自分の人生のスタートはいつか   「日記」 マドモアゼル・愛 H.24/09/07

2012年09月16日05:01  政治・権力・陰謀 写真あり

愛の日記

自分の人生のスタートはいつか


人生のスタートとは、すべてを失い、何の目標も夢も希望もない時にしか、切れないものである。



「日記」 マドモアゼル・愛 2012年09月07日(FRI)


人生のスタートとは、すべてを失い、何の目標も夢も希望もない時にしか、切れないものである。

しかし多くの人は、人生のスタートは、卒業や、結婚や、就職の際などに、切ったと思う。

夢も希望も期待も、幻想を加速することはあっても、それは自分の人生のスタートではない。

夢破れ、頼るものなく、お先の目途とてない、、、しかも満身創痍。鬱であるかもしれないし、金もない、体力もない、、、、そんな時、人はヨタヨタとしか立てない、ヨタヨタとしか歩けない、、、、

そこがスタートなのだ。日ごろ、私たちは何の気にもせずにスタスタと歩いているが、それは、これまでの勢いや、幻想への期待や、なんらかの余禄があって、スタスタ歩いているに過ぎない。


あらゆる希望を失い、元気を失った者は、スタスタとは歩けない。一歩一歩、苦しい道のりを、これでもかという力を振り絞って、それこそ、ヨタヨタと歩く以外にない。

しかし、そうした状態の中で、一歩、そして一歩、、をヨタヨタと歩いたことのある人は、それこそが、本当のその人の実力であったと後で知ることになる。

そこから始まった人は、実は強い。必ずや自己実現の道を始めることになる。ウソでない一歩、本当の実力の第一歩は、ヨタヨタ歩きしかない。赤ちゃんと同じ。

ヨタヨタの第一歩は、病気でやっと立ち上がった際の一歩であるのか、失恋によってすべてを失った人の第一歩であるのか、事業失敗による失意の第一歩かは、それぞれだろうが、とにかく第一歩を踏み出した人は、シンができてくる。しっかりしてくる。そこから本当の力がついてくる。

あらゆる希望を失ってなを、ヨタヨタと第一歩を踏みしめるのは、本当のもうこれ以上失わない、真の自分であり、真の自分との対面である。

これができたら、何も怖くない。

金を失ったら終わりか、、、人気を失ったら終わりか、、、恋人が去ったら終わりか、、、、連れ合いが去ったら終わりか、、、、そうではないのだ。それがあなたの人生のスタートなのである。

だから何も怖いものはない。最悪の時にしかスタートは切れない。最悪の中のヨタヨタと立ち上がるあなたは、本当のうそでない自分の足で立っている。

あなたの足で立っている。

あなたはその時、初めて立ったのだ。これまでスタコラと歩いていたあなたは、単なる勢いだったに過ぎない。

人が自分の人生をなかなか送れないのは、自分の足で立っていないからだ。

既得権益というつっかえ棒や国家権力というつっかえ棒がないと生きられないと思う上が、いま、民衆を苦しめている。しかし、本当の損得ははどちらにあるか。

民の苦しみはどんどん深く重くなりつつある。よくない政治と圧政のためである。

しかし見るがよい。

いずれ民は自分の足で立っていく。ヨタヨタでも自分の足でたっていく。

政治も経済もすでに哲学をなくし、心を失うに及んだ。
命の移譲を担当するのは、自分の足で立つ民以外にあろうか。

もう本当は私たちは勝ったのである。ただそのことをまだ知らない人が多いだけなのだ。……

トラックバックURL

http://iiyama16.blog.fc2.com/tb.php/1416-26ed560d

前の記事 次の記事
ct