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2018-12-08

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・つい三日前、「しょうがない」について書いた。
 それを書くのは簡単ではないなぁと思いながら、
 なるべくだれにでもわかってもらいたいと、
 それなりに苦労して書いたつもりだった。

 さっき、もうじき発売の(ぼくの書いた文をまとめた)
 『他人だったのに。』という本をめくっていたら、
 181ページに、同じことを書いた文章を見つけた。
 こういうことはよくあるのだけれど、
 ありゃまと思ったのは、前に書いた文のほうが、
 なんだか身体感があるということだった。
 どっちも、別に名文でもないのだけれど、
 いま書いているものよりも、
 前に書いたもののほうが生々しいのである。
 逆に、三日前に書いたもののほうは、わかりやすい。
 「わかってもらえるものなら、わかってもらいたい」
 という意欲については、どうやら
 いまのほうが強くなっているらしい。
 そして、ぼくは「しょうがない」ということについて、
 ずっと考え続けているということもわかった。

 しかしまぁ、同じ「しょうがない」というテーマを、
 一年か二年のうちに二度も書いてしまうとは、
 いよいよ惚けてきたか…とは思わないことにする。
 ぼくは、ずっとそういうことが多かったから。
 たぶん、また書くこともあると思うけれど、
 それも「しょうがない」としておく。

・ピクルスをじょうずに漬けたことがないので、
 あらためてまじめにつくってみようと考えて、
 材料を揃えたのだけれど、つくらなかった。
 「お豆腐のできる豆乳」を買ったので、
 家にニガリもあるから豆腐をつくろうと考えたのに、
 まったくつくっていない。
 どうも、生活から余裕を失くしているようだ。
 ジャムもあんこも、つくっていない。
 こういう、日々の余裕のなさが、
 なにかいいことにつながるとは、けっして思えない。
 なにかに必要以上に時間コストをかけているのだろうが、
 それを、ちゃんと見つけるのにはヒマが要るように思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
指圧からラグビー観戦へ。そしてほぼ日の塾へという一日。


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