拝啓 伊藤詩織様TwitterでTLに、この記事が流れてきました。私は不勉強ながらこの事件を知りませんでしたが、事件の概要を読む限り、事件後の被害者の行動といい、被害者が海外へ一人で旅行する「進歩的な」女性だったことといい「いかにも被害者がバッシングされそうな事件だな」という印象を受けました。被害者の行動は、性犯罪に詳しければ被害者によくあるものだとわかりますが、詳しくなければ「実はレイプじゃないんでしょ?」とか言い出しかねないものではあります。
テレビやウェブマガジンなどであなたの身に起きた出来事を知り、ご著書『ブラックボックス』やクーリエ・ジャポンの特集「性暴力はなぜ起こる」も拝読しました。堂々とお顔もお名前も出して闘っているあなたに、匿名でお手紙を出す失礼をどうかお許しください。
Me too.
私も性犯罪の被害者です。今から25年も前のことになりますが、ローマで日本人の女子大生6人がイラン人の男にレイプされるという事件があったのをご存じですか。私はその女子大生の一人です。事件当時、19歳になったばかりでした。
(中略)
レイプに遭った後というのは、ショックのあまり、判断力が働かなくなってしまう。どうすればいいのか、何が何だかわからなくなってしまうのですよね。私たちもあなたと同じだったのです。右も左もわからない外国の街で、一刻も早く知っている人がいる場所にたどり着きたかった。それしか考えられなくなっていました。
しかし、平常心でいることができる安全な高いところでしか考えたことのない人は、思いもよらないできごとに遭って混乱している人でも平常心で判断を下すことができるものと思っているのですね。
だから、普通では考えられないような行動をとった私たちは批判されたのだと思います。そして、「安全な高いところでしか考えない人」が「混乱して正常な判断ができない人」の行動を批判するという構図は、現在でもまったく変わらないようです。
少し前に、ネット上の伊藤詩織さんの記事を探していたときに、ある人のブログにこんな短い文章が上がっているのを見つけました。
「志桜里」と「詩織」
どっちも,「響き」がよろしくない。
どちらにも,ウソをつくでない!!,と言いたい。
書いているのは弁護士です。「詩織」というのは伊藤詩織さんを指していることは容易に想像がつきました。ネット上では他人を誹謗中傷する書き込みが横行していることは承知していますが、弁護士がこんな論理的でないことを書くなんて、どうかしています。
なんだ、これはと不快に思っていると、しばらくして“「BB(『ブラックボックス』のことです)が「妄想」である理由”と題した長文がアップされました。たとえば、こういう記述があります。
まず,通常の強姦致傷の被害者は,真に強姦被害に遭遇すれば,ホテルの部屋を出た直後にフロントに直行し,ホテル従業員に対し泣く泣く強姦被害を訴え,その従業員は,即座に警察に通報したはずである。ところが,詩織は,ホテルにも強姦被害を訴えていないし
強姦致傷の被害者はみな、フロントに直行して泣く泣く訴えると決めつけている。レイプされた人がどんなに恥ずかしい思いを抱え、ショックで、理屈に合った行動などとれないということをわかっていない。
差出人は25年前の最も有名なレイプ事件の被害者 拝啓 伊藤詩織様-クーリエ・ジャポン
とはいえ、この記事の主題はそこではありません。主題は記事の後半で言及されている、弁護士の文章がいかに酷いかという話です。まぁ『「志桜里」と「詩織」どっちも,「響き」がよろしくない』などと書く人間の文章がまっとうではないことなど言うまでもないのですが、弁護士という職業に就く人間が、事実に立脚しない主張を公で垂れ流すのであれば逐一誤りを指摘しておかねばなりません。
実際に調べてみると、以下のようなブログを見つけました。
先般,『「志桜里』と「詩織」』と題するブログにて,記事後半にあるように、驚くべきことにこの弁護士は無関係な第三者ではなく、被告である山口敬之の訴訟代理人でした。よしんば記事の内容が全面的に真実であるというあり得ない前提をおいたとしても、被告の代理人が原告を中傷するような記事をブログにあげるのは倫理的にも法廷戦略的にも問題があるんじゃないかと思うのですが……。
両「しおり」氏に向けて,「ウソをつくでない!」と投稿したところ,
「月光史郎」氏というブロガーから,
「Black Box を読んだ上での感想だろうか?」との疑問が寄せられた。
「嘘の理由説明なし」とのことなので,説明しておきたい。
(中略)
それとともに,賢明なる私のブログの読者は,既にお気づきのことと思うが,私は,単なるBBの一読者ではない。詩織が山口氏を訴えた裁判について,今般,山口敬之氏側から訴訟代理の委任を受けた弁護士である。
以上から明らかな,伊藤詩織による悪質な名誉毀損行為の数々を踏まえ,現在,様々な法的手続を準備・検討中であるが,その準備の過程でも,詩織をめぐっては,いろいろな動きがみられた。
伊藤詩織著 「Black Box」 が「妄想」である理由-北口雅章法律事務所
ここからは、記事で述べられている「妄想である理由」がいかに間違っているかという点に関して論じていきます。なお見出しと引用文は、特別なことわりのない限り上掲の弁護士のブログの記事からの引用です。
1.第1に,詩織は,薬物「デートレイプドラッグ」を使用した「準強姦犯」被害を訴えていながら,詩織が「知覚」した事実は,「強姦そのもの」であり,既に供述内容全体が破綻している。
具体的に説明すると,次のとおりである。しょっぱなから何を言っているかいまひとつわかりにくいのですが、要するに
詩織は,一方で,❶山口氏に対し「あの夜」,「意識がないまま強制的に性行為を行われ,肉体的にも精神的にも傷つけられました」とメールで訴え(BB106頁),❷詩織が主張する「デートレイプドラッグ」の作用である「記憶障害や吐き気の症状」が詩織氏自身の「性被害状況」と酷似していたことを述べ(BB66頁),❸幼馴染みの看護師の供述から「デートレイプドラッグ」の可能性があると読者に思わせ(BB68頁「幼馴染のS」,「たった数杯と二~三合のお酒で意識を失うことはあり得ない」),❹警察官に対しても「記憶障害」とその原因として,「デートレイプドラッグ」が考えられる旨の主張をしている(BB92頁)。これらの事情は,詩織が,当初の捜査段階で,「デートレイプドラッグ」を使用した準強姦被害を受けたという認識のもと,「準強姦」被害を訴えていたことを物語っている。
ところが,その一方で,詩織がBBで叙述している経験事実は,「激しい痛みで目覚め」,「『痛い,痛い』と何度も訴えているのに」,「ありえない,あってはならない相手」が,性行為を止めなかったというのであり,「押しのけようと必死であったが,力では敵わなかった」,「(バスルームの鏡には)血も滲んで傷ついた自分の姿が映っていた」,「膝の関節がひどく痛んだ」というのである(以上につき,BB49~50頁)。しかも,整形外科医からは「凄い衝撃を受けて,膝がズレている。」などと診察された旨の記載がある(BB66頁)。もしこれが事実であるならば,山口氏には,「強姦致傷罪」が成立する。
しかしながら,被害者が「意識のない」状態のもとで敢行され,かつ,犯行直後に血液検査・薬物検査を実施しなければ証跡の残らない「準強姦」と,被害者の「意識があり」,暴行・脅迫を手段とし,被害者の抵抗を抑圧して敢行される「強姦」とでは,犯罪類型が全く異なる。特に本件の場合,詩織の主張(妄想)によれば,山口氏の暴行により「右膝」等に傷害を受けたというのであるから,このことだけでも「準強姦の枠組」を完全に超えている。もし仮に,詩織がBBに書いていること,すなわち,「客観的・法律的には強姦致傷の事実」を真に「知覚し」,「詩織の認識として」警察に訴えていたならば,警察が山口氏を被疑者として強制捜査を開始しないわけがない。たとえ警察への被害申告が遅れ,告訴の時点で傷が治癒していたと仮定しても,(痕跡が残らない薬物とは異なり)傷害の事実(強姦「致傷」の事実)については,医師のカルテと,医師の供述によって容易に証明できるからである。この意味で,準強姦では検挙不能でも,強姦致傷では容易に検挙・立件できるはずである。それにもかかわらず,警察が山口氏を強姦致傷で検挙しなかったのは,何故か。実際には,強姦致傷の事実など詩織の「妄想」であって,詩織自身が,実は,当初,BBに記載された態様の強姦被害を警察・検察に訴えていなかったからに他ならないと考えられる(このことから,強姦致傷の事実については,後から詩織が「捏造」したことが強く疑われる)。ちなみに,BBによれば,担当警察官の「A氏」から詩織が聞いた話として,A氏が担当の「検察官に相談したところ,いきなり,『証拠がないので逮捕状は請求できない。…』と言われた」とあるが,これは「『準強姦罪の』証拠がない」という意味である。
①伊藤氏の容疑が準強姦と強姦致傷で揺れ動いているという矛盾がある。
②伊藤氏が被害をありのままに訴えていれば警察が強姦致傷で捜査に動くはずだが、実際にはそうなっていない。
の2点を根拠に、伊藤氏の主張が「妄想」とまで言い切っています。しかしそもそも、この2点がそれぞれ矛盾であるという主張それ自体が論理的整合性を欠いています。
まず①について、私は法律の専門家でないので法としてどう裁かれるのかという点には詳しく立ち入りませんが、被害者の証言がいくつかの犯罪の類型を跨ぐことは必ずしも証言の信頼性を毀損することにはならないでしょう。仮にそれぞれの犯罪が互いに矛盾するというのであればまだしも、伊藤氏が受けた被害はそうではありません。
伊藤氏が目覚める前までは準強姦であり、目覚めた後は強姦致傷とみなすのが妥当な状況だったと考えれば矛盾はありません。準強姦か強姦致傷かというのはあくまで、警察や検察がその犯罪をどう処理するかの問題であり、被害者にとっては単に被害そのものが純然たる事実として存在しているわけです。
①の議論は、自身が後付けで事実を「複数の罪種にまたがる」と評価し、かつ「それが本来あり得ない」という誤った前提を自明視するという二重の誤謬によってようやく「矛盾だ!」と組み立てているにすぎません。
②については、『警察に訴えていたならば,警察が山口氏を被疑者として強制捜査を開始しないわけがない』という根拠不明の前提が自明視されていますが、もちろんそれは正しくありません。日本に限らずですが、警察が性犯罪事件において驚くほどの冷淡さを発揮することは有名です。医師のカルテはあくまでケガをしたことを示すだけであって、それが強姦の過程でなされたことを示すものではないので「証拠がない」と警察が一蹴したというのは十分にありうることです。
実際、『Black Box』のp73-74にかけて、原宿署の捜査員が被害の訴えを聞き「よくある話だし、事件として捜査するのは難しいですよ」と述べた旨が書かれています。本書を本当に読んでいれば『警察に訴えていたならば,警察が山口氏を被疑者として強制捜査を開始しないわけがない』という前提を無邪気に信じることはまずないでしょう。
なお、これはちなみにですが、伊藤氏は被害を訴えた当初は「準強姦」という点をはっきりと言っていました。これは飲酒によって酩酊したという状況から非難されることを恐れたためではなかろうか(仮に本当に酔いつぶれていたとしても加害者が免責されるわけではないが)と思うわけですが、どういう事情があれ、被害者がうまく被害を伝えられなかったことを被害者の責任にするのは誤った対処でしょう。
2.第2に,仮に百歩譲って,詩織が,実際には,BBに記載された態様の強姦致傷の被害を「知覚し」,かつ,警察・検察でも,その旨の被害事実を申告していたと仮定しよう。それでも,詩織の「強姦被害」後の行動は,「通常の強姦被害者」のそれとは全く解離しており,大きく矛盾している。
まず,通常の強姦致傷の被害者は,真に強姦被害に遭遇すれば,ホテルの部屋を出た直後にフロントに直行し,ホテル従業員に対し泣く泣く強姦被害を訴え,その従業員は,即座に警察に通報したはずである。ところが,詩織は,ホテルにも強姦被害を訴えていないし(BBには,その旨の記述がない。),詩織が警察に「準強姦」の被害申告をしたのは,「事件から五日が経過」した時点である(BB72頁)。これに関してはザ・レイプ神話で、中傷するにしてももうちょっとオリジナリティとかなかったんかと呆れるほどであります。
その間,詩織は,「強姦」に起因する「膝の怪我を理由に会社を休んだ。」と述べているが(BB70頁),詩織は,「友人R宅」で,「親友のK」とRに対し「私は,『準強姦にあったかもしれない』と話した。」と述べている(BB71頁)。しかしながら,「レイプは魂の殺人である。」(BB254頁)と高言する詩織が,しかも, 「ありえない,あってはならない相手」から「性暴力」を受けている状況を「目の当たりに」「知覚」し,かつ,会社を休むほどの「膝の怪我」を訴えているにもかかわらず, 『(準強姦にあった)かもしれない』などと,「自らの性暴力被害の成否」について,「間の抜けた」「自信のない」発言をするわけがない。ここには,詩織がBBで描写している性暴力被害の内容(BB53頁では「(山口氏からの性暴力場面で)…この瞬間,『殺される』と思った。」とまで書かれている。)と,性被害の受けた後に詩織の友人達に述べた発言内容(『(準強姦にあった)かもしれない』)との間に,明らかな解離・矛盾が認められる。
さらに,詩織は,「強姦被害」に遭った二日後,「強姦の加害者」であるはずの山口氏に向けて,「無事ワシントンへ戻られましたでしょうか? VISAのことについてどの様な対応を検討していただいているのか案を教えていただけると幸いです。」といった「親睦」のメールを送信している(BB70頁)。実は,このメールでは,「無事ワシントンへ戻られましたでしょうか?」の前には,「山口さん,お疲れ様です。」といった「詩織にとって不都合な」「枕詞」がついており,BBでは,このことを意図的に隠すべく,省略しているのであるが(山口氏の独占手記「私を訴えた伊藤詩織さんへ」Hanada-2017年12月号267頁参照),この点をひとまず措くとしても,「正常な神経」をもつ「強姦被害者」は,性暴力被害を受けた後は,性暴力の加害者に連絡し,交信しようなどとは100%思わないし,まして,「強姦の加害者」が上司にいる職場で働こうなどとは絶対に思わない。このように詩織が山口氏に対して「無事ワシントンへ戻られましたでしょうか?」などと山口氏の無事・安否を気遣う「親睦」メールを発信していること自体でも,詩織が「強姦被害者ではない」ことが如実に示されている。
これはむしろ被害者の典型的反応です。現に当該書でも『私さえ普通に振る舞い、忘れてしまえば、すべてはそのまま元通りになるかもしれない』(p69)とあるように、被害から目を逸らすことで自分を保とうとする行動はよく見られるものです。
また伊藤氏に関しては、被害を訴えれば、マスコミで高い地位にある加害者から逆に名誉毀損で裁判を起こされるといった攻撃を受ける可能性もあり(p60)、そのことへ恐怖で訴えにくかったという事情もあります。このような背景も、実は顔見知り同士での被害が多い性犯罪では典型的でしょう。
それ以外にも通報をためらわせる要素は多く存在します。この点は杉田聡編著『逃げられない性犯罪被害者 無謀な最高裁判決』に詳しいです。
少なくとも、もう21世紀も5分の1過ぎようとしているご時世なので「被害をすぐに訴えないのはおかしい!」なんて言わない程度の知識は身に着けてほしいですね。
3.第3に,時間経過との関係でも,詩織がBBで描いた「性被害」には無理がある。
BBによれば,詩織と山口氏が「恵比寿南の交差点付近」でタクシーに乗車したのは,「金曜日の午後十一時過ぎ」であるから(BB203頁),遅くとも同日十二時前にはホテルの部屋に到着したことが窺われる。もし仮に,山口氏が詩織の主張するとおり,「デートレイプドラッグ」を使用して,詩織を酩酊させ,意識不明の状態のもとで,「準強姦」を計画したと仮定しよう。通常は,ホテル到着後まもなくの時間帯,詩織の意識不明の状態に「犯行に及ぶ」のが通常であろう。ところが,詩織のストーリーによれば,山口氏は,詩織が「酩酊」と「睡眠」から覚めそうな「午前五時台」の時間帯(BB92頁),つまり,犯行が最も発覚しやすい時間帯を選んで「準強姦」に着手し,途中で,「痛み」で目を覚ました詩織を前に,「強姦」に転じて,犯行を継続させた,ということになる。このような「間の抜けた」「準強姦犯」など,およそ社会常識ないし一般感覚から外れている。ここまでくると「根拠は?」の一言で済ましてもよさそうな感じはします。午前5時が酩酊と睡眠から醒めやすいという話は初めて聞きましたが、そういう研究があるんでしょうか?
よしんばこの時間が本当に目を覚ましやすい時間帯だったとしても、犯罪者が合理的に動くはずだという前提がそもそも正しくないので『このような「間の抜けた」「準強姦犯」など,およそ社会常識ないし一般感覚から外れている』という結論は導けません。
この理屈が通るのであれば、犯行時にあほなミスを犯しておけば「こんな間抜けな犯罪者はいないから彼が真犯人ではない」という理由であらゆる刑罰から逃れられます。んなあほな。
4.第4に,詩織がBBで描く「強姦」被害の状況も,社会常識ないし一般感覚からは解離した, 矛盾だらけで,非常に出来の悪い「創作」といわざるをえず,著作者(ゴーストライターを含む。)が「論理的な思考力」に問題を抱えているものと疑わざるを得ない。
まず,詩織が「激しい痛みを感じたため」に「目を覚ました」ときの状況について,BBでは,次のとおり叙述されている(BB49頁以下)。「部屋のベッドの上で,何か重いものにのしかかられていた。」,「下腹部に感じた避けるような痛み」,「目の前に飛び込んできた光景で,…目覚めたばかりの,記憶もなく現状認識もできない一瞬でさえ,ありえない,あってはならない相手であった。」,「『痛い,痛い』と何度も訴えているのに,彼は行為を止めようとはしなかった。何度も言い続けたら,『痛いの?』と言って動きを止めた。」と。もし,ここに記載されている状況のもとで,目を覚ました強姦被害者は,100人が100人,『痛い,痛い』などとは訴えない。『キャーッ!!』,『ウァー!!』といった悲鳴なり悲痛な叫び声とともに,『止めてください!』と懇願するだろう(もちろん,あまりのショックと衝撃に「言葉を失う」被害者がいてもおかしくない。)。少なくとも,女性心理に関する,私の如上の考察を複数名の知人女性に確認したところ,彼女らも,私の考察の正しさを認めた。性暴力被害に直面するといった非常時に,『痛い,痛い』と何度も「間の抜けた」痛みを訴えるのは,詩織ぐらいなものではなかろうか。これもまた、根拠不明な前提を自明視しています。叫び方なんて人それぞれでしょとしか。あるいは本へ書くという都合上、意味を持たない叫びはあげたけど記述はしなかったという話なだけかもしれませんし。
次に,BBによれば,詩織は,山口氏に「トイレに行きたい」と言って,「トイレに駆け込んで鍵をかけたが」,その後,「意を決して(バスルームの)ドアを開けると,すぐ前に山口氏が立っており,そのまま肩をつかまれて,再びベッドに引きずり倒された。」というが(BB50頁),その後の事実経過の叙述について,私は,これを頭に思い描くことができない。BBによれば,「体と頭は(ベッドに)押さえつけられ,覆い被されていた状態だったため,息ができなくなり,窒息しそうになった」というのであるから(BB51頁4行目),このとき山口氏は,背後から詩織の後頭部をベッドに押さえてつけていたことになり,詩織は「うつぶせ状態」のはずである。ところが,詩織は,この「うつぶせ状態」で,「必死に体を硬くし体を丸め,足を閉じて必死で抵抗し続けた。」と叙述しているのであるから(同頁8行目),このとき詩織は,「うつぶせ状態」で抵抗しているのか,「正常位」で抵抗しているのかがわからなくなる。が,それに続く一文では,「頭を押さえつけていた手が離れ,やっと呼吸ができた。」とあるので,終始,「うつぶせ状態」で「後頭部」をベットに押さえつけられていたのかな,と思って読み続けると,それ続く文章(同頁9行目以下)は,「『痛い。やめてください』(との発言に対し)山口氏は,『痛いの?』などと言いながら,無理やり膝をこじ開けようとした。」とあるから,ここでは「正常位」が前提の叙述になっている。
要するに,BBの著作者が描く性暴力被害の状況は,詩織の「うつぶせ状態」と,「正常位」とが混在しているのであって,支離滅裂である。
なんでn=いくつか程度の「調査」で自信満々なんでしょうか。
また「支離滅裂」と評されている被害の描写に関しては、単なる誤読でしょう。『必死に体を硬くし体を丸め,足を閉じて必死で抵抗し続けた。』『山口氏は,『痛いの?』などと言いながら,無理やり膝をこじ開けようとした。』という状況を仰向けを前提とした記述であると解釈していますが、しかしこれはうつぶせ、正確にはベッドへ正面を向くような形でも成立する行動です。あるいは『体と頭は(ベッドに)押さえつけられ,覆い被されていた状態だったため,息ができなくなり,窒息しそうになった』を、仰向けのまま顔を横向きに押さえつけられたと解しても成立するでしょう(加害者にキスを迫られたという状況からは、こっちのほうが妥当な気もする)。少なくとも、「支離滅裂」といえる状況ではありません。
しかし重要な点はそこではなく、なぜ事細かな被害の描写のうちごく一部が理解しにくいというだけで、被害者の訴えの全容を疑ってかかったのかという点です。特にここは伊藤氏が『「殺される」と思った』と書いていることからわかるように、一連の被害の中で最も危機的だった状況です。そのような高度なストレス下での記憶に多少曖昧なところがあるのはむしろ普通でしょう。
もし被害者の訴えに、ほんの少しでも矛盾があればその証言を信じないというのであれば、性犯罪で有罪になる人間はいなくなるでしょう。この弁護士はそれが目的かもしれませんが。
5.第5に,詩織が,「(準)強姦」に起因して発生したと訴えている傷害被害は,❶「乳首」の傷害と,❷「右膝」の挫傷,及び❸「PTSD」であるが,いずれについても不可解である。
各傷害の該当箇所を指摘しておくと,❶「乳首の傷害」:BB50頁「(バスルームの大きな鏡に)体のところどころが赤くなり,血も滲んで傷ついた自分の姿が映っていた。」,BB55頁「あざや出血している部分もあり,胸はシャワーもできないほど痛んだ」,BB108頁「乳首はかなり傷つきシャワーを当てられないほどでした。」,❷「右膝の挫傷」:BB65頁「右膝が激しく痛み,歩けないほどになっていた。」,66頁(整形外科医の発言)「凄い衝撃を受けて,膝がズレている。」,❸「PTSD」(心的外傷後ストレス障害):BB232頁「PTSDの診断」,BB233頁「PTSDの発作」,BB151頁「突然起きるPTSDの症状」である。これもまた、自明ではない前提を自明であるかのように扱う誤りです。順番に見ていきましょう。
まず,上記❶の「乳首の傷害」については,「準強姦」の場面で,「乳首」に「出血」を伴うような傷害を与える性暴力の加害者はいない。すなわち,被害者は酩酊等で意識を失っているのであるから,性暴力の加害者は,抵抗抑圧の目的で暴行・傷害を加える必要がないのであって,意識不明の女性を姦淫する際に,「乳首」に傷害を負わせたとすれば,それは,猟奇的な変態趣味ないし変質者の領域の問題である(詩織は,事件後の山口氏とのメール交信記録で,このような傷害被害を全く訴えていないし,そのような「変態趣味」の被害を訴えること自体が山口氏の人格を冒涜するものである。)。また,BBで叙述された詩織が翌朝目覚めてからの暴行でも,胸部に傷害を惹起するような態様のものは皆無である。したがって,上記❶の「乳首」の傷害は,明らかに詩織の創作・虚構だとわかる。
次に,上記❷の「右膝の挫傷」についても,「足を閉じて必死に抵抗し続けた。」(BB51頁)というのであるから,右側に衝撃性の外力は加わらないはずである。また,「無理やり膝をこじ開けようとした。膝の関節がひどく痛んだ。」(BB同頁)の記述部分から,膝に外傷が生じたというのであれば,当該傷害は左右両側性に生ずるはずであって,「右膝」に限局した傷害が生じたという事態は,やはり矛盾がある。
さらに,上記❸の「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」についても,心的外傷を受けた患者は,当該「事件」を想起させるものについては, 極力・全面的に「回避」行動をとるのが特徴である(「日本トラウマティック・ストレス学会」のホームページによれば,PTSDは,「出来事に関して思い出したり考えたりすることを極力避けようしたり、思い出させる人物、事物、状況や会話を回避します。」とされている[http://www.jstss.org/topics/01/参照])。
ところが,詩織の場合,自らの体験談を自著BBで詳細に述べ,マスメディア等に頻回に出演などし,全国各地,全世界をまたにかけて,自らの体験談を公然と語っているのであって,本来の「性暴力被害」により「心的外傷(トラウマ)」を受けた性暴力被害者の行動とは,全く相容れない。
①の乳首の傷に関しては、『「準強姦」の場面で,「乳首」に「出血」を伴うような傷害を与える性暴力の加害者はいない』という根拠のないことを述べています。これは以降で記述されている、性犯罪者の暴力は相手の抵抗を抑えるためだという誤った前提から導かれるものです。
しかし性犯罪の原因の1つが、女性に対する支配欲を満たすことであることを考えれば、一連のレイプの一環として、被害者の抵抗と関係なく暴行を振るう加害者がいることは想像に難くありませんし、現にいます。ゆえに、準強姦なのに傷があるからおかしいなどという主張は成立しません。
しかし「傷がないから合意があった」というタイプの弁護はベタですが、その逆は初めて見ますね。
またこの傷害を『猟奇的な変態趣味ないし変質者の領域の問題』と述べていますが、女性に薬を盛って犯すような人にそういう猟奇趣味があっても別に驚かないんじゃないかなと思います。
②の膝の傷に関しては、その原因を伊藤氏の意識のあった時間帯にのみ求めている点がおかしいです。この傷がいつつけられたものかは定かではありませんが、伊藤氏の意識がない時間帯の行為、あるいはホテルへ引きずり込まれた際に受傷したという可能性もあるので、少なくとも一連の加害行為のごくわずかな時間だけを取り出して論ずるのは意味がありません。
③のPTSDに関しては、そのトラウマに関する物事を回避する特徴があるのは事実ですが、人によって当然程度というものがあるので、常に『極力・全面的』とは限りません。また同じような被害でも何がトラウマのトリガーになるかという点では人によってばらつきがあり、一見トラウマの原因を回避していないように見えても、当人はうまくかわしつつできる範囲で活動しているだけかもしれません。極力回避するといっても方法にもいろいろあるでしょうし。
精神疾患はその様態が幅広いので、狭い知識と見識で一方的に「あるべき姿」を規定して、そこから外れた者を偽物だと決めつけるような態度は現に慎まなければなりません。
たいていの場合、これだけ主張を列挙すれば1つくらい、一部くらい「まぐれ当たり」することもあるのですが、今回はそれすらなく完膚なきまでに誤っているというのが逆にすごいですね。
繰り返される「社会常識ないし一般感覚」というワード
興味深いのは、この記事において『およそ社会常識ないし一般感覚から外れている』という言い回しが複数回登場しているという点です。これは単に、根拠のない自説が自明であるかのように装っているだけですが、これは法廷における性犯罪への扱いを考えるうえで、非常に重要なキーワードになっています。
実は先ごろ行われた、龍谷大学での研究会に参加し、そこで日本で初めてセクハラ裁判を戦った角田弁護士の話を聞きました(『【書評】性と法律――変わったこと、変えたいこと』も参照)。
その模様は『第6回公開研究会「性暴力・セクシュアルハラスメントを考えるために――性暴力の顕在化・概念化・犯罪化」角田由紀子弁護士 講演』でみられますが、そこで挙げられた現状のセクハラ裁判の問題点の1つは、裁判官が経験則や一般通念でもって、「被害者も対処できたはずなのにそれをしなかった責任がある」と認定し、賠償金を下げてしまうということでした。
また裁判官の通念や経験則が、心理学研究の知見を無視して勝手に性犯罪の理論を作り出しそれに基づいてあらぬ認定をしてしまう問題は、前掲書『逃げられない性犯罪被害者』も述べているところです。
私は法学部の出身でもないので、法曹関係者の言う「一般通念や社会的常識」がどのような位置を占めているのかはわかりませんが、少なくとも性犯罪において彼らの考える「一般通念や社会的常識」は事実と異なり、にもかかわらず心理学研究の知見を上回るようです。
過去の記事『「強姦被害者が処女かどうかは捜査に必要な情報」という主張』や『「セクシーな下着は性交する気持ちがあるという事実を推認する」という弁護士の主張』で述べたように、司法関係者の性犯罪の認識はかなり時代遅れです。本来法律、ひいては犯罪の専門家であるべき司法関係者がこのざまでは性犯罪の問題の解決は遠いでしょう。