2015年05月04日

Crown E.C.3 Lesson 8

1
 1960年代、世界規模の食料不足があった。
1958 年から1961年、中国における大飢饉で、少なくともl,500万人が亡くなった(3,000万人以上という人もいる)。
アジア、アフリカの何千万という人々が飢えに直面した。
何かがなされねばならなかった。
科学者たちは、政府や一般の農業従事者と協力し、解決策を見出した、緑の革命である。
 緑の革命には、3本の「柱」があった、すなわち、新種の作物、化学肥料と殺虫剤、灌漑である。
世界の食糧生産に、即時的で非常に有益な効果があった。
20世記末までに、農業生産性は世界的で劇的に向上した。
 緑の革命は大成功だった。
歴史上初めて、アフリカとアジアは、人口を養うに十分な食糧を手にし始めた。
インドは、飢餓の繰り返しを終わらせることができた。
 しかし、予期せぬ結果を招いた。
灌漑にとても多くの水が使用されているので、供給量が枯渇しつつある。
多くの国で、化学肥料が地下水を汚染している。
 水不足が、世界中でますます多くの問題を引き起こしている。
劇的な一例として、中央アジアのアラル海を考えてみよう。
「海」 と呼ばれているが、実際は湖で、かつては世界第4位の大きさで、ほぼ九州と四国を合わせた面積を覆っていた。
それは、青い水域、美しい湖岸、にぎやかな漁港で有名だった。
 1973年、1989年、2000年のアラル海の写真を見てみよう。
それは、かつてのそれよりはるかに小さい。
地域の漁業は破壊され、大変な経済的困難をもたらしている。
 アラル海に、何が起きたのか。
かつて、ふたつの大河川が湖に流れ込んでいたが、今日、その水の殆どが灌漑に使われ、湖は干上がりつつある。
深刻な公害もある。
アラル海の後退は、地元の気候変動を引き起こし、夏はより暑くて乾燥し、冬はより寒くて長くなっている。
その結果は、「地球最悪の環境災害のひとつ」 と呼ばれている。
2
 緑の革命には多くの予期せぬ結果がある。
アラル海の干上がりは、部分的には緑の革命により引き起こされた。
インドでは、少なくとも農業従事者の4分の1が、自然が補てんできない地下水を使っている。
化学肥料が、地下水井戸からの飲料水汚染の一因となっている。
国際水管理研究所のある幹部は言う、「状況は悪化している。それは、慘事へ向かう旅のようだ。」と。
 水不足は現在、世界中で起きていて、まさに20世紀の食糧不足と同様に、21世記の深刻な問題なのかもしれない。
2025年までに、18億の人々が、極めて深刻な水不足の国、または地域に生活しているだろうし、世界人口の3分の2が、水不足の状況下で暮らしているかもしれない。
 農業従事者は、食物生産に十分な水を得られない。
都市では、人口増加と経済成長に伴って、水の獲得競争が悪化している。
 世界の土地の4分の1が、悪くなっている。
多くの大河川が、1年のある時期に干上がる。
ヨーロッパと北米の湿地の半分は、もはや存在しない。
多くの場所で、環境への影響は、修復不能だ。
 水不足は今や、緑の革命を脅かしている。
将来の十分な食糧生産は、水のよりよい使用を目指す更なる努力なしには不可能であろう。
長い間、農業生産の進歩は、「収穫高」、すなわちひとつの土地区域から理論上収穫可能な生産物の量によって測られてきた。
水不足の地域では今や、単位土地あたりの収穫量の最大化は、単位使用水量あたりの最大収穫量の達成に取って替わられるべきだ。
これは、よい農業の慣行と合わせた、雨水および灌漑用水のよりよい利用を必要とする。
3
 ちょうど20世紀に緑の革命が必要だったように、21世記には「青の革命」が必要だ。
ちょうど緑の革命に3本の「柱」があったように、青の革命にも3本の柱がある、すなわち、効率的な灌漑、現実的な価格づけ、水採取である。
 より効率的な灌漑のためのひとつの考え方が、「点滴灌漑」と呼ばれるシステムだ。
水は、畑全体を浸すのではなく、チューブを通して根元にゆっくりとしたたらせることにより、個々の苗に直接供給される。
ヨルダンでは、その手法が、収穫量を増やす一方、水の使用量を3分の1減少させた。
イスラエルの農業従事者は、点滴灌漑と都市の水の農地へのリサイクルの両方を使って、生産性を劇的に向上させた。
 青の革命のもうひとつの柱は、現実的な価格づけである。
灌漑用水の価格は、しばしばとても低いため、節水への経済的動機づけがほとんどない。
ほとんどの国で、現行のシステムは前世紀の中頃に作られたが、その頃、水は無限に無料の資源とみなされていた。
水の価格は、より現実的な水準に変更されねばならない。
 水採取とは、雨水と廃水を効率的に貯蔵し、使用することを意味する。
19世記および20世紀初頭、アメリカの多くの家には雨水を貯める雨水タンクがあった。
水採取は、日本の江戸時代でも一般的だった。
しかし20世記、水道栓からの安価な水のおかげで、水採取の確実な衰退が見られた。
21世紀には、その復活が見られそうだ。
雨が降る限り、やるべきことは、貯蔵タンクまたは貯水池を作ることだけだ。
 都市部では、水採取は大規模に適用され得る。
廃水は、処理され、再利用され得る。
この図では、これがどのようになされ得るかを示している。
 都市の廃水は、川に捨てられることなく処理される。
① 有害な汚染物質が除去される一方、養分は作物用肥料として利用される。
② 処理済の水は、点滴灌漑に利用される。
③ 農地で採れた新鮮な生産物が、都市で販売される。
 このような水採取設備は、高くつくかもしれないが、長期的には帳尻が合う。
4
 水の充足と食糧の充足は、密接に結びついている。
しかしひとつの大きな問題は、私たちは食糧を生産するためだけに水が必要なのではないということだ。
水はまた、あらゆる種類の製品の製造、加工のほとんどすべての工程で必要とされる。
おそらくあなたは、自分が毎日どれだけの水を使っているか知らないだろう。
どれくらいだとあなたは思うだろうか。
食べ物と飲み物で3か4リットル、洗濯で15か20リットルくらいだろうか。
多くても1日に30ないし40 リットルだろうか。
平均的な日本人が、毎日3,500リットル以上の水を使っていると言われたら、あなたならどう思うだろうか。
これは真実だが、いかにしてそんなことになり得るのか。
 答えは、「仮想水」という概念に見出せる、これは、あなたが間接的に消費する水のことだ。
たとえば、1キログラムの牛肉には、飼料穀物の栽培に必要な水の総量ゆえに、15,497リットルの仮想水が必要だ。
そういうわけで、あなたが昼食に牛丼を食べるなら、ほぼ2,000リットルの仮想水を消費するだろう。
あなたのその新品の綿のジーンズには、6,670リットルの水が掛かっており、そのほとんどが綿花生産に使われた。
 「ウォーターフットプリント(水の足跡)」という用語は、どれだけ仮想水を消費するかを示すのに使われている。
一国のウォーターフットプリントは、その国の水資源の使用量、プラス仮想水輸入量、マイナス仮想水輸出量で算出される。
日本は、年間ひとり当たり1,380立方メートルのウォーターフットプリントを持っている。
日本は水が豊富だが、私たちの食糧自給率は、わずか約40パーセントにすぎない。
食糧を輪入することは、仮想水を輸入することを意味する。
実際、日本は、それが輪出する15倍もの仮想水を輸入している。
世界のほかのどの国も、輪入された水と輸出された水にこれほど大きな隔たりはない。
 この大きな差は、日本には悪い知らせのように聞こえるかもしれないが、それはそうであるとは限らない。
仮想水の国際取引は、実際よいことだ。
それは、もっとも理に適う場所で、食物が育てられるのを可能にし、貿易相手国との間によい関係を築く。
 自然の雨の循環のおかげで、水は最も再生しやすい資源だ。
私たちが国家として、そして個人として、力を合わせれば、すべての人に十分な水が行き渡る。
私たちが、20世紀の緑の革命の長所と、21世紀の青の革命を結びつけることができれば、青と緑の明るい来来を手に入れられるだろう。

水が必要か? それなら作れ!
 2025年までに、世界人口の3分の2が、水不足の状況に置かれる可能性がある。
それなら了解した。もしそれが必要なら、作ろう。
 それは簡単なはずだ。
 単なる基礎化学だ。
水は、水素原子2個と酸素原子1個からできている。
水を作るには、それらを互いに衝突させればいいだけで、そうすれば、世界の水問題は解決する。
 それは、理論的には可能だが、実行は危険だろう。
水は、水素原子と酸素原子からできているとはいえ、単にそれらを混ぜ合わせてもうまくいかない。
ばらばらの水素原子と酸素原子のままだろう。
各原子の電子軌道が結びつかなければならず、それが起きるには、急激なエネルギー爆発が必要となる。
 水素は可燃性だ。
酸素は燃焼を助ける。
そのエネルギー爆発を起こすのは容易いだろう。
必要なのは火花だけだ、そしてボン!
原子の電子軌道は結ばれるだろう。
水ができる。
 しかし爆発も伴うだろう。
大量の水素と酸素があると、致命的な爆発が起こる。
いかに致命的かを理解するため、不運な飛行船ヒンデンブルグ号のことを考えてみてほしい。
それは宙に浮くよう、水素で満たされていた。
1937年5月6日、大西洋を横断し、ニュージャージーで着陸態勢に入ったとき、静電気により、あるいは、もしかしたら、破壊工作により、水素爆発が起きた。
ヒンデンブルグ号は巨大な火の玉となった。
30秒で完全に破壊された。
搭乗していた多くの人が亡くなった。
 この爆発で大量の水が生成されたが、繰り返したくなる実験ではない。
 世界的な水不是に見合う十分な水を作るには、とても危険で、大規模な工程が必要となるだろう。
かつて、内燃機関は、爆発の反復を利用しているわけだが、実用にはとても危険すぎると考えられていた。
もし水がもっと希少で、価値が上がれば、水を作る工程を実際に見つけ出す人が現れるかもしれない。
なにしろ、「必要は発明の母」と言われるのだから。



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posted by sakai shinji at 15:13 | Comment(0) | Crown E.C.3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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