吉田拓郎が4年ぶりとなるCD「FromT」をリリースした。
このCDはレコード会社の枠を越えてソニー・ミュージック、フォーライフ、インペリアル(テイチク)、エイベックスの4社が協力した初のセレクト・アルバムで、拓郎本人が「思い入れのある作品群で、日常的に就寝前に聴いている」という27曲を収録していた。
さらに9月30日には広島市内のホテルで「広島フォーク村50周年同窓会」が開催され当時のメンバー約50人が集まったという。そこに拓郎は「はかなく、せつなく、あやうい青春だった」という長文のメッセージを送ったそうだ。
私はこの情報に接して拓郎と出会った頃や、彼の出演した番組の事を思い出した。
吉田拓郎がアマチュア活動の拠点だった広島フォーク村を巣立ち、東京で活動を始めたのは1970年4月だった。
当時、大手のレコード会社からではなく、インディ―ズレコードと呼ばれていたエレックレコードから発売された「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」というアルバムだった。
このレコードは「広島フォーク村」の仲間たちと作ったオムニバスアルバムで、拓郎の作品は「イメージの詩」と「マークⅡ」の2曲だけだった。しかし、私はそれを聞いて衝撃を受けた。その作品はそれまでのカレッジフォークやプロテストフォークとは明らかに違う「フォーク新世代」の登場を感じさせた。
やがてその2曲はエレックから6月にアーチスト名「よしだたくろう」のデビューシングルとして発売された。A面が「イメージの詩」B面が「マークⅡ」で、文化放送をはじめラジオ各局のフォーク系の番組が競って応援した結果、フォークの新人としては異例のヒット曲となった。
さらに翌年の1971年4月に発売された「青春の詩」に、私は前作以上の衝撃を受けた。
♪喫茶店に彼女と二人で入ってコーヒーを注文すること ああ それが青春~
から始まるその歌詞は延々と続くのだが、
♪フォークソングにしびれて反戦歌をうたうこと~
♪飛行機乗っ取り革命叫び~
の歌詞等に見られるように1970年当時の青春群像が歌い込まれていた。
そして曲の後半は転調して
♪さて 青春とは いったい何んだろう その答えはひとそれぞれちがうだろう~
とあった。
私は拓郎の野太い声と新鮮なメロディに魅力を感じて即座にこの歌をテーマにしてラジオ番組を作ろうと思い、エレックを通じて拓郎に出演を依頼し快諾を得た。
番組は「青春とは」と題した30分の録音構成番組として放送された。それが私と拓郎との最初の接点だった。