今日はプロテニス選手の錦織圭さんについての話題です。
錦織選手は島根県松江市の出身ですが、
島根県は個人的に馴染みのある土地ということもあり、
錦織選手には勝手に親近感を覚え応援しています。
説明する必要などないと思いますが、
錦織選手は、2017年現在、世界ランキング10位以内を常にキープしており、
先日の全英ウィンブルドン選手権では、3回戦敗退で不調と言われてしまうなど
紛れもない世界トップクラスの選手です。
そんな錦織選手の話題として最近、錦織選手の彼女についての記事をよく目にしますが、
これらの記事を見る度に非常に残念な気持ちになるので、今日はその感想です。
よく目にする記事の内容を要約すると、
「錦織選手の昔の彼女は体操選手で、
錦織選手の食事の管理などのケアを手厚く行っていたのに対し、
現在の彼女はモデルという職業で、自由奔放に遊んでおり、
錦織選手のケアなどはしないため、
その彼女が足枷となって成績がいまいち伸びていない。」
といったものです。
まず、このような記事の最も残念な点は、非常に差別的であるという点です。
おそらく記事の前提として、
スポーツ選手のパートナーは(特に男性スポーツ選手の女性パートナーは)、
選手の体調管理をするなど選手を陰で支えるべきである、
という価値観があるのだと思います。
これは「女性は表に出ず男性を陰で支えるべき」
という非常に差別的で古い価値観に基づいていると思われます。
大リーグのヤンキースの田中投手の妻の里田まいさんが、
栄養バランスを考えた料理を作ったり、スタジアムへ応援へ行っている、
ということで日本では「よくできた奥さん」と報道しているのも同じことです。
今の時代では、パートナー同士はそれぞれ独立した一人の人間という解釈ですから、
「男性を陰で支える」つまり「自分の人生より男性の人生をよくすることを優先する」
ということを価値のあることと捉えることは非常に危険な考え方です。
当たり前ですが、人生というものは他人と共有できるものではありません。
例えばグランドスラムで優勝するなど、1人の人間が何かを達成して得た喜びは、
それをどれだけ陰で支えていようが、達成した選手にしか味わうことはできません。
別の例として、よく日本ではノーベル賞受賞者のインタビューに妻を同伴して
自分を支えてくれてありがとうと感謝を述べたりしていますが、
どれだけ感謝されようと、ノーベル賞を取るような大発見をした瞬間の高揚感を
本人と同じレベルで理解することはできないわけです。
このように、錦織選手の彼女が錦織選手がテニスプレーヤーとして成功するように
尽くさないのはおかしい、というのはどう考えても一人の人間の独立性を認めない
差別的な考え方だと思います。
次に残念な点は、錦織選手の実力をバカにすることになってしまっている点です。
若い時からテニスの本場アメリカに拠点を起いて実力をつけ、
その実力を認めさせることで世界トップクラスのコーチ陣を引き込み、
勝利を重ね知名度を上げる事で多くのスポンサーを獲得し、
そうやって自分の力で世界トッププレイヤーとして活躍している選手に対し、
パートナーが支えてくれないから成績が落ちた、などと
グレる中学生の言い訳のようなレベルの低い批判をすることがなぜできるのでしょうか。
フェデラーと信じられないようなハイレベルな打ち合いをし、
両者一歩も引かない戦いを繰り広げている中でここぞという1ポイントをフェデラーに奪われた、
ということに対して、それが、
フェデラーが苦しんで血のにじむような努力の末に手に入れた錦織とのわずかな実力差、
でもなく、
互いのコーチ陣も含めた激しい情報戦の末に見破られた錦織のほんのわずかな弱点、
でもなく、
実は食事含め何から何まで自分のことを自分で管理できないお子様なため
パートナーが鶏ささみを中心にした食事を作ってくれなかったせいである、
などと解釈することがどれだけ馬鹿げているか考えるまでもないと思います。
さらに、残念な点として、
現在の錦織選手のパートナーが、錦織選手の財産を使って遊んでいる、
といった内容の記事をよく見かけることです。
例えそれが事実だったとして、何が悪いのでしょうか。
両者は明らかに合意の上でそれをしている訳であり、
それをさせる錦織選手が稼ぎの少ないパートナーの独立性を認めない差別をしている、
と批判するならまだしも、
パートナーの方を批判することはとてもおかしなことだと思います。
デートや飲み会で男性が女性に奢る、その行動は私は差別的だと思いますが、
100歩譲って、そういう古い風習がまだ日本にあるとして、
それとこの錦織選手とパートナーの金銭問題はどう違うのでしょうか。
ただ金額が大きいからという理由なら、単なる嫉妬ということになると思います。
何も努力せずに自由にお金を使えてずるい、という嫉妬でしょうか。
もうこの点は、お金持ちの友達が親に好きなおもちゃをどんどん買ってもらって羨ましい、
と駄々をこねる小学生と同じ単なる言いがかりですね。
この他にも、錦織選手が大金を手にしているため成金的にダメになっている、
といったプロスポーツについて根本的に誤解している悲しい解釈など、
一連の記事に対して残念な点はまだまだ多いのですが、切りがないのでこの辺にしようと思います。
錦織選手は島根県松江市の出身ですが、
島根県は個人的に馴染みのある土地ということもあり、
錦織選手には勝手に親近感を覚え応援しています。
説明する必要などないと思いますが、
錦織選手は、2017年現在、世界ランキング10位以内を常にキープしており、
先日の全英ウィンブルドン選手権では、3回戦敗退で不調と言われてしまうなど
紛れもない世界トップクラスの選手です。
そんな錦織選手の話題として最近、錦織選手の彼女についての記事をよく目にしますが、
これらの記事を見る度に非常に残念な気持ちになるので、今日はその感想です。
よく目にする記事の内容を要約すると、
「錦織選手の昔の彼女は体操選手で、
錦織選手の食事の管理などのケアを手厚く行っていたのに対し、
現在の彼女はモデルという職業で、自由奔放に遊んでおり、
錦織選手のケアなどはしないため、
その彼女が足枷となって成績がいまいち伸びていない。」
といったものです。
まず、このような記事の最も残念な点は、非常に差別的であるという点です。
おそらく記事の前提として、
スポーツ選手のパートナーは(特に男性スポーツ選手の女性パートナーは)、
選手の体調管理をするなど選手を陰で支えるべきである、
という価値観があるのだと思います。
これは「女性は表に出ず男性を陰で支えるべき」
という非常に差別的で古い価値観に基づいていると思われます。
大リーグのヤンキースの田中投手の妻の里田まいさんが、
栄養バランスを考えた料理を作ったり、スタジアムへ応援へ行っている、
ということで日本では「よくできた奥さん」と報道しているのも同じことです。
今の時代では、パートナー同士はそれぞれ独立した一人の人間という解釈ですから、
「男性を陰で支える」つまり「自分の人生より男性の人生をよくすることを優先する」
ということを価値のあることと捉えることは非常に危険な考え方です。
当たり前ですが、人生というものは他人と共有できるものではありません。
例えばグランドスラムで優勝するなど、1人の人間が何かを達成して得た喜びは、
それをどれだけ陰で支えていようが、達成した選手にしか味わうことはできません。
別の例として、よく日本ではノーベル賞受賞者のインタビューに妻を同伴して
自分を支えてくれてありがとうと感謝を述べたりしていますが、
どれだけ感謝されようと、ノーベル賞を取るような大発見をした瞬間の高揚感を
本人と同じレベルで理解することはできないわけです。
このように、錦織選手の彼女が錦織選手がテニスプレーヤーとして成功するように
尽くさないのはおかしい、というのはどう考えても一人の人間の独立性を認めない
差別的な考え方だと思います。
次に残念な点は、錦織選手の実力をバカにすることになってしまっている点です。
若い時からテニスの本場アメリカに拠点を起いて実力をつけ、
その実力を認めさせることで世界トップクラスのコーチ陣を引き込み、
勝利を重ね知名度を上げる事で多くのスポンサーを獲得し、
そうやって自分の力で世界トッププレイヤーとして活躍している選手に対し、
パートナーが支えてくれないから成績が落ちた、などと
グレる中学生の言い訳のようなレベルの低い批判をすることがなぜできるのでしょうか。
フェデラーと信じられないようなハイレベルな打ち合いをし、
両者一歩も引かない戦いを繰り広げている中でここぞという1ポイントをフェデラーに奪われた、
ということに対して、それが、
フェデラーが苦しんで血のにじむような努力の末に手に入れた錦織とのわずかな実力差、
でもなく、
互いのコーチ陣も含めた激しい情報戦の末に見破られた錦織のほんのわずかな弱点、
でもなく、
実は食事含め何から何まで自分のことを自分で管理できないお子様なため
パートナーが鶏ささみを中心にした食事を作ってくれなかったせいである、
などと解釈することがどれだけ馬鹿げているか考えるまでもないと思います。
さらに、残念な点として、
現在の錦織選手のパートナーが、錦織選手の財産を使って遊んでいる、
といった内容の記事をよく見かけることです。
例えそれが事実だったとして、何が悪いのでしょうか。
両者は明らかに合意の上でそれをしている訳であり、
それをさせる錦織選手が稼ぎの少ないパートナーの独立性を認めない差別をしている、
と批判するならまだしも、
パートナーの方を批判することはとてもおかしなことだと思います。
デートや飲み会で男性が女性に奢る、その行動は私は差別的だと思いますが、
100歩譲って、そういう古い風習がまだ日本にあるとして、
それとこの錦織選手とパートナーの金銭問題はどう違うのでしょうか。
ただ金額が大きいからという理由なら、単なる嫉妬ということになると思います。
何も努力せずに自由にお金を使えてずるい、という嫉妬でしょうか。
もうこの点は、お金持ちの友達が親に好きなおもちゃをどんどん買ってもらって羨ましい、
と駄々をこねる小学生と同じ単なる言いがかりですね。
この他にも、錦織選手が大金を手にしているため成金的にダメになっている、
といったプロスポーツについて根本的に誤解している悲しい解釈など、
一連の記事に対して残念な点はまだまだ多いのですが、切りがないのでこの辺にしようと思います。