こんにちは、口の中が切れそうなくらいに堅いフランスパンを、たまに無性に食べたくなる、パン食系男子のパオロ・マッツァリーノです。ちかごろ日本の食品業界は、「もちもち」と「濃厚」一辺倒ですが、バリバリカチカチあっさり味のパンを、テーブルにパンの皮の破片まき散らしながらかじる快感もあるんだけどなあ。
私にはパンを食うことよりも大きな夢があります。それは、映画を作ること。どんな映画かって? 孔子を主人公とする映画なんですよ。そう、あの『論語』の孔子。
とはいえ私は、『論語』をこどもに教えて道徳心を養おう、なんていってる時代錯誤の連中は嫌いなので、一緒にしないでください。『論語』に教育的効果がないことは、過去の歴史が証明しているのに、いまだに幻想にしがみついてる人たちは愚かとしかいいようがありません。
私は、世間に広まっている孔子の誤ったイメージを粉砕したいのです。真の孔子の姿を描くのにどんぴしゃでハマる孔子役主演俳優も、すでに日本で見つけました。それは、出川哲朗さん。
若いころに『論語』を読んだ私は、矛盾だらけのうさんくささに辟易しました。その気持ちに変化が生じたのは、7、8年くらい前に浅野裕一さんの『儒教ルサンチマンの宗教』を読んだのがきっかけでした。
孔子は中都という街の長官としての功績を認められ、魯国の司法・警察長官に抜擢された、というのが通説ですが、じつはそもそも中都なんて街が存在した記録すらないので、この経歴は疑わしい――などと、孔子の偉人エピソードや武勇伝の数々を歴史的視点からばっさばっさと切り倒し、孔子を中国最大のペテン師と喝破する痛快至極な本なのです。
この本に怒る人もいるようですが、私は逆に、孔子というダメな人に親近感を抱けるようになりました。世間に背を向けてカッコつけてるだけの老子荘子よりも、人気者になりたい一心で、バカにされても懲りずにがんばる全力でダサい孔子のほうが、人間的魅力があります。絵になります。老子荘子はドラマの題材にはなりません。
多くの人が『論語』を誤読してるのは、孔子はエラい人という先入観にとらわれているから。孔子はダメな人、痛いオッサンという前提で『論語』を読み直したほうが絶対、素直に解釈できるんです。
知ったかぶりをする孔子。ヘリクツこねていい逃れをする孔子。出世した弟子に嫉妬する孔子。世間に認められないことをすねる孔子。民衆からバカにされる孔子。孔子のダメっぷりを示すエピソードは、『論語』にちゃんと書いてあるのに、孔子信者はその事実をタブー視し、目をそむけてしまいます。教科書にも載せません。だけど人間ドラマって、そういった負の面にもスポットを当てて掘り下げないと、深みが出ないんですよ。
じゃあ『論語』は孔子を批判してるのか? いえ、正確にいうと、ペテン師だったのは孔子の死後に彼をまつり上げて利用した信者や君主のほうであって、孔子はあくまで、痛い人、カンちがい野郎というだけのことです。弟子や孫弟子たちは、そういうダメっぷりもひっくるめて、孔子という人物を慕っていたのでしょう。そうでなければ、孔子のヘタレエピソードを正直に『論語』に盛り込むはずがありません。
ほら、だんだん孔子が出川さんに見えてきたのでは? 出川さんも抱かれたくない男だとかいわれ、狙ったところですべり、天然で笑いを獲ってしまうダメっぷりをウリにしています。毛嫌いする人もいる一方で、そのおもしろさと唯一無二の個性を評価する出川ファンもけっこういます。私ももちろんその1人です。
孔子に関する誤解はたくさんあります。まず、孔子を思想家と紹介している記述が非常に多いのが問題。思想家ではないと思いますよ。孔子の職業を現代風にいうなら、「葬祭マナーアドバイザー」あたりがふさわしい。
現代に置きかえるなら、一介のマナー講師でしかないのに、自分はマナーで天下を統一できるとカン違いし、総理大臣目指していきなり無所属で衆院選に出馬した痛いオッサン。それが孔子という男の実像です。
孔子は身の丈2メートル超の大男だったという説もたぶんウソ。その説は、孔子の死から400年くらいたって書かれた事実無根の歴史ファンタジー『史記』の記述です。孔子の孫弟子あたりの世代が書いた『論語』に大男エピソードがひとつも出てこないのは不自然です。
孔子が兵を率いて敵軍を蹴散らしたみたいな武勇伝も、三国志とごっちゃにした作り話。武力や暴力で世を統べるやりかたに疑問を持ったから、礼やら道徳やらで世の中をよくしようと主張してるのに、その孔子が武力を行使したら、根本的な自己否定になっちゃいます。
『論語』を読むかぎりでは、孔子は基本的に非暴力主義者です。死刑制度にも反対。危ない目に遭っても戦おうとはせず逃げてます。豪族に仕官した弟子が、謀反を起こした者に戦を仕掛けることを匂わせる話をすると、やばいよやばいよと引き留めてますし。
いい歳こいて無礼で怠惰な知り合いの男のスネを杖で叩いたというのが、『論語』中で見られる唯一の孔子のバイオレンスです。それ以外、弟子や息子に手をあげた形跡はまったくないところを見ると、おそらく体罰にも反対だったのでは。
このように、聖人や偉人としてではなく、なんか憎めないダメな人としての孔子を描いてみたい。それが私の夢なのです。まあでもその実現には、先立つものが必要ですから、まずは私の本がベストセラーになることが、当面の夢ですかね。
[ 2013/01/06 21:41 ]
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