こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。キャンプやバーベキューは苦手です。蚊に食われながら焼肉食って、なにがおもしろいのか。ということで、本とテレビで過ごしてます。
話題のドラマ『HERO』ですが、私は毎週楽しみに観ています。
久利生は型破りな検事ということになってますが、そうですか? 型破りなのは服装だけ。仕事のやりかたはものすごくまっとうですけどね。
法律という枠、型のなかでできるかぎりのことをして、真実を見極め、悪を追い詰める。理想的すぎるかもしれないけど、あれこそが正義のあるべき姿です。
久利生は人間を信じてるんです。そして、人間が作った「法」というシステムも信じてる。だからその枠のなかで正々堂々、闘うことができるのでしょう。その姿勢はとても痛快です。
体罰や暴力でものごとを解決しようとする人間は、人間も法も信じてないんです。体罰や暴力を容認する人は、それは必要なのだ、しかたないことなのだ、といいわけをするのですが、じゃあ、法の枠内でできるかぎりのことをしたのかというと、してないんですよ。なぜなら最初から人間も法も信じてないから。法の枠内で努力するのはムダだとあきらめてるから。そのうえ、本当は人間を信じてないくせに、愛だの人情だの信頼関係だのを持ち出して、自分を正当化しようとするから不愉快なんです。
逆にすごかったのが、BSで再放送してた『木枯し紋次郎』。何がすごいって、あのドラマは、「人間は信じられないものである」というのがテーマなんですから。
紋次郎自身、生まれたときに母親に間引き(口減らしのための子殺し)されかかかった暗い出自があって、じつの親さえも信じない人間になってるわけです。
あっしには関わりのないことで、とクールに突き放しつつも、じつは紋次郎は何度も他人を信じて助けようとするんです。ところがその善意は必ず裏切られる。助けた娘が殺しの下手人だったり、山賊をやってる息子を改心させようとかばう老母が、じつは山賊の元締めだったり、とにかくハッピーエンドのエピソードがない。
山賊の母の正体がわかったときに紋次郎は、やはりこの世におふくろなんてものは、いねえんでござんすね、みたいなことをつぶやきます。
なんとも殺伐とした話ですが、人情や感動なんてものでごまかさないところが、かえっていさぎよい。ハードボイルドです。こういうのが70年代の視聴者には受け入れられてたんですね。いまだったら苦情が来そうだけど。
あと、NHKの『ハードナッツ!』も楽しめました。数学で事件を解決するアイデアは、アメリカの『ナンバーズ』が先行してますが、私はあれ、キャラクターにまったく魅力が感じられなくて、2話くらいでやめてしまいました。
『ハードナッツ!』のくるみちゃんは、妙なイントネーションのしゃべりやズレた行動で毎回笑わせてくれました。でもあれで彼女なりにスジは通してるんですよね。続編あるのかな?
[ 2014/08/13 10:14 ]
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