OVER PRINCE   作:神埼 黒音
<< 前の話 次の話 >>

62 / 70
HANABI

―――リ・エスティーゼ王国 某所

 

 

ガゼフがモモンガを見つけるのに然程の苦労は無かった。

何処までも目立つ大魔獣は人に聞けばすぐに分かるわ、ゼットンは凧を揚げているわで、殆ど見つけてくれと言っているようなものである。

 

ガゼフが追いかけてきた事に当初は驚いていたモモンガであったが、小学生としか思えないゼットンとの二人旅に犯罪臭を感じていた事もあって、すぐさま合流を喜ぶようになった。

それに、まるでラノベに出てくるような正義心溢れる騎士が実は嫌いではないのだろう。魔王ロールをしながらも、とある聖騎士に強い憧れを持っていた事と無縁ではないのかも知れない。

 

 

「急に押し掛けてしまい、誠に申し訳ない」

 

「いえ、心強いですよ」

 

 

ゼットンがハムスケに乗ったまま勢い良く走らせ、凧を高く揚げている。

それを見ていると何とも平和で、ガゼフが城を一時出る名目でしかなかった休暇が、本当の休暇になったかのようでもあった。

 

 

「良いものですな。子供が元気に走り回る光景というものは」

 

 

ガゼフは“彼女”に対し、得体の知れないものを感じていたが、あえて子供と言った。

大英雄と共に居る人物なのだから、悪しき存在ではあるまいと思っているのだ。実際、人類を取り巻く厳しい環境を考えれば、王国の民を想うガゼフと、法国の感性はそれ程に遠くはない。

 

もしもガゼフ・ストロノーフの生まれが法国であったなら、その実力から間違いなく六色聖典のいずれかの隊長となり、人類全体を守る鋭い剣となっていただろう。

王国の民を想うか、人類全体になるのか、の差である。

ただ、彼の場合は大の為に小を捨てる事が出来ない為、神官長は手を焼くであろうが。

 

 

「モモンガ殿、今夜はいずこかの街まで行かれるのであろうか?それとも、野」

 

「野営にしましょう!」

 

 

ガゼフの言葉に、食い気味でモモンガが乗る。

森の家に連れて行く訳にもいかないだろうし、何よりモモンガは野営が嫌いではない。

リアルでは絶対に出来ない“キャンプ”の延長のようなものであり、以前にニニャと野営をした時も物珍しそうに喜んで準備をしていたものだ。

 

 

「ガゼフさんが来てくれて助かりましたよ」

 

 

モモンガが嬉々としてテントを広げ、珍しそうに釘を打ち付けながら固定する。

当然、彼が道中での野営道具や食料などを用意している筈もなく、ゼットンも身一つであった。

生活能力など皆無な二名なのだ。

まぁ、“王子”や“オーバーロード”に生活能力を求める方が無茶というものだろう。

 

野営に慣れているガゼフは実に手際よく準備し、瞬く間に野営の支度を整えていく。

驚く事に道具を使って土を掘り、竈のようなものまで作り上げている。戦場で鍛えた、いや自然と覚えていったものなのだろう。

 

その間もハムスケとゼットンは凧を揚げたり追いかけたりしており、子供が二名に増えたような感があったが、ハムスケはモンスター除けになっているので一応、働いてはいる。

準備が整った頃にはすでに日は陰り、木々の隙間から夕日が顔を覗かせていた。

 

 

「良い運動をした後のご飯は美味そうでござるなー」

 

「神様。お腹減った」

 

「まんま子供じゃないか………」

 

 

ガゼフが用意した食事は、冒険者などが野営で食べる一般的なメニューだ。ガゼフに料理の心得などはないが、野戦食とも言うべきものを作るのは流石に手慣れていた。

塩漬けの燻製肉が入ったシチューや、固焼きのパン、乾燥イチジク、塩気の強いナッツなどが並び、モモンガが物珍しそうにそれらを見て目を輝かせる。

 

 

(豪勢なディナーも良いけど、こういう野戦食っぽいのも悪くないよなー)

 

 

男なら、一度は食ってみたい物かも知れない。モモンガはロクに料理が出来ない為、精々皿を並べたりした程度だが、そこはかとない満足感に包まれていた。

 

 

「大英雄殿に、こんなあり合わせの物を出すのは心苦しいが……」

 

「いえいえ。旅をしながら、こういった食事を取れるなんて大満足ですよ」

 

 

まさに冒険者といった感じでもあり、モモンガは喜んでそれらを口にした。塩分を補給する為か、塩気の強い物が多いが、それも男の料理っぽくて悪くない。

ハムスケはロクに噛みもせずに次々と丸呑みにし、ゼットンは小さな口でパンに齧りついていたが、こちらの方が余程ハムスターっぽい食べ方であった。

 

 

「お腹一杯。寝る―――ハムスケ、枕になって」

 

「申し訳ござらんが、某の大きさではテントに入れないでござるなー」

 

「ハムスケ……使えない子?」

 

「酷い言い草でござるなー!」

 

 

一人と一匹がギャーギャー喚きながら、少し離れた木陰で悠々と惰眠を貪り始めた。

無論、アレらを襲うような命知らずのモンスターは居ない。

 

 

「モモンガ殿、その……彼女は……」

 

「法国から来たようで」

 

「法国、ですか……エ・ランテルでも会いましたが、モモンガ殿は法国に何か伝手をお持ちで?」

 

 

ガゼフの疑問は当然であった。

法国は人類を守護している国ではあるが、それは人知れず裏側から守っている事が多く、周辺の国家からすれば不気味な存在でしかない。

王国と帝国の争いにも口を出してくる事が多く、両国からすれば“漁夫の利”でも狙っているのではないか、と勘繰られている国でもある。

 

 

「いえ、特には。神だの、神様だの妙な呼び方をされていますが……」

 

「神、ですか。確かに、あの戦いを見ればそう呼ばれるのも無理はありませんな」

 

「私はただの人間ですよ。人よりほんの少し魔法が使えるだけの―――――人間です」

 

 

うっすらと浮かんできた月を見上げ、そう呟いた姿は幽玄さすら漂う、妖しいまでの美しさであった。ガゼフは何か、人が見てはいけないものでも見てしまったかのように慌てて目を伏せる。

 

 

「私も幼き頃、神童などと持て囃された事がありましたが、虚名に過ぎませんでした。御前試合の決勝で戦った男を見て、天賦の才というものを思い知ったのです」

 

「才能も天才型と、努力型に分かれる……などとよく聞きますね」

 

「私にもっと才があれば、あの男を死なせずに済んだかも知れない……そう思う事もあります」

 

 

死、という単語にモモンガの顔が曇る。

別れにも様々な形があるが、一番どうしようもないものは“死に別れ”であろう。

 

 

「………不躾を承知で聞きますが、その、蘇生は」

 

「俺の剣を侮辱するつもりか、と死に際に怒られましたよ」

 

 

ガゼフが静かに首を振り、シチューを口に運んだ。

その顔に悲しみはあるが、それに押し負けない程の凛とした強さを秘めた顔であった。

ガゼフ・ストロノーフという男の“芯”の強さに触れ、今度はモモンガが目を伏せる。

 

 

(これが“本物”の男、か……)

 

 

モモンガはイチジクを齧りながら、しみじみと思った。

しがないサラリーマンをやっていた鈴木悟と、剣一本で伸し上がった本物の英傑。只の男として比べれば、どちらに軍配が上がるかは一目瞭然だった。

 

自分とて、別れは幾度も経験してきた。

リアルの世界でも、ユグドラシルの世界でも。

だが、蘇生という魔法があるこの世界なら?例えば、親しい人が死んだとしたら?

相手の意思を尊重して、その喪失に、孤独に、自分は耐えていく事が出来るのかどうか。

 

 

(あのカジットという男は、母親を甦らせる為には悪魔にでも魂を売る勢いだった)

 

 

何が正しくて、何が間違っている、といった話ではないのかも知れない。

かろうじて分かる事は、ガゼフ・ストロノーフという男の精神が、自分より遥かに堅牢で強靭だという事だけだ。次第に夜の帳が降り始め、ゆったりとしたペースの食事が終わる。

二人が交代で睡眠を取る事となり、先に休むように言われたモモンガがテントへ向かう。

 

 

「私は、貴方の“強さ”を羨ましく思います」

 

 

モモンガの口から、自然とそんな言葉が出た。

それを聞いたガゼフは一瞬、驚いたように体を固まらせたが、やがてポツリと口を開く。

 

 

「それは……私こそ、貴方に言いたい言葉です」

 

 

ガゼフがモモンガの“背中”にそう返し、やがてその背中がテントの中へと消えた。

ガゼフ・ストロノーフはこの夜の語らいを誰にも語らず、日記にのみ記す事となるが、遥か後にそれが発掘された時には世紀の発見として世間を賑わし、何度目になるか分からない大英雄ブームが巻き起こる事となるが、これに関しては本人の与り知らぬ所である。

 

 

テントに入ったモモンガを見て、ゼットンがもぞもぞと起き出し、テントへと入っていく。

少しの間を置いて、中から間抜けな声が聞こえてきた。

 

 

「ちょ、ちょっと!狭いのに何でこっちの毛布に!」

 

「神様と寝る。……言葉にすると、少しエロい」

 

「最近の子供はませ過ぎでしょ……こんなの純銀の聖騎士に逮捕されちゃうよ……」

 

「神様の子供だったら、産んでも良いかも?」

 

「ストップ!本当に来そうだから止めて?!」

 

 

テントから漏れ聞こえて来る妙なやり取りにガゼフが珍しく笑みを浮かべ、月を見上げた。

この分だと、モンスターなど寄って来そうもないな、と。

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

翌日、モモンガは遠隔視の鏡を使って竜王国のあちこちを見ていた。

本当はのんびりとした旅路が続く筈であったが、ゼットンが「歩くの疲れた」と言った所為である。歩いてたのはハムスケじゃん、とモモンガは突っ込みたかったが止めた。

いつの時代も、どんな世界でも、子供は気まぐれで我儘なものだ。

 

 

「これが神様の“秘宝”なんだ……凄い」

 

「途方も無いマジックアイテムですな……」

 

 

後ろで二人が其々に声を上げたが無理もない。

法国では百万人に一人と言われる適性者に額冠を装備させ、その上で無数の魔法詠唱者が大魔力を注ぎ込み、ようやく短い時間のみ使える《次元の目/プレイナーアイ》という大魔法があるが、それの無制限Verと言っていいだろう。

 

ポイントさえ指定すれば距離に関係なく、遠くの地点を見れるこの鏡は、この世界において反則だと言って良い。やろうと思えば居ながらにして、世界の動向すら見れそうであった。

 

 

「そんな便利な物ではありませんよ。無数の制限がありますしね」

 

 

モモンガがそう返したが、嘘ではない。

簡単な対情報系魔法ですら簡単に隠蔽されるし、攻勢防壁の反撃も受けやすくもあり、とても万能とは言い難いアイテムだ。当然、建物の内部などを見る事も出来ない。

他の魔法も併用すれば内部を見ることも可能ではあるが、ゲームならばともかく、この世界でやれば周囲の人間から人格を疑われかねないだろう。

 

 

(何より、この操作って疲れるんだよな……)

 

 

時折、腕を回したり、肩を動かしながら操作を続けていく。

暫くの間は別段、これと言った光景はなかったが、次第に戦跡ともいうべきものが見えてくる。

焼け落ちた村や、陥落した砦、散らばった人骨。

普通に考えて、朝から見るような代物ではなかった。

 

「何だこれ……」

 

二足歩行する虎やライオンのモンスターが闊歩し、気ままに人間を食らっている光景が見える。そのモンスターの姿も異様であったが、平然と人を食らっている姿に衝撃を受けた。

出来の悪い……いや、悪すぎるホラー映画のようだ。

 

 

「嘘だろ……」

 

 

人が頭から、足から、当たり前のように食われている。

中にはグルメな者もいるのか、煮たり焼いたりして食う者もいるようだ。

母親が泣き叫ぶ前で子供が食われ、妊婦の腹を裂いて血塗れの胎児を取り出している姿も見れた。何か幼い頃に絵本で見た、地獄でも見ているかのようである。

 

 

「ハハハっ……はっはは!何だこれ?!」

 

 

何故だろう?

最初に乾いた笑いが出た後、笑いが込み上げてきた。もう止まらない。

とてもじゃないが、現実のモノとして頭に入ってきそうもなかった。

 

 

「弱肉強食―――神様の国は違ったの?」

 

 

後ろから聞こえてきた、酷く冷たい声に我に返る。

感情など無い、精密な機械のような声だった。強く目を瞑り、心の動揺を鎮める。

弱肉強食、人が食われる。漫画の世界じゃあるまいし、そんなものある筈がないだろッ!と思わず叫びそうになったのだ。

 

 

だが、本当にそうか―――?

富裕層が貧困層を貪るようにして、何処までも搾り取る現実の世界は。

形を変えた“弱肉強食”ではなかったか。

 

 

「王国でもモンスターの被害は無視出来ませんが、これは余りにも……ッ!」

 

 

ガゼフさんの絶句したような声が聞こえてきたが、彼は恐らく、これまでに何度かモンスターに人が食われるところを見た事があるのだろう。自分とは驚き方の“種類”が違った。

 

 

「防波堤があっただけ。王国のこれまでの平穏は、作られた産物」

 

「作られた、だと……君に、我が国の何が分かると言うのか」

 

 

後ろから二人の声が響いていたが、鏡の中の、何処か浮世離れした光景から目を離す事が出来なかった。気持ちが悪くて吐き気がする。

 

 

「肥沃な大地。恵まれた立地。人間が安全に暮らせる場所。そこでは多くの人間が生まれ、その中から、いつかモンスターの侵攻に立ち向える勇者が生まれると期待されていた」

 

「君は、何を言っているのだ……」

 

「でも、貴方達は安楽に溺れ、暴力に溺れ、遂には黒粉にまで溺れ、人間同士で戦争までする始末。何故、神様はこんな愚かな国に降臨したの?」

 

「我々が、何の努力もしなかったとでも言いたいのか……!」

 

「結果の伴わない努力は―――――“無力”と言うの」

 

「訂正して貰おう。我々が流してきた血は」

 

 

 

 

 

―――――騒々しい、静かにせよ。

 

 

 

 

 

溢れるように口から出た、高圧的な言葉に二人が静まり返る。

この地へ“転移”する事を一方的に告げ、逃げるようにしてテントの中へと入った。あのモンスターらと戦うなら、用心の為にも軍服を装備しておかなければならない。

 

いや、待て。

本当に戦う……のか?

アレと……?

 

 

(とんでもない数のケダモノが、人を食ってたぞ……)

 

 

軍服を着ながら考えるも、頭は余り動いていない。

人が食われる光景を見ながら、冷静に思考出来る奴がいるなら見てみたいものだ。

大体、あんな数に自分は“勝てる”のか……?

最後にマントを装着した時、自分の手が―――僅かに震えていた。

 

 

(あんなケダモノらに寄って集って食われる……?冗談じゃないぞ……!)

 

 

腹の底から湧きあがってくるような……どうしようもない気持ち悪さが抑えられない。

これは“生理的な嫌悪感”なのだろうか?

かつて、ナザリックの第二階層にあった《黒棺/ブラック・カプセル》を見た時のような気持ち悪さと似ているような気がする。―――人とは相容れない存在、というやつだ。

黒棺はかつての仲間が作った大切な物だから、何とか受け入れる事が出来たが、あれは無理だ。

 

 

「ゴメン、神様。怒った?」

 

 

振り返ると、彼女が小さな体をより小さくして、項垂れていた。

別に怒った訳じゃない。

ただ、人が当たり前のように食われている光景に吐き気がしただけだ。だが、子供が平然としているというのに、怯えた姿を見せている訳にもいかないだろう。

 

 

「こっちこそ悪かったよ。言い方が少しキツくなってしまった」

 

「大丈夫、私が神様を守るよ?」

 

 

そう言いながら、彼女が正面から抱き付いてくる。

何だろう……俺は子供に心配される性質でもあるんだろうか。

娼館でもこんな図があったような気がするんだが……いや、思い出してはダメだ。あれは彼女と触れ合えた素敵な思い出でもあるが、恥ずかしすぎる黒歴史でもある。

もう、あんな醜態を見せる訳にはいかない。

 

 

「え、えっと……あのケダモノらは、どれくらい強いのかな」

 

「私には1mmや2mmの違いなんて分からない」

 

「えっ……?」

 

「人から聞いた話だと……昔、伝説のアンデッド《魂喰らい/ソウルイーター》が三体出現した時には、ビーストマンが10万人以上殺されたって聞いたよ」

 

「え”ぇっ……?」

 

 

ソウルイーターって、あの馬型のアンデッドの事だよな……。

あの雑魚モンスターで10万人が死んだ??

何だ、それは……。

アレにそこまで一方的にやられるようなのが、人間をあんな風に食ってるって言うのか??

 

 

(ふざけんなよ……ケダモノどもがッッッ!)

 

 

現金なもので途端、強烈な怒りが湧きあがってくる。

別に自分は聖人君子でも何でもないが、“同じ人間”が貪り食われているのを見て、平然としていられる程に冷たくはなれそうもない。

まして、放っておけば自分の知り合いにまで危害が及びそうだというのに。

 

 

「それにしても、この服……凄いね。キラキラしてるよ?」

 

「ん……」

 

 

率直な、そんな子供っぽい感想に毒気が抜かれる。

この服も、何だかんだと長い時間を掛けて作った苦心の作だから、褒められて悪い気はしない。

 

 

「まぁ……少し派手だけどね」

 

 

今では“光の軍神”なんて大層な呼ばれ方までされる原因となったものでもある。

エ・ランテルを襲ってきた死者の軍勢と言い、人を食らうケダモノと言い、光の軍神が戦う相手としては、相応しい敵だと言えるだろう。

 

 

(何だか………こんな戦いばっかりしてるな)

 

 

思わず噴き出してしまう。

この世界に来てからも、ユグドラシル以上の“ロールプレイ”をしている気がする。

ユグドラシルでは最初の頃、台詞を噛んだり、途中で恥ずかしくなって素になってしまったりしたものだが、最後の方では堂に入った魔王をやれていたものだ。

 

 

「光を纏う神様……いつか私の相手もして欲しいな」

 

「念の為に聞いとくけど、夜の相手とか言い出さないでくれよ?」

 

 

―――――ユグドラシルでは12年ものの、廃人プレイヤーで。

 

 

「そっちでも良いかも?」

 

「はぁ……この世界の性教育ってどうなってるんだ……」

 

 

―――――魔王から王子様になるわ、王やら軍神やらになって。

 

 

覚悟を決めてテントを出る。

既に野営の後は何処にもなく、ガゼフさんが綺麗に片付けていた。

 

 

―――――しまいには、神様呼ばわりときたものだ。

 

 

「モモンガ殿。その、転移というのは……」

 

 

その言葉に、苦いものが込み上げてくる。以前は面倒な事になりそうだと誤魔化した為、彼の中では10年に一度しか使えないという認識のままなのだろう。

 

 

「もう良いんです―――信頼出来る人達の前で、取り繕う必要なんてもう無い」

 

「それは、一体……」

 

 

―――――でも、この世界では“1年生”の“ルーキー”に過ぎない。

 

 

 

 

 

この世界に来て、どれだけの時間が経ったのだろう。

 

この世界に来て、どれだけの出会いがあっただろう。

 

希薄な繋がりしかなかった、リアルの世界。

 

最終日に全てが消えた、ユグドラシルの世界。

 

 

 

「竜王国へ“門”を繋げます―――全員、私の後に続いて下さい」

 

 

 

今、自分がするべき事は―――――とても単純にして、簡単な事だ。

 

何て事はない。

 

単に“振り出し”に戻っただけに過ぎないのだから。

 

かつての仲間が自分を救ってくれた、あの日のように。

 

 

 

「モモンガ殿……!?」

 

「神様?」

 

「誰かが困っていたら、助けるのは当たり前―――――そうですよね」

 

 

 

 

 

《転移門/ゲート》

 

 

 

 

 

■□■□■□■□■□

 

 

 

 

 

―――竜王国 前線

 

 

焼け落ちた村の方々で、陽光聖典の隊員達が慌しく埋葬作業を続けていた。

殺された者や、貪り食われた者も、しっかりと埋葬しなければ後にアンデッドと化し、自分達の退路を絶ってくる可能性があるのだ。これらを怠った部隊が過去、何度手痛い目に遭ってきた事か。

今回のように敵の陣地まで深く入り込んで戦うケースなどは、退路の確保こそが最重要である。

 

 

「ニグン隊長……もう時間が……」

 

「泣き言は聞かん。ギリギリまで埋葬を続けろ……これ以上、敵は増やせん」

 

 

只でさえ、あの殺しても殺しても湧き出てくるビーストマンの攻勢に耐え兼ねているのだ。

この上、生者に恨みを持つアンデッドなどが誕生すれば、死者が死者を呼び、もはや全員の命が危うくなるだろう。

 

予備兵を総ざらいしても100名足らずの陽光聖典であったが、連日の攻勢により既に30名を失った。単に殺されたのならばまだ蘇生の可能性もあるが、敵は人ではない。

人間の全身を、余す所なく食うのだ―――蘇生など、望めるような相手ではなかった。

残りの70名で何とか交代しながら防衛を続けてきたが、もはや限界だ。

 

 

「ニグンちゃん、暗いねー。眉間の皺が消えなくなるんじゃな~い?」

 

 

軽い口調に顔を向けると、そこにも暗い目をした女がいた。

漆黒聖典のクレマンティーヌ。何度も離反を疑われていた、曰くつきの女だ。

自分の知るこの女は、こんな生死を賭けた前線に出てくるような女ではない。まして、この女は生粋の快楽殺人者だと言って良い。実力で今のところは見逃されているだけだ。

 

 

「改めて問うが、何の目的があってこの地へ来た」

 

「あっれー、そういう冷たい事言うんだー?さっきも私が来て助かった癖にー」

 

「フン……貴様の力など無くとも、我ら陽光に敗北など無い」

 

 

………嘘だ。

既に残りの隊員も疲労に耐えかね、その肉体も精神もボロボロである。戦地ではまともな食事にもありつけない事が多く、寝床も柔らかいベッドなど望むべくもない。

娯楽も救いも癒しも、何も無く。

24時間、人を食らう獣に神経をすり減らし、戦い、埋葬する―――これの繰り返しだ。

これで疲弊しない者がいるなら、それはもう、人ではない。

 

 

「ここも最低のクソだけどさ~、本国に居るよかマシかなーって」

 

 

クレマンティーヌが足元の石ころを蹴り、不貞腐れた態度をありありと示す。英雄の領域に片足を踏み入れている者とは思えぬような、子供っぽい態度だ。

 

 

「妙な事を言う……本国では神の再臨とやらで祭礼のような騒ぎと聞いたが」

 

「ハッ、どいつもこいつも良い歳こいて浮かれちゃってさー。つまんね」

 

 

この女は上層部の一部からズーラーノーンへの“内通”が疑われていた。

それ故に総攻撃から外されたと思っていたが、完全に自分の意思でこの地へと来たらしい。いや、不貞腐れてこの地へと勝手に来た、と言った方が正しいか。

 

 

「でも、ここも辛気臭いよねー。私ってば孤独で超可哀想ー」

 

(一番哀れなのは我々だ……!)

 

 

思わず叫びそうになったが、何とか心の中で押し留める。

神の再臨とやらが嘘か真実かはさておき、このような地でどれだけ働こうとも、その神の目に留まる事はないのだから。本国では一丸となって華々しいズーラーノーンへの総攻撃を行っているようだが、神への懸命なアピールに他ならない。

 

自分達がこの地で命を削っている間、本国の連中はぬくぬくと“神の目の前”で得点稼ぎをしていると思うと、頭が破裂しそうな程の怒りが湧く。

 

 

「隊長!連中です……連中がきましたッ!」

 

「うろたえるな―――数を正確に報告せよ」

 

「およそ250……いや、300は居ます!」

 

「チッ……クレマンティーヌ、お前にも働いて貰うぞ」

 

「あっれ~?ニグンちゃんってば、私の力なんて要らないんじゃなかったっけー?」

 

 

ニヤニヤとした顔に魔法を叩き込みたくなったが、今は争っている場合ではない。

即座に《監視の権天使》を召喚し、隊員達に方円の陣形を取らせる。この村は既に焼け落ちており、馬防柵もなければ防塁もなく、身を隠す術もない。

自分達で“円”を作って死角を無くし、敵の攻勢を凌ぎ切るしかないだろう。

 

 

「陣形を崩さず、徐々に後退せよ。後方の臨時拠点で反撃に移る」

 

「た、隊長……後方は本当に……ぶ、無事でありますよね?」

 

「……当然だ」

 

 

用心深く、臨時の拠点を作りながら少しずつ前へと進んできた。

そして、作成した拠点には竜王国が雇った冒険者らを抜かりなく入れ、万全の態勢を取ってきたのだが、その冒険者が一度ヘマをやらかし、後退して戻った時には敵に拠点を奪われていたのだ。

 

 

(セラブレイトの無能が……何がアダマンタイト級冒険者かッ!)

 

 

奪われるだけなら、まだ許そう。

度し難いのはその失態をこちらへ知らせもせず、ただ無様に逃げてくれた事だ。何も知らない自分達は激しい挟撃に遭い、貴重な30名の人員を失う事となった。

 

大敗―――――

殺しても飽き足らないとはこの事だ。

あの敗戦以降、連中は俄然勢いづいて攻勢を仕掛けてくるようになった。日に日にその鋭さは増し、今では“大攻勢”と呼んでも良い規模と化している。

獣だけに、相手の弱体化を見抜く“嗅覚”は異常に優れているのだ。

 

 

「ニグンちゃんも大変だね~。協力する気のない協力者ばかり抱えてさ~」

 

 

クレマンティーヌがケラケラ笑いながら、飛び掛ってきたビーストマンの頭を粉砕し、続けざまに2体を葬った。およそ人間の10倍のスペックを持つと言われるビーストマンが相手でも、この女の強さは抜きん出ている。

 

 

(だが、それだけだ……)

 

 

このような数がものをいう戦争形態では、個人の強さなどあってないようなもの。

今回、奴らが用意しているのは8万とも10万とも言われる大軍勢である。

過去に前例のない大攻勢の前に、既に一つの都市が落ちた。苛烈な攻撃に晒されている、もう二つの都市も陥落寸前の状況。

自分達が敗れれば、二つの都市も瞬く間に落とされ、竜王国は滅ぶだろう。

 

 

《正義の鉄槌/アイアンハンマー・オブ・ライチャネス》

《火の雨/ファイヤーレイン》

《聖なる光線/ホーリーレイ》

 

 

隊員達が次々と魔法を四方へ放ち、その隙に上位天使を召喚する。

だが、上位天使の持つ輝きは何処か色褪せており、力がない。召喚した存在は術者の力量が如実に現れるものであり、疲労困憊している隊員達の限界を知らせているようでもあった。

 

 

「ぁっ………」

 

 

その短い呟きは、誰が発したものであったか。

気付けば方円の一角を担っていた上位天使が光の粒子となって消えうせ、隊員の右手にビーストマンが喰らい付いていた。そして―――響く絶叫。

敵が人間であれば、その隙を見逃さずに総攻撃を仕掛けてくるだろう。だが、奴らは醜悪な笑みを浮かべながら、じわじわと包囲を縮めてくるのみであった。

 

 

奴らは知っているのだ。

興奮した肉が。

怯えた肉が。

―――――美味である事を。

 

 

普段は人間が猪や鹿を追い立て、狩猟をするものだが、ここでは違う。

人間が追い立てられるのだ。

 

恐怖に掻き立てられた獲物はアドレナリンなどのホルモンが分泌し、毛は逆立ち、その肉は固くなり、独特の臭みや癖が出るので嫌われるのだが、ビーストマンはそんな肉をこそ好む。

今もこちらへ見せ付けるように、口から食らい取った指を出し、骨を噛み砕くような音を立てながらニヤニヤと笑っている。

 

 

「手、俺の手がぁぁぁぁぁ!隊長、隊長!助けてくださいぃぃぃぃ!」

 

 

右手を食われた隊員の足が掴まれ、ズルズルと引き摺られていく。

助けたいのは山々だが、ここで陣形を崩せば全員が死ぬ。

部隊を預かる隊長として、そんな軽挙は絶対に出来ない。むしろ、ビーストマンが喰らい付いた肉に夢中になっている間に、後退するべきだろう。

 

それが、多くの命を預かる指揮官としての冷静な判断というものだ。

召喚した権天使を動かし、隊員達に指示を下す。

 

 

「こっの、薄汚い獣どもがぁぁあぁぁ!!」

 

 

気付けば、撤退どころか権天使の持つメイスがビーストマンの上半身を叩き潰していた。

馬鹿が……クソったれがッ!私は一体、何をしている!

横から「あっるぇー?ニグンちゃんってば意外と熱血?」と暢気な声が聞こえたが、それを無視して負傷した隊員を陣の中に入れ、隊形を組み直す。

 

怒り狂ったビーストマンが一匹飛び掛ってきたが、クレマンティーヌが目にも留まらぬ速さで飛び出し、鮮やかな武技を放った。

 

 

「ざ~んねん♪―――――《穿撃》」

 

 

次の瞬間、ビーストマンの胴体に5つの風穴が開き、その体が数メートル吹き飛ぶ。それを見た隊員達からどよめくような歓声が上がった。

気に食わない女だが、相変わらずケダモノじみた身体能力だ。

 

 

「どうニグンちゃん、私ってば強いっしょ。惚れた?惚れた?」

 

「馬鹿が………総員、歩調を合わせ後退せよ」

 

 

痺れるような緊張感の中、一歩、また一歩と後退していく。

じりじり焼かれるような焦燥に額から汗が流れ落ちてくるが、その汗を拭う事すら出来ない。

今はビーストマンも警戒しているようだが、あの数で襲い掛かってこられれば……。

もはや、壊滅は免れない―――――

 

 

「ねぇ、言っとくけど私は死ぬつもりはないからね~。ヤバくなったら逃げるからー」

 

 

口調こそ軽いが、クレマンティーヌの額からも滝のような汗が流れ出ている。

ここで大きな戦いとなれば、周辺から更なる数が押し寄せてくるだろう。そうなれば、一人残らずこの地で食われる事になる。

 

 

「むしろ、お前は逃げよ。本国に戻り、本当の神であるなら伝えて欲しい」

 

「モモちゃんに……?何をさ」

 

 

―――ニグン・グリッド・ルーインは、最後まで人の為に戦った、と。

 

 

その言葉に勇気付けられたかのように、隊員達が次々に自分の名も、と叫び出す。

例えこの地で死ぬ事となっても、神にその名が伝えられるなら、決して悪い死に様ではない。

 

 

「ぇ~~?そんな事言われても、モモちゃんは迷惑するだけだと思うけどー?」

 

「確かに―――――私に言われても困りますね」

 

 

後ろから聞こえてきた声に振り向くと、驚愕の光景があった。

本国で秘宝を守り、秘匿された存在である彼女が居たのだ。手には妙な物を持っており、それが風に揺れてフワフワと揺れている。

更に巨大な魔獣を挟んだ逆側にはあの、ガゼフ・ストロノーフが居るではないか!

 

 

(何だこれは……?!)

 

 

一番の驚愕は魔獣に騎乗している、白と黄金に彩られた神々しい軍服を身に纏った人物である。

埃すら鎮めそうな「威」に溢れ、その尊き御姿は言葉にすら出来ない。

まさか……まさか……あの御方が………!?

クレマンティーヌも一瞬、喜色を浮かべたが、横に居る彼女の姿を見てビクリと体を震わせた。

魔獣の上で―――眩い光を放つ御方が、タクトを振るように白き腕を動かす。

 

 

《魔法効果範囲拡大/ワイデンマジック》

 

《焼夷/ナパーム》

 

 

唸り声を上げ、方円へにじり寄ってきていたビーストマンの足元から天空めがけて炎の柱が吹き上がり、300体近くいたビーストマンが、残らず“宙”へと打ち上げられた。

一瞬で世界を紅蓮に包み込んだ、信じがたい魔力に全員が目を剥く。

だが、更なる衝撃が一同を襲った―――――光の攻撃は、まだ終わっていなかったのだ。

 

 

「我が名を称え―――――《魔法抵抗難度強化/ペネトレートマジック》」

 

 

その尊き親指と中指が重なり

 

 

「喝采せよ―――――ッ!《内部爆散/インプロージョン》

 

 

軽快な音を立てた時

 

 

打ち上げられたビーストマンが連鎖的に次々と空中で爆散し―――

 

 

古き竜の国に―――――新たな伝説となる“戦鼓”が打ち鳴らされた。

 

 

 

 

 

「―――――きたねぇ花火だ」

 

 

 

 

 

大攻勢に転じた、雲霞のようなビーストマンの大群が……この後、跡形もなく“消滅”する事になるなど、誰が想像しただろうか。

ニグン・グリッド・ルーインが後に記す書は幾つかあるが……

神の降臨を示すこの日には、光の軍神を称える賛美で満ちている。

 

 

 

 

 

見よ、侮る者たちよ

 

驚け、そして滅び去れ

 

光を纏う神は、我々の時代に一つの事をする

 

それは、人がどんなに説明して聞かせても

 

あなたがたの到底信じようのない事なのである

 

 

《ニグン・グリッド・ルーイン―――「審判の日」より》

 

 

 

 

 

 




遂に始まる竜王国での神話バトル。
ビーストマン達に明日はあるのか……!?


ビーストマン
「すいません許してください!何でもしますから!」

ゼットン
「ん?今、何でもするって言ったよね?」