こんにちは、すきやばしパオ郎です。VIPではないので、たまに行く寿司屋はもっぱら回転です。好きなネタは、貝類全般、しめさば、えんがわ。逆に手が伸びないのは、イクラとサーモン。サケは焼いたのもあまり好きじゃないので、サケ一族と相性が悪いのでしょう。
ヌューダのグレープフルーツ味など、無糖炭酸水を好む変わり者としては、ポッカサッポロの新製品「グリーンシャワー」もさっそく試してみました……ん、なんだろう、マスカットの皮を噛みながら炭酸水飲んでる感じ? これ、ホップの香りなんですか。へえ……柑橘系以外のフレーバーにチャレンジした精神は高く評価しますけど、これ、売れないだろうなあ。
ゴールデンウイークはどこに出掛けても人混みなので、家で読書でもしようかと。ここしばらく、調査のための資料や本ばかり読んでるから、楽しみのために小説を読む機会がめっきり減りました。
私は映画を観て気に入ると、原作小説も(もしあれば)読むことにしています。原作をどういうふうに脚色したのか、比べるのも一興です。
ただちょっと困ったことに、昭和二〇・三〇・四〇年代くらいの日本映画のおもしろい作品があっても、原作小説は入手がむずかしいんです。
最近の小説は容易に入手できますし、戦前のものであれば青空文庫などでフリーのテキストデータになってたりします。でも昭和三〇年代くらいの小説は、一部の有名作家以外は、文庫も絶版のことが多いし、図書館にもなかなかおいてない。
社長シリーズの原案となった源氏鶏太のサラリーマン小説なんかも読んでみたいのですが、当時は大ベストセラーだったはずなのに、いまはよっぽど大きな図書館でないと所蔵してません。
昭和35年『学生野郎と娘たち』は当時の大学生の生態を皮肉や諷刺たっぷりに描いている秀作です。その原作の『キャンパス110番』がたまたま図書館にあったので読んでみたら、よくこれを映画化する気になったなと驚くほどの駄作。これ読むと、曽野綾子さんに小説家としての才能がまったくないことがわかります。人間や社会に対する深い洞察力に欠け、表面しか見ていない。ま、それは最近のコラムも同じか。おそらく脚本家もこれじゃ使えねえな、と見抜き、基本設定だけを残して内容を大胆に書きかえたのでしょう。
映画も原作も秀逸だったのが、畔柳二美の『姉妹』。昭和二九年刊の古い小説で、翌年映画化されてます。ほぼ原作に忠実な映画化ですが、時代設定だけ変更されてるみたい。映画は公開と同時代ですが、原作は戦前のようなので。
主人公の姉妹は学生で、父親は山中の発電所に勤める管理職なので、実家もその山村にあります。姉妹は学校に通うため街の伯母夫妻宅に下宿して、長期の休みだけ山村に帰省する生活。
父親は管理職だけどさほど高給取りではありません。でも、こどもを学校に行かせられない者も多い貧しい村では裕福なグループに入るわけで、姉妹もそこそこいい暮らしをしてるんです。
街や村のさまざまな人たちと関わるエピソードを積み重ねていくうちに、持つものと持たざるものの間には、見えないけれど強固な壁があるという社会のキビシい現実を、姉妹は思い知らされることになります。
あるとき父親のところに、村の貧しい女がたずねてきて、この村では食えないからニシンの猟場に働きに行きたい。でも汽車賃がないからうちの娘を買ってくれないかと、どん引きするようなことを頼むんです。
弱った父親は姉妹の妹のほうをこっそり呼んで、お前に新しい靴(原作ではマント)を買ってやると約束してたが、もう少しガマンしてくれないか、あの人に汽車賃をあげたいから、と諭すのです。
これ以外にもかなりキツいエピソードがいくつもあるのですが、さらりとした筆致なので、そんなに鬱々とした印象ではありません。男勝りで物怖じしない性格の妹が、空気を読まない言動で笑わせるし、下宿先の伯父さんのお調子者ぶりも愉快です。
映画も原作も姉が嫁ぐところで終わるのは一緒ですが、原作読んで、えーっ、と驚いたところがありました。映画では姉妹の下宿先の伯母夫婦も祝福に訪れてハッピーに終わるのに、原作では、伯父さんは若い女と駆け落ちしてて、伯母はそれを苦に鉄道に投身自殺していたことが、たった一行の説明で告げられるんです。最後の最後にさらりと不幸の爆弾を放り込んでくる作者の企みがすごい。
[ 2014/04/30 10:17 ]
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