ゲーマー日日新聞

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世界で「時オカ」並に評価される傑作『Half-Life』が実現した、究極の没入感を実現する4つのストーリー手法

この記事は約10分で読めます。

 昨今では日本でも本格的にビデオゲームの研究が進んでいる。

グラフィック、ゲームデザイン、UI、様々な点から過去の作品が発掘され、評価されてきた。

中でも、個人的にもっと焦点を当てるべきと考えているのが、ビデオゲームとストーリーの関係性である。

昨今では技術的進歩と大衆的関心から、映画に代表される演出や技法をゲームに輸入する等、ますますゲームを通して物語を体験させる手法が模索されている。

 

そしてこの関係性を考える上でもっと的確な作品といえば、日本では若干マイナーながら、こうした試みで最も大きな成功を残し、世界的に評価の高い作品、『Half-Life』を置いて他にはいないだろう。

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『Half-Life』は今はSteamを運営しているValveから発売され、今でも極めて高い評価を浴びた傑作FPSである。発売日はかの世界的にも最高のゲームと名高い『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の何と2日前1998年11月19日

Metasocreは96(user scoreは9.1、これも時オカと同じ)、批評家にもIGNは9.5/10やGame Spotは9.4/10、PC GAMER誌はBest Game of All Timeと評され、売上に関しても全世界で1000万本近く販売されている。文字通りの、化物だ。

仮にアンドロメダ星雲から「ゲーム星人」がやってきて、彼らが面白いゲームで自分たちを満足させないと地球を滅ぼすぞと通告してきた場合、アメリカ人は自国の代表作品の一本に、必ず選ぶであろう傑作である。

 

では具体的に本作はどのようなゲームなのか。

ジャンルはFPSだ。ゲームエンジンは『Quake』にも使用されたQuake Engineを流用したもので、銃撃戦や謎解きを経てエイリアンに侵略された研究所から脱出する。

本作は戦闘も傑作であり、独創性に満ちたレベルデザイン、無数の武器による多様な戦略性、秀逸な敵味方のAI、サバイバルの緊張を体感させる極めて絶妙にシビアな難易度と、その魅力の枚挙に暇がないのだが、ここでは割愛しよう。

肝心の物語に関しては、概ねこんな具合である。

主人公ゴードン・フリーマンは、米政府の秘密研究所「ブラックメサ」の職員。いつものように、特異物質の実験を行うと、突如としてXENなる次元への扉を開いてしまう。

侵略を始めるエイリアン、事件もみ消しのため出動する海兵隊、同僚は殺され施設は破壊される中、命からがら脱出したゴードンは、生き延びるためにも事件の真相を解き明かそうと研究所内部へ潜り込む・・・。

この脚本だけでも、後述(本稿第4条参考)のように常にプレイヤーを飽きさせない刺激があるのだが、問題はいくら面白い脚本があっても、それをいかにして、ジェットコースターのように目まぐるしく変化するビデオゲームの体験に根付かせるかである。

 

「ビデオゲームに物語は不要」という声が強かった当時、具体的に『Half-Life』は何をもって評価されたのか。本稿では仮に、「ハーフライフ憲法」とでも名付け、手法を小分けして書いた。

第1条:プレイヤーに徹底して同調する一人称視点

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『Half-Life』がストーリーを重視する上で特に配慮したのが、あくまで主人公を一般人と設定することで、主人公とプレイヤーを同じ目線でリンクさせることだった。

普通、電子ゲームにおける主人公は大半が超人である。自分の背丈ものの剣を振り回し、魔法を詠唱して一騎当千の活躍をする。『Half-Life』以前のFPSも大半がそういった具合で*1、物語としても現実味がなかった。

 

一方で、『Half-Life』の場合は「ブラックメサに無数の所属する研究員の一人」という設定であり、また体力はひ弱で、超人的な動きも(基本的に)出来ないと、あくまで現実的な制約もついて回る。

逆に、銃弾を何発か受けても生きてられる等、ゲームの面白さを維持する上で回避できない「不自然さ」は、様々な機能を備えた万能アーマーである「HEVスーツ」のような、SFならではの設定により絶妙にカバーしている。

なので、プレイヤーは本当にゲームの世界に入り込んで、エイリアンたちの襲撃により地獄と化した研究所でサバイバルしている、そんな生々しい体験を味わえるのである。

 

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加えて、何より本作の凄まじい拘りは、一切主人公が話さない事である。

これはあくまで、Valveが主人公のことはプレイヤーだと思ってプレイしてもらいたいという拘りだ。ゲームに出てくるFreemanという男は、プレイヤーの数だけ存在すると言って良い。

主人公が話さず、更に一人称で進むことにより、本作で起きる事件や戦闘は、まるで自分が実際に体験しているように感じられる。プレイヤーが感情移入どころか、精神移入する上で、遮るものは何もないからである。

一方で、主人公が一切喋らないという点は、物語を盛り上げる上で致命的な制約になりかねないのだが……。『Half-Life』は巧みに物語を伝えている。

「第2条」で説明する、言語を介さない伝達方法もさながら、「第4条」で説明する予定の、生き残ることに特化した物語も重要な役割を果たしているので、そちらも読んで欲しい。

 

第2条:言語もカットシーンも使わないリアルタイム性

まず『Half-Life』最大の特徴は、ゲーム内にカットシーンが存在しない事である。

物語における起承転結は、全てプレイヤーの目の前で、かつリアルタイムで進行する。

 

この手法の大きなメリットは、まず没入感を損なわずに物語を伝えられる点である。

ゲームプレイはプレイヤーによる「入力」の連続だ。だが、物語の説明のためにカットシーンを挟んだり、ダイアログを読ませてしまうと、入力が途切れてしまい、ゲームプレイに対する没入感にムラが出てしまう。

 

一方、驚くことに『Half-Life』には一瞬たりともカットシーンもダイアログも挟まれない。仮にオープニングであっても、操作は可能だ。

無論、NPCと会話している間もずっと操作は可能だし、ダイアログで細かい文字を読む必要もない。何なら、喋ってる最中のNPCを殺して、無理やり先に進めることも出来る(比較的有名な攻略法だ)。

このように、常に主人公を操作できる状態を維持することで、本当に自分がこのゲームの中に存在しているのだという感覚に陥る、というわけだ。

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だが、実際に「カットシーンを挟まない」と言っても、そう簡単に再現できる事ではない。カットシーンを削るということは、それ以外の手段で物語を伝えねばならないからだ。

『Half-Life』はこの課題を、言語による説明を避けることで解決している。

例えば、本作のチュートリアルでは唐突にメッセージが画面に説明が表示されるようなことはなく、主人公が事件前に受ける研修というプロローグ形式で導入されており、これは中々画期的だと当時は感心した。

だがもっと優れているのは、ゲーム史に残るオープニングと評される、メトロに乗車して研究所に出勤するシーンだ。

基本的にメトロにのって研究所を一周するだけだが、右を見れば巨大なクレーンが動き、左を見れば後の敵となる海兵隊が話し込んでいたりと、この巨大な研究所が先進的ながらも何か国家機密的な研究をしていることを読み取ることができる。

 

また昨今では、カットシーンを介さずに、ダイアログや日誌を通して物語を伝える手法が流行っている。『System Shock』で発明されたこれも文字を読む時点でゲームのテンポを乱す以上、ストーリードリブンなゲームに適格と言えない。

『Half-Life』にはそれすらない。本作で用いられる最低限の言語は、敵軍の通信や、死にかけた同僚の遺言といった、ズバリ「会話」のみ。それ以外はすべて、一人称視点を通して眼の前で発生する一切を「観察」することで読み取る。

これこそ究極の没入感だ。全ては同じ一人称を通したプレイヤーの体験として、一切途切れることがない。映画でいう「長回し」のように、一度もカットなく全てのゲームプレイが続く。『God of War』(2018)の試みは既に20年前に実現していたのだ。

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第3条:全てシームレスに構築されたブラックメサ研究所の実在感

ここまで『Half-Life』の魅力を我々の目線で追ってきたので、次はゲーム側の目線で確認してみよう。

 

まず圧巻なのが、本作の舞台となるブラックメサという巨大研究所のマップ構造が、途切れることなく全て繋がっている点である。

ゲームにおけるステージは、大半が脈絡のない繋がりである。例えば、最初は火星基地で戦っていると思っていたら、次のステージに挑むと突然地獄に飛ばされたり、またワールドマップ等を介した上で、海のマップの次は山のマップへ移動することになる。

こうした仕様は、プレイヤーを飽きさせないよう、色々なマップを楽しませる点では、合理的なゲームシステムと言える。だが、いかにも「ゲーム的」な違和感を感じさせ、ゲームプレイの連続性を途切れさせてしまうのも事実だ。

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画像はredditより

 

『Half-Life』の場合、レベルの間でロードを挟むものの、ちゃんと全てのステージが繋がっており、唐突に別のエリアにワープすることはない。(終盤のあるXEN突入を除いて)

故に、実際に自分が研究所の中にいるのだというリアリティがある。

また研究所そのもののリアリティにも拘っており、最初は一般職員も入れる生活感のあるオフィスやエントランスが舞台となるが、最奥に向けて進むに連れ、巨大な軍事施設やエイリアンの研究棟があったりと、従来「遊べればそれで良い」と軽視されたマップに凄まじい質感を再現している。

またマップを探索していても、窓の向こう側に怪しげな男が談笑していたり、ステージの背景に後のステージでボスとなる強敵が暴れていたりと、プレイヤーが探索するほどゲームに対して理解を深められる点も興味深い。

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因みに、こうした「全てのマップが繋がる事で得られる没入感」という点では、既に任天堂の『ゼルダの伝説』(1986年)、『メトロイド』(1986年)の時点で大部分で完成されている。

だが、当時最新鋭だった立体的なマップ(1998同年発売は何と『時のオカリナ』)で、なおかつ「研究所」という現実的な設定とバラエティに富んだ景観で、これを実現したのは本作ぐらいだった。

 

第4条、SFサスペンスを交えつつ、サバイバルそのものを描く脚本

ゲームにおけるストーリーテリングを考える上で、もっとも大きな課題はゲームプレイとストーリーが乖離することだ。

例えば、『Grand Theft Auto』をプレイしている時、暇潰しがてらに市民を虐殺して警察と銃撃戦に興じ、それに飽きた頃にメインストーリーを始めると、主人公が神妙な顔で「もう殺しはしたくない……」等と言う。そこであれ?と誰でも違和感を覚えるだろう。(実際には『GTA』はそのギャップこそ本質なのだが、また別の機会に)

『GTA』に限らず、かの『マリオ』であっても、多くのゲームプレイは大抵暴力に依存する。何故ならそれがゲームとして楽しいからだ。FPSでも、RPGでも、ACTでも、ADVでさえ、ゲームプレイを根本的に分解すると暴力の連続である。

その結果、独創的な物語や世界観を構築しても、暴力的なゲームプレイとのギャップに苛まれることになる。

 

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この対策は主に2つあり、そもそも暴力と無関係のテーマを出発点にゲームを一から作るか、暴力を肯定した上でストーリーを練るかの2つだ。『Half-Life』は後者だった。

『Half-Life』は最初ただの研究者として「出社」する所から始まる。例のトラムに乗ってエントランスに向かうと、警備員や同僚が「おはよう」と挨拶を交わす。だがHEVスーツを装着し、謎のエネルギー触れる実験をした瞬間、異界からエイリアンが流れ、また口封じのため送り込まれた海兵隊も合流し、研究所は阿鼻叫喚の地獄と化す。

このように、本作は一瞬だけ描かれた平穏を描き、そこから地獄へ転落することで「正当防衛」として暴力を正当化する。

いきなりプレイヤーを銃弾飛び交う戦場に放り込めば「戦わされている」と感じるが、自分が戦う必然性をゲームプレイの中に作ることで、ストーリーを見事合致させているのだ。

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殺された同僚の成れの果て。作中自分と同じ研究員は何度も殺され、その都度死の恐怖を植え付けられる。

 

また、『Half-Life』は前提として暴力を正当化しながらも、刻々と変化する戦場の様子や、出口のない謎を解明するサスペンス要素を、上手く脚本に仕込むことで普遍的な物語を描いている。

例えば、先述したように「いつもの業務をこなしていたらエイリアンが現れる」という、最序盤から予想外の展開を迎え、更に救出してくれる予定のアメリカ海兵隊が何故か研究員を処刑したり、その海兵隊さえ恐れる新たな勢力が現れたりと、単なるサバイバルの中で刻々と予想外のハプニングが起き、それに対して「何故」という疑問が湧き上がる。

こうした優れた脚本が実現したのは、中でも脚本家であるMarc Laidlawが、Valve入社前に世界幻想文学大賞等で受賞する実力のあった一流のSF作家だった事も大きいだろう。

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何者かの陰謀が断片的に伝わってくるのだが・・・?

 

また、昨今で「生き残る」ことをテーマに、ゲームプレイとストーリーを合致させた作品と言えば『The Last of Us』が印象深いのだが…… この作品も必ずいつか記事に取り上げたい所だ。

 

結論:ゲームが語るのでなく、プレイヤーが読む物語

これまで述べたように、視点、ゲームプレイ、マップ、物語全てに『Half-Life』は「一貫性」にこだわっている。

あらゆる部分において、本作はシームレスだ。そのシームレスへの固執はもはや狂気と言っていい。あらゆる部分で、ゲームプレイに切れ間がない。

故に本作を遊ぶと、ゲームを遊んだ体験でなく、自分が研究所から脱出する研究者である、という体験そのものが脳裏に焼き付く。実際に本作をプレイした時の疲労は、他のゲームと比べ物にならない程だ。

 

そしてこれらの手法は、何故現代に至るまで『Half-Life』が評価されているかという問いに対しての、私なりの証明である。

本作は、何箇所か優れた点が挙げられるのでなく、視点という最もプレイヤーから近い点から、脚本の大枠に至るまで、正しく微に入り細を穿つよう「一貫性」を徹底した技巧と、当時誰もが真似し得なかった革新性が統合的に練り込まれた。

それにより、本作は数あるゲームの中で圧倒的な没入感とプレイヤーのインタラクティブを尊重する姿勢から、「読む」のでなく「読ませる」ゲームでしか実現し得ないストーリーを確立し、今で言う「ナラティブ」の可能性をも見越した作品となった。

この究極とも呼べるプロフェッショナリズム、比類なき完成度こそが、『Half-Life』の評価される所以なのだ。(無論、純粋にFPSとしての完成度も極めて高いのだが)

 

恐らく、ビデオゲームにおいて物語の可能性を追求することは、殆ど報われない事だと思われる。それは物語的な側面が評価されにくい、という以上に、『Half-Life』程に徹底した研鑽があって、ようやく評価される領域に到達するからだ。

現に、『COD』、『Halo』、『Bioshock』、今作られているFPSは殆ど全てがこの作品から大なり小なり影響を受けた(或いは影響を受けた作品の影響を受けた)といっても過言ではない。だが一方で、本作を越えたとされる作品は殆どない。

だが、ゲームもまたメディアの一種であり、何かを表現し伝達する手法である。今後共ビデオゲームは更なる可能性を追求し、その上で物語におけるアプローチは注目されるだろう。

今回紹介した『Half-Life』は中でも、そうした事例の重要なヒントになりうると私は確信している。

『Half-Life』における数々の手法は、FPSにおける体験の平凡化に対しての反動でした。我々の多くはビデオゲームで味わう「現象学的可能性」にゾッコンで、今のゲーム業界はこうした可能性を追求するよりも、ありふれた共通分母の経験に甘んじているよう感じました。我々の望みは、単なる射撃場を建築するより、真に迫った人物や世界を建築することにあったのです。

-Gabe Newell(Valve社代表)

 

……ただ正直、いくら傑作と言えど、今から20年前のこの作品を遊ぶのは、絵的にも技術的にも色々キツい部分もあるかもしれない。

そんなあなたに朗報!『Half-Life』を美麗なSource Engineでリメイクした『Black Mesa』がSteamより発売中だ。

実はこの作品、散々Valveが『Half-Life』のリメイクを渋っていたのを見かね、ファンが一からMODとして作った上、Valveから許可を貰ってついに製品版として発売するまでに至ったのだ。

この間、なんと14年。本当に長い間続けられた凄まじいプロジェクトで、ファンも固唾を呑んで見守り続けた。現在はまだアーリーアクセス(ほぼ完成済み)であるものの、20周年を記念し、来年3月についに完成予定とアナウンスがされたのである。

これほど愛され続けた『Half-Life』。正直まだまだ語り足りない作品だが、是非とも一度触れて欲しい。

www.youtube.com

*1:『System Shock 2』という偉大な先輩がいたものの