「シャーマニズムの時代に戻るのか」の中で、先週引用した文先生と統一思想のお話は、第一祝福と個人の責任分担に焦点を当てたものでした。それだけでも、ただ独生女というメシア的人物を信じれば救われると信じるのとは、文先生の教えが全く違うのがわかるはずです。今日は、第二祝福に焦点を当てたお話を引用します。

 

家庭完成は、夫婦となって結婚すれば終わるのではありません。文先生が教えた真の

家庭のモデルというのは、血統的モデルです。男性の種をアイデンティティの根としながら、血統的に連結される神様を中心とした家庭です。それは、独生女を出発点としてなされるのではなくて、独生子を出発点としてなされるのです。

 

それだけではありません。息子娘を持って、結婚させなければならない、そうしてこそ四位基台である、というお話を文先生はしています。「祝福と理想家庭」からです。

 

「人間に対する神様のみ旨は、創造目的を完成して創造理想を実現することです。創造理想実現は男女が結婚し、愛によって一つになることで終わるのではありません。そうなった後には息子・娘をもたなければなりません。

 

なぜそうかといえば、天地の道理は上下、前後の関係が連結されるものだからです。きのうがあればきょうがあり、きょうがあればあすがあるのです。(そのように)連結されなければなりません。ですから夫婦だけでは、きょうはあってもあすがありません。あすがなければすべてが終わってしまいます。夫婦が上ならば下(子女)がいなければなりません。下がなければ終わりなのです。そして天地の道理には、上下があり、左右がありますが、夫婦が左右となるのです。

 

 そして父母はその息子・娘たちを結婚させてこそ、父母の責任を果たしたといえるのです。息子・娘が結婚して初めて、夫婦である父母と上下関係が成立するのです。上下関係が確立してこそ理想が成り立つのです。

 

左右としての夫と妻が一体となっても、上下関係としての父母と子女がいてこそ、縦横が連結され、宇宙の理想的球形世界を実現することができます。またここに兄弟姉妹がいて初めて球形が生じます。

 

そして理想実現(創造理想)を完成するようになるには、横的にも縦的にも連結される十字的球形を描かなければなりません。その二つの理想実現圏を男性と女性が感じるようになるとき、初めて、(その男性と女性は)おのずから理想的な位置で生きているということができます。それは何でしょうか。統一教会でいう四位基台です。それゆえに創造理想完成は四位基台完成だという言葉が出てくるのです。」

 

「人は自分だけにとどまってはいけません。自分から三段階を経ていかなければなりません。これが「私と相対と子女」なのです。神様を中心とした「私と相対と子女の関係」、これが四位基台です。そしてこの四位基台を完成することが神様の創造目的なのです。」

 

三大王権の話を文先生がされる時期になると、これが男性の血統を中心としたモデルであることが、さらにはっきりとしました。以下は、「真の家庭と家庭の誓い」の本の中からです。

 

「神様は大王の王であり、アダムは地上の王であり、アダムの息子は天上と地上の王として育つのです。」

 

「三大王権とは何ですか?神様はアダムしか愛せませんでした。アダムとエバの一代しか愛せなかったのです。孫を持てませんでした。孫を持ってこそ、四位基台が完成するのです。孫を持てば神様が孫を愛し、アダムが息子を愛して、二人の結合がなされるのです。ですから、そこから生まれるものは、地上、天上天国の出発が、地上で合成して顕現するのです。」

 

「おじいさんの王権時代、その次にお父さんの王権時代、それだけでなく、天国の王権時代と地上の王権時代を合わせた統一的な理想が、三代の王権なのです。おじいさんは一代、お父さんは二代にしかなりません。三代になりません。孫がいて、父の愛と、おじいさんの愛を受けなければならないのです。」

 

もちろん、この血統的なモデルを完成させるには、モデル的女性が真の母としての使命を果たさなければなりません。文先生は、2000年までの7年の女性の時代を宣言して、摂理した時代がありました。しかし、その7年が終わった後で、父子協助時代を2000年11月11日に宣布して、以下のように語りました。

 

「それで先生を中心とした子女たちが生まれたために、父と息子、父子協助時代になるのです。母子協助時代ではなく父子協助時代なのです。真の父母が出てくる前までは、母親たちは息子たちを育てながら迫害を受けてきましたが、神様を中心として、直接、真の父母を中心として、息子と娘が生まれたために、これからは母親がいなくてもかまいません。母の時代は過ぎ去り、父子協助時代へと超えて行くのです。

 

それゆえ、神様を中心として真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れ、そこから生まれた息子と娘たちには、サタンは手をつけられないのです。そこことを知らなければなりません。ですから、直接的で完全な愛の種を家庭的に受け継いで、父と息子が直系で連結されるのです。

 

そこには母親が必要ありません。蕩減というものがなくなったのです。母子協助時代が完全になくなって、神様と真の父と真の息子の血筋が連結しうる解放圏の最上地点にたったのです。」

 

もちろん、宣布すれば、それだけで宣布の内容がなされるのではなく、そこには人間の責任分担があります。母の権威は、父の権威が息子に移る時に、次の時代への移行するのです。それを受け入れるのは、母は父に絶対服従する責任分担があります。同じ宣布の時のお話で、文先生は以下のように語っています。

 

「生命の種は男性にあるのであって、女性にはありません。愛する夫の赤ん坊を、女性がおっぱいを飲ませて育て、赤ん坊を愛する限り、夫を無視することはできないということを知らなければなりません。これは、母であれば誰でも同じなのです。これが総結論です。

 

母子協助時代と父子協助時代は違うということをです。父子協助時代に生命の種を抱いて育てようとする女性たちは、夫に対して絶対服従しなければなりません。女性たちが今まで本然の夫を求めてくるのに、数千年、数万年の間犠牲になってきたという、その受難の歴史を超えて本然の夫を迎えることができる立場に立てば、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道理を果たさなければならないのです。

 

では誰がそれをしなければならないのですか?アダムとエバを中心として、神様がまずされましたが、その次に蕩減時代には女性がまずしなければなりません。そうでなくてはならないでしょうか?全てを破壊した女性が、夫に対して絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければならないのです。そうして、女性はその夫を通じて恨の峠を超えて、限りない祝福をそっくり受けることができる立場に立つのです。」

 

しかし、実際には、エバがアダムに対して主管性を転倒したエデンの園での過ちが繰り返されました。そして、統一教会の教会員が今接しているのが、独生女神学です。これは、エデンの園でのエバの過ちより、悪い過ちになります。なぜなら、神様の家庭がすでに出発した後でのことだからです。

 

こう書くと、統一教会のリーダーの決まり文句、「お母様を批判している」が思い出されるかもしれませんが、私は文先生のお話を引用し、ありのままに伝えています。なぜそうしなければならないのかと言えば、この天宙的な過ちに協力することの過ちも、とても大きな犯罪となるからです。天宙的な犯罪になることを擁護して、「お母様を批判している」と言って、ごまかすことが間違っています。愛しているのなら救うべきです。救うのなら、過ちを正すべきです。

 

------------------------------------------------------ 

読み終えたら下のアイコンをクリック、お願いします。(統一教会ブログ村に訪問中)

  にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村