欠如であるよりは時間の欠如であるらしい。
オカネがなくても、意外にやありけん、死にはしないのは数多の例が示すとおりだが、時間がないと頭がぼおおーとなってきて自分で死んでしまったりする。
不幸になる、というよりも幸福も不幸も奪われて、自分という実体が失われて、ただ誰が感じているかも定かでない焦燥と不安によって死んでしまったほうがよさそうだ、と思うもののようである。
そんなになるまで頑張らなければいいのに、と思うが、「おにーちゃんみたいにマジメなところがなんにもない人には、マジメな人間の苦しみはわからない」のだそーです。
マジメな人間はすぐそうやってフマジメな人間を差別するのがよくないと思うが、マジメな人生などは報われることが極端に少ないと決まっているので、鬱憤晴らしのひとつなのだろうと考えて我慢するにしくはなし。

うす曇りの空の下を、学校をさぼって、浜辺に向かってあるいてゆくのは、どんなときでも楽しいことだった。
子供の頃、まだ延々とゼロが続く値札があった頃のミラノで買った鞄にベーカリーで買ったキッシュとクリームバンをいれて、のんびりと浜辺の砂に寝転んで空をみていると、17歳の頭にすくっていた、どんな不安もどっかにいってしまうのが心地よかった。
雲が高くなって、きれぎれに見えている青空を背景にいろいろな形をつくり始めると、すっかりみとれてしまう。
あの雲はスペインのようだ、あれはスコットランドだな、
はっはっは、あれはじーちゃんの横顔にそっくりだべし、と思いながら空を眺めていて気が付くのは、意志などは介在しても介在しなくても、意識がもたらす意図によって現象は顕れるので、人間の一生も実際には、いま空に映っている無作為の形象と同じことであるに違いない、ということだった。
違う言い方をすれば、人間が意識をもって自律的に一生を歩いていると思うのは、勝手な思い込みにすぎなくて、実はそれも気まぐれな自然の一部にしか過ぎないのであると思う。

社会との関連でばかり人間を考える悪い習慣を捨てれば、人間には自由意志などはないに等しい。そして、その事実は社会との関連の側では、言語と人間の意識の関係を考えることによって明瞭に了解される事柄なのに違いない。

一日4時間程度の連続した意識を維持するために、残りのすべての時間が人間にとって必要なのは、まさにそれが理由で、あたりまえだが、人間は自然の一部だからである。
眠っているあいだは何もしていないのだから眠るな、と考える人間の乱暴さで、「なにもしていない時間」を人間からとりあげた現代の社会の粗暴さは、要するに剥き出しの無知に起因している。
将来は人間がどれほど頭が悪かったか、ということの証拠として挙げられそうであると思う(^^)

雲もおれも同じかあ、そんなら、この後の数学のクラスに出なくても、ここでクリームバンを食べてコロコロしていて、ぼんやり、春は楽しいなあ、暖かいそよ風はいいなあ、昨日書いた手紙はもうあの子の手元に届いたかなあ、と春のなめらかな空気で顔をすりすりして遊んでいても神様も許してくれるはずである、と考えて、ほっぺにクリームをくっつけたまま空を眺めていたのが、昨日のことのように感じられるのです。

不可視の黒船のあとで

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このブログを書き始めた6年前にはもう「日本の衰退」は日本の外でも普通の若い人間の常識になっていた。
たとえばイギリスでは、最後に日本復活の兆しと受け止められたのは小泉首相が政権に就いたときで、パブで、普段は政治よりも「ベッカムの女房のケツ」やフットボールの試合の結果のほうに遙かに興味があり、まして外国のことなど俺の知ったことかよな地獄の門番のような顔をしたにーちゃんたちですら、「今度の日本の首相は人間みたいな顔をしてるじゃねーか」と彼ら独特のものの判り方で、日本人が「新しい方向」「世界のほかの人間にも判りやすい方向」に向かって歩き出した、と感じたもののよーだった。

小泉純一郎が芝居がかった身振りで述べることは、外国人、特に西洋人にとっては判りやすいことが多かった。
ここでひとつひとつ小泉純一郎が自分でもほんとうには自分がやっていることを理解していたかどうか判っていなかったところがありそうな施策の数々を書き並べてゆこうとは思わないが恐らく西洋の国々(たとえばニュージーランド)を迫っていた破滅から救い出した施策のコピーにも見える、郵政の民営化、政府組織のシェープアップ、曖昧な位置を占めて吸血鬼のように血をついつづける公団・社団法人の破壊などは、どれひとつをとっても外国人たちにとっては「肯綮に中る」考えで、そのせいで外国政府も支援を惜しまなかった。

西洋人が東アジアの国と付き合わなければならなくなったときの最大の問題は、「わかりにくさ」であると思う。提案に対して誰からも反対があがらず、関係する全員が頷きながら会議を繰り返すうちに、いつのまにか溶けてしまうようになくなってゆく西洋人にとってはどうしても理解できない経過や、東アジア諸国に共通した、しかし独特なボスの決まり方、右と言いながら平然とやや左に向かって直進を続けてしまう厚かましさと不正直、問題は常にそういうことにあるが、小泉純一郎には不思議なくらいそういうわかりにくさがなかった。
口に唱えることは同じでも、まったくのアジア型リーダーだった橋本龍太郎とはまったく違ってみえたものだった。

「わかりにくいこと」は国民のほうから起こった。
郵便配達人に依存する田舎の老齢者が身捨てられて、寂しく死ぬような社会になってもいいのか。「強い者だけが謳歌する社会をのぞむ人間は日本にはいない」から始まって、果ては「売国奴」「アメリカの犬」とまで言われていたのを、ずいぶん遠い昔のことのように思い出す。

なんだか、びっくりしてしまった、というのがアメリカのたとえば日本にも関心のある中東歴史学専攻の大学院生という情報位置にあるひとの反応だったろう。
アメリカの土地に立って「日本はつねにアメリカとともにある」と明瞭に述べて鳴り止まないスタンディング・オベーションを浴びたのは、特にアメリカの犬になりさがったのがうけたわけではなくて、通常のアメリカ人としては、片務軍事同盟という納得しにくい同盟の相手に、友人であるどころか、家のなかに潜む強姦者、カネをたかってばかりいる強請り、どうしようもないならず者の集団のようにしか言われた事がなかったのに、初めて「友人」と名指されて、涙がでるほど嬉しかったからだと思われれる(^^)
アメリカという国は相手が敬意に値する国だと思えば犬として扱うよりも友人としてつきあうことを遙かに好む国でもあるのです。

日本に行けば、成田空港から高速道路に乗るところで、もういきなり驚かされる、なんだかひとがぞろぞろいる料金所を憶えていれば、道路高速公団はそもそも存在自体ヘンなのではないか、とみながおもうが、高速道路が病気のようにオカネを浪費していることひとつでさえ「国民」の側で、でも日本は土地が高いからやむを得ぬといい、あまつさえ、高速公団をクビになったひとが路頭に迷う責任は誰がとるのか、というひとまであらわれる日本という国の「わかりにくさ」に、あーあ、やっぱり日本は日本だ、あたりまえだが、われわれアメリカ人の考えで理解できる国ではないよーだ、と考えた。

日本でもアメリカでもない場所で、いわば傍に立って眺めていた(その頃大学を出たばかりだった)ぼくからはどう見えていたかというと、きっと日本人たちは「犬が犬を食う」競争社会が到来したことに耐えられないのだ、というふうに見えていた。
ぼくの観察では日本人は西洋人の通念と異なって意外なほど競争を好まず、集団作業もびっくりするほど下手で、西洋人の目に「日本人は集団行動を好む」と見えるのは、あれは「防御的な集団」で、何かがあって自分達が危機にさらされつつあると感じると、集団で防御の姿勢にはいる。
では集団で行動することに長じているかというと、全然苦手で、集団作業の典型であるクルマの制作ひとつとっても、せっかく集団デザインがうまくいっても、年長の集団のボスが、現場とはまったく異なるふるくさい上に空気がよどんだ空の上からおりてきて、ひと筆でデザインをダメにする、というような信じがたいことがあちこちで頻々と起きる国である。

わしのむかしからの友達であるjosicoはんは、いまはロスアンジェルスでゲームデザインの仕事をしているが、知り合った頃はまだ日本の大手ゲームメーカーでゲームデザインの仕事をしていた。
多分あとに残った職場の友達のことを考えて言わないのだと思うが、あれほど(外国に行くとおいしいタコ焼きもお好み焼きもないという理由で)日本に残って仕事をしたかったのに、カリフォルニアとかってダシにする昆布も売ってねーんだぜ、ガメ、やってられねえ、と呟きながら不承不承カリフォルニアに去っていったのは、やはり、みんなの共同作業で提案したゲームが「こんなものゲームとは言えないだろう」の上長のひとことで葬り去られ、上長が若かったときに売れたタイプの旧態依然のゲームをつくらせて、挙げ句の果てに外国のゲーム会社からでた自分達が練り上げたアイデアそっくり瓜二つのゲームが世界中でバカ売れに売れて、もー、ダメだ、絶対ダメだ、やってらんねえ、と思ってアメリカに移動したものだと思われる。

集団行動の国民だと他国民に誤解されたもうひとつの理由は、あきらかにむかしの「軍隊国家」の名残で、集団行動が下手なのでかえって、旅行でも学校でも集団をまとめるとなると「軍隊」のやりかた以外おもいつかないもののよーである。
クライストチャーチの通りでみかける日本のグループツーリストは、それはそれは異様な姿で、だいたい50代から60代くらいのひとびとが、揃いも揃ってなんだか同じヘロヘロの帽子に、これもおそろいの、どういうわけかベストを来て、チェックのシャツで、しかもいよいよ訳がわからないことにみな小さなバックパックを背負っている(^^)
日本人観光客が通りに立ち現れると、その一角は、「なんだなんだなんだ、なにが起こったんだ」という、ちょっと騒然とした感じになって、大庭亀夫などはカメラで集団の写真を撮ってモニに怒られたりしている。

競争も受験というチェスの上達に極めて似た、定石をひとつづつ学んで、それを組み合わせることによって問題を解く、というよく出来たパズルのような勉強が競争を代替している。中国という伝統的に階級が「皇帝とその他」というふたつしか存在しなかった社会では試験がすべてで、その辺の乞食のせがれだろうか士太夫のせがれだろうがいっさい区別がなかった。科挙に合格すれば進士・挙人で、試験のみで社会的な立場が決まるという類例のない社会を中国人たちはつくったが、日本の競争なるものも、これと同じで、進学した大学がピラミッドのどこに位置するかによって擬似的な階級が与えられ、それによって一生が決まる部分がおおきいようだった。

80年代に数多の日本の会社が進出したオーストラリアでは、日本の会社の天国ぶりは有名で、なにしろ愛想良くしていれば、八時間の労働時間のうち実質的に仕事をするのは午後のランチブレークのあとの3時間ほどで、あとはお茶を飲んだり、なんとなく書類に目を通したりしていれば、というのはつまり仕事をしているふりをして怠けていれば、それでオーストラリアの会社より何割か高い給料がもらえる。

ぼくの家にやってきた家屋調査士はもともとはオーストラリアで三井系の会社に勤めていたひとだったが「日本人は『仕事をしているふりをする天才だ。あいつら、すげーぜ。さぼりの天才だぜ』」とよく日本人たちを懐かしんで笑っていた。
好意的な笑いであって、オフィスに長くいて、うるさい女房子供を避けて、しかも仕事が忙しくて大変だという会社と家庭双方へ向けた自己主張をも兼ねさせる日本人的職業人のありかたについて、あれはなかなかよい、人生の理想のひとつであると思う、あれなら俺の女房でもだませる、素晴らしい、とそのひとはよく述べていた。

ぼく自身も「競争」というものが、ほとんどまったく存在しない日本の社会の穏やかさが好きで、子供の頃にストップオーバーで日本に来た時からなじみのある銀座のレストランにいけば、ウエイトレスでさえ自分の職業に誇りをもっていて、何年も同じレストランに勤め、やがて正社員になり、マネージャーになったりするのを、楽しい気持ちで眺めていた。大好きな定食屋のおばちゃんも、いつ出向いてもカウンタのなかで目をまるくして「あら、ガメちゃん、いつ日本に来たの? 待ってね待ってね」と言って、娘さん達が苦笑している後ろをまわってカウンタから出てくるなり抱きついて、「ほーんとに、こんなにおおきくなっちゃって、もうすぐおばちゃんじゃ腕がまわらなくなっちゃうわね」とひとを欅の大木のように言うのをくすぐったい気持ちで聞いているのが好きだった。
みながそれぞれに出来る仕事をやって、稼いだオカネで落ち着いた社会を、おいしい食べ物やよく出来たマンガやアニメ、あるいは怪獣映画でもなんでもかまわないが、なんだか暖かい炬燵を連想させるような生活を楽しんでいられればそれが理想の人生である、というぼくの原初的日本人像は、ようするに、そういう日本についての断片的な経験から出来ているのだと思う。

さっきも述べた、犬が犬を食うという表現は英語圏の社会をことのほか良くあらわしていると感じる。
容赦のない、血で血を洗う、というところまではいかないがカナタワシで顔をこすりあう、というか、綺麗なねーちゃんが出世をめざせばボスはすぐタワシを見たいと自動的に思うというか、使えるものは学歴でもナイーブな心でも自分の身体に付いている性器でも何でも使って必死に社会の階梯をのぼってゆくというか、世界というものは、そういう変わり果てた姿になっていて、日本のひとはずっとそれに気付かずにやってきた。

その情け容赦のない世界は1990年代の半ばにはもう日本に到達していたのであって、それは日本のひとの好きな言葉を使えば黒船で、虚仮脅しを目的としたペリー大佐の黒船とこの黒船来航の違いは、浦賀の沖にでんと腰をおろして幕府をあわてさせたペリーの外輪船と違って、見まいとすれば見ないですむことで、実際にはいままでの考え方ではどうにもならないのはわかりきったこと(ぼくは日本人がそれすら本当に気が付かないほどバカだと思ったことはない)なのに、あたかも「犬が犬を食う」世界に日本もまた置かれたのだということを知らないかのように振る舞って暮らしてきた。

その結果、いま日本ではどういうことが起きているかというと「現実から目をそらそう」という国民的努力が行われているのだと思う。
カルロス・ゴーンというブラジル生まれのレバノン人(国籍はブラジルだが家庭内の文化をみるとレバノン人、というほうがしっくりするひとたちです)は、日本人に甘い夢のなかに浸って現実から目をそむけつづけることを許さなかったが、その結果、猛烈な不平や中傷の嵐のなかで日産という、組合に食い物にされて社会主義経済化と言いたくなるようなタイプの低生産性によって倒産寸前に追い込まれた会社を再生してしまった。

日本という国も、小泉純一郎の登場によって、そうなるかと見えなくもなかったが、身軽になるための改革は国民の総意として否定されて、結局は「絆」という安っぽい情緒の一片にしかすぎない言葉を政府が口にするところまで国家として退行してしまった。

身も蓋もない、だましあいでも足払いでもなんでもありの剥き出しの競争にみちた世界で、「競争社会が良いか悪いか」を議論して、ついに競争に強い体質の社会への変化を否定した日本は、敵が上陸して首都を包囲して盛んに重砲やカチューシャをぶっ放しているのに、「戦争は人道に照らして是か非か」を議論しているひとびとに似ている。
社会が正気ならば戦争は非であるという結論になるに決まっている。

日本はだから滅びるだろう、とぼくは思っている。
2050年まで保てばいいほうではないだろうか。
内因によって国が失われるという例は歴史には殆ど存在しないので、最終的にはロシアなのか中国なのか、東アジア圏の覇権をめざす国の侵攻によって滅びることになるのだろう。
「いまの時代に国土を侵略するリスクをおかす国があるものか」という意見が大半なのは、ぼくの友人の「じゅん爺」をはじめ、このブログ記事にやってくるひとたちもむかしから等しく述べるところで、日本人でマジメに他国が日本に侵攻してくると思っているひとがいないのは知っているが、ぼくは、それはロシアや中国の強烈な国権主義を理解していないせいの「甘い夢」であると思っている。

マヤ人の文明に特徴的なことは、現実と観念・思想が逆転していることで、マヤ人にとっては観念こそが現実だった。
マヤ人は国民的スポーツとして一種のフットボールに熱中したが、最終的な勝者は「死」という栄冠を与えられた。
その栄光の「死」をめざして、マヤ人のプレーヤーたちは必死に練習を繰り返したわけで、文明というものの眩暈を誘う一面をよくあらわしていると思う。

現実に目をそむけて滅びるほうがよい、という社会的決断というものも、それはそれで文明の、ひとつの決心としてみれば、そういうこともあるだろう、と思うのです。

日本に残ると決めた人のための金銭講座(その1)

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最近一年は収入を増やすことに時間を使うことが多かったが、いざオカネが増えてしまうとなんとなく時間を無駄にしたようでおもしろくない。
アイデアを作成して、こうやってこうしてこうするんだび、という仕組み…カタカナが好きならばビジネスモデル…を考えて、そのために毎月報酬を払っているひとびとにお願いして、そこはそうやっちゃダメなのね、とか、この辺にいるひとでダメな人がいるんでねーの、とか好き勝手ないちゃもんをつけてるうちに、みんながよってたかって仕事にしてくれます。
冷菜凍死とゆっても、もともとがコンサーバティブな凍死が中心なので、なかなか大幅に儲かってくれないのでいろいろジタバタしなければならないが、物理的にジタバタするような勤勉な人間ではないので、モニさんと遊んだりしながらスカな頭がジタバタする。
見晴らしの良い場所を散歩したりボートで、ぼおおーと(<−ダジャレ)しているうちに突然よいことを思いついたりするので、忙しいときほど、わしが怠けていると誤解するもののようである。

過去の記事にだいたいコンサーバティブな凍死の考え方は、ばらけてだが書いてあるので、具体的なことは繰り返さないが、世の中の政府という政府にカネがなくなってきたので、たとえば昔は大幅に認められたプロパティの減価償却が認められなくなった。
これはふつうの規模の不動産投資家にとっては、たいへん大きなことで、たとえば30年くらいたった(日本語でいう)マンションを一棟買うと、3年は所得税が発生しなかったのが、いまは初年度からいきなり黒字になってしまう。
だから不動産投資であっても、最近は工夫なしにまっすぐ建物を買って住居用に賃貸してもほとんど投資としての意味をなさないことになっている。
実質的に政府や自治体へのローンのような形にするなりなんなり考えないとダメで、そうすると政治家というひとびとと会わなければいけなくなったりして鬱陶しいことこのうえない。

もうひとつは、やたらとオカネが流入してくるオーストラリア・ニュージーランドやシンガポールのような市場では不動産評価が過大になっていて、その割に賃金が上昇しないので、家賃の上昇が不動産価格の上昇に伴っていかない。
ニュージーランドでは10億円の投資に対してグロスで1億円/年のリターンが保守的な投資の基準になっていたが、最近は四千万円くらいのものだろう。
その上に所得税が騰がったので、3割くらいは政府にとられてしまって結局手に残るのは3%くらいのものになってしまう。

ここではいちばん判りやすいと思われる住居用の不動産投資についてだけ述べたが、他の投資も世界中、同じようなもので、だいたい中国本土から逃避してくるチャイナマネーが急激に流入して資産の過剰評価が起こり、こんなんでマジにコンサーバティブに凍死するくらいなら、チューゴクのひとに売っちゃえば、ということになるひとが多いよーです。

やりかたが判ってしまえばオカネを稼ぐというのは、人間がやることのなかでは割と簡単なほうに属する。
なにごとかにおいて優秀なひとがオカネで苦労するのは、だいたいにおいて自分の仕事場のブラインドを閉めた中間搾取人がいるからで、大手出版社に勤める編集者が自分は年収2000万円を確保しながら漫画家を年収400万円でこきつかったりするのがわかりやすい例であると思われる(^^)

金銭という下品な科目では、わしは、「オカネのことを考えないですむ」のを目指すのが最もよいと思う。
カッチョイイクルマを雑誌や道で見かければ、クルマ屋へのしていって、「あれをくれ」といい、好きなシャンパンを木箱で欲しいだけ買い、出かけたいところへ出かけたい方法(クルマ、ヒコーキ、フネ)で出かけられれば、人間の生活はばかばかしさに満ちているとはいっても、それほどのストレスはない。
「オカネのことを考えないですむ」のは、同時に「時間のことを考えなくてすむ」ことでもあって、眠いときはいつまででも眠って、眼をさませばいちゃいちゃもんもんしたりして、おいしいものを食べて、またてきとーに眠りたい時間に眠られるのは楽ちんで、そういう生活をするためには、いまの世界では年収が3000万円もあれば足りる。
仮にまったくなああああんにもしないで年収3000万円が欲しいとすると一年のリターンがネットで3%であるとして10億円の投資があればよいことになる。

一方で、若い人間が最低生活に必要な金額が年300万円として一億円あればかなり保守的な投資でも(というのはすなわち投資そのものの管理・維持にそれほど手間をとられなくても)生活そのものは出来るようになって、いわゆる「ラットレース」から出て行ける。

オークランドは見栄っ張りが多い街でレンジローバーやポルシェがたくさん走っているが、たとえばファッショナブルということになっているポンソンビーに家を買ってポルシェの911を買って、週末はテニスをやって、というふうにイメージから生活に入ると、借金が生じて、無理にモーゲージを組んでカネを借りてなんとか栄華を達成しても祇園精舎の試合終了を告げるゴングが意外なくらいはやく鳴るだけであると思われる。
見栄をはるひとは物質的繁栄の最初の脱落者であるとしるべし。

もし頭のよい人間だけがお金持ちになりうるのだとすると、いるはずのない人間がどこのパーティに行ってもいっぱいいるので、自分が頭がよくないせいでオカネがないのではないかと思うひとは心配しなくてもよい。
テニスの選手にいろいろなフォームがあるように個々人によって得意なオカネの生み方があるだけのことで、いままでじっと他人を観察していても頭の善し悪しはオカネの生成とはあんまし関係がないよーです。
むしろ頭の働きがよいと、いろいろと必要な「準備」とかに気持ちがいってしまって、酷いひとになるとまだオカネがないうちから巨大な金庫の設計に没頭するようなことをするひとがいる(<−比喩)

ゆいいつ気をつけなければならないのは、どんなにオカネのことを考えるのが退屈だとケーベツしていても、一生のなるべく早い時期にオカネの問題と正面から向き合って考えてみるべきことで、よく優等生気取りのバカガキにオカネのことを考えるなんちゅうのは下品なことだという前近代的な人間がいるが、だいたいそーゆーやつは本人が下品な商家の息子や娘であることが多いわけで、ただ知性的でないオカネを崇拝する家に生まれた甘ったれのクソガキだというだけのことで、神様のほうでも意地でもそういう人間には財布をあけてやろうと思わないのは当然と思う。

同じ理由によって収入が低くても対応できるようにビンボ生活体質を身につける、そうして身につけた低燃費生活様式によって一生を乗り切る、というのは若い人間がむかしからもちやすい妄想だが、そういう縮小思想が現実世界では絶対にうまくいかないのは死屍累々たる数の失敗例が実証している。
オカネは正対しない人間には微笑まないのである。

めんどくさいので理由は説明しないが、現代の世界では、修士号をもってソニーに入社するより、さっさと一億円つくってしまうほうがよほど一生の保障になる。
義理叔父がよく若い衆に(相手が日本人であれば)「初めの一億円」と述べるようだが、わしもそれには真実があると思う。
「必要のない一億円」がオカネに悩まされない一生のスタートとしてもっとも適切な目標であると、わしは思っている。

違う方角からいうと、実は、1億円というまとまりのないオカネは、1千万円でも3千万円でもたいして変わらないわけで、どうせ一千万円しかない場合にはゆいいつのオカネ製造装置である自分自身に投資してしまっていっこう不合理ではない。
同様に他人の二倍働いて、という方針もダメで、小さなエンジンがVTECに1万回転しても、大きなエンジンの6000回転には質的にかなわない。
さっさと壊れて他人に倍するスピードでスクラップになるのがおちです。
現代世界は知性があって大学を卒業してマジメに暮らそうと思っている人間が食うや食わずで懸命に働いてやっとで生活できるようにデザインされているので、その社会デザイン内にとどまってしまうと、こき使われて死ぬだけなのは当たり前だということもできる。

どこかで「余分な収入」が生じないとダメだが、それはふつーに暮らしていれば必ずチャンスがあるもののよーである。ガメ・オベールのように「特許」というチョーふざけた契機であることもあるし、ロットーがあたりました、というラッキーなひともいる。
原油探索オイルリグで5年間で荒稼ぎしたのさ、というひともいれば、カナダの奥地で山賊に追われながらトレーラで疾走するのはスリルあったぜ、という友達もいる。
みながそれぞれの方法で「一億円」をつくって、それを出発にした。

物質世界においては人間は結局たまたまうまれあわせた時代のルールでゲームをやって勝つしか生きてゆく方法はない。
日本でも大会社に一般職ではいって勤め上げれば、それで物質的にも満ち足りた一生を送れるという時代はとうの昔に終わってしまった。
会社員が終身雇用で落ち着いて暮らせた時代、三菱の社員が丸の内から建てたばかりの鎌倉の家にビールを飲みながら帰っていた頃は「会社員」の経済的立場はいまよりずっと高くて、30代の社員でも数え方によれば現代の貨幣価値に直して3000万円くらいももらっていた。朝吹登水子の父親は会社員から三井系会社の「雇われ役員」を歴任するが、それによってもたらされた富は、いまでは理解できないほどのものであるのは朝吹家の伝記やあるいは鎌倉軽井沢東京パリにあった家の造作をみれば容易に想像がつく。
「会社員」や「雇われ役員」として成功したときのシェアが非雇用者としてのものではなくて資本家側の水準に順っていたからです。

もっと最近のことで言っても、いま60代の大手商社員は年収のせめて倍をインサイダー取引で稼げない人間は無能とみなされて笑いものになった(元三菱商社おっちゃん談)

いわば「会社員」は「資本家」クラブに入会させてもらうために働いたので、いまとは会社員としてすごすことの意味が異なっている。

わしの観察によればいまの日本の社会では「ひとり一会社」と思って暮らすのがもっともよいと思う。
あるいは言い直すと、自分一個が自分がすべて経営に責任をもつ会社なのだと思いなさないと一生の保障に重大な支障をきたすに決まってる、とゆってもよい。

しんどいことに思えても、好みのラーメン屋がないとか、おいしい羽二重餅がない国には行きたくないとか、金沢の落雁がないと生きていけないんです、あるいは雨がふるたびにセシウムを浴びないと気持ちが落ち着かないとか、ひとによっていろいろなはずの理由で外国には行かず日本に残る場合には、自分の経営を企画することが第一で、他に生き延びる方法はないように見えます。

美人について

子供の頃、牧場に立って空を見ていたら、白雲がユニコーンの形をつくって駈けてゆく姿になったのを見て驚いたことがあった。
そういう出来事を目撃した時の常で、記憶のなかでは随分ながい時間だったことになっているが、実際には2,3秒のことだっただろう。

「美しいひと」というのは、あのときの積雲のいたずらのようなものではないかと考えることがある。神様の一瞬の気まぐれ、あるいは天使がほんのいっときよそ見をしているときに、偶然が意地悪くはたらいて、この世のものとは思われない美しいひとをつくってしまうのであるに違いない。
美しいひとは、肉体の輪郭はおろか、肌の輝き、眼の色、髪の毛の質に至るまで美しい。
目の前にあるのは現実でも、どちらかというと幻に似ている。
幻でないのなら、きっと自分の頭がどうかしてしまっているのだろう、と考える。

いつか知り合いのパーティにでかけたら、よく知っている声がきこえて、
「ガメが引きこもってばかりいるのは、あれは、モニさんを寝取られるのが怖いに違いない」と言っている。
相手は、まさか、と言って笑っていたが、盗み聴きしてしまった当の本人は、
案外そうかもしれないな、と考えて、へえ、と思った。

モニというひとはさまざまな魅力があるひとだが、どんな男にとってもわかりやすい平凡な意味での女としての魅力もあるひとで、たいていのひとはドギマギして、いまにもひれ伏すか腰を抜かしてしまいそうなふうだが、なかには一目で恋い焦がれてしまって、「どうやってでも手中にしたい」と考えるひともいる。
「手中にしたい」というところで、もう旧弊で願い下げな感じがするが、恋に狂う男や女というのは意外と凡庸な情緒のひとが多いので、どうしても、そういう理解の仕方に傾くもののようです(^^;)

そういう、男が本人だけが誰も気がついてないと思うたぐいの態様で、なんとかしてモニの関心をひこうと思ってあれこれ懸命にモニに働きかけるのを見ているのは、心配になることはないが、鬱陶しいと思うことはあって、結婚してからも、人間にはそうそう分別はありはしないので、たいして変わらないといえば変わらなくて、めんどくさいからひとにあわなくなっているのではないかとおもうことがある。

モニ自身は、もっとはっきりとそういうことが嫌いなので、それでパーティのようなものが嫌いなもののようである。
何の本を読んでも「自分が美しいとしっている女は興ざめである」と書いてあるが、モニにはあてはまらないようだ、というよりも、モニが美しいひとであることはごく自然に誰でも得心していることで、それほど自明なことを本人が知らない、というほうが考えにくいように思える。

美しいひとと結婚するというのは、いろいろな点で奇妙なことだが、たとえばモニのお気に入りのでっかいサングラスを外してくつろいでいるときには、ちょっと見回すとほぼ必ずカメラや携帯をこちらに向けているひとがいる。
そんなバカな、いくらなんでもそんなことがあるわけがないという人がいるだろうが、現実にそうなものは仕方がない。
レストランで話しながら、ふと厨房のほうをみると、いつのまにかシェフがこちらに向かってカメラを構えていて、眼があうと、バツが悪そうに右手を挙げて挨拶したりする(^^) 
日本のフェリーで三脚を立てた一眼レフを正面からじっとモニに向けて写真を撮っている団塊おじさんがいて、いかにもモノ扱いされているようで不愉快だったので、ふたりで頭からコートを被って顔を隠してしまったことがある。
何分かそうして、なんて失礼な奴だろう、やだね、あんな人、とコートの下で言い合ってから頭を出してみたら、そのひとは相変わらずまだこちらに向けたカメラを平然と覗き込んでいて、なんだか暗い感じのするその無遠慮な執拗さにぞっとしたこともあった。
そこまで不躾なひとは少ないが、視界の隅にカメラを構える人が映るのは年中で、落ち着かないと言えば落ち着かない。
モニが12歳くらいになってからいままで、いろいろなひとが撮ったモニの肖像の数は、どのくらいになるだろうと思うと、なんだかおもしろいようなおもしろくないような曖昧な気持ちになります。

むかしは美人というのは、基準が歴史や文化の背景によってつくられるもので、時代や場所によって同じ姿や容貌のひとが美人であることになったり凡庸な容姿のひととみなされるのだろう、と考えていた。
美術の解説本のようなものにも当然のようにそう述べられているし、信じやすい理屈でもあった。
ところが幕末の日本人が書いたものを読むと、西洋人の女たちを初めてみるのであるのに、その美しさにびっくりしてしまっている。
福沢諭吉というひとなどは渡米して百科事典よりなにより驚いたのは若い女の美しさで、この、なにごとによらず物怖じするということがなかった幕末の啓蒙家は、写真屋を連れてサンフランシスコの町を歩き回って、これは、と思う美貌の女びとを呼び止めては写真を撮ったもののよーである。

一方ではハワイ大学で教員をしていた中国系アメリカ人の女のひとは「源氏物語ですら肌の白さを美の基準にしているところをみると、日本人はむかしから白人崇拝の悪い傾向があったようだ」という論文を書いて物議をかもしたことがあって、遠藤周作という作家が大憤慨しているのを読んだことがあるが、いくらなんでも、憤慨するまでもなく、
珍説にすぎないのは誰にでも明らかであると思う。

注意して眺めていると、人間の美にも「絶対の基準」というものがあったようで、そのときによって、ふくよかで乳房が小さいほうが美人とされたり、瓜実顔の引目が賛美されたり、あるいは現代の世界のように眼がぱっちりと張っていて、瘦せて腰がくびれていたほうがいいというようなその時代の傾向とされるもののほうが返って観念的な誇張であったのだと思われる。
ひとつには、自分が生まれた家にもモニが生まれた家にも、写真のかわりというべきか、遙か昔に描かせた肖像画という悪趣味なものがいくつもあって、それを見ると、家に「周囲が困るほどの美人であった」と伝わっている人の肖像は、意外なほど現代的な面立ちで、世紀を越える眠りからさめて絵画のなかから、よっこらしょといまの世界に降り立っても、数ブロックも行かないうちに求婚者があらわれそうな人がいて、観念的な時代や地域による嗜好とは別に、人間が普通に美しいと感じる面立ちなり姿なりというものがやはりありそうに思える。

いまでもモニにあまり笑い話でもなさそうな顔で嫌みを言われるが、もともとはアフリカ人たちの褐色に太陽が凝縮したような姿が好きで、週末に遊びにでかけるのもアフリカ人の女びとが多かった。
誰でも知っているとおり、アフリカ人には現実とは到底信じられないほど美しいひとがいて、まるで女神のように輝くひとを見つめたり抱き合ったりしていると、頭がぼおっとしてくるほどだった。

こうやって書いてくると、なんだお前は人間の外形ばかりをみて内面を見ないのか、ケーハクなやつだな、と言われそうだが、居直るというわけではなくて、実際、外形以外で女びとを好きになったことはないようでもある。
それは自分では判らないが異常なことであるかもしれなくて、母親がたまたま美しい人であったのと関係があるとすれば、そこには心理学的な理由が潜んでいるのかもしれない、と思うことはある。

小さいひとに自分の指をつかませて、飽きもせずにあやしているモニは相変わらず女神が嫉妬に狂いそうなほど美しいひとで、小さいひとに敵意を抱きそうなほどだが、モニもやがては年をとって、しわがうまれ、髪の輝きが失われてゆくのだろう。
もっとも長いつきあいの配偶者はお互いの眼には若いときの姿で見えているという。
案外としわも体のたるみも眼に映らないのかもしれないが。

神様のいたずらで、一瞬の時空の気まぐれのようにこの世界に生まれてきた「美しいひとたち」は、その美しさによって、周りの人間を驚かし、動揺させ、悲しませ、酷いときには破滅に陥れる。
むかしから(このブログ記事にも何度か出てくる)「絶世の美女」という古色蒼然とした表現を使いたくなる娼婦の友人がいるのを憶えているひともいるだろうが、あのひとなどは、自分の美しい顔と肉体にあわせて演技をすることはあっても、ほんとうは繊細な磁器をおもわせる容貌とは異なって、いわば「男」のような性格で、カシノで会うと、ブラックジャックテーブルに向かう他人の足を止めて、とにかく一緒にいっぱい飲もう、ひさしぶりだろ、と邪魔をしにくるのは、どうやら「ガメが相手だと自分の性格を捏造しなくてすむ」からであるらしい。
あたまに「高級」という形容がつくにしても娼婦という職業の選択は、魂と肉体が乖離していることと関係があるのかもしれない、と自分でも述べている。

美しさというものは不思議なものであるなどとは陳腐な言葉の代表で、これまでの人間の歴史のなかで何万回述べられてきたかわからないが、美しさ、特に人間の容貌や肉体の美しさは、他の人工、自然のどんな美とも異なって言語を拒絶して直截魂にかみついてくるようなところがあると思う。
人間が一生のなかで遭遇するもののなかでも最も危険なものであることは明らかで、
美しいひとと結婚して一緒に住むということは、なんとなく激発信管が作動中の爆弾と一緒に暮らすようなものなのかもしれないな、と考えて、なんだかにやにやにしてしまうことがあるのです。