こんにちは、無冠の帝王パオロ・マッツァリーノです。
ようやく観ましたよ、去年話題になった映画、『マッドマックス怒りのデスロード』と『セッション』。
私の評価は、『セッション』は文句なしの大傑作。『マッドマックス』は秀作、といったところです。
『セッション』のすごさは、芸術がはらむ狂気を映画マニアだけが観る芸術映画としてではなく、一般人も観られるエンターテインメントとして描いたこと。それに尽きます。
あの狂気に比べると、『マッドマックス』が普通に思えてしまうほどです。ていうか、前評判をたっぷり聞いてたから過激なバイオレンスを身構えて観たのですが、おや、そんなでもないかな? アクション映画として、『マッドマックス』はじゅうぶんおもしろいんですよ。だけど、マックスが窮地を抜け出す過程がわりとさらっとしてるし、敵もさほど邪悪じゃないし、ボスの最期も、えっ、あれで死んじゃったの? ってくらいにあっけない。なんか、狂気が足りなくて、血がたぎるところまでいきませんでした。
どちらかというと、『セッション』の鬼教師のほうが凶悪なんじゃない? あいつホントに性格悪いヤツだよね。音楽の才能はすごいのだろうけど、ほぼほぼ狂ってるんですよ。通常の善悪の概念がないという点では、サイコパスにやや近いのかも。
あの指導をしごきやいじめととらえて批判してた人がいたけど、私はそれはあてはまらないと思う。なぜなら、主人公の学生のほうも、普通じゃないから。
交通事故起こしてクルマが大破損、自分も血だらけになってドラムスティックも握れない状態なのに、演奏会場に向かうんですよ。異常でしょ。
先日の不倫騒ぎのときにもいいましたけど、芸術家や芸能人は、どこかおかしい人たちなんです。良くて変人、悪けりゃ狂人。それが芸術家なの。だから芸術家や芸能人に一般人と同じモラルを求めてはいけないの。ゲーム機バキバキにするんですよ、芸術家はそういうものなの。芸術の才能と人柄は無関係なの。道徳心が名作を生むわけじゃないの。ベートーヴェンやモーツァルトの奇行はよく知られてるところだし、シューマンなんてホントに狂っちゃいました。でも、彼らが生み出した作品は数百年後のいまでも価値を保ってます。そういうもんなの。
日本のジャズミュージシャンの菊地さんが『セッション』を音楽的にもつまらないと酷評していて、それを真に受けた人もいたようですが、たぶんジャズを知らない人たちは事情をわかってないと思います。私は30年近くジャズを聴いてきたジャズファンで、比較的王道のストレートジャズが好みです。だから『セッション』のラストの演奏シーンに熱狂しました。
でも、私は菊地さんのジャズに熱狂したことは一度もありません。菊地さんはフリージャズといわれるタイプの、通常のジャズを破壊する前衛的なジャズをやるかたで、私の好みの音楽とはかけ離れているからです。だから菊地さんが『セッション』のジャズをつまらないというのは、私はジャズファンとして納得できます。ただ、菊地さんのやるジャズもジャズに対する意見も主流ではなく、前衛的なバイアスがかかっているってことだけは、知っておいてください。
それよりなにより感心したのは、最後まで主役ふたりの狂気を崩さず描ききったところです。
日本の映画だったら、たぶんあの鬼教師を、悪い人に思えるけど、じつは生徒想いのいい人だった、みたいな感じにしちゃうんですよ。教師と生徒の絆と感動。そういう甘ったる~い映画にしちゃうはず。
ところが『セッション』はそんな感傷とは無縁の辛口映画を貫きました。あの最後の舞台を、鬼教師のヤツは個人的な復讐に利用するんですよ。アタマおかしいとしかいいようがない。そしていったんは踏みつけにされたものの、すぐさま復讐に転じて主導権を握ろうとする学生も普通じゃない。ラストの演奏はまさに狂人対狂人の殴りあい。
狂気と歓喜が爆発するなか、それを舞台袖で見守るお父さんの表情がとても印象に残りました。息子が芸術の狂気の世界に足を踏み入れたことを感じて、とまどいと畏怖を目に浮かべるお父さん。普通の世界に住むお父さんはきっと一生、息子の才能と狂気を理解することはないのでしょう。
[ 2016/02/29 20:40 ]
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