OVER PRINCE   作:神埼 黒音
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世界の中心

―――王都 最高級宿

 

 

一行がパレードで長い時間を過ごしていた間、宿では無事に《可能性》の塊であるニニャと、フールーダが合流を果たしていた。モモンガという共通の人物の話を通し、二人はすぐさま打ち解け、英雄の帰還を待っていたのだ。

 

帰還を待つ間、フールーダはニニャに魔法について簡単に手解きをしていたのだが、結果は驚嘆すべきものであった。まるで真綿が水を吸収するかのように自分の理論を吸収していくのだ。

フールーダは多くの天才や秀才と呼ばれる存在を見てきたが、完全に違う―――次元が違う。

人の倍の速度で魔法を習得するという、超希少タレントに火がついた。ついて、しまった。

 

 

(何という可能性……!何たる才か……!)

 

 

以来、フールーダは殆ど寝食を忘れるような勢いでニニャの教育にのめり込み、その鬼気迫る雰囲気は、時折食事を運ぶツアレを心配させる程であった。

だが、魔法狂いとも言えるフールーダよりも、むしろニニャの意欲の方が貪欲であったと言える。

大きな恩を受けたモモンガに、力を付けて何かを返したいという一心であった。

 

時に寝ているフールーダを叩き起こし、トイレの扉をノックし、気になる事が浮かべば風呂場にまで入り込んで質問の嵐をぶつける始末であった。

普通の人間なら疲れ果てるか、激怒してもおかしくない態度であったが、フールーダは一向に気にせず、むしろ喜んでそれらを受け止め、嬉々として教鞭を振るうのである。

もはや、手に負えない二人であり、密かにツアレはおでこに手をあて、ため息をつくのであった。

 

 

―――そして、英雄の帰還。

 

 

信じがたい程の群衆が溢れ、物々しい雰囲気で衛兵が街路という街路を取り締まり、フールーダもニニャも近づく事すら出来ずに途方に暮れていたのだが……神は二人を見放さなかった。

パレードの中に、“希望”が紛れ込んでいたのである。

 

 

「ア、アルシェ……アルシェ・イーブ・リイル・フルトかッ!」

 

「………えっ」

 

 

元師匠と、元愛弟子の再会である。

ここまでくれば運命でも何でもなく、殆ど必然の出会いであった。パレード後、無事に合流した元・師弟は四方山の話の後、其々が英雄の話題を持ち寄り、話に花を咲かせる事となる。

 

 

「なるほど、師にその場で弟子入りを直訴か……」

 

「……出過ぎた真似だったでしょうか?」

 

「いや、魔道を追い求めたる者、そうでなくてはの」

 

 

フールーダが白髭を扱きながら満面の笑みを浮かべ、アルシェもホッとした表情を浮かべる。アルシェからすれば、学院を辞めた時から元師匠であるフールーダには合わせる顔がなかったのだ。

 

 

「……ですが、学院を辞めた私にそんな資格があるのでしょうか」

 

「家の借金か……弟子の窮状も知らず、調べようともせず、余事に関わり合う事を嫌った私にも責任がある。お主が気に病む事ではない」

 

 

アルシェの身の上を聞いたニニャも、複雑な表情を浮かべている。

幼い妹二人を抱え、懸命に働いている姿が何処か自分と被ったのかも知れない。

ニニャもどれだけ努力しようと、必死に頑張ろうと、泥沼の中で足掻いているような日々を送り、その先に光というものが全く見えなかったのだから。

 

 

「僕は、モモンガさんのお陰で無事に姉を見つけ、共に暮らせるようになりました。それだけじゃなく、物凄いスクロールまで頂いて……」

 

 

ニニャの言葉にフールーダが激しく頷き、興奮した声を上げる。

彼からすれば、“それ”は何度叫んでも事足りる事などない―――大事件なのだから。

 

 

「恐らく、伝承にのみ伝わっておる《大治癒/ヒール》に違いあるまい!怪我どころか、あらゆる病まで癒すと言われる伝説中の伝説の魔法!歴史上、あらゆる王侯貴族が望み、遂に手にする事が出来なんだ神の領域の魔法よ……!」

 

 

フールーダは魔法に関する事では話が長くなるのだが、二人は真剣な目でそれらの話に耳を傾けていた。出逢うべくして出逢った魔法詠唱者三名であったのかも知れない。

本来、人類最高峰の魔法詠唱者であるフールーダの話を聞こう、などと思えば、それこそどれだけの万金を積んでも叶わぬ事なのだから。

 

 

「それにぃ!スケリトル・ドラゴンをも飲み込んだという魔法!かの化物が持つ、魔法に対する絶対耐性を貫く魔法とは何ぞや!?第七位階なのか、だ、だ、第八ぃぃぃい位階であるのかぁぁぁぁぁぁぁあああ!」

 

 

興奮したフールーダが遂に立ち上がり、手に持っていたコップから水が零れ落ちる。

しかし、それを見ている二人は笑わないし、フールーダもそんな事はお構いなしだ。魔法というものに携わる者にとって、それらは夢でもあり、決して手の届かない神話であったのだから。

 

 

「……元師匠、南方ではそれ程に魔法の研究が進んでいるという事ですか?」

 

「アルシェよ!我が身には既に尊き師がおられる…………我が身など、只のフールーダでよいわ!今後、この世界における“師”とは―――――かの御方のみと知れッッッ!」

 

 

雷でも落とすような一喝にアルシェが一瞬、肩を震わせたが、深々と一礼する。ニニャもニニャでそれを「当然ですよね」と言う表情で受け止め、話の続きを促す。

フールーダ本人を前にして、元を付けたアルシェも大概、肝が据わっていたが、単に名前で呼べと言うフールーダも酷いものであった。

 

そもそも、弟子入りを許可された訳でも何でもないのだが、フールーダもアルシェも、既に弟子となる事を勝手に確定済みの事として考えているようだ。

 

 

「先の話じゃが、確かに南方ではマジックアイテムの発掘は盛んではある。が、“魔”の研究・研鑽において、それ程の差はあるまいて……帝国における魔道具も、決して劣るとは思わぬよ」

 

 

それは、長らく帝国に身を置いてきたフールーダの自負でもあった。

 

 

「むしろ、王族に伝わる風習なのやも知れぬの……」

 

「風習、ですか……」

 

「古き時代には、血の繋がりし者への一子相伝の伝授があったと伝え聞く。古くより魔術に携わる家には今も尚、その風習は残されておる」

 

 

それらはフールーダからすれば、余り良いものとして受け取って来なかった風習であった。

―――閉じられた世界は、やはり広がらない。

数百年の研究の果てに、それを痛感したからこそ彼は時に学院で教鞭を取り、広く秀才を集め、知識を与え、多くの可能性を見出す事にしたのだ。

その中から一人でも麒麟児が出現すれば、更なる道が拓けると信じて。

 

 

「じゃが、スケリトル・ドラゴンすら飲み込む魔法に、あらゆる病すら癒す魔法……これらは世界をも変える程のものよ。秘匿され、一子相伝となるのも無理のない話やも知れぬ」

 

 

単純に考えて、あらゆる病を癒す魔法などが世に広まれば、どうなるであろう?

神殿はどうなるか。神官はどうなるのか。

あらゆる薬品を作るのに従事している者達はどうなるのか。

 

そう……一人の魔法詠唱者によって、世界が丸ごと塗り変わるなど、本来恐ろしい事なのだ。

まして、その知識が広がるという事は更に恐ろしい事であろう。

それらの行き着く先など、戦争による大陸の滅亡以外にありえない。今ですら散発している争いが更に激化し、広まった知識による大規模な殲滅戦へと辿り着くのが目に見えているのだから。

 

 

「モモンガさんは、とても優しい人です!そんな悪い事に魔法を使ったりしませんっ!」

 

 

ニニャの叫びに、アルシェも深々と頷く。

彼女はエ・ランテルでの「神話」とも言える戦いを見てきたのだから。

そして、彼の国を襲った悲劇と、彼の慟哭を聞いている。

 

 

「………私はカタストロフ・ドラゴンロードを許せない」

 

「僕も同意見です。もっと―――力が欲しい」

 

 

二人の言葉にフールーダが目を細め、眩しそうな笑みを浮かべて頷いた。

近年、見る事の出来なかった、感じる事の出来なかった、若き才能の決意である。フールーダからすれば魔の深遠を覗き込み、それを知る事が第一であったが―――

 

 

「尊き師が、“破滅を齎す竜”と戦うと言うのであれば―――是非もない」

 

 

―――――これより、お主等に自由な時間など無いと心得よ。

 

 

フールーダが鋭い視線を向け、二人が力強く頷いた。

だが、何かを思い出したかのように、フールーダが手をポンと叩き、杖を取り出す。

 

 

「アルシェよ、お主の家の事情は私の方で清算しておこう。今日この場を以って、愚かな両親とは縁を切るが良い―――出来ぬのであれば、このまま帝都へと帰れ」

 

「………妹二人だけは……一緒に暮らしたいと思っています」

 

「フールーダさん、僕からもお願いします……姉妹を離れ離れにしないであげて下さい……」

 

 

フールーダが長い顎鬚をしごき、少し考える素振りを見せる。

彼にも当然、情というものがあるし、それを理解する事も出来る。だが、それよりも―――

アルシェにとって妹という存在が足枷となるのか、それとも励みになるのか。

数学の方程式を解くがごとく、それを考える方が先であった。

 

 

「……道中、師匠は“子供好き”だという噂を聞きました」

 

「ほぉ!?それは妹二人も是非、連れて来なければならんの!アルシェ、それを早く言わんかッッ!」

 

 

こうして、モモンガの全く与り知らない所でトントン拍子で話が決まっていく。

フールーダが即座に帝都へと転移し、借金の清算や両親との義絶、妹二人の引越しなどに尽力する事となったが、帝国においてフールーダの言葉に逆らう者など居る筈もない。

30分もせぬ間にそれらの手続きは恙無く終わり、呆気なくアルシェはしがらみから解放された。

多忙な皇帝がそれに気付いた頃には、既にフールーダは転移しており、後の祭りである。

 

フールーダという鬼札が失踪している、などとジルクニフが公表している筈もなく、更に言うなら優秀な役人を揃え、官僚組織を完成させていた為に手続きから実行までの速度が早すぎたのだ。

自らが集めた人材の優秀さと、作り上げた組織の有能さが却って仇となった形である。

 

 

「お姉ちゃんに会える!」

 

「やった!!」

 

 

馬車の中で二人の少女が喜んでいたが、その護衛を頼まれた騎士は憂鬱な表情を浮かべていた。

時折、長い髪に隠れた顔の右側にハンカチを当て、苦悶の表情を浮かべている。

 

 

「何故、私が子供の護衛など……フールーダ様の頼みじゃ仕方ないけれど……」

 

 

彼女は運命の王子様に出会えるのか―――――

 

 

 

 

 

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―――王都 もう一つの最高級宿

 

 

ラキュースがベッドの上で身悶えていた。

豪奢なドレスに皺が寄るのも気にせず、右へ左へと転がりまわっている。

何と言っても、幼い頃からの憧れの全てを凝縮したような大英雄にお姫様抱っこをして貰いながら中央通りを抜け、宿へと送って貰ったのだ。

 

 

「あれが、バージン・ロード……っ」

 

 

彼女の中では既に結婚式となっており、中央通りの群集すら式に招待され、祝福してくれる客へと脳内変換がされていた。恐ろしきは恋する乙女である。

そんなラキュースの“おでこ”へ、二つの輪ゴムが飛んできた。

 

 

「あぅっ!」

 

 

天井を見ると板が少し外され、二人の忍者がジト目でラキュースを見下ろしている。無言で次の輪ゴムを指に嵌める動作を見て、慌ててラキュースが声をあげたが、容赦なく次弾が発射された。

 

 

「痛いっ!地味に痛いっ!」

 

「鬼ボス、これは私達の愛の鞭。その綺麗な顔を吹っ飛ばしてやる」

 

「鬼リーダー許すまじ。慈悲はない」

 

 

ラキュースが二人に抗議の声を上げようとした瞬間、部屋の扉が吹き飛んできた。

そこには魔力でローブをはためかせるイビルアイが佇んでおり、その背後ではガガーランが乱暴な仕草で頭を掻いている。

 

 

「悪ぃ、ラキュース。止めたんだが、イビルアイが聞かなくってよぉ」

 

「ラキュース―――――大切なOHANASHIをしようじゃないか」

 

「なに!?さっきから何なのっ!?」

 

 

どっちの宿も本人が居ない所で大騒ぎであった。

 

 

 

 

 

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―――リ・エスティーゼ王国 王城

 

 

「……往くのか」

 

「はっ、どうかこの身の我儘をお許し下さい」

 

 

ランポッサ三世が何処か諦めを滲ませたような声で呟き、戦士長が深々と頭を下げた。

今は余人を交えぬ王の私室での会話であったが、戦士長の堅く、畏まった態度は変わらない。

門番から密かに、かの大英雄が竜王国に向かったとの情報を聞き、戦士長が一時、職を離れ、同行を許して貰うべく、王へ許可を求めたのだ。

 

 

「お主がそれ程に惚れ込む相手とはの……余も早く会ってみたいものよ。それに、娘を救ってくれた事も、王都での騒ぎの礼も言わねばならぬ」

 

「陛下の御心も、必ずやお伝え致します」

 

「ふむ、かの国は凶悪なモンスターの脅威に晒されておると聞いた……ガゼフよ、四宝を纏い、かの恩人の力になってやってくれ。むしろ、余の方から頼む」

 

「四宝を……!?しかし、あれは……」

 

 

ランポッサが静かに首を振り、高い天井を見上げた。

 

 

「武具は戦場で用いてこそ、であろう。王城に飾っておっても何の役にも立たぬ」

 

 

先の暴動でも四宝は宝物殿で鎮座していただけであり、鎮圧に何ら寄与する事はなかったのだ。

それを痛感したランポッサの肺腑から出た言葉である。

 

 

「しかし、ガゼフよ……一人で往くというのか?」

 

「はっ、私も含め、どれだけの数が居ようとも、かの大英雄の足手纏いにしかなりませぬ。ですが、この身であればせめて……盾代わりにはなれましょう」

 

 

その言葉にランポッサは苦笑する。

近隣諸国最強の名を誇り、王国の四宝すら身に纏った彼が盾代わりなどと……。それが武人らしい謙虚さから出ているのか、本当の事なのか判別が付きづらい。

 

 

「では陛下……暫しの“休暇”を頂きます」

 

「物騒な“休暇”になるであろうが、宜しく頼む」

 

 

実際、戦士長は連日の騒ぎで働き詰めであった。

あくまで名目ではあったが、休暇と聞いて訝しむ者はいないだろう。

 

ガゼフが力強い歩みで部屋を出て行った後、ランポッサは椅子に深々と背を預けた。

思えばここ暫く、騒ぎが続きすぎた。

そして、その解決に何の力も発揮する事が出来なかったのだ。

 

 

「同じ“王”として、恥ずべき事よな……」

 

 

かの亡国の王子は国を失うような悲劇に襲われながらも、決して諦めずに先頭に立ち続け、遂には国中の勇を掻き立て、輝かしい勝利を掴んできた。

同じ王族とは思えぬ程の勇猛さと、圧倒的なカリスマではないか。その間、玉座に座っていただけの自分は元より、不肖の息子二人など、比べる事すら愚かしい程である。

 

 

「かの王子が、我が息子であったならどれ程に……」

 

 

長男はかの魔神を見てからというもの、部屋に閉じ篭り、対人恐怖症ともいうべき状態となっている。次男は表面上こそ落ち着いてはいるが、恐怖が拭いきれないのか、少しのミスで近習やメイドにヒステリックな懲罰を加え続け、今では部屋に誰も近寄りたがらないと聞く。

 

王の器というものがあるなら、とてもその範疇には無い、と言って良い。

自分の退陣後、大勢の貴族を御しながら国家の運営をしていくなど、望むべくもないだろう。

 

 

「お父様、御疲れのようですね。肩でも揉みましょうか?」

 

「ラナーか……全く、お前が男であったならな」

 

「もうっ、お父様ったら……“女”だから“出来る事”だって沢山あるんですからねっ」

 

「ははっ、これはすまなんだ……世の女性に叱られる発言であったな」

 

 

ラナーが王の背後に回り、優しい手付きで肩を揉む。

心温まる親子の姿である。

だが、王の位置からは―――――

 

 

ラナーがどのような表情を浮かべているのかは、見えないのだ。

 

 

 

 

 

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―――スレイン法国 神殿奥

 

 

「すまぬな、お主の献身で助かった」

 

 

闇の神官長、マクシミリアンが神殿奥で佇む男へと声をかける。

ここは神々が残した秘宝が鎮座している、法国で最も大切な空間とも言える場所であり、今は変則的ながら漆黒聖典の隊長が通路を守護していた。

 

 

「構いませんよ。こんな機会でも無ければ、彼女が外に出るのは難しかったでしょう」

 

「うむ……見事に任務は果たしてくれたが、《私より強い奴に会いに行く》と言葉を残し、今では畏れ多くも、神と共に竜王国へと向かっておるらしい」

 

 

マクシミリアンが力無く首を振り、かけていた丸眼鏡がずり落ちる。

それを聞いた隊長は怒りもせず、薄く笑った。

 

 

「彼女らしいですね」

 

「すまぬが、もう暫し守護の任に就いて貰いたい」

 

「えぇ。それと、彼女にお伝え下さい。どうかバカンスを楽しんで欲しい、と」

 

 

隊長からすれば彼女が守護の任に飽き、突然飛び出される方が余程困るのだ。

それなら、ちゃんと分かった上で神殿から離れられた方がマシと言うものだろう。今回のように法国の全てが動くような事態など、彼女がジッとしている筈もないのだから。

 

 

「バカンス、か……神と過ごす時間とは、如何ようなものであろうな」

 

「きっと、甘いものに違いありません。我が国には、艱難辛苦ばかりだったのですから」

 

 

隊長の言葉にマクシミリアンが思わず笑い、隊長も片眉を上げて笑う。

法国の長く、辛い―――――厳冬の刻が終わろうとしている。

 

 

 

 

 

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―――スレイン法国 最奥

 

 

巨大なテーブルが置かれた大部屋で、大勢の人間が活発な議論を繰り広げていた。

既にズーラーノーンの首脳部は番外席次によって滅ぼされており、幹部と思わしき連中も一網打尽にし、残った組織の末端へと目が向けられている。

 

邪教を信ずる者の中には他国の貴族も居れば、大手の商会の人間もいた。

だが、法国は政治的な軋轢など一切恐れず、それらを容赦なく「根切り」にしたのだ。

当然であった―――“神”の意思は、全てに優先するのだから。誰が消したのか、痕跡を残すようなヘマはしていないが、足がついて何か苦情を言ってきても一向に構わない。

 

相手がどんな商会であれ、貴族であれ、躊躇無く磨り潰すと彼らは覚悟を決めているのだから。そもそも、人類に害悪しか齎さないズーラーノーンなど、生かしておいても百害があるだけである。

 

大勢の人間が出入りし、引っ切り無しに伝令や連絡係が往復する大部屋では多くの者が眠りを忘れ、時に食事も立ったまま掻き込むという、法国の高官とは思えぬ振る舞いすら見られたが、それを咎める者はもはや居ない。

 

 

「彼女の奔放さには困ったものだが……神はお怒りではないのだろうな?」

 

 

水の神官長、ジネディーヌが枯れた枝のような指を立て、心配そうに声を上げた。

彼女は苦戦が予想される首脳部への攻撃に用いたが、本来ならそのまま帰還する筈だったのだ。

 

 

「彼女の気持ちも分からんでもないが、万が一を考えるとな……」

 

 

風の神官長、ドミニクも困惑した表情を浮かべた。

数多の異種族を滅ぼし、人類を守護してきた聖戦士とは思えぬ弱りきった顔である。

 

 

「心配はあるまいて。森の賢王なる大魔獣に、仲睦ましげに共に騎乗しておられたと聞く」

 

 

光の神官長、イヴォンが切れ長の目を細めて言う。

其々、カイレから神の御人柄は聞いているが、やはり不安は尽きない。彼らにとって、神の降臨とは余りにも大き過ぎる事柄なのだ。

 

一部の神官長や、六色聖典の中にはまだ帰還していない者も多いが、部屋の中の熱気は凄まじいものである。一種の高揚感が大部屋だけでなく、漏れ聞いた民衆にも伝わっており、ここ数日の法国は誰も彼も度を失っていた。

 

狂ったように働く者も居れば、何も手に付かずに呆然とする者もいる。

不眠不休で祈りを捧げる者も多いが、何処の神殿も祈りを捧げる国民で溢れ返り、収容する事が出来ずに国全体が狂騒に包まれているのだ。

 

 

―――――総人口1500万人を超える法国が、激しく揺れ動いている。

 

 

司法、立法、行政を司る三機関長が控えめな声で言葉を交わしていたが、それらの中に聞き逃せない単語が混じった時、大部屋の全員が沈黙した。

 

 

「神は……その、彼女を御気に召された、という事であろうか?」

 

「す、すすすすると、“神”と“神人”の間に御子が生まれるという事であるか!??!」

 

「き、気が早い!そうと決まった訳ではあるまいて……」

 

 

最後に嗜めた行政の機関長も、その衝撃の内容に度を失ったように貧乏揺すりを繰り返していた。

想像するだけで体に震えがくる。

余りの驚天動地な内容に、それが喜ばしい事なのかどうかすら判断がつかないのだ。

 

 

「「「あっ……」」」

 

 

全員の目が向けられている事に気付いた三人が、気まずそうに俯いた。

大部屋に何とも言えぬ空気が流れ、全員の作業の手が止まる。

その空気を切り裂いたのは―――神と直に接したカイレであった。

この老婆は“秘宝”を預けられる程に信頼を寄せられる国家の柱石であったが、神と言葉を交わした事により、その発言の重みはかつてとは比べ物にもならない程になっている。

 

 

「神は光り輝くような若者であった。かの美貌は国をも堕とし、その操る魔は世界をも捻じ曲げ、その剣は魔神すら打ち砕く」

 

 

カイレの言葉はまるで伝承や、民間に伝わる理想の神の像を丸々なぞったようなものである。

だが、その言葉が絵空事ではない事を、今では全員が知っていた。

 

 

「ぢゃが、それ以上に神は―――あくまで“人”であったよ。ワシらと同じように喜び、嘆き、時に子供のように感情の赴くままに叫ぶ」

 

 

実際に神と接したカイレの言葉は、一同の胸に染み入ってくるようである。

 

 

「ワシらに出来る事は、神の望みにただ応える事―――それだけぢゃ」

 

 

ある意味、平凡で何の飾り気もない言葉に、一同が毒気を抜かれたような表情となった。

先の事を様々に考えていた者の中には、恥じ入るように俯く者もいる。

 

 

「人である、か……何やら深い言葉を聞いた気がするよ」

 

「ふぁっふぁっ!ワシがもう2年若ければ、放っておかなんだがの」

 

 

カイレの言葉に何とも言えぬ表情を浮かべる者もいたが、中には妬心を隠せずに真顔になる者もいた。かの秘宝を纏ったカイレの姿に惚れ込んでいる者も多いのだ。

そう、人の性癖とは様々なのだ。何が正しく、間違っている、などはない。

其々が―――世界に一つだけの花を持っているのだから。

 

 

 

 

 

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―――某所

 

一人の男を中心として、世界が動いている。

だが、その中心は台風がそうであるように長閑で、平和であった。

 

 

「見て、神様。一面揃ったよ?」

 

「懐かしい玩具だなぁ……」

 

 

ハムスケの上で、二人が暢気にルビクキューで遊んでいた。ハムスケも鼻歌交じりに散歩を楽しんでおり、たまに蝶を追いかけたりしている。

 

 

(それにしても、相変わらず変な世界だな……)

 

 

当初はユグドラシルに関係するファンタジー異世界なのかと思ったが、武技なんてものがあったり、タレントなんてものがあったり、知らない魔法だって山程あった。

香辛料を生み出すトンでも魔法やら、冷蔵庫もどきがあったり、ハムスターがしゃべったり、もう色んな物が混ざりすぎて一体何がなんやら、と言うのが正直なところだ。

 

 

(玩具と言えば、結構無駄に持っていたよなぁ……)

 

 

ユグドラシルにはそれこそ、チェスや将棋のようなものもあり、ゲーム内でそれらを使って遊ぶ事も出来た。ボードゲームのようなものも多く、それらを自作して配布する猛者も居たのだ。

その辺りの自由度の高さこそが、ユグドラシルが人の注目を集めた所以であろう。

懐かしさについ、正月のガチャで手に入れたハズレアイテム、“凧”を取り出して空へと上げる。

 

 

「神様、何それ。浮いてるけど……マジックアイテム?」

 

「これは風で浮力を得る玩具かな。実際に外で揚げた事なんてなかったけれど」

 

「不思議だね……何だか見ていると落ち着く」

 

「ほら、糸を持ってみると良いよ」

 

 

魔獣の上で凧が揚がり、糸が伸びるままに高く舞い上がっていく。

何ともいえぬ、牧歌的な空気であった。

彼女が凧を見上げながら、その背をモモンガに深く預ける。傍目から見れば、まるで恋人のようでもあり、歳の離れた兄と妹のような姿でもある。

 

 

「神様と過ごす時間は―――とても“甘い”んだね」

 

 

何度言っても神様と呼ぶのをやめない姿に、モモンガが「やれやれ」と諦めたような表情を浮かべ、共に凧を見上げる。

リアルには無かった“青空”に浮かぶ凧は、確かに見ていて気持ちをほぐしてくれるものだった。

 

 

「お気に召したようで何より―――だよ」

 

 

先日言った言葉をなぞり、モモンガも蒼穹を眩しそうに見上げた。

 

 

 

 




数多の英雄が激しく揺れ動き、一人の男を中心にして世界が動く。
しかし、中心はそこはかとないシュガーな空気だった。



ビーストマン
「そのまま遊んでて下さい!お願いしますから!(必死)」

ゼットン
「大人のデートには辛さも必要なんだよ?(その目はやはり、優しかった)」